第六章 異界

 シーヴォリー王立国内に点在するストラグル教団の拠点は数百に及び、その内の一つが隣国のフィッチマン帝国との国境付近にあるハイドアウト平原の地下にあった。シーヴォリー王立国開国時の激戦地であり、初代、そして二代目の王が戦死した場所でもあった。

 襲撃の夜から日時は過ぎ去り、三日後の正午過ぎになっていた。

「英霊が眠る大地で、陰謀を着々と進めるのって、なんか燃えますよね」

 誰に聞かせているのか肩口まで伸びた銀髪を揺らし、上機嫌に薬液を注射器に充填する男が居た。名をレイバー。ステイルの飼い犬だったこの男は、今や希代の裏切り者と化していた。

「うっ……あ……」

「あぁ、動いちゃだめですよ、ステイル中佐。刺すとこ間違えちゃいますよ」

 呻くステイルは、レイバーに軽く額を小突かれると大人しくなっていた。

「はい、良い子ですねー、じゃあもう一本いっときましょうか」

「ぐっ……うううあ」

 ステイルの苦悶の表情を気にも留めず、レイバーは注射器の針をステイルの首の付け根から脳幹に差し込み、充填した薬液をゆっくりと流し込む。

「ビシャスより更に慎重にやってますからね、拒絶反応は出ませんよ、たぶん」

 にこやかに話すレイバーを見やり、覆面は距離を置いて座していた。

「そう言えば覆面さん、新しい左腕どうですか。馴染みました?」

 レイバーの問いに、覆面は黙して返さなかった。

「……ってか味方しか居ない場所まで覆面被ってますけど、誰に顔隠してるんですかね」

「黙れ」

「はいはーい、すみませんねー、誰か喋ってないとここ、陰気臭くて」

 レイバーの一人語りが続く中、地下室の扉は開け放たれ、何者かが室内へと入ってきていた。そのまま覆面へと歩み寄り、声をかける。

「お父様、お加減は如何ですか」

「おぉ……アンナ、大丈夫だよ。お前に直してもらった左腕だ、調子はとても良いよ」

「本当ですか、良かった……」

 覆面と喋っていたのはアンナと呼ばれる少女だった。短めの金髪を丁寧に整え、背丈はレイバーより低く、どう見ても成人しているようには見えなかった。

 レイバーは一通りステイルの施術が終わるとその場を離れ、別の施術の準備へと取り掛かる。器具を細やかに並べながら、レイバーは覆面と微笑を浮かべながら話し合うアンナに目を向けていた。誰にも聞こえない程度に、囁くように呟く。

「罪深いですねぇ……本当に」

「うぅ?」

「あれ、聞こえてました?ステイル中佐、貴方の事じゃないですよ」

 もう一度レイバーは覆面とアンナを見やり、静かに溜め息を吐く。ハイドアウト平原の地下にあるストラグル教団の拠点には光が差し込む窓はなく、光源は蝋燭と、霊石を体内に有する者達の眼の光彩だけだった。おぼろげに浮かび上がる室内は暗く、湿気に富み、土壁に映り込む陰影が異形を象っていく。

「……さっさと世界を作り直して、地下生活からおさらばしたいもんですねぇ」

 レイバーは一人愚痴り、見えるはずのない上空を見上げ、土壁の天井に視線を送っていた。


 同時刻、ネイバーハッド近郊の医療テントを歩み出たウィルとアノンは、通信で受けた通りの指示に従い、首都シルヴォリアに帰還しようとしていた。

 通信番号九号の内容は以下の通り。時刻一二三〇、ウィル少佐、アノン中尉はこの通信をもって即日首都シルヴォリアに赴き、シルヴォリア城内謁見の間へ両名とも出頭されたし。時刻一三三〇までに到着すること、以上。それのみだった。

「行けるか、アノン」

「はい、準備完了です」

 ウィルとアノンはそれぞれの収納帯を腰部へと装着し、中央管理軍御用達の戦闘服へ着替え終わっていた。難燃性の特殊素材で編み込まれた戦闘服は、破れにくく刃物による軽度な斬撃、刺突にも耐え、衝撃を分散するのに一役買ってくれる頼れる相棒だった。

 ウィルは迷彩の皮手袋に右手を通し、拳を握り締めて感触を確かめる。アノンは腕時計を確認し、ウィルへと顔を向ける。

「現在の時刻一二四〇です、ウィル少佐。現在地ネイバーハッドから首都シルヴォリアまでの距離はおよそ十キロあります。そろそろ行きましょう」

「おう」

 普段のウィルならここで、俺達なら楽勝だろ、と言ってしまいそうなところだが、アノンに顔を向け一言頷くだけだった。ウィルは右手で自分の首を後ろ手に掴むと、左に傾け小さく鳴らす。アノンはゆっくりと膝回りを屈伸し、前を見据えたまま息を吐いていた。

