キミのセカイを、ボクは行く
豆腐数
プロローグ・待ち人来たりて
1
ずっと、ユメをみてた。ねてるときにみる、フワフワした、あさおきて、もとのセカイにもどってくるときに、するりときえてしまうものじゃなくて、おきてるときにもずっと、ユメをみてた。
たとえば、カベになんかすごいうずをまいたあながあいて、そこからべつのセカイにいけないかなあとか、ソラからなにかすごいものがおちてこないかなあとか。
そういうことをかんがえるのは、とってもとくいだった。ずうっとそういうおはなしをみて、まいにちをすごしてきたようなものだったから。
だからきょうも、そんなことをかんがえて、まどのそとをじっとみていた。
僕には好きな人がいる。それは現在進行形の事実だ。
彼女と初めて出会ったのは、小学校五年生のころで、家に帰る途中のことだった。
僕は一人さみしくアスファルトを踏みしめていて、春の風は暖かく、でもどこか冷たく、僕の顔に体当たりしてくる。ランドセルの腕を通す部分をなんとなく引っ張りながら、僕は通りの家を眺めていた。狭い土地を無理矢理平等に分けた場所に、RPGの色違いのモンスターみたいに、形は全く同じで屋根の色だけが違う住宅が並ぶ場所を通り抜けると、漫画のページをめくったら新展開! って感じに、セカイがフワッと変わる。
本当にセカイがフワッと変わるんだ。だって面白みのない家の前を通り抜けると、全く趣が違う家が、ものすごいモンスターみたいに出現するんだから。『すごいいえが あらわれた!』って具合に。
いや、その家は家なんてもんじゃなかった。屋敷だった。ブロックで作られた塀に囲まれていて、真っ赤な屋根は色落ちなんて無縁って感じでキレイなものだったし、鉄製の黒く塗られた門扉から見える庭は噴水があって、キレイな花がいっぱい植えてあって、春色のいい香りがする。築何年かわからない、ボロっちい僕の家とは大違い。ピカピカに彩られたセカイは、まるでおとぎ話の中から飛び出してきたみたいで、僕とは住むセカイが違うなあなんて、小学生ながらに思ったものだ。
それでもお屋敷なんてすっごいなあ、カッコいいなあ、なんて思ってた僕は、届かないセカイを眺めるために、しょっちゅう通らなくてもいいこの通りを、通学路として使っていたのだった。
この頃から特に親しい友だちのいない、大人しい性格だった僕は、しょっちゅう自分がこの現実のセカイから逃避できるような対象を見つけては、それに没頭しているような、寂しいやつだった。
何百回とこの屋敷の前を行き帰りの往復に使っていたある日のこと、それは起こった。お屋敷には門から見えるだけでもたくさんの窓が見えるのだけれど、その一階の窓から、すごいものが見えた。
僕とおんなじくらいの女の子が、心細そうに黒ネコのぬいぐるみを抱きしめて、開いた窓から外を見ていたんだ。
おとぎ話の屋敷の窓から、キレイなお人形が顔を出している。なんて、バカなことを思ったくらいすごかった。
金色の川みたいに、長く伸びた髪の毛。真っ青な瞳。春の花っぽい桃色チェックの長袖パジャマ。その袖から顔を出している白い手。すっごくかわいかった。金髪の彼女と黒いネコは、まるで昼間の太陽と夜の空だ。自分のほっぺが春に一足先に実ったさくらんぼみたいに、真っ赤に染まっていくのが、頬の熱さでわかったくらいに。
「……」
目と目が合った。ドキッとした。そんな感じの歌を音楽の授業で歌わされたなあなんてバカなことを考えながら、僕は高鳴る心臓を必死に押さえつけなければならなかった。
「……」
でもすぐに、彼女は視線を逸らしてしまう。逸らした先には、よく手入れされた庭の地面に落ちている、一枚の紙があった。彼女は悲しげにそれを見ている。窓ぎわの彼女と、その白い紙は大して距離はない。取ってこようと思えば、普通に取ってこれるような距離だ。でも彼女はそうしなかった。
まるで全てを諦めているみたいに。一枚の紙と自分の距離を、縮めることのできないような、遠い遠いものに感じているみたいに。
僕はその表情を見て、ドキドキしていた心臓が、今度はギューッと掴まれたみたいに、苦しくなる。その瞬間、僕は気弱な小学生から、一人のカッコいい勇者に転職したのだ!
黒い門の前から移動して、塀の前に移動する。そしてランドセルを投げ捨てると、ブロックとブロックの間に出来るスキマに手をかけ、無理矢理よじ登った。普通に住居不法侵入だし、爪が剥がれそうだったし、重力と僕の体の重みに逆らわない体が痛かったけど彼女の悲しい顔を思い出すと、勇気が何倍にもなって体中に広がった。
なんとか塀の上に登ると、彼女はびっくりした顔で僕を見た。なんとなくピースしてみる。そして華麗に飛び降り、華麗に着地、とは行かなかった。足がジンジンする。でも足をじたんだふんで騒ぐのも我慢して、紙の方へと移動する。
と、そこで風のいたずらか、紙が大きな花びらみたいに風に乗って、宙を舞った。塀を飛び越えて外のセカイに旅立とうとする紙切れを、僕はジャンプして何とか受け止めた。でもスーパーヒーローみたいに上手くはいかなかった。紙切れの旅立ちを阻止できたと思った瞬間、僕はバランスを崩して顔から地面に転んだ。地面とキスをする趣味は全くこれっぽっちもなかったのだけれど、僕自身の考えは全く反映されることはなかった。
しめり気のあるよい土がくっついた顔で、僕はもう一度ピースサインを彼女に送ってみせた。すると、彼女はネコのぬいぐるみをだっこしている片方の腕、右腕を上げて、ピースサインを送ってくれた。鏡みたいにおんなじポースを返してくれる女の子に、僕はニッと歯を見せて笑ってみせた。
彼女は、歯まではさすがに見せなかったけれど、ほんの少しだけ、閉じた口を緩めて、笑ってくれた。
僕は彼女の立っている窓辺まで、紙切れを持って歩いていった。そして彼女に紙切れを王子様がエスコートするように、とっても恭しく腰を曲げて、そっと差し出した。紙切れには遠近感を考えない、単調な線で描かれた上手いとも下手とも言えない、おとぎ話の挿し絵が書かれていた。彼女はその紙切れを細い右手の指でしっかりと掴むと、今度こそ、歯を見せて笑ってくれたのだった。
「いっしょに、あそんでくれますか?」
僕は二つ返事でうなずいて、住居不法侵入罪を更に重いものにすべく、窓から彼女の家に侵入していった。
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