ワケ2
翌日、桜蔵が宇月の携帯端末から盗み出した裏金のデータを、珪は朝からチェックしていた。
特に何のトリックもないデータ――――のはずだった。
「ん?!あれ?!」
珪は、確認中のデータの中に見慣れた文字列を見つけて、目を見開いた。
時刻は9時半――――。
桜蔵はもちろん自室で眠っている。
が、珪は慌てたように階段を駆け上がった。
あがってすぐの桜蔵の部屋の扉を、派手な音をさせて開けた。
「桜蔵!」
当然、部屋の主が起きることはない。
遠慮なくベッドに近づいて、気持ち良さそうに眠る桜蔵の体を揺すった。
「起きろ、桜蔵!」
桜蔵の綺麗な寝顔が、瞬間で不快に歪んだ。そして、拒否の意思を示すために、珪にくるりと背を向けた。
「やーだぁ……」
「データの話だ!起きろ!」
「んー……珪ちゃんの手が込んできた……」
「起こす手段じゃねーよ。おーきーろー!」
桜蔵は、仕方なく目を開けると迷惑そうに顔だけを珪に向けた。
「なに?どーしたの?」
「宇月から盗ってきたデータに、E−idがいた!」
「……朝からなんの冗談?」
宇月から奪ったのは、裏金のデータであってEYESROIDのデータが潜り込んだものではない。
「もー!いいから、起きろって。で、来い!」
「珪ちゃんの語彙力が消滅した……」
呟いて、桜蔵はベッドに半身を起こした。グッと伸びをして、のそのそとベッドを出る。
「……で、開いたの?」
「まだ。まさかの中にいたから、驚きすぎて起こしに来た」
桜蔵はまだ、目が半分閉じている。
「はい……」
そう言って、桜蔵は珪に手を差し出した。
「は?」
「朝の桜蔵さんを、目的地まで導いてください……」
「ブレないな、お前……」
寝起きの悪い桜蔵を連れて、珪は、1Fに降りた。真っ直ぐにPCの前に連れていき、デスクチェアに桜蔵を座らせると、キッチンへ行きコーヒーを入れて戻ってくる。
桜蔵はぼんやりしたままでPC画面を見つめていた。
珪がカップを差し出すと、受け取る前にその香りを思い切り吸い込んで、堪能するように息を吐いた。
「目を覚ましてください、桜蔵さん?」
「んー……いい香り」
呟きながら、桜蔵はE-idの文字をクリックした。
「コラっ」
不用意なことを、と珪が嗜める間に画面上には変化が現れていた。
文字列の上に重なるように、もう一つの画面が出現し、そこに――――。
「アキっ!!」
「アキっ!!」
二人の声が重なる。桜蔵も珪も、身を乗り出すようにして画面を見つめていた。
そこに、悪戯な顔で笑う親友がいた。
そして、声が聞こえた。
『りゅーのすけー、珪ちゃん、ハロー。二人のことだから、これ盗ってきて満足してるでしょ?ざーんねんでしたー』
二人は、懐かしさと嬉しさを味わう前に、驚きに固まった。
「え?なに?」
桜蔵の言葉は尤もだった。
『今回の獲物は、ここじゃないよー。あ、裏金はフェイクじゃないから安心して。それと、俺の送ったメールをよーく見るように!』
動画は、これで終わりだった。
残されたのは、呆然とした二人だけ。
「メール……」
手にしたままだった桜蔵のコーヒーをデスクに置いて、珪は記憶を探る。メールにあったのは、いつもの通り、数字とアルファベット、記号。それが、場所を示すものであることは、二人共わかっている。
「一気に目が覚めた……」
そう言って、桜蔵がコーヒーを飲んでいる。二人の中で、驚きに固まっていた感情は、ようやく解けだした。珪が思うことはまず、T-mailの主だった。
「あのメール、やっぱりアキからだったんだな?」
「だーかーらー、そうだって言ってるでしょ?珪ちゃん、まだ疑ってたの?」
「桜蔵、ケータイどこ?」
「そこ」
桜蔵が指差したのは、PCと同じ並びの棚の中にある、充電機器が収まった場所だ。
珪は、そこにある桜蔵の携帯端末を手に取り、T-mailを表示する。
やはり、いつものように場所を示す文字が並ぶだけのmailだ。それは、バークビルを示すもののはず。
珪は、自分の携帯端末を取り出して、mailに示されていた文字を打ち込んだ。
地図に示されたポイントは、バークビル。
「…………よく、見る??」
