試し書き

武藤 笹尾

第1話

 1

 家族がいない人間を想像した事はあるだろうか。

 家族が初めからいない人間はどう成長していくのか、知っている人間はいるだろうか。

 少なくとも、俺の知る限りではいない。

 周りにいる誰もが当たり前に家族を持ち、その当たり前の幸せに気付く事なく時間を過ごしていく。

 時には反抗期なんて罰当たりな時期に陥ったりもして、全く論外な話だ。

 俺に家族はいない。最初からいなかったわけではない。だから俺も初めから家族がいない人間の気持ちは分からない。

 だが、俺は知っている。親の愛を、兄妹の愛を、親族の愛を。全てを知っていながらにして失った。

 そういう人間は、自分で生きていく能力を養いやすい。

 俺は家事も出来れば料理も出来る。家計管理も出来るし、バイトもして金も稼ぐ事が出来る。

 だが圧倒的に足りない。足りていない。足りるはずがない。いる筈の、いて当たり前だった存在が消えてしまったのだから。

 どれだけ服が早く畳めても、どれだけ美味い料理が作れても、どれだけ掃除がこなせても、足りることのない喪失感。

 愛。愛が足りない。俺に足りない物は決定的に愛なのだ。断定して愛なのだ。

 母の包み込むような愛情が、妹の慕ってくれる尊敬の眼差しが、父の前を歩き続ける手本となる信頼が、何もかもが足りない。

 なまじその愛の暖かさを知ってしまった俺だからこそ、大切に感じるのだ。

 そして枯渇する。俺の中の空っぽの杯が満たすのを心待ちにして、俺に促すのだ。

 愛を寄越せ。しなければ破滅するぞ。人肌が寂しい、なんてレベルの話ではない。

 抱きつきたい。抱きしめたい。俺の持つ全身で人間を感じ取りたい。なんなら男でも構わない。女の柔らかい皮を被ったスライムのような肉を抱きしめたい。男の引き締まった鉄のように硬い肉を抱き締めたい。

 そして感じたい、愛を。

 止め処なく溢れる愛を、感じたい。

 そう思うようになったのは三日前、愛恋しい俺が注いだ、寵愛を受けた最後の家族、犬のこまちが死んだ事が始まりなのだろう。



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 柱井弐祐はしらいにすけは学校のつまらない授業をBGMに、空を見ていた。

 天気は曇り、空の青い部分は根こそぎ灰色の雲に覆われて一雨降りそうだなと、弐祐は思った。

 弐祐の席は窓際の一番後ろの角。誰からの干渉も受けず、一人の時間を楽しめるその席が弐祐は気に入っていた。

 今日の授業は金曜日特有の英語中心のものであり、三時間分も英語の授業を受けさせられるので大の英語好きでなければついていけない過酷な曜日であった。

 故に弐祐だけでなく、ほとんどの生徒があの手この手でサボタージュしていた。

 ある者は机の下でスマホの画面に指を滑らせて、ある者は友達と手紙を丸めて投げ合って会話を、ある者は何も隠そうとはせず机に突っ伏して寝ていた。

 そうして六時間目の最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 先生は足早に教室を出て行き、生徒達は先生に悪びれもなく身体を伸ばしたり、大声での会話を再開した。

 六時間目が終われば後はホームルームをやって、部活のある者は青春を勤しみ、ない者は友達と仲を深めながら帰る。或いは勉強の為図書室に籠る生徒もいるかもしれない。その中で、弐祐はどれにも属さず、ただ一人で下駄箱へと向かった。彼に友達はいない。


 放課後に入ると学校内と外では違った喧騒が耳に入る。

 学校内では頭の悪そうな会話をする人間達の声や最近のミュージシャンや俳優の話題が飛び交って、帰途につかないで廊下で喋ったり教室で他人の席を拝借してのダベリが生まれていた。

