10
そんなよわきで、どうする。
ぼくはおうじさまだぞ。だっせーくるまのかいてあるてぃーシャツをきたことがあっても、おうじさまなんだぞ。おうじっていったらなんだ。ベタベタなゆめみるおんなのこの、あこがれのまとだ。ゆきかのあこがれのまとだ。チキンのざいりょうじみたとりになったって、ともだちいなくたって、たいしてカッコよくなくたって、ぼくはおうじさまだ。
だいすきといってくれる、あのこのまえでなら、おとこはだれだっておうじさまだ。
ゆきか、ユキカ……雪華。
のうみそからこぼれ出て行ったことばが、一つのうつくしい名詞で少しずつ戻ってきた。オッケー、OK。大丈夫。よし、カタカナも英語も漢字も完璧だ。
とぼけた形の足をふんばって、ファンシーな頭を持ち上げて、空を睨む。そいつが真っ青な顔で嘲笑した気がした。
──鳥のくせに何が出来る。篭から出る力もないくせに。
見てろよ。絶対に絶対に、出て行ってやるからな。よろよろと、脱出を阻む鳥籠の前へと、僕は歩く。人間の時に見たら針金に毛が生えたようなものにしか見えないであろうそれも、今は暗く重い牢獄の鉄格子だった。こんなものをどうにかする秘策なんて、あるわけがない。じゃあどうするか。
こうするしか、ないよ、ねっ!
『仁さん!』
目の前に星が散らばったような気がした。雪華の叫び声も聞こえた気がした。体当たり作戦は失敗に終わった。
全身の骨がどっかに散らばったような気分。鳥っていうのは、空をとぶためにかなりの軽量化がなされているって聞いたことがあるけど、本当に複雑骨折でもしたみたいに体全体がきしんでいる。だけど、僕はまた捨て身の突進を鉄柵に向けてはなった。
また視界全体に星が散らばる。同じ所をぶつけたせいですごく痛い。でも僕は諦めない。何度でも、何度でも、何度でも、何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも、
この硬い鉄の棒に体を体当りさせる。
雪華は、僕の捨て身戦法を見てボロボロと涙を流している。いけないなあ、お姫様が泣いちゃあ。お姫様は、王子の前じゃ笑っていなきゃいけないんだ。僕は鳥でも、お姫様を王子様の元へ運ぶツバメじゃない。僕自身が王子なんだ。
僕の努力が実ったのか、はたまたファンタジーな世界だからか、鳥籠は少しずつスキマが広がってきた。後もう少し、もう少しだけ体当りすれば外に出られる、のに。これ以上体が動かない。体中の痛みで体が動かない。心も体もインドア生活なのが祟ってやがる、くっそお。
『イヤ、イヤ、イヤ、イヤ、イヤ』
雪華が頭を振りながら叫んでいるみたいだ。声は聞こえないけれど、そんな気持ちがヘタれて横たわった僕に伝わってくる。こぼれる涙は朝露のようだった。
「イヤ!」
声が、聞こえた。
はっきりと。
確実に。
その場を動けないはずの雪華が、駆け出す。
僕のそばに跪いた。
「仁さん、仁さん」
ポタポタと、空色の瞳から飴のような涙の雫が、僕めがけて落ちてくる。ぽちゃん、ぽちゃん。涙は僕のくちばしに、舌の上に転がり落ちた。雪華の涙は、しょっぱくなかった。
真水に近いけど、ちょっと違う。これはなんだろう。なんだろう。そう、きっと、童話なんかでよく出てくる、朝露の雫ってこんな味がするんだろうな。
今の雪華は、まさに華々しい花、ヒナギクそのものだから。涙も涙であって、そうじゃないものになるんだ。たった一粒の涙の雫。朝露の雫。
それは、クチバシから喉へ、喉から胴体へ、胴体から翼と足へ。全身へと行き渡った。それは世界一の回復薬。素晴らしきカンフル剤。心のこもったエールだった。
すっくと立ち上がる。無理矢理作られた、鳥籠の中の不自然な芝生の地面の上で、踏ん張った。
「もう大丈夫だよ、雪華。さあ乗って」
僕は小さな花のお姫様に笑いかけ、その小さな存在を大切に背中に乗せて、
行く手を阻む鉄格子に、とどめの体当たりをぶつけた。
セカイが、開けた。
ぶち壊された篭の鉄格子から僕と背中に乗った雪華が飛び出して、危うく床に不時着しそうになる、慌てて翼を動かして上昇、開いた窓を発見、外に出る。
「うわあ……すっごいです、どんどんおうちが、小さくなっていきます」
元気を取り戻した僕の翼の羽ばたきは、とどまるところを知らない。どこまでもどこまでも高く飛んでいく。高みを目指すことだけを目標にするカモメのように。小さなヒバリの僕は、飛んでいく。
さっきまで僕を襲っていた渇きは、完全にどこかへ消え失せていた。
「すっかり元気になっちゃった。すごいね雪華、いったいどんな魔法を使ったんだい?」
「女の子の涙を受ければ、どんなに体がボロボロになっていても、元気になっちゃうんですよ」
「そういうものかな」
「そういうものです」
確かによくあるよね。涙が当たって、生き返る展開。呪いを受けた王子様も、怪我をして死にかけている勇者様も、みんなみんな涙を当てられて、逆転勝利のハッピーエンド。雪華の涙なら、なおさらさ。
逆転勝利のチャンスをくれた勝利の女神様は、子猫が甘えるようなとろけた声で、小さくつぶやいた。
「ずっと一緒ですよ……」
その言葉に続くようにつぶやいた言葉を、僕は聞き取ることが出来なかった。
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