 足元の草が踏み締められ、ウィルは駆け出す。同時にアノンも飛び上がり、空中を蹴り出して加速する。療養していた三日間、ウィルは体調を戻す事に専念し、アノンは体内に力を蓄え続けていた。万全の体調以上に回復していた二人の速度は加速の一途を辿り、ネイバーハッドは既に遥か遠くになっていた。

 復路は往路と同じ路程だった。途中ネリスが倒れていた分かれ道を通り過ぎ、レイバーと語り合った牧草地帯を抜ける。その時、ウィルとアノンには同様の思いが過っていた。

 レイバーという少年を、自分達はどれほど知っていたのだろうか。薄々気付いてはいたが、レイバーはステイルの犬だった。自分達の動向を探り、報告する役目。その程度だと思っていた。なにが起きようと対処する自信があったからこそ、レイバーを知ろうともした。

 短い間だったが寝食を共にし、彼の生い立ちを知り、彼の願いを聞いた。レイバーは再三言っていたのだ、役に立ちたいと。それは詭弁に過ぎず真意は別にあったのだろうか。

 今はそれを確認する術がウィルとアノンにはなかった。例え知り得たとしても、袂を分けた以上、叩き潰すしかない。それは変わらない。変わらないが、ウィルとアノンの胸には去来する思いがあった。

 彼にはやり直せる機会はあったのだろうか。自分達のように。これまでの行いを見返し、次へと生かす機会が与えられていたのだろうか。逆に、奪われる一方だったのかもしれない。

 それでももし、この国で起きている事態の要因にレイバーが関わっているのなら、退ける他に道はない。躊躇も、油断も、慢心も許されない。

 二人がネイバーハッドを出発し首都シルヴォリアに着くまでの間、二人に会話はなかった。ただ胸に去来するその思いだけが、二人の思考を暗鈍とした様相に沈ませるばかりだった。

 時刻は一三二〇を過ぎ、シルヴォリア城内は緊張の度合いが高まっていた。最高級の赤絨毯が敷き詰められた厳かな空間に、一人の男と二人の女が向かい合っている。

 一人は王座にその身を預けるシーヴォリー王立国国王、グリス=シルヴォリア。一人はその階段下に用意された豪勢な椅子に腰かけ足を組む中央管理軍総帥、イーレ=ヴェレンス大将。そして最後の一人は椅子には座らず、ヴェレンスの傍らに立ち微笑を浮かべている。

 グリスにとっては面識のない女だった。身の丈はヴェレンスより頭一つ分低く百六十程度。長い銀髪を後ろ手に結い、中央管理軍の制服を着崩すその風貌は頼りなかったが、人造兵器特有の青い眼を大縁の眼鏡で装う姿は端整そのものであり、知性を感じさせる女だった。

 グリスは顎に手を添えながら、小さく息を吐く。

「後二人、立ち会う予定と聞いていたが、まだ来ないのか?」

 ヴェレンスは頷き、腕時計に目を向けていた。

「指示は伝えてある、まもなく来るだろう。揚げ足を取る訳ではないが、グリス、貴様の付き添い人も来ていない様だな」

「……痛いところを突いてくれるなヴェレンス。後見人としての役目柄、母も多忙でな、察して頂きたい」

「ふむ、お互い様という訳か」

 溜め息を吐くヴェレンスに、グリスは首を左右に振る。待ち惚けの様相を呈したその時、謁見の間、袖側の奥から足音が近づく。

「ごめんなさいね、遅れたみたいで」

 言葉とは裏腹に、悪びれる事無く歩み寄るその姿は、透き通るような金髪に、黒一色の単調なドレス、金と銀色のブレスレットを両腕に添える女だった。面影にグリスを強く思わせるその風貌。躊躇することなくグリスの傍らに歩みを止めた女は、グリスに目線を向けた後にヴェレンスへと向き合う。

「貴方が中央管理軍総帥、イーレ=ヴェレンス大将ですね。私はセレス=シルヴォリアと申します。グリスから今回の件について助力を頂けると聞いていますわ」

「その通りだ、後見人殿」

 セレスの言葉に頷くヴェレンス。セレスは目線をグリスへと移していた。

「会合はもう進んでいて?」

「……いや、まだ面子が揃っていなくてね。まだだよ、母上」

「あら、そうなの」

 意外と思ってもいないだろうに、とぼけた態度を取るセレスにヴェレンスは目を細める。

「……こちらも待たせていた身としてなんだが、事は急を要するのだろう。先に会合を始め、後から伝えるのではまずいのか」

 そう言い放つグリスに、ヴェレンスの傍らに居た女が意を挟んでいた。

「今回の作戦では後に合流する二人が要の責務を負います。既にアノン中尉は二十分ほど前に首都へ到着し、ここへ向かっている事を確認しておりますので、もうしばしお待ち頂ければ幸いかと……それにですね」