 学校外ではスポーツに全力を注ぐ男女の腹からの叫びが至る所から発せられ、一時期は近くの住民から苦情が来た事もあった。

 その時は先生達の懸命の説得のかいもあり事態は収束したがまた住民の方では悪い噂が広がっているらしい。

 夏休みも終わり秋に入ろうとしているこの寒空の下で身体を動かすことが、どれほど彼らに快感を与えているのだろう。

 苦痛しかないその行為に彼らはどれほどの意味を見出しているのだろう。

 きっとこういう事を考えてしまうから、弐祐はスポーツが出来ないのだ。

 兎も角、そんな二つの世界の異なる声を遮断する為、弐祐は有線イヤホンを耳につける。それを先生に知られないようにする為イヤーマフラーを付けた。

 流す音楽はアーティスト“インセクション”の偽宝島である。

 曲を始める前にぽちゃんと水の音が入るのが彼らのバンドの特徴であり、その音が弐祐は好きだった。

 不思議な雰囲気を醸し出す彼らの曲にしては珍しく、アップテンポな陽中心の曲。その曲に心の中でリズムを刻みながら、弐祐は帰途につく。

 道中、身を寄せ合って笑い合う仲睦まじい生徒達と何度もすれ違うが、別段弐祐が羨ましいと思う事は無かった。

 彼に、彼ら・・のような友達がいないだけの話だ。

 上辺だけの関係、親密に周りには見せておきながら、実際のところ生涯の友となる人間は一握りしかいない。

 それを選別する為に態々多くの人間と関わり合おうと思わないのが、弐祐という男だった。

 弐祐が欲しいのは友情では無いのだから。


 下駄箱で靴を履き替える。ニ年の冬になった今でも慣れないローファーの爪先を地面にトントンッと当てて、靴ずれ防止。

 弐祐は校舎を出て空を見た。授業の時から変わらない曇天は今も尚、人間に雨が降るかもしれないという危機感を与えていた。

 弐祐は校舎から出て校門へと向かった。弐祐の通う氷川高校は体育館は隣接しているが、それ以外のグラウンド、サッカー場や野球場にプールなどの施設は全て校舎から校門までの間に作られている為、校舎から校門までの距離が異様に長い。

 氷川高校は初の海上に建設された最先端高校だ。数年前に起きたテロによって沈んでしまった横浜港に係留されていた氷川丸の残骸を利用し、作られた学校それこそ氷川高校である。

 高校が海上と土地的に少し多めに利用出来るのをいい事にスポーツに力を入れているのだから敷地が広いのは仕方ない事だが、帰宅部生徒からすれば度し難い体力消費であった。

 そして兎に角寒い。秋なのに真冬なのかと思うほどに寒いのだ。

 友達との会話があれば時間を忘れていつのまにか通過するのだろうが、一人の空間の弐祐は距離の長さを直に感じていた。

 雨が降りそうな天気で早く帰りたい気分では、更に気にするというものである。

 だから、足早に高校から出て最寄り駅であるJRの大桜町の大船行きに乗り、霜頭駅で降りる。更に歩いて家というルート。

 これからの体力の浪費を考えれば、無心で歩き続ける他になく、立ち止まっている暇は無いのだが、弐祐は足を止めざるを得なかった。

「今から帰りでしょ。私も連れていって」

 進行を妨害する黒髪の女生徒が弐祐の前には立っていた。

 短髪の綺麗な黒髪は肩にかかるかからない程度のミディアム。紺色のブレザーとちらりと顔を見せている白のセーターがいい味を出していた。黒のストッキングだけでひらひらとスカートが舞っているが、いつものことながら、弐祐はこの防寒で足は寒くないのかと思った。

 端正な顔立ちに服越しからでもわかる引き締まった身体。睨みつけるような黒眼は威圧的だが、寧ろこのSっ気が人気を博している女子。不躾な彼女の事を弐祐はよく知っていた。

「あっ! 野生の不気味な黒髪女が現れた!」

「ちょっと。美少女よ。美少を忘れてるわ」

「突っ込みどころそこかよ」

 フンスと鼻を鳴らし胸を張る彼女は黒劔舞猫くつるぎまいね

 彼女がどう思っているかは定かでは無いが、弐祐にとって彼女は腐れ縁の幼馴染であった。

 学校ではトップを争う人気をほこり、綺麗系が黒劔舞猫、可愛い系が網穴星華あみあなせいかと、見事に二つに分かれていることからも、彼女が魅力的な女性である事は間違いない事実であった。

