第9話 チャプター2-3


「すっごぉぉーーーい」

 少女が街の一角で感嘆の声を上げていた。

「ねぇねぇ、もう一度やって見せてよ!」

 その瞳は好奇の色で爛々と輝き、表情を綻ばせている。

 奇妙な笛の音が聞こえ始めると、少女は目の前に広げられている敷物の上をじっと見つめる。その敷物の上には三体の木で作られた人形が並べられており、笛の音に反応して、立ち上がったり踊ったりするのだ。ギクシャクとした間接がカラカラと鳴り、滑稽な動きをする人形達に少女は目を奪われていた。時折、笛を吹いている男性が手を木の上にかざしたり、手の上に載せたりして、パフォーマンスを見せている。

 そして笛の音が止むと人形達はパタンと崩れてただの木偶人形に戻る。傀儡師の周りを取り囲んでいる人々から喝采の声と拍手が巻き起こった。少女も共に盛大な拍手と賛辞の言葉を贈り、また人混みの中に駆け戻る。

 その幼き少女の名はセリア=ジル。百年ぶりに現世に降臨したとされる姫神子である。

 セリアが町に出てきてから、見る物全てが新鮮であった。今まで神殿内部でしか暮らしていなかったので、目に映るものは新しく、興味を惹く物ばかりであった。

 トロピカルな果物や、質素であるが、哀愁漂う調度品の数々。何より活気に満ちている人々との触れ合いがセリアには一番楽しかった。

 神殿生活では限られた人間にしか出会うことはない。それが嫌ではなかったが、もっと多くの人と話してみたかった。そしていざ町に出てみると、こうも様々な人がいるものだとセリアは驚く。

 商売繁盛に精を出す者、友人知人と楽しく露店を見回っている者、今夜の食材を選んでいる者。共通して言えることは、全ての人々が生気に満ちあふれ、生きていると言うことだった。

 見ているだけでこちらまで楽しくなってくる。そんな想いをセリアは募らせていた。

 時が経つのも忘れ、ただひたすらに町の中を駆け抜けていく。何処までも続く新しい世界にセリアは喜び、楽しみ、驚いていた。

 帰るべき神殿は外から見るととてつもなく大きく、何処にいても見えそうなので帰り道に迷うことはない。そう思い、セリアはどんどんと町の奥に入っていった。

 一つの角を曲がり、入り組んでいる裏路地を細かく軽快に走っていく。この道を抜ければ、次はどんな世界が待っているのだろう。きっと自分が見たこともない世界が広がっているに違いない。セリアは待ち受ける出口に向かって、心弾ませ、新たな道にその身を躍りだした。

「え…」

 セリアの視界に広がっていたもの。それは確かにセリアが今までに見たこともない世界だった。見たこともない、いや見たくはない、見てはいけない場所だったのかも知れない。

 そこは今までの町の雰囲気とは全く正反対の場所であった。

 視界に入る人々は道端に座り込み、俯いて死んでいるかのようだ。露店などは一軒もなく、風が吹き、砂埃が舞うと、壊れた木の看板がキィキィと揺れる。

 子供達のはしゃぐ声も全く聞こえず、遊んでいる子供すらいない。大人達も生きる気力がないのか、ただぼうっと虚空を見つめていた。

「なに…ここ…」

 セリアも先程の勢いは何処へ行ったのか、ポツリと立ち竦み、一歩も動くことが出来なかった。期待していたはずの世界は影も形もない。色彩豊かな果物も、ユーモアに溢れた人々も、何もかもその場所には失われていた。

 不意にセリアは袖を引っ張られた。下を見ると男なのか女なのか分からない三、四歳くらいの子供がセリアの袖をくいっくいっと掴んでいたのだ。ボロボロの布一枚だけを衣服として着ており、素足で荒れた地面の上に立っている。 

「な、なに?」

 苦笑いを浮かべながら一応、その子供に話しかけては見るが、セリアは少し恐れを感じていた。全く違う異世界に迷い込んだようで、誰が何を考えているのか、全然分からず、いつ、何をされるのか見当もつかなかった。今になって初めて神殿を出たことを後悔する。

「ナブー…ナブー…」

 その子供はそんな言葉を話していた。

「ナ、ナブー?」

 セリアにその意味は分からない。神殿で教わった言葉は先程まで居た町では通用していた。しかし、この子供が話している言葉は習ってはいない。だから、どう答えていいのか、セリアは迷っていた。子供はセリアの袖を掴んで離そうとはしない。

 次第にセリアの心には恐怖心が芽生えだしてきた。すぐにでもここを離れたい。そんな想いに駆られるが、気がつくと一人ではなく、いつの間にか数人の子供に取り囲まれていた。その全員がセリアの衣服を掴んでは小刻みに引っ張ってくる。

