断章α 無人荘の殺人
死体が陵ではないとわかったのは、櫟と膠が部屋に入ってからすぐに、外出していた陵が帰宅したからだった。
警察への通報後、三人揃って事情聴取を受けることになった。殺人事件など十年に一度くらいのペースでしか起こらない地方の警官たちは段取りが悪く、櫟などは自分から相手の質問を誘導したほどだった。
三人の関係は? と訊かれた時は、櫟はどう説明したものかと頭を捻った。
櫟と膠は同じバイト先の同僚で、実はインターネット上で――一方的な――つながりがあり、膠に半ば脅される形で陵に引き合わされることになった――と、そのままを伝えれば明らかな不信を買う。
なので櫟は、膠とはバイト仲間で、インターネット上でも付き合いがあり、インターネット上の共通の友人が実は近辺に住んでいることがわかったので、二人で押しかけた――と、嘘ではないが真実ではない証言をした。
膠がなにを語ったのかは知らない。もしも櫟に向けられたような言葉を放ったのなら、怪しまれるどころか相手にもされないはずだ。
結果として三人ともその日のうちに解放された。また何度か事情聴取をすることになるかもしれないと申し訳なさそうに断られ、櫟は警察署が近所で助かったと、変な方向に安堵した。
そのまま陵に改めて挨拶をするために、バイト先の牛丼屋と同じ国道沿いのファミレスに入店した。二十四時間営業だが、今がちょうど夕食時ということもあってファミリー層で混み合っている。
「こう言っちゃ悪いんですけど」
ドリンクバーから戻ってきた陵は、注文したフライドポテトを口に投げ入れてすぐさまコーラで流し込む。
「俺、トイチさんのこと例の件以降ミュートしてるんですよね。リムるのも可哀想だと思うくらいの惨状だったし、それってつまりは見てられないってことで。それでいきなり会いにこられても困るっていうか……」
「部屋で死体も見つかるし」
膠が悪気もなく笑うと、陵はがっくりと肩を落とす。
「まあ、ダブリバさんとは結構長い付き合いですし、近くに住んでたってわかってテンション上がったのは否定しませんけど。トイチさんまで一緒とは思わなかったですよ」
「いや、サザンさんとトイチ先生を引き合わせようとしたのは俺なんですよ。だから文句を言うならこっちに」
陵は膠の顔を見て口ごもり、ポテトをゆっくりと咀嚼することでごまかす。陵にですら感じ取れるほど、膠の目には確固たる狂気が宿っていた。
「それで、読んでもらえました? トイチ先生の新作」
「はあ、実名小説ですね。できれば実際に書く前にひとこと断り入れてもらいたかったですけど」
「そそのかしたのは俺なんで」
自慢げに胸を張る膠を見て、陵は櫟に不審の目を向ける。どういった関係なのかと疑われているようだが、冗談ではない。櫟に向かってあんなことを口走ったような男なのだ。できることなら一刻も早く解放されたい。だが膠は今も櫟を脅し続けている。
「ちょっとよくわからなかったですね。前後のつながりもない、適当な一部分を抜粋したようなもので。あとこの蓬という登場人物は、ひょっとしてフォウマさんですか?」
「ご名答。フォウマさんとも長い付き合いですし、組み込んでしまおうと俺がトイチ先生に吹き込んだんです。フォウマさんは確か、都内ですよね。明日にでもトイチ先生と一緒に会いに行こうと思ってるんです」
「は?」
にこにこと笑う膠に、陵は明らかな恐怖のこもった視線を向ける。
膠が櫟に行うように脅したのは、実名小説の執筆だけではなかった。陵――サザンやフォウマといった、小説内に登場させる現実の人間たちと、直接コンタクトをとるように計らっていた。すでに明日の新幹線のチケットも、膠が二人分予約ずみだった。
結局、陵は深く詮索することを危険と判断した。櫟の小説の感想を訥々と述べ、最終的な評価は、この段階では評価することはできない――というものだった。
「ところでサザンさんもミステリ書きですよね。となれば、やってみたくありませんか。あれ」
「膠くん、さすがにそれは――」
「またまたトイチ先生は。実際の事件現場に遭遇するなんて、ミステリ書いてる人間の夢の一つじゃないですかー。しかも現場は密室ですよ!」
膠が興奮で声を大きくし、櫟と陵は慌てて周囲の様子を窺う。幸い夕食時の喧騒の中で、膠の声を聞き取る者はいなかった。
「まあ俺も、自分の部屋で死体が見つかったと聞いて、血が騒がなかったかといえば嘘になりますが……そうですね。第一発見者のお二人の証言をきちんと聞いていなかったですし、情報のすり合わせをするのは有益だと思います」