 だが弐祐にとっては彼女はただの幼馴染であり、それ以上でもそれ以下でも無かった。

 特別な感情など、言わずもがなである。

「それで何の用だ、舞猫。俺は今から一人で帰る所だ」

「とか、言いながらきっかりイヤーマフラーとイヤホンまで外す貴方が私は好きよ」

 二人で校門へと歩き出す。

 弐祐は鼻で笑った。

「だってお前、付けっ放しだと変な事し始めるだろうが」

「へぇ。例えばどんなことよ」

「胸揉ませたり……スカート自分からめくったりとかか」

 舞猫は頬を染めて顔を逸らした。

「い、嫌よ。こんな公の場で、そんなこと……このエッチすけ!」

「誰がエッチすけだ! 本当の事だろうが!」

「そうよ。本当の事よ。でもね、考えても見なさい。年頃の娘は、胸を揉ませるのも唇を合わせるのも下着を見せるのさえ恥ずかしがるわ。どうしてだと思う?」

「そりゃ、恥ずかしいからだろ」

「違うわよ。恥ずかしいから、胸を揉ませないなんてそしたら私、他人の前で食事が出来なくなってしまうわ。口っていやらしいわよね」

 そう言って艶めかしく舞猫は唇を舌で舐めた。

 綺麗な唇は光に反射してキラキラ光って見えた。

「じゃあなんだってんだ……」

「決まってるわ。好きな人じゃないからよ」

 舞猫はまたしても弐祐の前に飛び出ると、右手を胸に左手を股に挟み込ませ、頬を紅潮させる。

「好きな人にならば、胸だろうが股間だろうが尻だろうが足だろうが唇だろうが、命でさえもくれてやれる。そう思うのが愛よ。今の時代はそれが枯渇している。その点私は恵まれてるわ。全てを捧げて委ねる事ができる相手が見つかっているのだからね」

