track:19 精神病質 [mine]


 犯人は、終わりの見えない橋の上に立っていた。

 丁寧に補修され、黙っていれば事故現場とは想像もつかないロケーションだ。

 風上ふうじょうみねは自分の判断が間違っていないことを確信した。

 初めは汽車のホームが浮かんだが、犯人の視点で考えると、長時間ひとりで待っていても怪しまれず、映像に残らない場所を選ぶだろう。

 青葉あおばがつけられた傷は、梯子ではなく線路だ。ヒントはすべて解読できた。

 少し先で、制服姿の男子生徒が、欄干に腕を載せて遠くの青を眺めている。

 近づくとこちらに顔を向けた。

 さほど背は高くなく、女心を擽る明るいニュアンスの面立ちをしている。

「あなたが犯人なのね」

「そうだよ」と彼は言った。

 爽やかな口調にそぐわない、虚ろで冷ややかな人物像。

「汽車を停めたのはめいじゃないわよ」

 犯人は続きを促すように唇を歪んだ笑みの形にしている。

 あの日、リサイタルの会場から自宅への帰路にささやかな事件が起きた。

 汽車の構造に興味があり、往路と同じく車内を見て回っている最中、詺とはぐれたタイミングで乗客の男に捕まり、口を塞がれたまま寝台エリアに引きずり込まれた。

 私情を挟まず誘拐未遂の顛末を告げる。

「見てたよ、その現場。ごめんね。助けなくて」

「上辺の謝罪は結構よ。異変に気づいた詺がわたしを取り戻そうとしたときに怪我をさせられて、側を通りかかった乗客が無断で通報したから大事おおごとになったのよ。わたしたちは助けを求めてない。両親にも話すつもりはなかった。外出した時点で多少の危険は諦めることにしているの」

 非常停止が延びたのは、逮捕を免れようと、男が連結した車両内を逃げ回ったからだ。

「なぜ加矢間かやま詺は君が攫われそうなのに大人を呼ばなかった? 子どもの力で敵うはずないってわかるよね?」

「あの男が刃物を持っていたとしたら、偶然関わった他人が殺されていたかも」

 犯人は茶色い髪を風にそよがせ、仮面のような表情で水面の煌めきを覗き込んだ。

「命って儚いよね。まさか自分が孤児になるとは思ってなかったよ。両親も妹も、こんな高いところから落ちて死ぬなんて……」

 線路上に長く足止めされたせいで、彼は予定していたピアノのレッスンに間に合わなくなり、家族に迎えを頼んだ。その結果、橋の中央付近でトラックと派手に衝突し、反動で車体ごと転落したと無感情な声で言う。

「あのあと施設に入れられて散々だったよ。コンクールに向けて準備してたピアノも辞めさせられた。……加矢間詺に死んでほしい理由? ぼくの人生を滅茶苦茶にしたくせに、何も失わずに音楽やってることが許せなかったからかな。正当な報復だよね」

 犯人の中では、詺が家族を皆殺しにしたというシナリオで話が進んでいる。

「彼女がライブに誘ってきた瞬間からこうなる運命だったんだよ、きっと。汽車でぼくと同じ服を着てるのに気がついたとき、名前だけでも聞き出しておけばよかった。あいつがグループのサイトにあの写真さえ載せなければこんなことにならなかったのに……。ぼくは仇敵を見つけられて嬉しかったけどね」

 こちらは迷惑を通り越して、この街からの猟奇追放を望みたい。

「確かに汽車が遅れなければ、あなたの家族は無事だったかもしれない。でも、本当に詺の責任だと思っているの? 事の発端を追求するなら、わたしを連れ去ろうとした男は無罪でいいのかしら。……ここで事故が起きたきっかけは?」

 ライブラリで調べた記事には詳細が書かれていなかった。

「それは相手のトラックが悪いんだよ。転倒したバイクを避けようとして対向車線に侵入したから」

 ドライバーは救出されたが以後の消息は知らないと、彼は瞳の端に錆びた針をちらつかせた。両親と妹を失う直接の原因となった人物にはあまり執着していないようだ。

 何もかもが矛盾している。復讐がしたいのなら、その運転手を諸悪の根源と見做すべきではないか。あるいは障害物となったバイクを。

「事故が詺のせいだと主張しているけど、トラックが交通ルールを遵守していれば、ご家族の車が橋の下に放り出されることはなかった」

 それは違う、と犯人は欄干に凭れて首を振った。

「あいつが悪いんだ。誰を恨むかは自由だよ。ぼくは加矢間詺を許さない。天罰の連続でのた打ち回るはずの人間がステージで歌ってるって何? 目障りで殺したくなるよ」

 詺の生き方に疑問を抱いているのなら、気が済むまで嫌ってくれて構わないと思った。犯人の言動からは、攻撃対象に歪曲した責任を押しつけ、それを理由に痛めつけて排除したいという独裁的な殺意しか感じ取れない。

「詺と話をした?」

「してないよ。『風上峰を線路に縛りつけて汽車に轢かせる』ってリモートで脅してみたら期待以上に動揺してくれて心の底から満たされたよ。面白いって大事だね。……まだ死んでないなら潰しに行こうかな。魔女みたいな指全部。鍵盤も嫌がってるし」

 言い終えた後、犯人は足元の小石を拾って飛行中の鳥に投げた。

「忘れてたけど、君にはあいつしかいなかったね。もっと孤独になりたい?」

 胸の奥で咲き誇るように凍える熱をいつまで制御できるかわからない。

「どうしたの? 怒ってるなら殴ってもいいよ。訴えるけどね」

 この世界が内側から朽ちていくのも時間の問題だ。

 自身の感情の醜さを疑わない狂人たちが、平和を望む草花に毒を飲ませている。

「ごめんなさい。罪人に触りたくないわ」

 訳もなく今、音と戯れるように手首を握る詺の、人間らしい甘みと脆さが甦って切ない。



                                track:19 end.

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