 女は左手の人差し指を口に当て、目線を上に向けながら話しを続ける。

「町中で空間を掌握してぽんぽん飛び回ったり、あのウィル少佐が屋根だ壁だと蹴り上がっていたら、皆様にご迷惑でしょうから、気を使っているのでしょう」

 女は言って、一人静かに笑い出す。グリスはそれを見て黙さざるを得なかった。中央管理軍は変わり者ばかりなのだろうか。言葉を発しないグリスを横目に、セレスは口を開いていた。

「そちらの方は?ヴェレンス大将」

「プリシラ中将だ。私の側近、と言ったところかな」

「……側近ね」

 一瞥し、含みを持たせるセレスに、ヴェレンスは視線を向ける。一言、二言重ねる度に場の空気が凍り付いていくのをグリスは感じ取っていた。おそらく、おそらくだが、母とヴェレンスは相性が悪い。あまり長い時間同席させるのは不味いだろうか、とグリスが懸念し始めたその時だった。謁見を告げる鐘の音が鳴り響き、ヴェレンス達をその反響が包み込む。城門に匹敵する堅固な扉がゆっくりと開かれ、謁見の間にウィルとアノンが歩み出ていた。二人は一礼するとそのままヴェレンスの元に近付き、敬礼と共に正対する。

「ウィル=ヴィンハレム少佐、及びアノン中尉、出頭致しました」

「ふむ。時間通りだな、楽に休め」

 ヴェレンスの言葉にウィルは頷くと、アノンを促し正対を崩していた。プリシラはウィルに近づくと胸元に手を当て、顔を控えめに覗き込む。時刻は一三二五だった。

「良い子ですねぇ」

 ずばり五分前行動、偉いですよぉと付け加えるプリシラを横目に、僅かにアノンが反応を示していた。それを一瞥し、ヴェレンスが溜め息を吐く。

「止めておけ、プリシラ」

「……あら、了解です」

 ヴェレンスの言葉にプリシラは従いウィルから離れると、ヴェレンスの隣へと移動する。ウィルは黙したまま、なんの反応も示さなかった。

「ウィルとアノンは初対面だったな、紹介しておこう。こちらがシーヴォリー王立国国王、グリス=シルヴォリアだ。陛下と呼んでやれ」

「……グリスで構わんよ」

 ヴェレンスの紹介に苦笑を浮かべ、グリスは首を左右に振っていた。

「そうか。まぁいい。グリスの隣はセレス=シルヴォリア、グリスの母上で、この国の後見人殿だ」

「この下り、要るのかしら」

 セレスの言葉に耳を貸さぬまま、ヴェレンスは言葉を続ける。

「私の隣に居るのがプリシラ中将だ。私やウィルとは昔馴染みだが、見た目に反して歳を食っている。敬語を使ってやれ」

「そんな言うほどではありませんよ。まだ百年足らずですので」

 にこやかに反応するプリシラだったが、声は全く笑っていなかった。

「事、戦闘に置いてはアノンに軍配が上がるだろうが、索敵能力で言えばプリシラを置いて他に優れた者を私は知らん。以下の状況説明はプリシラに任せる」

 ヴェレンスの言葉にプリシラは頷き、事前に用意していた軍議用の移動式ボードにシーヴォリー王立国近隣の地図を張り、準備に取り掛かっていた。プリシラの動向を目で追うグリスは何かに気付き、口を開く。

「さきほど、アノン……中尉だったか。首都に到着した事を確認したとプリシラ中将は言っていたが、謁見の間に入って以降、プリシラ中将が通信を行う仕草は見受けられなかったように記憶している。まさかと思うが、城下に配置された貴軍の連絡役がアノン中尉を確認した訳ではなく、プリシラ中将の索敵でアノン中尉を確認した、という事でいいのか」

「はい、その通りですよ」

「……それは素晴らしい」

 プリシラの返答に、グリスは感嘆の言葉を漏らしていた。セレスも努めて冷静を装っているが、驚きの色を隠せないでいた。通常、人造兵器の位置関係などは索敵専用に調整された人造兵器が自身の担当する区域を当番制で受け持ち、必要に従って本部へ連絡。本部はその情報を元に自軍の配置を適時確認する手段を講じている。

 一体の人造兵器が受け持てる範囲はせいぜい五キロから十キロ程度。首都シルヴォリアの面積は優に百キロを超す。その広大な面積からアノン一人の反応を確認、索敵するなど極めて困難と言えた。プリシラもまた、ヴェレンスが要する懐刀の一人なのだろう。中央管理軍の底知れぬ人材の層に、グリスはただ驚くばかりだった。

 当のプリシラはそんなグリスの様子を気に掛ける事もなく、淡々と状況説明の準備を終えていた。一度ヴェレンスへ目を向けた後、プリシラはボードを左手で示し言葉を続ける。

「それでは皆さん、ボードに貼り付けました地図をご覧下さい。この地図は現在我々が居るシーヴォリー王立国とその近隣の地図になります。地図に描かれた印は近年国内で起こった亀裂の発生を示し、その印は三十を数えます。更にこの印を〇で囲んでいるのが、実際に王立国境団が出向き、修復した亀裂を表しています」

