第二部 第二話


 学校は五角形の形をしていて、グラウンドはその中央にあった。上から見ると五芒星になっている渡り廊下のお陰で、学校自体が結界として金龍と銀龍を封じている形になっている。黒龍は封じるほどの呪力を割かなくてもこっちに身を寄せてくれているから問題ない。残りの三匹もそうだ。赤龍、紫龍、緑龍。それぞれに力はそこそこ強いが、綾姫の事は認めてくれたらしく、勾玉の中で大人しくしていた――のだが、台継との接触でそれが騒めきに代わっていると言う。言ったのは綾姫本人で、どうも具合が良い物ではないな、との事だった。そりゃそうだろう。自分の魂の中に異物を飼ってるんだから、気持ち良いわけがない。

 その点俺達は綾姫自身でもあるので、いくらかはマシだろう。茶碗に湯を入れてぐびりと食後の一杯を呑むと、ちゃっちゃかと銀が膳を片付けていく。まだしばらくは付き添い登校が必要だな、と思えば、俺はまるで綾姫の保護者のようだった。本来の保護者――皇児にも電話で連絡を入れたが、不思議そうにしていた。あの台継くんが? と。どうやら皇児にも事態はよく解っていないらしく、相変わらずのトンマだと思わざるを得なかった。妹――娘?――の命に関わるんだぞ、ったく。

「朱、銀」

 玄の膳を下げて来た朱と洗い物の終わった銀を呼び寄せ、板の間に敷いた二畳の畳に綾姫は胡坐をかく。綾姫の包帯を代えていた俺はそれを少し急がせた。見てはいけないものを見てしまわない為に。毒自体は紫龍が吸ってくれたが、いかんせん傷が深いのでガーゼが大量に入用になるし、軟膏も消費が激しい。しかしそんな事はこの際どうでも良い。セーラー服で胡坐。基本的に私服は和服しか持っていないのでこちらの方が楽なのは解っているが、その白い太ももを晒すのはやめてくれると助かる。俺の男の子的な問題に対して。やめて。そう無防備になるの、本気でやめて。いくら自分自身でも、恥じらいを持って。

「明日からお前たちも一緒に登校してくれんか。どうも嫌な予感がする。一週間ほどでか構わない。それで杞憂になるならば、安いものだ」

「わぁ、私、学校は久し振りです! それじゃあ玄の世話は皇児様にお願いしておきますね!」

「誰ぞ縁者を送り付けてくれるだろうから、その点は賛成だな」

「綾様とお揃い、お揃いの制服、久しぶりで楽しみですっ」

 朱は無邪気に喜ぶ、あの時捨ててきた台継の事などもはや覚えていないだろう。俺達は良くも悪くも、綾姫絶対至上主義なのだ。綾姫が死んだら俺達も消えるからな。まさに命懸けで守らなければならない存在だ。もっとも俺はそれだけでなく、綾姫には生き延びて欲しい理由があるのだが。それはこの兄妹達にも内緒にしておこう。銀は薄々勘付いていると思われるが。朱は多分気付いていないだろう。と思いたい。男の子の純情だ。

 しかし問題は台継だな。どのタイミングでどう仕掛けて来るつもりなのか。こりゃ暫くは学校に寝泊まりするのも考えにゃならんな、思いながら俺は布団の恋しさを思っていた。寝袋も持っているが、あれは緊急出動の際によく爪なんかで破けるから駄目だ。少し肌寒い季節ではあるが、一年の空き教室に――毎年綾姫のとばっちりを恐れて転校していく奴が出る――ちなみに一般生徒に被害を出したことはないので、失礼な話だと思う――ストーブでも持ち込むか。そのぐらいなら許されるだろう。何せこちらは、学園公認陰陽師なのだから。灯油は――まあどうにかしよう。かすめ取ってくるも良し、いっそ朱の体温を上げてヒーター代わりになってもらうもよし。俺の水の力は本当に勝手が悪い。夏は銀の風の方が重宝されるし、冬は朱の炎の力だ。まったく、何だってこんな半端もんなんだろうな、俺は。台継の式神にも、どれだけ氷のまやかしが効くかは分かったもんじゃない。所詮氷なんて溶ければ柔らかな水でしかないのだ。傷なんてすぐふさがる。

