断章Ω 今日ここの夢
同じだった。奇妙なことに、皆一様に。
打ち合わせはしていない。皆がばらばらに、好き勝手に断章を書き続ける。その目的がもはや脅迫に近いものに変わっていたとしても、根底の理念は変わっていない。
だというのに、いざ断章に登場した探偵役には、全員が同じ人物をあてがっていた。
数――この場の三人にはいやというほど記憶に焼きついている少女。
櫟、膠、陵の三人は、同じ高校からこの大学に進学した。
その高校時代、このメンバーに加えていつも一緒にいたのが数だった。
だが数は三人と同じ道には進まなかった。進むことができなかった。
高校最後の夏、数は何者かに殺害された。
「悪趣味がすぎないか」
櫟がそう呟くと、お前もな、と返される。
いまやこの実名小説の執筆は、互いが互いを見張り、脅し、告発する悪趣味極まりない催しへと様相を変えている。
その探偵役として、謎の死を遂げた少女を登場させる。悪意に悪意を上乗せしたような、凄まじくいやらしい趣向であった。
「最初に書いたのは膠でしょう」
陵が睨むと、膠は大きく鼻を鳴らす。
「私のやり口は理解してもらえていると思ったけどね。便乗したお二人さんも同罪では?」
押し黙る陵を見て、櫟もまた言葉をなくす。
膠が開始した「解決編」に突如探偵として登場した数。結局その章では事件は解決せず、数の顔見せ程度で幕を下ろしたが、それを受けて櫟も陵も数が探偵として登場する章を書いていた。
死んだ蓬を登場させ続けているのなら、最初から死んでいる人物を登場させても文句はあるまい――思惑は別々だとしても、三人の単純な考え自体は合致していた。
ところが、作中での数の人物像は、誰が書いても同じになっていた。
この無数の断章の中で、設定が同一の登場人物はまずいないと言ってよかった。書けば書くだけ、まるで別人へと変貌していく。性別に性格、言葉遣いや持ちうる「属性」――それらは書く人間によって、さらにいえば書いた回数だけ統一性もなく異なるものへと変化する。
だが数だけは、誰が書いても同じキャラクターにしかならなかった。
櫟たちの記憶をもとにしているからではない。膠が登場させて以降、この三人以外のサークルメンバーも「新キャラ」という認識で数を登場させている。無論彼らには高校時代の暗い過去を話してはおらず、数という少女が存在したことも、彼女の人間性も全く把握されてはいない。
別物として描かれる現実の人物たち――その中で唯一、数だけが一貫したキャラクターを保っている。死人である蓬でさえ好き勝手に別人になっていくというのに、なぜか数だけが数のまま、この作品群を横断していた。
「まさかここにきて、あの事件まで作中で推理するわけじゃないでしょうね」
櫟が言うと、膠が乾いた笑みをこぼした。
「馬鹿。数が探偵役なんだから、数はあの事件の被害者で、目撃者で、真実を知る者だろう。数が推理するまでもないことだ」
「現実とフィクションの混同が始まっているぞ。まさか、膠が最初とはね」
陵が鋭く諫めると、膠は悪びれる様子もなく電子煙草を加熱し始めた。今日は部室ではなく、膠の下宿に集まっている。
「私は数を、数として登場させたんだ。そこだけは譲れない。数は作中で、間違いなく数本人なのさ。それは不可侵の聖域であり、二人ともそれを理解したから数を数のままに書いたんだろう?」
櫟は数を書いていた時のことを思い出して押し黙る。数を書いている時、キーボードを走る櫟の手はまるで自分の意思とは無関係に、ありのままの数を描き出していた。
「そう、数はどこであろうと、現実のままの数だ。それはいまや証明されている。みんなが書いた数を読んでみなよ。数のことなんてこれっぽっちも知らない輩が書いても、数は数のままなんだ。数は、数だけが唯一確かな真実なんだよ」
「じゃあ、私たちがここで、推理をする分には文句はないな?」
櫟が口を開くと、おいおいと膠が口を挟む。
「我々の目的を忘れちゃいないだろうな? 言いたいことは作中で言え、だ。そういう趣向のはずだろう?」
「蓬に関してはね」
陵がはっと息を呑み、膠もそういうことかと煙を吐き出す。
「数の死に関しての推理。三年前に散々やり尽くしたそれを、再開しようというわけか」