 そう言い放つプリシラに、ウィルとアノンは怪訝な表情を向け、グリスとセレスは眉間に皺を寄せていた。

「皆さん察しがお早いようで助かります。印が三十に対し、〇で囲んだ箇所はたったの四箇所。つまり王立国境団が対処した亀裂は極少数で、それ以外の亀裂は王立国境団が探知し、現場に赴いた時点で消失していた事になります。異論はありませんか、グリス陛下」

「……ない。事実だ。我が王立国境団が要する人造兵器達では、これだけの亀裂に対処出来る人員を確保出来ていなかった」

 俯くグリスにプリシラは目を細め、更に言葉を続ける。

「この亀裂の発生は駐在官であるステイル中佐を通し、巧妙に情報は操作され、中央管理軍の本部には伝わらず、事態は悪化の一途を辿った。結果として国を憂い、救援を求めていたグリス陛下は業を煮やし、いつまでも応答しないヴェレンス大将を呼び出すために強行手段を取る構図が描かれる事になりました。この場に同席しているウィル少佐とアノン中尉が王立国境団に拘束された一件ですね。重ねてお聞きしますが、異論はありますか、グリス陛下」

「……ない。続けてくれ」

「ステイル中佐も苦肉の策だったのでしょうね……狙いは未だ不明なままですが、本部に通達する事なく時間稼ぎをしていたつもりが、逆に自身を追い込む結果となった。首謀者の一人であるレイバー士長とは距離を置く事になり連携は停滞。更には功を焦ったのか、首都近郊の町であるネイバーハッドの一件でモンド一派を失う事になった。ステイル中佐の指示で襲撃を行ったのか、モンド一派の独断行動だったのかは判然としていませんが」

 言ってプリシラは口元に指を宛がう。

「結論から言いますと、霊石の採掘を推し進めた事で亀裂の発生が急激に増加してしまったというグリス陛下の懸念は、的を外しています。そのような事例は現在まで確認されていませんし、地面を掘りまくったくらいで空間に亀裂が生じるほどの影響が出るとは考えにくいんですよねぇ」

「……それでは何か、別の原因があるというのか、プリシラ中将」

 グリスの言葉に、プリシラは頷いていた。

「考慮すべき点は二つ。一つは、敵対勢力に空間の亀裂を利用して移動出来る技術が確立されている事。もう一つは、一度発生した亀裂は自然に修復し得ない事が挙げられます。以上の二点から、国内で起こった亀裂のほとんどは敵対勢力による何かしらの行動の軌跡であり、修復を行えた少数の亀裂はそれを隠すためのスケープゴートではないか、と予測が立てられる訳ですね」

 そこで、と一言付け加えるプリシラは、地図に記された印を指で辿る。

「王立国境団が対処した亀裂は何れも首都近くのものばかりなので除外するとして、残りは二十六箇所の印になります。これを仮に線で結ぼうとした場合、とある地層と重なり合う結果が見えてきます」

「……これは、ハイドアウト平原と……プラベ高原だな」

「ご明察です、グリス陛下。敵対勢力の狙いはおそらくハイドアウト平原、もしくはプラベ高原ごと異界へ落とし込むか、異界と繋げて拠点と化す算段と考えられます」

 そう言い放つプリシラの言葉に、グリスは息を呑んでいた。ハイドアウト平原は隣国フィッチマン帝国との境にあり、両国共に侵攻を目論むのであれば要所と言える。プラベ高原も僅かばかりの陸地が大陸に続いているだけで、四方を海に囲まれた天然の要塞だった。

「首都シルヴォリア及びフィッチマン帝国に対する牽制を行うのであれば、ハイドアウト平原を抑えれば両国を分断した上での各国撃破が可能になります。とは言え、両国の関係性上ハイドアウト平原に拠点を生み出したとしても地形的に袋小路ですし、両国からの挟み撃ちに合う危険性もありますが、厄介な事態になる事は否めませんね。その一方で、シーヴォリー王立国単体及び海峡を超えて他国へ攻め上がろうとした場合は、プラベ高原が要所と言えますね。おそらく敵対勢力の狙いはこのどちらか、もしくは両方か……」

「今の情報量では断定出来んな」

 ヴェレンスの言葉に、プリシラは頷く。

「よって以降の作戦を具申するとすれば、ハイドアウト平原及びプラベ高原に部隊を展開させて現地調査を行い、敵対勢力を各個撃破していくのが肝要かと思われます。ここ数日国内をある程度視察して来ましたが、亀裂の予兆から察するに……あまり猶予はないかと。状況説明は以上になります」

 プリシラの説明が終わり、謁見の間には沈黙が広がっていた。敵対勢力の動きはあまりにも効率的かつ致命的だった。どちらの要所を抑えられてもシーヴォリー王立国は窮地に立たされる。奇しくもグリスの国の憂いた強行策は、現状を打破出来る唯一の機会を生み出す事に成功していたのだ。

