第28話

「何かあったんですか?随分と、外が騒がしかったようですけど」

「台所にゴキブリが湧いたみたいね。それで使用人が騒いでいたのよ」

伯母様はソファーに腰を下ろし、テーブルの上に並べられている布を手に取る。どれも上等品で肌触りは最高だ。

「どんなドレスにしようかしら。エマなら何でも合いそうね」

そう言って伯母様は私に布を当てる。

今日は私に合ったドレスを作るための布選びをしているのだ。

「私にはもったいないぐらいです」

公爵家の娘だけど、ドレス何てそんなに持っていない。恥をかかないように社交界の流行に合わせたドレスを仕立てることはあっても、それでもここまで上等な布は使わない。そういうのは全てマリアナにいっていたから。

それを知らないマリアナにはよく「お姉様のドレス素敵ですね。羨ましいです」と言われた。その度に何度頭の中でマリアナを殴ったことか。

元平民だから見ただけでは布の上等さが分からないのは仕方のないことだ。だから笑顔で「ありがとう」と言った。

「そんなことないわ。いくらあっても足りないぐらいだもの。それに、私には子供がいない。家を継ぐ人間がいないの。だから必然的にあなたに継いでもらいことになるんだけど。いい人はいないの?」

伯母様の言葉に私は後ろに控えているジルを思わず見そうになってけど、ぐっと堪えた。身分が違う。結婚できるはずがないもの。

「・・・・私はずっとカール殿下の、カール様の婚約者でしたから」

「そうね。でも、女の盛りはまだ過ぎてはいないわ。あなたなら良い縁談がたくさん来るでしょうね」

にっこりと笑う伯母様。私は笑顔で返しながらも傷のない胸がずきずきと痛みを訴えるのを無視し続けた。痛みに耐えることに必死だったから伯母様が視線をずらしてジルを見ていたことに気づかなかった。

「その中から選ぶのも自由。蹴るのも自由」

「えっ」

思いがけない言葉に私は伯母様を凝視する。伯母様は優しく微笑んでいたけれどその目は剣先のような鋭さがあった。

「現実は甘くないわ。だから、誰からも反対されない道を選ぶことは決して間違いではないの。特に義務が生じる私たち貴族はね。でも、期待に反した道に行くことを選んだって、それだって間違いではないの。ようは覚悟の問題よ」

「覚悟」

伯母様は深く頷いてからどこか遠くを見るような目で窓の外を見た。

「昔ね、好いた人がいたの。その人は従僕だった。身分が違った。だから諦めようとした。でも諦めきれなくてね、、駆け落ちまでしたのよ」

それは何とも意外な昔話だった。私の知る伯母様は貴族の義務を放棄するような方ではなかったから。

「だけど、結局家の者に見つかってしまって。私たちは強引に戻されてしまったの。当然、彼は解雇された。数年後、私は隣国の、夫の元に嫁ぐ前にどうしても気になって彼の家を調べて見に行ったの。そうしたら、彼は亡くなっていたわ」

「っ」

伯母様は悲しみに耐えるように一度目を伏せた。次に視線を上げた時は澄んだ川のような、何もかも見透かしたような目をしていた。

「彼の母親は病気でね、莫大な治療費が必要だったの。私の家で従僕をしていたらギリギリ食つなぐことは出来ていた。それを知っているから私の家の者が彼にお金を送っていたの。元はと言えば私の浅慮が招いたことでもあるから。でも、どういうわけか彼はそのお金に一切手をつけていなかったの。それで、結局は過労死」

ここまで話すと伯母様はふと息を吐いた。

「今でも思うのよ。あの時、もっとああしていれば、こうしていればってね。馬鹿みたいに考えるの。過去に戻ってやり直せるわけでも彼が蘇るわけでもないのにね。それでも、考えずにはいられない。人って本当に馬鹿な生き物よね」

「・・・・どうして、後悔はいつも先に立ってはくれないのでしょうか」

「さぁ。それが人生の醍醐味だからかもしれないわね。だって、後悔のない人生なんて味気ないじゃない」

苦しみ、悲しみ、幸福。多くのことを経験した、私よりも年上の伯母様だから言えることだろう。私にはまだそんあことを言えるだけの経験はない。

「中途半端な覚悟は結局、不幸を招くわ。でもね、覚悟をしたのなら貫き通しなさい」

「はい」

強い伯母様の瞳を見て私はもう一度自分のこれからについて考えることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る