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ナディムは14歳。父が日本人、母がバングラデシュ人の混血児だ。商社勤務の父、河島英一郎が若い頃、当地に赴任していた際に知り合い、そのまま日本に連れて帰って結婚した現地女性がイスラム教徒である母、サビーナである。彼女は極貧から救ってくれた栄一郎を心から慕い、今は日本人として生活を送っているものの、宗教の面においては幼い頃より培った思考を捨てずにいて、今の自分の豊かさもその信仰によるものと理解していた。英一郎はサビーナの自分に対する感謝、信頼、愛情と同等、あるいはそれ以上のものをイスラムの神に捧げていることが不思議であったし不満でもあったが、その教義に興味は無い。自分にはそれを押し付けないという
一方、一人息子であるナディムは父と母の狭間で育ち、サビーナの宗教行事にももれなく付き合わされて育った関係上、その風習は一通り会得している。とは言うものの、彼が操れる言語は日本語のみで、母の話すベンガル語は読み書きはもちろん、聞き取ることも話すことも出来ない。父から特別な日本化教育を施されたわけではないが、この環境で育てば自然とそうなるのであろう。彼は、日本文化のあちこちに見え隠れする『わびさび』も理解しているし、日本人同士でしか通用しないコミュニケーションの機微も身に着けている。藤子不二雄の漫画で育ち、最初に傾倒した音楽はアニソンだ。漫才を見れば大笑いするし、年配者には理解できない、あるいは眉をひそめるようなシュールなジョークにも、ナンセンスなギャグにも笑うことが出来る。好きな食べ物は親子丼とラーメンで、スパイシーな物を採るとお腹をこわすというのは、初対面の人間に自分の持つ外見と中身のギャップを印象付けて会話の糸口を掴むという、彼が使う若干自虐的な匂いの漂う常套手段だ。
母から受け継いだバングラデシュの血によって、彼の肌は浅黒い。それだけであれば純粋な日本人にも同じような ──例えば農作業や土木作業を生業としている人、あるいは漁業関係者やサーファーなど── 黒さの人は居るのだが、ナディムの特徴を際立たせているものは、やはりその彫りの深い顔立ちにある。平坦な顔ばかりの日本人社会にあって、深めに落ちくぼんだ眼窩と濃いめの眉毛は、彼を
そんな彼が今、最も心血を注いでいるのが音楽だ。友人たちと組んだバンドは、彼の青春の大部分であると言える。彼の自室にはお気に入りのロックミュージシャンのポスターが所狭しと掲げられ、お小遣いを貯めて買ったIbanesのギターとYAMAHAのアンプが、その部屋のトーンを決定付けている。まだスマホを持つことを許されていない彼の部屋にはCDがずらりと並び、本人が部屋にいる時間帯にCDプレイヤーが沈黙していることは無いと言ってよい。とは言っても、ロックにかぶれたやんちゃな子供然とはしておらず、むしろ真摯に音楽に向き合う姿勢が好感が持てる風だ。いつかはきっとプロのミュージシャンになれる。そんな夢を持つ、ごく普通の男の子であった。
バングラデシュ出身の母は、彼の音楽への傾倒には理解を示さず ──それは、音楽を演奏するという行為に対してもそうであったし、ナディムが聴く音楽そのものに対してもそうであった── その価値を認めることも無かった。彼女の生い立ちからして、音楽などにうつつを抜かしている暇は無かったことを考えれば、それは致し方の無いことだし、ある意味、可哀想なことだとも言えた。そんなサビーナとは対極的に、自分の若い頃と息子を重ね合わせる英一郎は、彼のバンド活動を容認している。自身も学生時代には音楽系のサークルに所属し、ロック、ブルース、ジャズなどを演奏するバンドにギターで参加していた経歴を持つ彼は、時には「どんな曲を弾いているのか?」などと言いながらナディムの部屋に来ては、暫く一緒にCDを聴いていったりする程だ。勿論、今ナディムが聴いているような曲をあの当時の英一郎が聴いていた訳ではないが、彼は自分の音楽観を人に押し付けるようなことは決してしない。時代が変われば音楽も変わるものだし、それを聴く人間の美意識も変貌するということを、永く音楽に親しんできた彼はよく知っている。それに異を唱え嘆き悲しみ、闇雲に古き良き時代に固執する様な人間にはなりたくないと、心の何処かで思っているのかもしれない。
ある週末、珍しく英一郎がナディムを誘って街に出た。行き先を告げずに先を歩く父にナディムが声をかける。
「どこ行くんだよ、お父さん?」
「いいから、いいから。黙って付いて来い」と言って駅の改札を入る。
英一郎はなんだか楽しそうだ。そんな時にナディムは、どんなサプライズに出会えるのだろうと、あえて周りに身を任せてその状況を愉しむことを知っている。ナディムも楽しそうに、父の隣に座った。
そうやって英一郎に連れて来られたのは映画館であった。複数の映画が上映されるシネコンで、休日とあって入場待ちをする客の数も多かった。薄々は感付いているが、ナディムはあえて尋ねてみた。
「どの映画見るのさ?」
その問いには答えず、英一郎は聞いた。
「QUEENって知ってるか?」
やっぱり! ナディムは心の中でガッツポーズを決めた。この評判の高い映画は、是非とも見たいと思っていたのだ。だが、そんな嬉々とした態度はおくびにも出さず、ナディムは冷静さを装って答えた。
「もちろん知ってるよ。あまり詳しくは聴いたこと無いけど・・・」
あまり聴いたことは無いというのは真実なのだろうと英一郎は思った。だが、そういった音楽に対しても、それを聴いてみようという積極性を持ち合わせている息子を、少なからず誇らしく思った。限られた価値観に凝り固まった人間ほどつまらないものは無いではないか。
「お父さんが、そうだな・・・ お前くらいの歳の頃に聴いていたイギリスのバンドだ。あの当時、リアルタイムで聴いていたバンドが、こうやって映画になるというのは、何とも言えず嬉しいもんさ」
「僕が今聞いているバンドも、何十年も経ってから映画になったりするかな?」
「そうなるかもね」
英一郎は笑いながら答えたが、その心中では別のことを思っていた。ナディムにQUEENを聴いて欲しいわけではないのだ。勿論、それも目的の一つなのだが、本当の狙いは他にある。それは、映画の主人公であるフレディ・マーキュリーとナディムに共通する「人種」という壁に対して、彼に何かを感じ取って欲しいのだ。これから先の人生で、ナディムが理不尽に排斥されることも有るだろう。中学生の彼には、まだその冷酷な社会のシステムを理解出来てはいないだろう。だがその時に反発してスネたり、絶望して沈黙するのではなく、立ち向かう人間になって欲しい。自分と異なるもの、モノ、物、者・・・ それらを退けるのではなく、それらを受け入れる寛容性とを身に着けて欲しい。ナディムがフレディのようなバイセクシャルではないことは、ベッドの下に隠された何冊かの雑誌 ──どうやら彼のお気に入りは、少し背の高い女性のようだ── の存在によっても明らかだ。そういった意味では、フレディほどの重荷を背負うことは無いのかもしれないが、それでもバングラデシュとのハーフという素性が彼の人生に大きな負担となる可能性は高い。英一郎はナディムに強い男になって欲しいと、常々願っていたのだった。
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