 黙して語らぬグリスをヴェレンスが促す。

「事は世界に波及するとは言え、起点は貴様の国だ、グリス。忌憚なき意見を期待する」

「……容易に言ってくれるな、ヴェレンス」

 グリスはそう言うと王座から立ち上がり、ヴェレンスへと歩み寄る。

「ハイドアウト平原は首都からもそう遠くない距離だ。我が国とフィッチマン帝国との間で休戦協定が結ばれているとは言え、我が軍の注目、配置は概ねフィッチマン帝国に向けられている。我が軍を動員するとすればハイドアウト平原を置いて他にないだろう。ただ……」

 グリスは言いかけて、表情を陰らせる。

「プラベ高原にも少数ながら町村が点在している。出来ればそちらにも我が軍の主力を向かわせたい。そうなれば我が国の軍事力は全て動員する事になり、国内の秩序に充てる人員が確保出来ない。これほどの頼み事を言える間柄ではないが、中央管理軍総帥イーレ=ヴェレンス大将。頼む。力を貸して頂けないだろうか」

 言ってグリスは膝を付き、ヴェレンスに頭を垂れていた。

「……グリス!」

 セレスがその動きを制しようとしたが、グリスは辞めなかった。一国の国王が、一軍の将に膝を付く。異例の光景だった。ヴェレンスは椅子から立ち上がり、グリスに手を差し伸べる。

「立て、グリス。王たる者が膝を付くものではない」

「国の一大事を思えば私の権威など無きに等しい。膝を付くべき時に躊躇う王ならば、王足り得ない。そのような王でなければ、国民も付いてきてはくれないだろう」

 グリスの言葉に、ヴェレンスは微笑を浮かべていた。

「その心意気だけで十分だよ」

「……ヴェレンス」

 グリスはヴェレンスの手を取ると、立ち上がりヴェレンスと向き合う。

「プラベ高原に関しては我が中央管理軍に任せてもらおう。プリシラ、お前に委ねる」

「御意に」

「ハイドアウト平原にはグリス、貴様の軍と私の軍の共同で戦線を張る。ウィル、アノン、お前達も同行しろ」

 ヴェレンスの言葉に、ウィルとアノンは黙したまま頷いていた。

「……礼を言わせてくれ、ヴェレンス」

 グリスは言いながら再び頭を下げる。ヴェレンスは首を小さく左右に振り制していた。

「元より我が中央管理軍は今回のような事態に対処するために存在している。その存在理由、如何なく発揮させてもらおう」

「あぁ、頼りにさせてもらう、ヴェレンス」

「そう恐縮する必要はない。頼りにするのはお互い様でな」

 言って言葉を切るヴェレンスに、セレスが答えていた。

「フィッチマン帝国への抑制はどうするか、ですね」

「そうだ。如何に休戦協定を結んでいようと、国境に軍を動かせばどうなるかは容易に想像が出来る。これは極めて政治的な働きが必要になる」

「……国境に軍を配置はしても、これは戦争目的でも挑発行為でもない。世界の中立である中央管理軍を随行しているとは言え、はいそうですかと納得する国は少ないわね」

 セレスは視線を落とし、腕を静かに組む。

「我が国から使者を急ぎ送らせよう。今かの国と揉めている場合ではないのでな」

 グリスの言葉に、セレスはグリスと向き合う。

「適任者に心当たりは?」

「……私は戦場にいく。母上にはこの国に残り執政を任せたい。となれば国務大臣から選出するのが策と思うのだが、どうだろうか」

「無難ね。でも効果は薄いでしょう」

「では誰が良いと言うのですか、母上」

「決まっているじゃない、私よ」

「――なっ」

 自身の母を見返すグリスだったが、セレスの決意に満ちた視線に息を飲む。

「かの国と休戦協定を結んだ立役者をもう忘れたの?先代が命を懸けて領土を取りに行っている間、執政をしていたのは私よ。戦うだけが戦争ではない。貴方は私に似て搦め手が得意だろうけど、私から言わせればまだまだね」