「そう、小説の中での数は確かに数そのものなんだろう。認めてやりますよ。だから作中で数に推理させることはできない。数は全てを承知しているし、作者の勝手な推理を語らせることは認められないから。だから、作品の外で私たちが推理する以外に、数を語ることはできないのよ」
しばらく続いた沈黙を破ったのは陵であった。極めて事務的に、三年前と同じように事件の詳細を語っていく。
事件の現場は数の自宅。庭つき一戸建てという、地方ではさして珍しいわけでもない一般住宅。その二階、数の自室で、死体は見つかった。
数の自室は階段を上がってすぐの二つ並んだ子供部屋のうちの一つだった。数は一人っ子だったが、家を買った当時の両親はあと一人は子供を設ける予定であったのかもしれない。
ドアは内開き。もとは鍵がなかったが、数が中学に上がる前に自分で簡素な閂錠を取りつけてあった。
部屋の中は入ってすぐ右に小学校の入学祝いの勉強机、左にはベッド。空いたスペースは全て本棚とカラーボックス、段ボールで埋まっていた。中身はジャンルを問わない書籍の山である。正面奥には窓があったが、本が日焼けするのを嫌っていつも厚手のカーテンが閉まっていた。
死体を発見したのは奇しくもこの三人であった。両親が留守のある休日に数の家に遊びにきた櫟たちは、数の部屋の鍵が閉まっていることに不審を覚えた。外から声をかけ、電話やメールで呼びかけても返事がない。
念のため家の中もくまなく捜したが、数の姿はなかった。いつも履いている靴やサンダルは玄関にあり、どうにも外出しているという気配ではない。
すると部屋の中から突然、「アッ」と叫び声が上がった。ただならぬ様子に三人は懸命に呼びかけるが、返事は依然ない。
膠がよしとほかの二人に目顔で確認をとると、思いきりドアに体当たりをした。鍵は簡単に吹っ飛び、ドアは呆気なく開いた。
散らばった本の山の上に、ナイフで心臓を一突きにされた数の死体が美しく横たわっていた――。
「窓は施錠されていて、部屋は密室だった」
陵がそう締めくくる。閂錠を開けるための針金や糸といった小道具はすでに議論が尽くされていた。結果として、そのような小細工は不可能であると断定されている。
紛うことなき密室――この三人に深く影を落とすとともに、謎というものから逃れられない運命を決定づけた未解決事件。
櫟は大きく息を吸い込み、膠の吐き出した煙で咳込む。
「どうした、櫟」
「私はここで、今まで開示されていなかった重大な秘密――いや、証拠を提示しようと思う」
身構える二人に、櫟は落ち着けと深刻な声で言い聞かせる。
「本当に、馬鹿げた話なのよ。今まで言わなかったのも、あまりにくだらないからで――」
「能書きはいいから」
陵に急かされ、櫟はまた深呼吸をしてむせた。膠が慌てて電子煙草の電源を切る。
「私は一度、一人で数の家を訪れた時に、数の部屋の隣の子供部屋を見せてもらったことがある。その中身は、そっくりそのまま数の部屋と同じだった」
呆気にとられている陵を見かねて、膠が訝しげに訊ねる。
「つまりなにか。殺人現場となるべき密室は、二つあったとでも言うのか?」
「鍵、かかってた」
陵が声を震わせながら、なんとか過去の情景を絞り出す。
「あの時、私は間違えて隣の部屋のドアを開けようとした。ドアは開かなかった。鍵が、かかってたから」
膠はこらえ切れずに笑い出す。馬鹿馬鹿しさよりも、おそらくは、恐怖に。
「なんとまあ、隣り合わせの密室。一方には数の死体。ではもう一方には一体なにが入っていたのやら! 猫の死体かなァ! あっはっはっはっは」
「さあ、案外、生きたままの私だったのかもね」
三人が車座になっている四畳半を仕切る襖に、一人の少女が寄りかかっていた。
「嘘――」
絶句した三人の中の誰か、あるいは誰もが、驚愕を言葉として出力する。
「ひさしぶりだね、櫟、膠、陵」
穏やかに笑う彼女は、あの頃となにも変わっていない。彼女は完璧だ。そうでなければ書くことを認められない。
「す――う」
渇望された探偵役――数はこうして舞台へと上がった。
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