「じゃあトイチ先生、どうぞ」
櫟は気乗りしなかったが、どうせ話さなければ膠が余計なことまで込みで話してしまうだろうと要点を短くまとめた。
膠が土曜日の午前中に櫟のマンションのドアの前に立っていたのが、まずことの起こりだった。
「サザンさんに会いにいきましょう」
膠は笑顔でそう言って、有無を言わさず櫟を連れ出した。すでに櫟からはこの男に抵抗するだけの気力がすっかり失われていた。
サザンは櫟の炎上以前から付き合いのあった相手だった。膠によると彼がたまたま住んでいる近辺の話題をしたところ、サザンがひょっとして生活圏が同じなのではないかと食いついてきたという。それでDMで話をしたところ、互いにすぐ近辺に住んでいるとわかり、コンタクトをとろうという話になったらしい。
サザンの反応を見ればわかる通り、膠は櫟の話題を出さなかった。だが膠の目的は最初から、櫟とサザンを接触させることにあった。
自分の計画を嬉々として語る膠に連れられ、古い木造の二階建てアパートにやってきた。この辺りでも珍しいそのたたずまいに目を奪われていると、嗅ぎなれた異臭を漂わせてバキュームカーが敷地内から出ていった。
サザン――陵の部屋は二階の真ん中――正確には四部屋並んだうちの、階段側から二番目だった。
チャイムというよりはブザーと呼んだほうが正確な耳障りな音を鳴らすが、部屋の中から応答はない。
膠は無言でドアノブを回し、櫟は慌ててそれを止めた。
「鍵かかってますね」
なぜか嬉しそうにそう言って、櫟は狭い通路に置かれた、おそらくは以前の住人が放置していったのであろう土だけが詰まった植木鉢をひょいと持ち上げた。
「証明完了、ですね」
植木鉢の下にはなんの装飾も特殊な機能もない、平べったい鈍色の鍵が敷かれていた。
「それはやめたほうがいい」
櫟は本気で止めた。だが膠はまるで道理の理解できない子供のように、きょとんと首を傾げる。
「だって、今日お邪魔しますってサザンさんには言ってありますし、住所も教えてもらってますよ? それにこの鍵の隠し場所だって、サザンさんの今までの発言を統合すれば、簡単に導き出せるものじゃないですか」
膠はスマホを取り出すこともせず、サザンの過去の発言をそらんじる。
「『俺は頭がいいので頭の悪い人間には解けない謎で住まいのセキュリティを確保している』――これはいわば、挑戦状ですね。ただし、サザンさんの性格やそれまでの文脈を考慮すると、大きな皮肉か自虐の意味合いが強いとわかります。そして『セキュリティは過去の遺産に委ねる』という発言とこの光景を照らし合わせれば、もうわかりますよね。明らかに現在の住人が手入れをしていない植木鉢。置きっぱなしで撤去もされないこれが『過去の遺産』というわけです。そうすると、あっという間に謎は解けてしまう」
「推理でもなんでもないな……」
櫟が言うと、膠は引きつけを起こしたように笑った。
「そうです。トイチ先生などはまさしく、サザンさんの言う『頭の悪い人間』なんですよ。サザンさんが提供する推理材料は、彼の全ての発言です。ですがインターネットに垂れ流す文字列というものは、ミステリの地の文などであるはずがないんです。それがフェアな情報源だと思い込む頭の悪い人間は無数にいますが、だからこそ自身の発言には気をつけて、悪意も冗談もふんだんに盛り込む人たちもいるんです。わかってはいましたが、トイチ先生はそうした構造を、全く理解できていない側の人間なんですね。やはり、トイチ先生は最高です」
明らかに馬鹿にしているという宣言だが、膠の目に宿る光はそんな侮蔑を一切感じさせない。だからこそ――この男が怖い。
「つまり実際にこうして現実に介入するインターネットヒューマンは、どうぞ勝手に鍵を開けて中にお入りくださいという、サザンさんの気遣いなんですよ。ひょっとしたら返事をしなかったのもこの謎を解けるかどうかを確認するためだったのかも」
そんなわけがあるかと櫟は心中で吐き捨てる。そもそも自分の過去の発言を全て把握しているフォロワーの存在を想定している人間がいるとは思えない。膠がやったのはいわば極めて限定された「特定」だ。
膠は強く殴れば外れそうなドアノブに鍵を差し込んで開錠すると、もとの位置に鍵を戻した。
部屋の中は異臭がした。汲み取り式のトイレ所以のものとはなんというか、「鮮度」が違う。
