五人五色と20歳の高校生

おざおざ

第1話 20歳の高校1年生


 コーヒーの香りが部屋に漂い、不規則に揺れるカーテンの隙間からは、だいだい色の光が入り込みむ。

 夕暮れ時の部屋は暮色ぼしょくに染まる。

 下校時間独特の生徒達が作り出す浮かれた雰囲気は、学校全体を喧騒けんそうで包み込んでいるはずなのに、この生徒会室だけは静寂が降り注いでいた。まるで、時間の流れがいつもよりゆっくりと進んでいるのではないかと錯覚してしまうほど、生徒会室は別世界に感じる。

 換気のために開けられた窓からは、清澄せいちょうな秋風が吹き込み、机の上に積まれたプリントを何枚か飛ばす。けれど、そのプリントをを誰も拾おうとはしない。


 「よろしくね」

 「…頑張って」

 「お願いしますね!」

 「バカなんだから直ぐに頼りなさいよね」

 「ファイト!応援してるよー!」


 5人の少女の口調は被ることなく各々個性的だ。

 男は安っぽい映画に出てくる悪役のような笑みを浮かべ、両手を広げる。

 さっきよりも強い風は、カーテンを大きく弾き、生徒会室の書類や床に落ちたプリントを大きく搔きまわした。


 「ああ、いいかお前ら、俺が生徒会長を務めるからにはビシバシお前らをこき使う、覚悟しろ!…だが約束しよう。この学校は守り切ってやる!誰にもやらんぞ!」

 _________________________________________


 営業、会議、電話対応、上司への気遣い。その他諸々をこなし一日の激務げきむを終えた。

 高校を卒業したら四年制の国公立大学に進学する予定だったが、結局は一般企業に就職。それから毎日、辛く、つまらない生活を送っている。

 男は家に着くと幼い少女に質素な飯を作り、用事があると家を出た。


 男が向かった先。それは公園だ。


 この日本には2種類の人種がいる。

 1種類目の人種

 それは…『金のある者』

 2種類目の人種

 もう分かっているだろう。

 そう、『金のない者』だ。

 世の中には“愛”だの“友情”などの戯言が渦巻いているが、それは間違いだ。それを俺は声を大にして言いたい。

 ならば正解は一体何か、

 この世は“金”だ。金が全てだ。

 金のある者…いいや、ここはハードルを下げて。一般的な家庭に住む者は今一体何をしていると思う?時刻は9時過ぎ。夕飯を食べ終わって風呂に入っている者、夕飯を今さら食べている者、そして友達と遊んでいる者。家族でテレビを見て爆笑しているもの。多少なりとも財産を持つものは、その財産で得たものを堪能する。それは至極当たり前のことなのだが、俺のような生活を送っている者からしたら、その当たり前でさえも許せなくなるほどに心は歪んでしまうのだ。

 さあ、ここで問おう。金のない人種の俺は今何をしていると思う?

 分かる人には分かると思うが、分からない奴にはとことん分からない。

 他人の立場になれる人が優しい人。この言葉は小学校、下手したら幼稚園の頃から先生に言われてきた。今までの経験上、確かに他人の立場に立ち、他人と真摯に向き合う優しい人とやらを多く見てきた。けれど、そいつらはそれで満足してしまう。身近な所に、1番自分の立場に立って分かって欲しいと思っている人がいるのに、それに気づかない。

 自分のことを分かって欲しいと思うのは酷く傲慢なことだ。けれど、その我儘わがままを許して欲しいと思うほどに苦しい生活を強いられればそういう思考に至るのを甘んじて許してくれるに違いない。

 そろそろタイムアップだ。

 俺が今していること。

 正解は…


 公園の草を食っている。


 「おえっ…クソッ!ハズレかよ」


 昼から気温がグッと下がったおかげで冷たい空気が肌を撫でる5月下旬の夜。公園を照らす役割を与えられた街灯は、わずかな生命線を絶たれるかのようにチカチカと光っていて、愁嘆場のような雰囲気を流している。

 そのおかげで暗闇が渦巻き、寂しさとも言える孤独感を俺に与える。

 そんな中、草を抜いては水道で洗い、口に放り込み頬張る。

 思わず嗚咽をしてしまうような衝撃的な味の草。舌を痺れさせる草。そんな様々な雑草で少しずつ空腹を誤魔化すのには理由がある。

 高3の頃、家庭の事情で生活は一変。食費は大幅に削らなければいけない状況に陥ってしまい、将来の夢、進学すらをも諦めた。

 家に帰れば10歳の妹がいる。将来はケーキ屋さんを開きたいらしく、幼い頃から拙い絵で理想のケーキ屋さんを描いていた。

 思い返すと俺は夢を叶えるのが不可能だと知った時、心臓をえぐられてしまったのかと思うほどに胸は痛み、とてつもない大きな喪失感を抱いた。

 だから、妹にはそんな思いをして欲しくない。例え、途中で妹の夢が変わろうと俺は妹の人生を守り抜かなければならない。だから、妹にお腹いっぱいに食べさせるためにも、こうして草を食っている。


