世界の終わりはあなたとがいい

煉樹

世界の終わりはあなたとがいい


 雪はもう10年やんでいない。


 ザッザッザッ


 家でずっとくるまっていたい気持ちなんて掃いて捨てるほどあったけれど、それをしてしまった瞬間、自分という存在も雪に埋もれてしまいそうで、私は今日もこの道を歩く。


「はるー」


 ノックなんてする間柄でもないので、声だけ上げて、家に上がる。

 すると、入ってすぐの場所に、目的の人物はいた。


「……なんでこんなところで寝てるの、よッ! はる!」


 バッとくるまっていた毛布を剥ぐ。

 すると中にくるまっていた少女がくるくると転がり出てくる。


「……ん、んん~…………ふぁ…………くぅっ……」


 そして、しばらくそのままになっていたかと思うと、おもむろに起き上がり、伸びをしている。


「起きた? はる」

「ん~~……。おはよ~……はな~……」

「ほら、着替えたらいくよ」

「ん~~~~」


 はるは寝起きが悪い。

 別に、私がいいっていうわけじゃないけど、彼女が悪すぎるのだ。

 だから、いつも私が彼女を起こしに来ることになる。


 ついでに散らかっていた部屋を少し片づけていたら、着替えを終えたはるが自室から出てきた。


「ん…………」

「……じゃ、いこっか」


 そして、どちらからともなく家を出る。


 向かう先は、村のはずれにある丘。

 そこに毎朝向かうのが、私たちのルーチンワークだった。


「ねぇ、春って知ってる?」

「……私のこと?」

「違う! ……なんか、暖かくて、黄色い菜の花っていうのが、咲いてるんだって」

「なにそれ。作り話……?」

「……違うよ。お父さんが、おばあちゃんから聞いたって言ってた」

「作り話を?」

「だから違うって……」

「写真とかあったら、信じたのにな〜」

「だから〜……!」


 二人で、なんてことない会話をしながら、歩く。

 すべてがこんもりと雪に覆われた世界にあって、私たちの歩く丘への道だけが、踏み固められているから、少しだけ歩きやすい。


 そうやって進んでいると、丘のてっぺんの白樺の木の下に、大きな石が見えてくる。


「——今日も来たよ、お父さん、お母さん」


 ……これは、私たちの祖先の碑。

 あの村に、人々が生きた、証。


 私たちがもっと小さかったころに、私とはるの両親も死んで、この石の下に埋められた。

 私たちは、毎日この石に参りに来ている。


「今日は、あんまり積もってないかも」


 石の上に積もった雪と、枯れ葉を、払う。

 そして、ほんの少しだけ覚えている、両親の顔を思い出しながら、手を合わせる。


 たったこれだけだったけれど、これをしないと、いつか本当に、父や母のことすら、忘れてしまいそうで。

 もちろんそれだけではないけれど、それはここに来る大きな目的の一つだった。


 ふわっ——。

 そうして、ギュッと手を合わせて祈っていると、不意にあたたかな肌のぬくもりを感じた。

 はるが、抱きしめてくれたんだと、すぐに気づいた。


 彼女曰く、いつもここで祈っている私は、なんだか危なっかしくて、折れてしまうのではと思うらしい。


 そんなに鬼気迫った気持ちになっているつもりはなかったけれど、彼女のぬくもりは本当にあたたかくて、ありがたい。

 だから、私も後ろから回された手のひらを握って、離さないで、そのまましばらく丘からの景色と、石の碑を眺めるのだ。


「……そろそろ、戻ろっか」

「…………ん……」


 そうして、だいぶん経って、私は立ち上がった。


 また、来た道を戻っていく。


 変わらない風景。

 変わらない気温。

 変わらない、日常。


 ——変わらずにいてくれる、はる。


 全部がこれでいいと思っていたわけでもない。……けれど、少なくとも私は、今の生活も悪くはない。そう、思っていた。


「あれ……」


 家までもう少し、というところまで戻ってきた時だった。

 はるが、声を上げたのは。


「……? 何かあった?」

「いや、あそこ……」


 声をあげたはる自身も、あまり事態を把握していないというような自信なさげな声で、はるは私たちの家のあたりを指差した。


「んー……?」


 そして、よくよく目を凝らして見ると、確かに、村は、いつもとは少し違う様子だった。


 雪に半ば埋もれた空き家の近くに、人……のような影が見える。


「何……ううん、誰?」


 私たちが生きてきて、私たち以外に会ったことのある生命体など、動物を除けば、お互いの両親だけしかいない。

 だから、これは本当に珍しいことだった。


 しばらく歩くと、やはりその影は見間違えなどではないとはっきりとわかった。


 ……けれど、それと同時に、それが「人」ではなかったことも、わかった。