「……しかし、母上、その間の執政はどうするのですか」

「それこそ国務大臣達だけで十分よ。数日の内にケリを付けてくれるのでしょう、ヴェレンス大将」

 セレスの不意の問いに、ヴェレンスは不敵な笑みを浮かべる。

「それは買い被りだな、セレス=シルヴォリア。始めてみなければ分からない事もある」

「確かに。でも努力は出来る。私には貴方達のような武勇もなければ経験もない。出来るのは時間稼ぎだけ。その作り出した時間を、有効に使ってもらいたいものね」

 言ってほほ笑むセレスは、意外なほど無邪気な笑みだった。

「悪い癖ね。こと有事に関わっている時だけ、頭が冴えてくるものなんて」

「……母上」

「貴方は戦場で皆を支えてあげなさい。私や、ここに居る者達、それぞれに役割があるものよ」

 セレスのその言葉は、後見人として王への助言というより、母が子に諭す口調だった。グリスはセレスを見やり、静かに頷く。

「分かりました。どうかお気を付けて」

「貴方もね」

 セレスとグリスは視線を交わし合い、そのままヴェレンスへと向けていた。

「ではフィッチマン帝国への対処はセレス=シルヴォリア、貴女に任せよう」

「……セレスで結構よ」

 ヴェレンスの言葉に、セレスは組んでいた腕を緩めていた。その様子に目を細めるヴェレンスだったが、視線を僅かに落として告げる。

「報告資料に目を通しているとは思うが、先の一見で目撃された板金鎧の男の話しだ。率直に聞こう。グリス、貴様の兄、アーノルド=シルヴォリアに相違ないか」

 問われ、グリスは一呼吸の後、重く口を開いていた。

「……おそらく。直に見た訳ではないからはっきりと断言出来ないが、資料にあった容姿に大柄の体躯。赤の板金鎧に大型の両手剣、それらに我が国の紋章が刻まれている事を考えれば、兄である可能性は高い」

「戦場で相見えた場合、状況にも寄るが……」

「判っている」

「いいんだな、グリス」

「……出来れば兄には戻ってきてほしいと願っているよ。正気を失っているか、洗脳されているか、報告資料を読むだけでは判断出来なかった。だがな、国と兄を天秤にかけねばならないのであれば、私の取るべき道は一つしかないのだよ。私も戦場に出る。事と次第では私自身の手で……」

 言って口を噤み、グリスは視線を落とす。セレスは唇を噛んでいた。

「アーノルドが異界へ遠征すると言ったとき、私は止めることが出来なかった。勇猛果敢な先代……夫の影を見てしまったのか、一時の迷いだったのか、今も分からない。息子を遠くへ行かせてしまったのは私よ……覚悟が出来ているとは嘘でも言えないわ。初めての子ですもの」

 セレスは顔を背け、

「こんなこと言えた立場ではないけれど」

 うわ言のように呟く。

「……あの子を救ってあげて」

 例えそれが、どのような手段であろうとも。セレスはそこまで口にしようとして、押し殺していた。ヴェレンスはそれを見やり、目を閉じる。同じ母として、愚息を持つ身として通じるものがある。願わくば無事に帰ってきてほしい。誰も傷付けず、また誰からも傷付けられずに生きていてほしい。それが許される時代と、状況であれば、の話しだが。

「了解した。存分に対処させてもらう」

 括目し、踵を返したヴェレンスは謁見の間を後に歩み出す。ウィル、アノン、プリシラもそれに続いて動き出していた。ヴェレンスは振り向かぬまま言い放つ。

「ハイドアウト平原の袂で会おう、シーヴォリー王立国国王、グリス=シルヴォリア」

 その言葉に、返答はなかった。ただ確固たる王の意思だけが、ヴェレンスの背中に熱く注がれるのを肌で感じるばかりだった。

 扉は閉ざされ、場に残るのはグリスとセリス、王と後見人、母と息子の二人だけだった。王座に近付き力なく座り込むと、グリスは大きく息を吐いていた。

 冒険好きの兄だった。いつも自分より先を行き、危険を察知してくれる兄は行動的で、グリスの憧れだった。優しく、道徳的で、少し子供っぽさを残す兄を、グリスは好いていた。時に疎ましくも感じる兄だったが、頼れる存在でもあった。

 亀裂の被害が国内に及ぶに連れ、兄は益々行動的になり、自分は慎重を期するばかりだった。亀裂の調査に向かい、兄を含む一軍が戻らなかったあの日。引き留めるべきだったと後悔するばかりで、グリスには何も出来なかったのだ。兄を探し当てる事も、救う事も叶わず、国は病んでいった。

 中央管理軍からの報告資料に目を通した時、覚悟を決めた。決めたはずだった。自分の知っている兄は何処かへ消え、我が国に敵対する別人になってしまったのだと。だがいざ処断を定めた瞬間、もし兄を元に戻す手段があるのならばと迷ってしまった。

 今でもグリスは切に思う。兄が無事戻ってきてほしいと。それでももし叶わないのであれば、手を下すべきは自分なのだろう。引き留めずに後悔したあの日をもう一度繰り返す訳にはいかない。そこに迷えば、我が国どころか、世界が危ぶまれる事態へと発展する。

「……清濁併せて国を成し、人を制し、王であれ……か」

「あの人の言葉ね。酷なものよ、理想と現実は紙一重のようで凄く遠いものだから」

 グリスは顔を両手で覆い、王座に身を寄せ嗚咽を漏らしていた。

「辛いよ母さん……」

「……私もよ、グリス」

 堰を切ったように吐き出される言葉に、抱き合う母と子。この瞬間、王座に居たのは王ではなく、父を失い、兄をも失う事態に恐れを成した、一人の男。そして夫を失い、息子の一人を失うかもしれない一人の母だった。