「この索状痕、自殺じゃないですね。調べればすぐわかることなのに、知識がないのかなあ」
一人でさっさと部屋の奥まで入り込んでいた膠が、呆れたような声を漏らす。
遅れて部屋の中に入った櫟に背を向け、膠は腕組みをしてそれを見上げていた。
この木造アパートをこの時代まで保持してきた一因であろう、やたらと頑丈な造りの太い梁。そこにコンセントの延長コードを丁寧に輪っかにして、一人の男が首を吊っていた。足元にはこの異臭の原因であろう液体が溜まっている。
冷静に警察に連絡を始めている膠の声をかき消すように、櫟は驚愕の悲鳴を上げた。数分後、パトカーが到着するのと同じタイミングで部屋の主――陵が帰宅した。
「というかサザンさん、よく解放されましたね」
櫟が膠の異常な言動を省略して陵が帰宅するまでの顛末を話し終えると、膠はそんなことよりと身を乗り出した。
確かに事件現場は陵の部屋。そこに他殺死体が置かれていたとなれば、まず第一に疑われるのは陵である。即刻逮捕とまではいかなくとも、身柄を拘束されることは必至なはずだろう。
「ああ、現場不在証明ですよ。完璧なアリバイはぶっちゃけつまらないので疑う余地もないというわけです」
陵によると、その日は午前八時から近所のスーパーマーケットでアルバイトをしていたという。陵は自転車で通勤しており、通勤時間は片道十分ほど。そして陵はあらゆる運転免許を持っていない。
レジ打ちをしている陵の姿は常に防犯カメラに映っており、午前十一時に退勤するまで、陵の姿が十分以上防犯カメラの映像から消えることはなかった。
そして櫟と膠が死体を発見し、警察に連絡した時刻は午前十一時過ぎ。現れた警察官によって――それ以前に膠の素人検死で――死斑は現れているが死後硬直がまだ始まっていないと報告されている。
死にたてほやほやの死体――少なくとも陵がバイトに出て部屋を空けている間に突如現れたそれは、陵の関与をこれでもかと否定していた。
死因は膠の診立て通り絞殺で、首を吊っていたのは犯人によって自殺に見せかけるために行われた工作とされた。そしてこれがどういうわけか、櫟と膠の関与を否定していた。
死体は死にたてほやほやであった。それはそのまま、櫟と膠を犯人と想定した場合、証拠を隠滅する時間的猶予が全くないという証明でもあった。
膠は警官が現れた際、自身の掌を広げて見せた。首を吊っている延長コードが凶器であるのなら、それで絞殺した側の人間の手にもコードの痕が残る。膠は自分で確認した索状痕から、間違いなくこの延長コードが凶器であると判断したようだった。
遅れてその意図を悟った櫟も、同様に自身の手を見せた。最初に現場にきた警官はその意図が掴めなかったようだが、鑑識が入った時に膠がその旨を伝えて、見事に証人に仕立て上げてしまった。
そしてなにより、自殺に見せかけようとした死体をこさえておいて、そのまま警察に通報する犯人はいない。
延長コードから検出された指紋は二人のものとは合致せず、死体の首周り以外に付着した被害者のものではない皮膚片の存在からも、犯人が素手で強く絞め殺したのは明白であった。死亡推定時刻から見て、掌を見せたことはあまりに大きな否定材料だった。
死体の顔に、陵は全く見覚えがないと証言していた。櫟と膠も同様だった。警察は頭を抱えただろうが、冷静な判断を下せる程度の良識は残っていたらしかった。
「しかし、これじゃあまるで『顔のない死体』ですね」
櫟と陵が同時に使い方に突っ込む。身元は現状不明ではあるが、ほかの誰かと取り違えることを――おそらくは――目的にはされていないし、顔も完全に判別できる。警官が死体のポケットには携帯電話が入っていたと漏らしていたので、すぐに身元も特定されるだろう。
「あれ、フォウマさん?」
膠が自分のスマートフォンの画面を見て眉を顰める。どうしたと訊く前に、膠がタイムラインを読み込めと二人に指示した。
最新の投稿は、フォウマによるものだった。正確には、フォウマ自身によるものではない。
フォウマが死んだ――親族によりその事実が普段のフォウマからはかけ離れた丁寧な感謝の文とともに、淡々と綴られていた。
「『先ほど警察より連絡があり』――って」
陵は意思に反した笑い交じりの声で櫟と膠を交互に窺い見る。
翌日、警察から死体の名前が、蓬であると伝えられた。
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