 まったく本当に――はあっと溜息を吐くと、ぺけちっと朱に軽いチョップを食らった。

「溜息一つ吐くと幸せの天使が一人消えるのよ、他所でやって他所で」

「俺ら神道だろ、どっちかっつーと」

「気持ちの問題! あ、でもご飯どーしましょうねえ、私達の。米俵持って行っておにぎりの炊き出しでもしましょうか」

「火災報知器が鳴るわ」

「家庭科室でやれば大丈夫ですよー……多分?」

「まあ、竈さえ使わなければどうにかなろう」

 アバウトだった。とってもアバウトだった。苦笑いしている銀に突っ込みを求めて見つめてたが、今世紀最大の曖昧さで視線をそらされた。お前。悪魔かお前。式神だろ俺ら。兄弟って言って良いぐらいの繋がりは持ってるはずだろ? なあおい。こっちを向け。こっちを見ろ。

 俺の懸念は置いてけぼりに、夜は更け――


「あれぇ、朱ちゃんそっちの服は久しぶりだねー!」

 朝には八月朔日姉妹と湍がいつも通りに、鳥居の前で待っていた。ご機嫌に三人をハグしていく。朱は女性にしては背が高い方だから――綾姫よりはそれでも小さい――三人は溺れるようにその腕に捕まっていた。湍は特に小さい方だからあっぷあっぷしている。これは児童虐待案件ではなかろうか、思う俺も大分ぼーっとしていた。一週間分深い眠りについていたからだろう。朝日が眼に沁みるぜ。

「やっぱり洋服可愛いよねー、流石にセーラー服で禰宜はしないけど、たまになら足がスース―して気持ち良いわー! はっ、でも綾様のためなら私スカートめくりますからね! ばんばんと!」

「ばんばんはやめてくれ」

 苦笑いの綾姫について学校の結界内に入ると、少し安堵した。奴も学校があるからこの時間帯には手出ししてはくるまい。俺はさっさと呪符いっぱいの鞄を机のフックにかけ、眠ることににした。

 と、時間はあっという間に過ぎ。

 綾姫が神社の蔵から召喚した米俵で握り飯という質素な夕食を終えた俺達は、朱を囲んで眠ろうと――

 したところで、全員が跳ね起きた。

 校庭に誰かがいる。外法師か、陰陽師かは解らない。だが、この世のものではない何かがいるのは解った。

 急いで窓を開ければ邪気がどっと入ってくる。

 黒い学ラン姿は――

「台継うてな……!」

 闇に溶ける装束で結界に入ってきたのは、奴だった。

 一気に飛び降りて――家庭科室は二階である――四人で対峙すると、うつろな眼をした奴は完全に式に乗っ取られていることが分かった。それでも最後の願いだったのだろう、龍を欲してここに来た。ここに来なければならなかった。めきめきめきっと背中が動くのが、屈んだ所為で解る。手や足のような物が生えかかり、そして――

 綾姫をめがけて一直線に、駆けて来た。

「名を放て、式!」

 綾姫の声に身体を火炎に変えた朱がその身体を燃やすと、腐臭とも死臭ともつかないものが漂ってきた。俺はそれから綾姫を守るように水の結界になる。銀は風の刃で奴の身体を待っ二つにした。それでもうぞうぞとくっ付いた身体は、綾姫に向かってくる。気持ちの悪い匂いの中、綾姫は札を一枚取り出してその角で自分の指を傷つけた。俺は穴を明け、その呪符が通るようにする。


 血で気配を勘違いしたらしい台継は、燃える身体もそのままに呪符の方に走った。だがその呪符は、何者かの弓矢によって地面にたたきつけられる。

 顔を上げて綾姫はそいつを見た。

 そこにいたのは無表情に弓を構えた、台継うてなだった。


「なッ……」

 訳が分からずにいる俺達に、フン、と鼻を鳴らして見せた台継は綾姫の方を見る。

「君は案外気付いていたんじゃないかい? 九頭竜綾姫」

 綾姫がこくりと頷く。

「最初の貴様と次に校門であった貴様は明らかに気配が違ったからな。双子かそれとも――」

「式か。まあ憑けていた精魅も式の式だけあって、このざまだけれどね。式の式なんて、所詮はこんなもんか」

 金龍と銀龍の結界の中に入ってきた台継は、拾った矢を自分の式だと言うもう一人の台継に向けて射る。

「ま、言うなれば台継『はてな』かな」

 断末魔を上げてじたばたと炎の中で身悶える『はてな』に、もう一発。

 それで。

 台継『はてな』は動かなくなった。

 火炎から姿を戻した朱に、フン、とまた台継は、台継うてなはその鼻を鳴らして見せる。

「僕のおじいちゃんはね、九頭竜家から分家に出される際もう一度名前を代えられているんだ。八頭司とね。九頭竜にはかなわないようにしろ、そう言う本家と分家の取り決めがあったんだろう。だから僕は八匹しか龍は操れない。さて九頭竜綾『鬼』。君のそのちっぽけな力はどこまで龍を制御できるだろう。銀龍たちの封印で大分力を削っているんだろう? その三人の式で戦うつもり? 無謀だよ。僕は金龍と銀龍という二大勢力さえ手中に収められればそれで良い。おとなしく要石として死んでくれるかい?」