「もしかして……」


 それは、人に似せた何かだった。

 纏ったボロ切れのような服の隙間から覗く肌の質感は、金属質の何かに見える。

 それは、この村に残るどんな貴金属よりも、メタリックに輝いているように見えた。


 ……そして、その存在が何を意味しているのか。

 それだけは、私たちも知っていた。


「中央からの、使者……」


 中央。


 すでに形を成さなくなったこの世界の社会という秩序を、保とうとする、存在。

 ……彼らは、ただただ世界という存在を正しい形で存続させるために行動する——らしい。

 これは、私たちの親から聞き及んだ知識だ。

 だからもちろん、私たちは、彼らを一ミリも見たことなどないし、会ったこともない。


 ……ただ、彼らがこの世界を生き永らえさせているということだけは、知っていた。


 すでに世界は終末を迎えていて、世界を守っていくことになど、なんの意味もないというのに……。


 ——ザッ


 足元の雪をかき分けて近づき、私たちは使者と対峙する。


「あの……」


 声をかけてみる。

 使者の存在は、近くで見ると想像以上の迫力と威圧感があり、無視をするというわけにもいかなかった。

 彼(ということにしておこう)の背丈は見上げるほど大きく、首が痛くなりそうなほどだ。


 すると、彼はチカリと頭の目のような部分を光らせて、鈍い動作で腕をこちらに差し出した。その手には筒のようなものが握られており、受け取って開けてみると、中からは書簡のようなものが出て来た。


「なんだろ……」


 ——見ないほうがいい。


 本能的に、そう思った。

 ……けれど、見ないわけにはいかなかった。


 彼らに逆らっては、いけない。

 ……それは、この世界を生きる上での、掟なのだから——。


 シュ……。


 微かな紙擦れの音とともに、書簡を紐解く。


「これ……」


 書簡には、短い文言が書かれていた。


『M・ナバナ


 上記の者に、中央への出向を命じる。拒否した場合、相応の処罰が下る』


「……どうしたの? はな」


 書簡を見て固まっていた私を疑問に思ったのだろう。

 はるが不安そうな表情をにじませて訊ねてくる。


 しかし、私にはそれに対応している余裕はなかった。


 ……私にとって、いや、この世界に生きるすべての人間にとって、中央機関は絶対の存在。

 ——それは、それだけは、終末を迎えても、変わっていない。

 ……むしろ、彼らの持つ意味は、この終末だからこそ、大きい。


 なぜなら、彼らの食糧配給がなければ、私たちは生きていけないから。


 世界を守ることには、もはや何の意味もないはずなのに。

 それでも、彼らは愚直に世界を守る。


 この村にも、週に一回、どこからともなく無人の配給車がやってきては、食料を置いていく。

 ……けれど、彼らが守ってくれるのは、守るに値すると決めた人間だけなのだ。


 彼らの庇護から外れた人間に、この終末世界で生きていくすべは、ない。


「ねぇ……」


 固まったままの私にいよいよ何かあったのだと悟ったはるが、強引に私の手元の書簡を見る。

 ……そして、意味を理解すると同時に、固まる。


「はな……?」


 そして、私にまた、声をかける。


 ……。

 …………。


 私、は……——。


 グッと、奥歯を噛む。

 足元を見つめる。


 …………私は、どうすればいい?


 ……けれど、いくら考えても、選択肢など、一つしかない。

 だって。


 だって——っ!


 …………。


「ねぇ、なばな……っ」


 私の肩に伸ばされたはるの手を、私は、つかめない。


 ――私には、責任がある。


 はるを、守る、責任が。


 この消え入りそうな声を、守らないといけない。


 ……それは、私が、はるから離れるだけで。

 たったそれだけのことで、達成されるのだ。


「……私、いかないと」

「なばな――っ!」


 はるの声は、いつしか叫びに変わっていた。

 気づけば、呼び名も愛称ではなくなっている。

 ……けれど、私は、その声には応えられない。


 ………………答えては、いけない。


「……じゃあね、はる」 


 声と共に、足を、重い足を、一歩前に動かす。


 私は、笑顔で、はるに手を振ったつもりだった。

 だって、これは、二人が生きていくためには、仕方のないことだから。


 けれど、だから、わからなかった。

 ……私が、上手に笑えていたのかどうかが——。


「——なんで!?」


 そんな私の足をまた止めたのは、はるの、魂の声だった。


「ねぇ、なばなは、私と一緒にいたくないの?!」


 ——いたい。

 いたいよ……っ!


