第213話 窓をこつこつ

 ――カポーン。

 どうしてこうなった。どうしてこうなった。

 大事なことだから二回繰り返してみたところで、事態は変わらない。

 

 俺は今、湯船にいる。

 そう、風呂だ。風呂に入っている。

 いい気持ちでお湯を手ですくいながら、「ふいいい」とかいい感じの息を吐いたりしていたんだ。

 もちろん一人で。

 

 それが、それが、どうして。

 

「えへへ」

「後ろは異常ありません。必ずやお守りいたします」


 この狭い湯船に三人は無茶だと思わないか?

 体育座りをして「えへへ」と微笑むタイタニアの長い髪はタオルの中に隠れている。

 うん、そのまま湯船に入ろうとしたから、見かねた俺が彼女の頭にタオルを巻いたんだ。

 彼女の膝がかろうじで彼女の体を隠している。膝小僧にいけない部分があたって、むにゅんってなることはない。

 何故か、までは言わないがな。その分、上から覗くと見える。どこがとも言わないが。

 

 後ろ?

 後ろは見ちゃあいけない。

 湯船の中で立ったままなんて言語道断だが、「お守り」するために立っているのだそうだ。もちろん、全裸で。

 誰? そらこんなことをするのはフレイ以外にあり得ないだろ。

 家の中は安全だというのに……。

 

「もういっそ、ゴールしてもいいかな……」


 俺の中の弱い俺が呟く。


「ゴール?」

「到達点、目標のことですよ。タイタニア」

「へええ。フジィにはもうゴールが見えたんだね。すごーい」


 俺越しに話を進めないでくれたまえよ。

 タイタニアの言うゴールと、俺のゴールの意味は確実に異なる。

 

「マルーブルクならきっと大丈夫だ。彼に出来る限り協力して、事を運びたい」


 二人の会話に乗る俺も俺だよな……。

 

「天使様の戦略……とても楽しみです」

「マルーブルク様とフジィなら何だってできちゃうんだから」

「だああ、立つな。立つな」


 興が乗ったのかタイタニアはすくっと立ち上がり、両手の拳を胸の前でギュッと握りしめる。

 しっかし、タイタニアはともかくフレイもまるで恥ずかしがる様子を見せないよな……。

 魔族の国には風呂が無いんだろうか?

 

「フレイ」

「はい。あなた様のフレイはここに」

「動かないでいいから、そのままそこに立っててね」

「はい! しかと、ここは死守いたします」


 そのまま放っておくと、浴槽から出て片膝を付きそうだからな。

 

「魔族は行水とかするのか?」

「稀に……ですが」

「あ、思い出した。魔術で綺麗にできるんだったよな」

「はい。殆どの場合は魔術を使用します。ここのように水を暖めるとなりますと燃料と時間を浪費いたしますので」

「へえ。魔術って便利なんだなあ」

「使いようかと存じます。魔力の消費もございますし、清浄の魔術は就寝前に使う習慣です」

「寝たら魔力が回復するんだったよな」

「はい。消耗している日は清浄の魔術を我慢することも多々ございます。衣類にも使いますし」


 魔族は生活に沢山の魔術を使う。魔術を使うと魔力を消費するから、仕事で使った余り分を家事に回すってことなのかな。

 便利でいいけど、魔族の行水? は味気ないよなあ。

 こう、浴槽にしっかり浸かるのがいいんじゃないか。


「人間、獣人、ゴブリン、竜人、そして魔族……みんな生活様式が違っていて興味深い」

「聖者様は多種多様な種族の文化に興味がおありで?」

「うん。どの種族も生きるためにいろんな工夫を凝らしている。なるほどと驚かされることも多いんだ」

「その姿勢、感服いたしました。ッツ……聖者様!」

「ちょ、な、何を」


 突然フレイが俺に覆いかぶさってきたかと思うと、俺を自分の後ろにやり身構える。


「何か……来ます。そのままじっとしておいてください。恐ろしい、何かが」

「ここに恐ろしい人なんていないってば」


 コツコツ――。

 風呂窓を叩く乾いた音が響く。


「聖者様、お逃げください。私では恐らく、敵いません。時間は稼げるだけ稼ぎます」

「いや、あの……」


 風呂窓に映るシルエットで、何が来たのかすぐ分かったし……。

 