 身を悶えさせる舞猫の動きは快感を思わせた。

 この本性を学校のファンに見せ付けてやりたいと心底思う弐祐だった。

 一人世界に浸る舞猫を残し、弐祐は脇をすり抜けていった。

「あら、つれない」

「付き合ってられるか。それにお前がどんなに俺の事を好きと言ったって俺に応えるつもりはない」

 舞猫はニヤニヤして言った。

「……それって姉さんの事かしら?」

 思わず弐祐は足を止める。

「お前なぁ……その事慈尾奈さんに言ってないだろうな」

 さぁどうでしょうねぇと揶揄う様に舞猫は言った。

 弐祐は柔らかい笑みを見せながら、この野郎と摑みかかった。

 だが舞猫の軽やかな動きに翻弄され、一足先に舞猫は先へと走っていく。

 彼女は容姿端麗なだけでなく、勉学もスポーツも万能である。走って追い付けないと判断し、その後ろ姿を見るだけに留めた。そのまま走り去ってくれたら嬉しいとまで思った。

 とはいえ、友人が一人もいない弐祐にとってここまで心の壁を破壊してくる舞猫は、何だかんだ悪態をつきながらも良い友達として機能していた。

 意識的には幼馴染なのだが、関係は友達以上恋人未満。

 弐祐と舞猫は奇妙な関係だった。

 すると、追いかけて来ない事に気付いた舞猫が少し遠くでこちらを向いて頬を膨らませているのが見えた。

 さすがに気付かずに去るまで鈍感ではないらしい。

 仕方ないか、と歩き始めたその時足が止まった。

 ふと、頭部に感じる鋭い違和感。

 まるで頭蓋に生えた一本の角にアンテナの効果でもあるように、頭部の右斜め後方に痛みが発生していた。

 痛みはどんどん強くなる。

 強く押し込むような痛みが、ズキズキと。

「弐祐!」

 意識を覚醒させる大声が辺りに響いた。

 その時、弐祐も自身がどう動くべきかを瞬時に理解して、少しだけ身体を仰け反った。

 理由はない。反射だった。

 すると物凄いスピードで視界に白い線が走った。

 その線の行き先に視線を伸ばせば、野球ボールが跳ねていた。

 どうやらホームランのボールが飛んで来たらしい。

 直後、真横の野球場から部員と思われる泥だらけのユニフォームを着た男子が駆け上ってきた。

 校門から校舎までの道は、他の施設に比べてせり上がっていた。

 本来、野球場には緑のネットが天井も塞いでボールは外に飛び出さないようになっているのだが、部員の話によると偶々空いていた穴から飛び出してしまったらしかった。

 何度もお辞儀をする部員に手を少しだけ振って、弐祐は止めていた足を動かして呆然と立つ舞猫の元へと行った。

 舞猫にしては珍しく、人を舐めたような細い目は大きく開いて、口はポカンと空いていた。少し滑稽な表情だった。

「ふん、どうしたんだよ。珍しいじゃないか。そんなアホみたいな──」

「貴方……今、どうやって、完全なる死角だったのに」

「え、いや……」

 弐祐は真剣に問われてふと自身でも考えた。

 第六感。あの時は必死過ぎて、勝手に身体が動いていたがあの現象は第六感と言ってしかるべきだろう。

 特段運動神経が良いわけではないが、最近はこの直感が凄まじく働いている。

「……あれ」

 弐祐は強烈な頭痛に顔を手のひらで覆う。

 そう、あの直感は最近ずっとあった。道脇のドブの中に百円が沈んでいることも見抜いたし、交差点の死角から自転車が飛び出してくる事も見抜いた。

 いずれも視覚で確認する事が出来ない情報の筈だが、弐祐はなぜかドブに手を突っ込み百円を手にし、交差点では足を止め目の前を自転車が通り過ぎていった。

 当たり前のように流した一瞬の時だったから本人も気づくことは無かったが、言われてみればおかしい。

 直感とはいえ、あまりにも都合が良すぎるのだ。ボールはまだいい。自転車もまだいい。だがドブに手を突っ込むのは正気ではない。例え百円が落ちているのが見えたとしても、手を直接入れるのは憚られる場所なのに、気になって思わず手を入れてしまった。

 その瞬間はラッキーと考え、家に帰ってから念入りに手を洗う程度の認識でいた。

 だが、見えないものに反応するなど、人間としておかしい。特に金が落ちていると気付くなんてなんの器官を使っても不可能だ。

 そう考えると、最近の自身がおかしく感じられた。

 突然どうしてしまったのだろう。このところの自分はまるでスーパーマンのように感覚が鋭敏化している。

 それでもそんな肉体強化に対して、弐祐は全く心当たりが無かった。

「弐祐……?」

「あ、あぁ……悪い。帰るぞ」

 弐祐は驚く程冷たい声で返事をした。

 いつもはマウントを取ってくる舞猫も、雰囲気が違うことを察したのか、少したじろんで、返す。

「うん」

 隣に並んで、帰途につく。それ以降彼らが言葉を交わす事は無かった。

 頭が冷えるように痛くなるにつれ、胸が熱く火照っていくと苦しくなって、弐祐は思わず胸の前で拳を握り締めていた。


 ---


 世界には秘密裏に行われる研究機関が数多くある。その多くが非人道的な実験を行っている表沙汰には決して出来ない最重要研究だった。人体実験、ホムンクルス、超能力の発動、大量虐殺兵器のシミュレーション施設、高性能AIのロボット実験。非常に様々な研究が地球上で行われる中、日本でもある研究が行われている研究機関が存在する。

 日本のどことも知れぬ山の中腹に、誰にも見つけられないよう岩に偽装した隠し扉以外出入り口を一切塞いだ研究所。それは日本政府の要請ではないただの一個人が動いて作られたプロジェクトであった。

 少人数で完璧完全に統制された情報操作は、外部に秘密を漏らす事は一切なく、尚且つ研究員達も外には出ない為、情報が出回る事は絶対にないと言っても過言では無かった。

 その研究所を今、一人の侵入者が破壊して回っていた。


「おい、ダンナぁ! 所構わず壊したがよぉ、全然見つからねぇじゃねぇかどうなってんだ!」

 肌を褐色に焼いた二メートルを超える大男が誰もいない通路で一人叫んでいた。

 年は三十代くらいの人相だが筋肉質な身体付きから見ても実際よりも若く見えているのかもしれない。タンクトップに短パンと研究所には全く似つかわしくない格好は彼が、部外者である事を示していた。