 ……でも、それは、もう、できなくなってしまったの。


 それは、あなただってわかるでしょう!? はる!


「私は——っっ!!」


 俯いていたはるの表情は、私からは見えなかった。

 ……でも、その声には、涙が混じっていたような気がする。


「世界が終わりを迎えるなら、それは、はなとがいい——っっ!!」

 

 私は、はるのこんなに大きな声を始めて聞いた。


「たとえ死ぬことになっても! はなとなら、何の後悔も、ない」


 キッとこちらを向いた顔には、涙の跡が浮かんでいた。

 ……けれど、代わりにその表情には、一切の怖れだとか、不安は、なかった。


 ……——。

 

 胸に手を当てる。

 深く、冷たい空気を吸う。


 そして、周りを見回す。


 大きな使者の体。

 見慣れた村の風景。


 ——そして、隣にいてくれる、はる。


 深呼吸して彼女の姿を見た瞬間、私の中で、一つの答えが、実を結んだ。

 そして、私の中の何かが、音を立てて、崩れ落ちていった。


 ……きっと、私は、少し勘違いしていた。

 はるのことを、自分の中のどこかで、守らなくてはいけない存在だと、思っていた。


 ……でも、そんなこと、全然なかった。

 

「——これじゃ、どっちが守られてるか、わかんないや」

「……え?」


 ボソリとつぶやいた私の言葉が聞こえなかったのか、はるが聞き返す。

 けれど、もう一度言うつもりはない。

 ……これは、わざわざ伝える言葉じゃない。


 だから、代わりに、私は言った。

 今の自分の、感謝の気持ちを。 


「はる————ありがと」


 ——そうだ。


 ……もう、全部知ったことか。


 私は、私の生きたいように生きる。


 私だって、気持ちは同じなのだ。

 ……そう、もし仮に世界が終わりを迎えるなら、その時は、あなたとがいいもの——。


 ——はる。


「うわああああああああああああ!」


 次の瞬間、私の体は動いていた。

 さっきまでは絶対に逆らえないと思っていた使者が、今はただのガラクタに見えた。


 ガン!