「生憎と、力ばかりを求める奴にろくな者はいないと教わって育っていてな。お前は一等に性質が悪いと見た。力を得て何をするつもりだ? 台継――否、八頭司、うてなよ」

「そうだなあ、とりあえずこの学校壊しちゃうかなあ。結構強力な結界みたいだし。皇児兄渾身の出来だろうよね。勿論君も」

「皇児様を知ってる……!?」

「まあなんだかんだ親戚筋だからね。でも綾姫ちゃん、君が出来てからは会って無い。君が君達になるのを待っている間は本当に長かったよ――九頭竜、否、名無しの綾鬼。ルーツのない力だけの存在。仮初の人格を与えられて人間として生きて行こうとしている無様な人形。それに連なるマトリョーシカ達。っと」

 俺は銀に似せて氷の矢を作り、その足元に投げつけた。


 うるせえ。お喋りな男は嫌いだ。

 仮初でも生を謳歌して何が悪い。

 与えられた使命にひたむきに向き合ってきた、綾姫を悪く言われる筋合いはない。

 それさえ許されないなら、俺達は何のために生まれた?

 何のために生きている?

 俺は綾姫を愛するために生まれた。

 綾姫のための、式鬼だ。

 それは絶対に誰にも、否定されたくない。


「蒼君と言ったかな。君は本当に自己愛が過ぎるね」

「黙れ」

「そんなに自分ばかり愛していたら、いつか擦り切れてなくなってしまうよ?」

「うるせえ」

「それとも――そうとしかできないように、作られているのかな」


 俺は護法具をはずし、長い髪を解き放つ。それも思いっきりにだ。髪先は氷の刃に変えて、串刺しにしようとする。嗤笑を浮かべた台継うてなは、矢を放ってそのをすべて粉砕した。だが氷の膜が破れただけで、髪の鋭さは変わらない。四肢を貫くと、とても嫌な感触がした。人を傷つけるのは趣味じゃない、本当なら。だけどそれが綾姫を助けるのなら、俺は喜んでその赤い水をかぶる。綾姫の為ならば、人ひとり八つ裂きにしたって良いぐらいだ。綾姫が好まないからしないでやっているだけ。もっとこいつは綾姫を崇めるべきだと思う。そしてそれを実行しない俺にも。


 作られている、と台継は言った。俺達は綾姫を慕うよう、作られている。だけどこの思いはそうじゃないと言っても良いだろう。皇児がいつか言っていた、アニマとアニムス。俺は皇児のアニマから生まれた綾姫のアニムスだ。理想とされるすべてがつぎ込まれた存在だ。挙句銀のように自己保身ではなく自己愛を与えられている、そういう存在だ。愛して何が悪い。自分を愛して何が悪い。自分でない自分を愛して何が悪い。愛してる。愛しているんだ、もう、十年前、作られた瞬間、抱き締められた瞬間から、俺は綾姫を――愛している!

 それが許されない世界なら、俺は綾姫の手を無理にでも取って逃げ出してやる。朱も銀も玄も、皇児の眼さえ届かない場所に向かって――


 ……どうしようって言うんだ?


「蒼止めろ、それ以上血を被るんじゃない!」

「なっ」


 四肢を貫かれた台継は、それでも笑っていた。毛細管現象で俺の髪先が赤く染まる。まずい、と瞬時に感じはしたが、髪が引き抜けなかった。呪力で引っ張られていく。罠だった? くそ、くそくそくそっ。意識が朦朧としていくのに、俺は護法具を腕に掛けた。


「銀、叩き切れ!」

「蒼!」

「早く! このままじゃ根元まで奪われる!」

「ッ……疾!」


 長年伸ばしてきた髪が、半分ほど持って行かれる。八月朔日姉妹には残念がられるだろうな。だがそんな事はどうでも――


「あーッ蒼君の髪切ったぁ! あんなサラツヤ水分量豊富な髪、そうないのにぃ!」


 ……あぇ?

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