 謁見の間に配された巨大なステンドグラスからは陽光が降り注ぎ、照らされた王座とそれに座する二人の姿は美しい彫刻品のようだった。ただ儚げで弱々しく、悲しみを纏うその姿は憂いを帯びていた。

 今だけはこの情動に身を任せたい。抗えぬ現実に打ち勝つ強さを得るまで。せめてこの場を歩み出すまで。グリスの嗚咽は小さく、セリスの胸の中に染み渡っていた。


 ヴェレンス一行はシルヴォリア城を後に、ハイドアウト平原へと続く東門に向かっていた。行き交う人々は疎らで、どこか余所余所しい雰囲気を漂わせている。あれほど活気に満ちていた首都シルヴォリアは、水を打った様に静まり返っていた。

 アノンは周囲に目を配りながら困惑の色を浮かべる。

「気のせいでしょうか、物々しいですね……」

 足早に通り過ぎて行く人々を気にも留めず、ヴェレンスはアノンに答える。

「国民は存外、敏感なものだ。王や国の変化にいち早く気付く。内乱や戦争の類は隠そうとしても隠しきれんからな」

「……戦争、ですか」

「そうだ。今から我々が対峙する状況は、未だかつてない勢力との戦争だ」

 そう言い放つヴェレンスに、アノンは息を呑んでいた。

 戦争――このたった二文字に込められた意味は単純だった。歴史上、国家や民族間での争いは枚挙にいとまがなく、繰り返し行われてきた畏怖べき行為。その発端のほとんどが二つの収穫を目指して行われる。

 すなわち領土を争うか、過去の遺恨を晴らすためか。

 異界の勢力がこのどちらを重視しているかは別として、シーヴォリー王立国が戦火を免れることはもはや不可能に近い状況だった。

「まぁ、この雰囲気を生み出している要因はそれだけじゃないとは思いますけどねぇ」

 言ってプリシラは口元に人差し指を当て、手近の家屋に掲げられたストラグル教団の紋章に視線を移していた。それを一瞥し、ヴェレンスが口を開く。

「ファゴットの聴取は失敗に終わったそうだな、プリシラ」

「ええ、大神官どころか、教団本部には構成員の一人も居ませんでした。国教と表しても差し支えないストラグル教団のトップが部下を率いて行方不明と来れば、国民の心の支えも消え失せ、国情が荒れる事に一役買っている事は疑いようもありません」

 まさに神隠しですよねと続け、プリシラは一人微笑む。ヴェレンスはその様子を横目に流すと眉間に皺を寄せ、大きく息を吐いていた。

「冗談に付き合ってやれる状況ではないぞ、プリシラ。貴様に課した任務はプラベ高原の制圧だ。東門ではなく、西門が最短ルートだろう」

「はい、心得ております。少しばかりお見送りを」

 それに、と言いながらプリシラはウィルへ視線を送り、微笑を浮かべる。

「閣下のご子息であられるウィル少佐ともお話しを出来ればと思っていたのですが……噂と違って物静かなんですね」

「しつけ中だ」

「そのようで」

 続くヴェレンスとプリシラのやり取りにこめかみを震わせるウィルだったが、件の一末で辛抱強さが身に付いたのだろう。黙して歩み続けていた。

 アノンはウィルの様子を気に掛けながらプリシラへと視線を向ける。

「……あの、プリシラ中将、宜しいでしょうか」

「はい、なんでしょう」

「今回の作戦の事で一つ懸念事項がありまして、その……プラベ高原の面積を考えますと、おそらくプリシラ中将お一人で索敵を賄えてしまうとは思うのですが、ハイドアウト平原に展開する部隊にも、プリシラ中将と同等の力を持ったお方は居らっしゃるのでしょうか」

「んんー、自画自賛という訳ではありませんが、居ないでしょうね」

「で、ですよね……そうなるとプラベ高原の面積には劣りますが、広大なハイドアウト平原の索敵に万全を期す場合、展開する部隊にそれなりの索敵要員を配置するといった、力量差を物量で補う形を取る。そう考えて差し支えないのでしょうか」

「はい。大筋はその通りに。ただ一つだけ問題点がありまして、こう言ってはあれなんですが、索敵に調整された人造兵器は戦闘に向いてないんですよねぇ」

「……と、申しますと」

「正確に言えば、中央管理軍が要する人造兵器は、すべからく戦闘に対応する基礎能力を持ち合わせてはいます。有象無象の輩であれば影響は微々たるものでしょうが、索敵とは繊細な作業でありまして、戦闘と索敵は両立し得ません。よって今回の戦が一方的な展開ならいざ知らず、混戦となった場合を想定しますと、索敵が正常に働き続けるかは大きな課題と言えるでしょうね」