 つるりと光る禿頭、スキンヘッドには斜め一直線に切れ込みのような大きな古傷が残っている。

 身体の所々にも傷が見られ、戦士という言葉がよく似合う彼の名はダウントと言った。

 赤色回転灯が至る所で光って回り、サイレンが鳴り響く。ダウントの破壊行動により所々を走るパイプ官から蒸気が噴き出していた。

「……? おいおい、ダンナ……返事してくれよ。なんで何も言ってくれないんだ?」

 声を聞き漏らしているのかもしれないと耳に引っ掛けた通信機を抑えながら、心配気味にダウントは訊いた。

 だが返事はない。

「ま……まさか、まさかダンナ。俺を置いて……いや、まさか、し、死ん……!」

 故障かと何度も通信機をポンポン叩くが、機械の不調ではないらしく、うんともすんとも言わない。

 ギラギラと突き刺す様なダウントの赤い目にはみるみる涙が溜まっていき、そして決壊した。

「死んじまったのカァァァァッッ!!? 嫌だっ、ダンナァァァァッッ!!? 嘘だと言ってクレェェェッッ!!」

 悲痛な叫びが研究所の狭い廊下で反響する。

 だがどれだけ泣き叫んでも、“ダンナ”からの返事は来ない。

 ダウントの“ダンナ”との付き合いはさして長いものでは無かったが、ダウントにとってそれなりの情が生まれる程度には濃厚な出会いをしていた。

 ダウントは元々、高校すら卒業していないゴロツキだったが故にこそ人との出会いを大事にする性格だった。

 友達と呼べる人間もおらず、親戚もどこにいるか分からないダウントにとって“ダンナ”は大切な存在と呼べるだろう。

 その久しぶりに出来た大切な存在がもし死んでしまったのならば、復讐の為にあらゆる物を壊して回るかもしれない。

 危ない決意を固めたその時、耳の通信機に変化が生まれた。

『……ジジ……、随分……ジジ……喧しいな』

 通信機から聞こえた声はまさしく“ダンナ”の声であった。

 ダウントは通信機の電源を入れ忘れていたことを思い出した。

「よ、良かったぜぇ。ダンナが死んでたら俺はよォ……」

『……ジジ、冷静になれ。考えれば……かることだ。それは兎も角……ジジ……そちらにターゲットは……ジジ……いない。私が…………回収する……』

 回線の調子が悪い。聞こえてくる声は所々割れており、聴覚には自信のあるダウントであっても漸く言葉を聞き取れるくらいだった。

 時間をかけて言葉の意味を整理して、至った結論にダウントは首を傾げた。

「な……なに? どういうことだよ、じゃあ俺はどうすればいいんだ??」

『次の指示を……待て。ターゲットは今……ジジジ……私のすぐ……ジジ……側にある……………』

 プッという音を最後に“ダンナ”との連絡は途絶えてしまった。

 それが電源を切ったであろう事はダウントにも理解が出来たが、仕事がなくなってしまったダウントは次どうするべきかを考えた。

 頭を傾げてその場に立ち尽くすダウント。

 昔から、この手の自ら思考し行動するのが苦手なダウントにその要求は厳しい物だった。

 力仕事には自信を持っているし、考えずに同じ事を繰り返すのも得意だが、敵陣地で待てと言われて身を隠せるほど身体は小さくない。

 そもそも大暴れして施設を破壊しているのに、隠れる事の方が不穏当と言える。

 ならばすべき事はただ一択────。

「いたぞ! てぇっ!!」

 直後、乾いた音と共に身体中に鋭い痛みが走った。

 全身を駆け巡る激痛は痛覚が鈍ってしまった強靭な身体を持つダウントでさえも、一瞬たじろぐものだった。

 たじろぐどころの話ではない。

 弾丸。一発一発が生命を刈り取る程の強力な銃弾である。それが百発以上も身体中に突き刺さったのだ。

 身体は成すすべもなく銃弾にやりたい放題やられ、ダウントは踊る人形のようにぐねぐね動き、仰け反って倒れた。

 破裂音がやめば、再びサイレンの音が廊下を支配する。

 ダウントの超重量の体躯が地に沈む音で、漸く発砲した側の緊張感が少し和らいだ。

 廊下の奥の陰からぞろぞろと姿を見せる、全身黒塗りの戦闘服に包んだ集団。顔もガスマスクで覆われて識別は不可能。各々がアサルトライフルを所持しており、全ての銃口から白い煙が上がっていた。

