track:07 潜入報告 [mine]


 初めて訪れたアーブル音楽院にめいの気配を探した。

 風上ふうじょうみねは窓枠に凭れて入学案内のパンフレットを開く。

 先ほど嘘の申し出をして見学の許可を貰った。

 建物の見取図によると、学生用のロッカーは中央棟にあるらしい。1階から2学年ずつ上がっていき、7年だけが4階だ。

 この作戦で、出席停止中の『offオフ・ theザ・ lightsライツ』を頼ることは考えなかった。問題の元となった詺に関しては、覚醒する兆しが全くない。

 昨日の悪天候の後、二谷にたには無事に帰れただろうか。自分自身を壊れていくものとして扱う彼の態度が少し心配になった。接してみると見かけの印象ほど冷たくもなく、警戒心の強さと、人の手を借りたがらないところが詺に似ている。


 休憩時間になり、解放された音学生に紛れて中央棟2階へ向かった。

 生徒のほとんどが私服に近いスタイルなので上手く溶け込めている。

 3年のロッカーエリアを捜索していると、詺のネームプレートが目に留まった。

『3-co m.Kayama』。coはたぶんcompositionの略で作曲科という意味だ。

「全然嬉しくないけど予感が的中したわ」

 扉に何度も蹴られた痕跡があり、鍵が外されている。憎しみの集積場になっていたのは明らかだ。

 わかりやすい攻撃に呆れながらも、我慢強く遣り過ごすことで、怒りと痛みを遠ざけようとしていたのだろう。人間の裏側を把握している割に彼は、奴らの悪意を無感情に笑い飛ばすのが下手だった。音楽に選ばれ、集団から孤立する運命。先天的な受傷体質。

 けれどこれが自殺騒動の発端とは思えない。自分も詺も、この程度の嫌がらせは中等部までに全科目受講済みだ。それならば彼はなぜ死のうとしていたのか。

 周りの生徒がいなくなったのを確かめてロッカーの扉を開けた。

「……っ」

 何を見ても驚かないつもりだったが、悲鳴を上げかけた口を手の平で塞ぐ。

 下のスペースに折り重なる古びた白い花弁。

 よく見ると1枚ずつ、血のようなインクで酷い言葉が書き殴られている。

 上段に並ぶ無数の薬瓶。それぞれに奇抜な色の錠剤が詰め込まれ、その中にカッターの刃が潜んでいる。odとリストカット。どちらも不正解。

 眉を顰め、奥を覗こうと爪先を伸ばしたとき、瓶の上に置かれた紙片に気がついた。あまり触れないよう、そっと手に取ってみる。

 ポストカードサイズの厚紙に、本から切り抜いたらしい印刷の文字が貼られていた。

『おまえ の音楽 は白日の下で生きられない』。

 一部フォントが異なっているので、『おまえは白日の下で生きられない』という文をベースにして作ったのだろう。当然、差出人の名前はない。

 ひとりなのか、大勢でやったのかはわからないが、敗けを感じたからといって、相手に傷を負わせて優位に立とうとする心理を処罰したい。おそらく奴らは今も、詺の音楽と生死を執拗に意識しながら策略を練っている。

 どこで何をしていても油断できない。隙を見せると精神を切り刻まれる。この世界を無傷で生き抜くことは、自分が死ぬ日を予測するより難しい。


 ロッカーの中身を棄てようか迷ったが、不自然な行動は控えた方がよさそうだ。

 扉を閉め、通路の方へ顔を向けた刹那、不意の緊張に縫い留められて息を呑む。

 誰もいないはずの空間に男子生徒が立っていた。眼鏡しか記憶に残らなそうな風貌だが、殺意を込めた凶器のように小さなカメラを手にしている。

「わたしに何か……。それとも彼に?」

 動揺を隠し、詺のネームプレートを一瞥して問いかけると、男子生徒は口元をナイフの形にして行ってしまった。

 呼び止めたりせず、知りたいことは次に会う予定のヨエルに訊くべきだ。


 帰りがけに正門前で振り返ると、2階の窓からこちらを見下ろしている人物がいた。

 ロッカールームの男子生徒に間違いない。写真のようなものを掲げている。

 興味がないふりをしてサブウェーの駅へ急いだが、刻々と不安が募り、何度も背後を確認した。あの生徒が関わっているとしたら、詺の居場所を知られるとまずい。

 辿り着いたサナトリウムで事情を話し、詺の両親と自分以外は絶対に通さないでほしいと丁重に頼んだ。


 苦労して端に寄せた詺の身体をこちらに向ける。焦げ茶色の細い髪が横に流れ、疲れ切った寝顔を隠そうとする。

「もう歌わないの? ……生きるのが辛かったから?」

 何秒待っても詺は返事をしない。

 清潔なベッドを間借りし、ふわりと揺り返すカーテンの白を眺めながら考えた。

 人を蹴落とす作意。一切の呵責を持たない思考回路。そして、歪んだ自尊心を守るために振りかざす、仇敵不在の報復論。

 あいつらに配られた血まみれの教本には、気に入らない者を転落させる謀や、標的の人生を破壊する卑怯な魔法が1mmの余白もなく記されている。

「音楽の世界も大変そうね」

 競争の場に於て、揺るぎない素質を持つ者は常に敵なのだろう。けれど、やられた側は傷つくほどに、より美しく研ぎ澄まされた感情を音に注いでくる。そのことに気づいていない。

「あなたは音楽に綺麗な影を作りすぎた」

 詺の、硝子の鍵盤に触れるようなピアノと、いつまでも側にいてほしい歌声を思い出して、切ない風に指先を浸す。



                               track:07 end.

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