「カラスさん!」


 誰が来たのかすぐに分かったタイタニアは、立ち上がり風呂窓を開ける。

 だから立ち上がるな……。アニメとかと違って湯気さんがいい仕事をしてくれるわけじゃあないんだぞ。

 

「タイタニア! 離れて下さい!」

「ん?」


 必死の形相であろう俺の前に立つフレイに対し、タイタニアはふんわりとした笑顔のままコテンと首をかしげる。

 

「おや、お楽しみ中だったのか?」


 風呂場の様子など気にも留めず、三本脚のカラスはばさばざーっと羽を揺らしタイタニアの肩にとまった。

 ワナワナと肩を揺らすフレイ。

 

「大丈夫だよ。フレイさん。カラスさんはフジィのお友達だもの」

「タイタニアのお友達でもあるけどな」

「えへへ。お友達と思っていてくれるのかな? カラスさん……」


 俺の捕捉にタイタニアはカラスの嘴をそっと指先で撫で、はにかむ。

 

「……」

「どうなんだあ? カラス」


 黙るカラスを煽ってみた。

 こいつ、こういうの苦手そうだしなあ。いつも弄られてばかりだから、ここぞとばかりに攻めるのだ。

 

「……そうだ。タイタニアも同じだ」


 今、舌打ちを我慢したよな。こいつ。

 カラスの奴、タイタニアには妙に優しい態度を見せる。

 いつも横柄で斜に構えたカラスだけど……可愛いところもあるんだよね。

 俺はこいつのこういうところが嫌いじゃない。

 

「ありがとう。カラスさん。嬉しい」

「いつも餌をもらっているしな」


 照れてる。カラスが照れてる。


「ううん。カラスさんはみんなに大魔法をかけてくれり、知識を与えてくれたり、大助かりしているよ、ね、フジィ」

「おう。カラスがいてくれて何度助かったことか。ありがとうな、カラス」

「……ッチ。おい、良辰。お前が乗っかるんじゃねえ」

「痛っ」


 足で俺の頭をおお。

 フレイシールドがまるで役に立ってないじゃないか。

 

「ご友人とあらば、旧交を暖められるのかと」


 何も言っていないのに察したフレイが口を挟む。

 彼女はそのまま湯船から出て、俺の後ろに回った。

 背後は安全だから、もう護るとか要らないんだけど……。

 

「なかなか戻ってこねえから、来てみたんだが」


 俺の頭に爪を立てたままカラスが囀る。


「お、すまん。新しい味をって話だったな」

「おう。お前の魔術で作ることのできるポテトチップスが増えたってお前が言っていただろう」

「うん。三種類増えた。風呂から出たら準備するさ」


 ハウジングアプリのアップデートで、選ぶことのアイテムがかなり増えたんだ。

 ポテトチップスも例外じゃあなくて、種類が増えた。

 

「聖者様、もしよろしければこのお方を紹介していただませんでしょうか?」


 遠慮がちにフレイが後ろから声をかけてくる。

 

「そうだった。後ろにいるのはフレイ。こっちはカラス」

「よろしくな。くああ」

「カラス様……それは種族名でしょうか」

「何でもいい。俺はただのカラスだ。他の何者でもねえ」


 いつもの調子で応じるカラスだったが、フレイはそれで納得できなかったらしい。

 

「カラスはグバアのお友達とかで、楽しそうだからここに来たってさ」

「神鳥の……そ、それは……」


 しまった。フレイの地雷を踏み抜いてしまった。


「だあああ。伏せに行かなくていいからね。そのまま、そのまま、な」

「ですが、聖者様……神鳥の」

「いいんだってば、な、カラス」

「えらい必死だな。まあいい。そうだ。さっきも言ったが、俺はカラス。他の何者でもねえ」


 カラスは先ほどと同じように軽い調子で囀る。

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