 淡々と話し続けるプリシラに、アノンは青ざめた表情を向ける。その様子に気付いたプリシラはアノンに視線を送り、優しく笑みを浮かべる。

「大丈夫ですよ。索敵の一点に限って言えば私ほどではないにしろ、戦闘能力に最も長けた優秀な部下を閣下のお傍に配置させて頂きましたので」

「……そ、それは心強いです!」

「ええ、名前をアノン中尉と言いまして、期待のホープ!って感じですかねぇ」

 にこやかにそう言い放つプリシラに、アノンは絶句していた。戦闘経験ならばそれなりに積んできたつもりでは居たが、こと索敵に関しては補助程度にしか行った事がない。

 アノンは戸惑いながら、プリシラへと顔を向ける。

「失礼を承知で具申致します。無謀と言う他にありません。ご再考を」

「あら、不安ですか」

「……はい」

「貴方なら十分、その力を有していると私は思っていますよ。中央管理軍でも名高い二つ名、穿つ者と呼ばれるアノン中尉ならば、過不足はありません」

「で、ですが!」

 言って否定の言葉を述べようとしたアノンをヴェレンスが片手で制す。

「貴様の困惑は理解している。今回の戦に招集をかけた手勢の中で、プリシラに次ぐ索敵が可能な部下を挙げるとすれば、アノン中尉。貴様を置いて他に居ない」

 歩みを止めず、ヴェレンスは言葉だけを背に吐き続ける。

「ハイドアウト平原は広大だ。両軍共に的を絞りにくいというデメリットはあるが、奇襲を受けにくいというメリットもある。敵対勢力の配置を正確に暴けと言っている訳ではない。亀裂の予兆だけでいい。方角を示せ。後は私が片づける。貴様に降りかかる火の粉は愚息が抑えるだろう。なぁ、ウィル」

 不意の呼び掛けにウィルはヴェレンスへと目線だけ移し、意を決したように頷く。

「無論だ」

 その一言に、アノンの表情は多少の柔らかさを取り戻す。ヴェレンスはそれを一瞥し、目を細めていた。

「結構。他に懸念点はあるか、アノン中尉」

「……ありません。その、務めさせて頂きます」

「気負う必要はない。気楽にやれ。道は切り開いてやる」

「は、はい」

 気迫の籠るヴェレンスの言葉に、アノンは恐縮するばかりだった。

 自身にこれほどの大任が務まるかどうか、正直アノンには判らなかった。判らないが、やるしかない。確かな事は、それだけだった。

 程なくして一行は東門に近い大通りへと差し掛かり、プリシラは足を止める。

「東門に待機させております部隊に、閣下から依頼された物を預けて置きました。ウィル少佐とアノン中尉にも配給品がありますので、忘れずに受け取って下さいね」

「……えっと、配給品、ですか」

「ええ。説明書付きなので、戦地に赴く前に一読する事」

「了解です」

 言ってアノンは頷き、ウィルは険しい表情をプリシラに向けていた。

「まさか、あれじゃねぇだろうな」

「ちょ、ちょっとウィル少佐」

「あらあら、調子が戻ってきたみたいですね。開けて見てのお楽しみですよ」

 焦るアノンと不機嫌なウィルを一瞥で制し、ヴェレンスはプリシラに向き合う。

「苦労をかけるな、プリシラ。後は頼んだぞ」

「御意に」

 ヴェレンスの言葉にプリシラは目を閉じ、恭しく頭を下げる。一行が遠く東門に向かうまでの間、プリシラはその背を見送り続けていた。

 プリシラが忠誠を誓ったイーレ=ヴェレンスという女は、紛れもなくこの世界では無敗の王者と言える。閣下が戦に敗れ、他の者に膝を付く事は決してないだろう。

 にも関わらず、プリシラの胸中は穏やかではなかった。幾多の策を弄し、怠りなく準備を行い、万全の態勢で臨むはずの今回の戦に、言葉では言い表すことの出来ない不安を感じていたからだった。異界とはすなわち、別の世界を意味する。その異界の勢力が、歴史上初めてこちら側に攻め入ろうとしているのだ。異界の勢力も万全の状態で乗り込んで来るだろう。

 異界側の無敗の王者が、ハイドアウト平原か、自身の担当するプラベ高原に出現する公算は高い。そしてもし、大将不在のプラベ高原にそれらが出現した場合、果たして勝算はどれだけあるのだろうか。逆もまた然りだった。

 後を頼むという言葉は、それらの意味を含めての事。プリシラはそう読み取っていた。

 今回の戦で敗れるのが自身の率いる軍ならばまだ希望はある。だが、イーレ=ヴェレンスの敗走は、こちら側の世界の敗北を意味する。プリシラに取ってそれは、受け入れ難い状況に他ならなかった。

 もし叶うのであれば閣下の傍に仕え、運命を共にしたかった。それが中央管理軍、中将としての役目であり、自身の望みでもあった。

 それでもプリシラは要らぬ杞憂を振り解き、踵を返して西門へと歩み始める。己に課された責務を完遂するために。

 時は星歴七百六年、春の季節に彩られ、新しい命が芽吹く穏やかな気候の中、シーヴォリー王立国は世界の存続が左右される一戦へと、確実に進み始めていた。後にこの年を民衆は、異界戦争の始まりと呼ぶようになる。

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