 「お、これはいける。当たり引いたな」


 ある程度食べ尽くした後、最後に水道水を体にできるだけ取り込み、俺の食事は幕を閉じた。

 別に金持ちが悪いとは言っていない。けれど図々しいことに俺のことを見て欲しいと思ってしまうのだ。

 嫉妬とはまた違った、よく分からない感情が常に胸の中で渦巻く毎日。

 どこで俺は間違えてしまったのだろうか…


 「はぁ…明日も会社か…」

 

 最後に誰に言ったでもない雑に吐かれた呟きは、寂れた夜に溶けて消えてしまう。

 このわびしさは、どうやったら拭えるのだろうか。

 この時の俺には到底その答えなんて見つけられなかった。



 ——プルルルル

 風呂上がり。否、シャワー上がり。

 小さなバスタオルで髪の毛を拭いていると、それを邪魔するかのように家の電話が鳴った。


 「もしもし」

 『もしもし、蒼太、沢山稼げる仕事の話が入ってきたんだ』


 電話の向こうの疲れ切った父の言葉。

 そして、その内容に思わず声を上げて歓喜した。


 「本当か!?それって…なんか粉とか運んだりとかしないよな?」

 『違う違う、そんな闇の職業じゃない』

 「ならいいんだけどよ、で、その仕事って?」

 『生徒会だよ』

 「は?」


 俺は父の言葉を聞くなり頓狂な声を発する。

 仕事が生徒会?意味が分からない。というかそれ給料出んのかよ。


 『とりあえず高校に行くぞ』

 

 “高校”?

 前は毎日のようにその言葉を聞いていたが、今となっては新鮮なワードとして受け取ってしまう。それくらい今の俺には無縁の場所だ。


 「いやいや、突拍子にそんなこと言われても意味わからん、てか俺は社会人の20歳だぞ。高校生とはかけ離れてるけど…」

 『勤務先は白皇はくおう高校だ。たしか職員として行くんだっけな」

 「待てよ父さん!俺 、教員免許なんて持ってないし。そもそも副業としてのはずだ、職員は公務員なんだから兼業は許されてないだろ!」

 『今の仕事は辞めろ、今回引き受けた仕事の方が断然多くもらえる』

 「いや無茶苦茶だよ」

 『今の給料であおいのことと病院にいる母さんを守れるのか。俺とお前で分け合った借金だってあるだろう』

 「それは…」

 『借金が無くなったら辞めていい、腹をくくれ。蒼太。父さんも頑張って働くから。それじゃ仕事に戻る』

 「いや、ちょっ…ま」


 ——プープープー

 耳元で電話独特の空虚な音が鳴り、それを合図に抵抗を諦めて子機を置く。


 「お兄ちゃん、大丈夫?」

 「お、ごめんな、起こしちゃったか。大丈夫だよ葵」


 ボロボロになったクマのぬいぐるみを抱いて居間にやってきたのは妹の葵だ。

 葵は目元を擦りながら、大きな口を開け欠伸あくびをする。


「お兄ちゃん、もう寝るから葵は寝室に戻ってて」

「うん」


 葵は踵を返し、床をギシギシときしませながら寝室に戻った。

 20歳社会人の俺が高校に転職?そもそも白皇はくおう高校って遠くないか?引っ越しの費用なんて用意できねーぞ…

 

 そして俺は1つの考えに到着した。


 

 寝よ。

 


         【1週間後】



 ——ニコリ

 全力の作り笑い。


 「えー高耶たかや高校から来ました。蔵沢くらさわ蒼太そうたです。1年5組の皆さん今日からよろしくお願いします」


 ってあれ?

 今僕ちゃん何て言った?「1年5組の皆さん今日からよろしくお願いします?」

 なにこれ転職じゃなくて転入じゃん。

 高校1年生40人近くのハリのある顔が俺に注目している。


        【前日】


 「父さん、どういうこと?制服が届いたんですけど」


 ボロボロの新居?の中で俺は子機に耳を当てて疑問を投げかける。


 『理事長のやつが間違えて生徒登録しちまったらしい。変更はできないらしいから我慢して行ってくれ』


 「お、おい!これ生徒として行くってことだよな!?俺は大人だぞ!15のガキとは趣味嗜好その他諸々なにも合わない!」

 

 電話機の前でフリーの片手をブンブン回す。背中には冷や汗が吹き出すほどに慌てていて、急な情報の処理に脳が追いつかなかない。


 『文句を言わないで行ってくれ、これも家庭を守るためのこと』


 そう言って父は電話を切った。


 こうして、蔵沢蒼太20歳、元会社員の数年ぶりの高校生活が再開した。

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