アキのことだから、自分たちのことを予測して何かをしているのだろうが、メールの内容にそれ以上はない。侵入した場所に間違いはない。桜蔵のクライアントだったから、準備も容易だった。そもそも桜蔵が侵入しようとしていたのだから。
「珪ちゃん、見せて」
デスクチェアに膝を立て、珪の肩を支えにして彼が見ている画面を覗く。
「変わりないぞ?侵入した場所だ」
「えー?でも、アキがわざわざここに動画入れ込んでるんだから、なにか……――――」
桜蔵はそこで言葉を切り、表示されている地図を拡大した。
「…………違う」
「え?」
「あそこじゃない……」
桜蔵の言葉に、珪は拡大された地図と示されているポイントを、改めてよく見つめた。
「あ……」
確かに、示されているポイントは、侵入したオフィスとずれている。
そこは、ビルのエントランスに近い場所。
「あっ!」
桜蔵が思い出したと声を上げた。
「なに?」
「エントランスホールだ」
「吹き抜けになってる、天井が高いとこ?」
「そう。外からよーく見えるガラスの壁のあそこ」
「あそこにデータ?」
訝しげな顔をして、珪は桜蔵を見下ろした。
「……ダイヤモンドだよ」
桜蔵の言葉を受けて、珪も記憶を探った。確かに、あのビルのエントランスには、壁と観葉植物に囲われた空間があり、その中央に台座がある。台座から15センチほど上に浮かぶようにして、独特のカットと輝きを持つ石が配置されていた。
「いや、あれはただの飾りだろ?本物じゃない」
警備員も配置されていない、ケースにも入っていない、台座から浮かぶようにして飾られたあの石を見て、誰が本物だと思うだろう。
「ただのガラス?だとしても、俺たちにはなんの問題もないじゃない?そこに、アレがあれば」
桜蔵が、妖しい笑みを浮かべて珪を見上げた。
そこにあるのは、獲物を狙うドロボーの顔――――珪も、笑みを返す。
「それもそうだな」
「っていうか、アキも俺たちに怪盗みたいな真似させるなんて、もぉー!」
「腹抱えて笑ってるアイツが目に浮かぶ……」
渋い顔をした珪を見て、桜蔵が笑う。
「アキらしくて好きだけどねー。アキ、髪伸びてた。髪型も少し変わってたし、今のアキだよね、きっと」
桜蔵は、機嫌のいい微笑みで座り直した。
珪の目が、優しく細められる。PC画面をニコニコと見つめる桜蔵の頭に、ポンと手を乗せた。
「朝飯にしよう。コーヒーで乾杯だ」
「うんっ!俺も手伝うー」
「その前に、顔を洗って着替えてこい」
「あはは。そうだった」
桜蔵が身支度を整えて戻ってくると、香ばしいトーストと淹れたてのコーヒーの匂いがキッチンから漂ってきていた。
珪は、サラダを皿に盛り付けていた。桜蔵が戻ってきたことに気がついて、振り返る。
「桜蔵ぁ、ヨーグルト出して」
「はーい」
桜蔵が冷蔵庫を覗く。プレーンヨーグルトの容器を取り出して器に移すと、すでにできあがっていたプレートと共に、トレーに乗せて、テーブルに運ぶ。
機嫌よく鼻歌を歌う桜蔵の頭を支配するのは、ガラス張りのビルエントランスホールから、どうやって盗み出すのか。
そもそも、あれは存在する物体なのか。台座に固定されているわけでなく、台座の上に浮かんでいて、警備員もいない。
夜中は明かりが消されているものの、外からは丸見え。
前回侵入したときは、正面から入ったわけではないので、夜中にあれがどうなっているのか、気にもしなかった。
「……んー」
ソファーに座って思案していると、コーヒーの香りが近づいてきた。
「ダイヤモンドもどき?」
「もどきって……まぁ、もどきかどうかはどうでもいいんだけど」
「あれは、そもそも存在してるのか?」
「そこなんだよねー」
「存在してない、ただの映像なのだとしたら、台座から直接?」
珪がそう言ったところで、二人は気がついた。
「そっか!そうだよ、珪ちゃん!」
「存在するのだとすれば、もどきを狙えばいいし、違うのなら、台座に隠されてるってことなのか!」
「まずは、あれがなんなのかを確かめなきゃね~」
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