「ナブー…、ナブー…、ナブー…、ナブー」

 その場にいる子供全員が合唱し始めた。

「い、いやぁ…」

 逃げることも話すこともできず、どうしようもなくただ泣き崩れそうになったとき、セリア全体を大きな影が包み込んだ。

「クオリア ナデ ナブー。ランザ エン デ バニア」

 影がセリアには理解できない言葉を発する。子供達はその言葉を聞くとピクリと反応し、何かをその者から受け取って、一目散に走り去っていった。

 セリアはほっと胸をなで下ろす。そして助けてくれた者の方へと向き直った。

「…ルシーナ様」

「ナブーとは一部の言葉で『食事』または『飯』という意味。あの子達はお腹が空いていたんだよ」

 遠くに消えていった子供達を見届けるとセリアを見下ろして、そのような説明を付け加えた。

「セリア、今すぐ僕と一緒に神殿に戻るんだ。ここは君が居るような場所じゃない」

「は、はい…」

 神殿を抜け出してきたセリアを叱るわけでもなく、ルシーナは普段通り淡々と話しかけてくる。

他の人間がいるところでは『セリア様』と呼び、丁寧な言葉遣いをするが、二人の時は『セリア』と呼び、普通の言葉で会話をする。ルシーナはセリアと『神』としてではなく『妹』として見ているので、自然とそのような話し方になってくるのだという。

 セリアにとってもその方が居心地が良かった。一歩自室を出れば、『セリア様』『セリア様』と自分のことを神様扱いし、別次元の何かと接するかのような態度で会話を交わす。

 もちろん、他の神子達や僧師、巫女達にとっては神の存在であるから、そのような態度をとって当然なのであるが、多感な時期でもあるセリアにはそう言う人は好きにはなれなかった。だから、ファムル長老やルシーナが普通の態度で接してくれることが無性に嬉しく、ルシーナにおいては兄のような親しみを感じている。

 しかし兄でもあると同時に自分の世話役、先生でもあるので、尊敬と敬意を込めた言葉遣いで話している。

そして裏街道の去り際にセリアは恐る恐るルシーナに尋ねてみた。

「ルシーナ様、ここは本当にリートンの町なのですか?」

「あぁ…」

 少し先行くルシーナはセリアと目線を合わそうとしない。てくてくと足早に先を急いでいるように見えた。

「表通りとはどうしてこんなにも違うのですか? 何があったのですか、この町には?」

 ピタリとルシーナの足が止まる。

「基本的に外界のことをセリアに話すのは禁じられているんだけどね…」

 小さく溜息を吐いた後、頭だけをセリアの方に向け、話し始めた。

「元々、外界に興味を持ち始めたのは僕のせいだから仕方ないか…」

「………」

「ここは生きることに疲れた者の住まう地だよ」

「生きることに…疲れた…?」

「あぁ、古くは広大な森林だったこの土地を開拓民が切り開き、村を造り、獣を狩り、生活をしていた。次第に人が増え始め、周りにある険しい山を乗り越えてでも他の国から逃げてくる者を受け入れていると村は町となり、町は都市となり、そして国になった。そうなると生まれてくるのは争い。商売に失敗した者、争いに負けた者、他の土地から逃げ落ちてきたのはいいが、この国に馴染めなかった者。そんな者達は自然とここに集まるんだ」

「生きることに疲れた者…」

 セリアはその言葉を噛みしめた。

「裕福な者もいれば、貧しい者もいる。成功した者もいれば、失敗した者もいる。それが『国』であり『社会』というものなんだよ…。さぁ、もういいだろう。神殿に戻ろうか」

 長く話し終わるとルシーナはまたいつも通りにスタスタと裏通りに入っていく。その何か憂いに包まれた背中を見ていると、セリアまでもが何故か哀しい気持ちになった。

「ルシーナ様…」

「ん? まだ何か聞きたいことがあるのか?」

 今度は進める足を止めない。セリアはその歩調に合わせながら、今まで考え、募らせてきたものを吐き出した。

「では、神は…神は何をなさっているのですか? 私が仕える太陽の神は、全ての民に陽の恵みを与え、ルシーナ様が仕えている月の神は、全ての者に安らぎの刻と安住の土地を与えている、と私はあなたから教わりました。なのに何故、このような者達がこの町にいるのです? 神は国民全員に平等ではなかったのですか? あの者達に神の恩恵は与えられないのですか!?」

 話せば話すほど声量に歯止めが利かなくなってきて、最後は叫び上げるような口調でルシーナに問いかけていた。町の実態、世界の本当の姿を知らされてセリアは混乱しているのだ。

 そして今、その答えをルシーナに求めている。ルシーナはいつ如何なる時でもセリアの質問には明瞭な答えを返してくれたからだ。

 セリアは答えを待った。『神』として、崇められている自分の存在意義を確かめるかのように…。

 ルシーナは進む足を止め、セリアに背を向けたまま、言葉を選ぶようにゆっくりと話し始めた。そのルシーナの口から紡がれたセリアへの答えは…


「この国に…この世界に神などいない。いるとしたら、全てを神頼みにして解決した気になり、自分では何一つしようとしない愚かな人間達だけだ」

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