 地を蹴った勢いそのままに、私は無様に体当たりする。

 すると、思っていたよりも随分と鈍い音を立てて、使者の体がグラリとよろめいて、そのまま雪の上にドサリと倒れ落ちる。

 私もまた、勢い余って雪原の中にダイブする。


「…………プハァッ」


 埋もれた体をなんとか起こし、この世界の冷え切っているけれど、澄み渡った空気を吸い込む。


 そして、そんな私の視界に入ってきたのは、どこまでも続く、白だった。

 ちょうど雲間からのぞいた太陽が照らす雪原は、何度も見てきたはずだったのに、それまでの人生で一番美しく見えた。


 ……この世界は、確かにもう雪に覆われて終わりゆく世界だけれど。

 それでも、新しい何かがあることに、驚いた。


「はな、それ……」


 そうして惚けていた私に、はるが声をかける。

 ハッとして、私が使者の方を見やるけれど、不思議なことに使者は反撃するような様子もなく、ずっと雪に埋もれていた。


「あれ……?」


 おかしいな、と思って、つついてみるけれど、動く気配がない。

 冷え切った体からは、命の灯火が消えていた。

 ……思えば、それまでの動作もどこか緩慢だったような気もする。


「……きっと、もう寿命だったんだね」


 近寄ってきたはるが、隣にしゃがむ。


 そして、静かに手を合わせた。

 それを見て、私も慌てて使者に向かって手を合わせる。


 ……私たちの祈りは、彼に届いたのだろうか。

 こんな世界で、ただただ秩序を守るために働いていた、彼に。


——————


 そのあと、二人で彼を埋めた。

 重くて動かすことはできなかったので、仕方ないからそのままの場所に雪を被せた。


「……ねぇ、明日は、いつもの丘じゃなくてさ。……その——」


 はるの家で雲の向こうの日が沈みだして暗くなってきた外を眺めながら、私は、隣にいるはるに喋り掛ける。


「……違うところ、行かない?」


 そんな私に向かって、彼女はニッコリと笑いかけて、言ってくれた。


「いいね。行こうよ」


 そのあとは、二人でどこに行くか話した。

 丘とは真逆の方向に行ってみよう。

 使者が来た方向に。

 そういう、話になった。


 そうこうしていたら、ちょっと寒くなってきたなと思って、はるの体を抱き寄せる。

 すると向こうも、私の膝と胸の間に、小さな動物みたいに丸くなる。


 ——はるの体は、湯たんぽみたいに暖かい。


 抱きしめていると、なんだかほんわかとした、満ち足りた気持ちになれる。


 ……だからだろうか。

 するりと、心の奥の気持ちが、口を、ついて出た。


「……もう、離さないから」


 言葉とともに、ギュッと彼女の体を抱きしめる。


「……私もだよ」


 すると、それまでくるまっていた彼女がこちらに向かって振り向いて。

 あ……と思った時には、お互いの唇が触れ合っていた。


(暖かいな……)


 触れた柔肌は、抱きしめている彼女のどんな場所より、熱を持って、暖かかった。

 その焼けるような熱を、もう二度と離したくなくて、縋るように舌を伸ばす。はるの、少しだけ甘い味が、口を満たす。

 そんな私に応えてくれるはるの存在が嬉しくて。

 閉じていた瞼を開いてみると、そこにはもちろん、彼女の透き通るような肌がある。長いまつげだってわかる。


 ……ああ、幸せだな。


 はっきりと、そう感じる。


 しばらくして、はるは離れようとしたけれど、私はまだまだ足りなくて。

 だからそんな彼女の頭を手で持って、再び深く、口づけをする。

 強引な私に、はるは少し抵抗しようとしたみたいだったけど、諦めて私に付き合ってくれた。


「——プハっ」


 二人で飽きるほどその温度を感じて、私たちはやっとお互いの口を離した。

 ……いつの間に、日が暮れていたのだろう。外はもう真っ暗になっていた。


「……今日、このままうちに泊まる?」

「…………そうする」


 今更暗闇を歩いて家に帰る気にもなれなくて。

 その夜、私ははるの家で過ごした。


———————


 翌日。


 二人して日も高くなったころに家を出て、昨日言っていた方向に向かった。

 使者が来た方角は、いつも行く丘よりも少し小高くなっていて、村の方からは先が見通せなかった。


「はぁ……はぁ……。ねぇ、もう、そろそろ、帰ろ、うよ……」


 いつも家でゴロゴロしているはるが、すぐに音をあげる。


「ダーメ。……もうちょっとだから、頑張ってよ」


 もうそろそろ、丘のてっぺんぐらいのはずだ。

 そこまで行けば、きっとその先が見える。


「これ…………」


 そして、ついにたどり着いて見えた景色に、私の口から言葉が消えた。


「ねぇ、何か、あった……? もう、帰ろ…………」


 しばらくして追いついて来たはるが、私の背中に、ぶつかる。


「どうしたの……」


 そして、それを見たはるもまた、言葉を失った。


 ——丘の先の窪地には、見事な花畑が広がっていた。


 黄色い、花。

 まるで、絨毯のように見えるそれが、目に眩しい。


——黄色い菜の花っていうのが、咲いてるんだって。

 いつかの言葉が、脳裏をよぎった。


「うわぁ……」


 思わず、声が漏れる。

 そういえば、この場所は空気もどこか暖かい気がする。


 きっと、これが「春」で、「菜の花」なのだと、本能で感じた。


「……綺麗だね」

「うん、ホントに……綺麗だ」


 自然と、はるの手を握っていた。


 だって、この景色を見て、思ったから。

 これは、私たち二人が、一緒にいたからこそ見られた景色だって。


 ——そう、思ったから。


 ギュッと握り返してくれた、はるの手の感触が、心地よかった。


 ……私たちが、これからどうなるかはわからない。

 もしかしたら、食料の供給もなくなって、ただただ冷たくなっていくのを待つことになるのかもしれない。

 ……でも、それでも何も怖くなんてない。


 だって、もし仮に世界が終わりを迎える瞬間があるのなら、それはあなたとがいいもの。


「ね、はる」

「うん」


 だから、二人でニコリと微笑みあって。またもう一度、強く手のひらを握った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の終わりはあなたとがいい 煉樹 @renj

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