 一番先頭にいたものが軽く手を挙げると、残りの五人がマガジンを手早く交換し、倒れるダウントに向けて銃口を向ける。しかし皆そこで動かない。歩いているのは最初に手を挙げたリーダーだけだった。

 ダウントに近付きながらマガジンを交換し、ゆっくりとゆっくりと近付いていく。

 銃口を決して離さず、緊張感ある場で身体の軸が全くブレないのはプロの技と言えるだろう。

 サイレンの音と自身の呼吸だけがリーダーの脳内に響いて、マスク越しに見るダウントの姿が大きくなる。

 そうして穴だらけで全身から血を吹き出し、集合体恐怖症トライポフォビアでなくても身の毛がよだつ様なダウントの表情が見えた瞬間。

 彼の目が動いた。

「っ、バケモノ! ってぇ──」

「Great! 良いねぇ! この手の直接的な行動は分かりやすくて無駄がねぇ!」

 リーダーはダウントが生存している事を確認した直後引き金をすぐに引いた。

 だがそれよりも早く、ダウントの攻撃がリーダーの右肩を貫いた。

「ぬぁぁっ!?」

 黒い触手の様に変化した人差し指。

 所々血管の様な線が浮き出て、先端は貫くことに特化しているのか、爪が鋭い槍の如く尖り変化していた。

 細さは人差し指のそれではあるものの、驚くべきパワーで右肩を貫いたリーダーを持ち上げて振り回す。

 それをおもちゃで遊ぶ子供の様な無邪気な笑みをしたダウントが高らかに叫んだ。

「今俺がやるべきは邪魔者の排除! そうだろうダンナぁ!!」

「リーダーを助けるんだ! ってぇ!」

 突然の事態についていけないのはまだまだ未熟の証か、他の隊員達はリーダーがやられる様を呆然と見ていたがすぐさま引き金を引いて、諸悪たるダウントを攻撃した。

 だがダウントは山に作られた広大な研究所を一人で破壊して回れるほどの強者なのだ。

 それを察知出来ない、もとい予想出来ない筈はない。

 発砲される直前に触手を縮めて、リーダーを自身の前方に構え盾として扱った。

 乾いた音と共に百を超える弾丸が発射され、凶弾はダウントに当たる事はなく、その全てがリーダーへと吸収されていく。

「ぁあ! バカな」

 隊員達は苦悶の声を漏らすがもう遅い。

 蜂の巣となったリーダーにはもう生命の息は感じ取れず、触手で刺された後ももがいていた身体も重力に従ってぐったりしている。

「スンスン。……ぅん? Bad smell。お前ら、メス臭ぇなぁ?」

 ダウントはその裏で泥の様な汚い笑みを浮かべていた。

 彼の中に敗北の文字はない。本来、普通の人間であれば五つの銃器が火を噴くだけでも即死レベルの場面のはずだが、ダウントにはそれが当てはまらない。

 盾となったリーダーの裏でダウントの身体の銃により開けられた穴からは血がプシュッと噴き出し、その後赤黒い塊が穴から飛び出す。

 隊員達がカランコロンと音を立てるそれが銃弾である事を理解するのに時間はいらなかった。

「くそ、研究が研究なら、敵も敵か……」

「トップリーダーとの連絡は取れないのか!」

「ダメです。トップリーダーは今、別任務中で連絡がとれません!」

「くそ……」

 ダウントは黒服が狼狽している間も傷を癒していた。銃弾を身体からひり出して、穴はみるみる塞がっていた。バケモノと呼んでしがるべき現象を音だけで感じ取った隊員達は、視覚的にも絶望する。

 リーダーを盾にする前は確かに穴だらけの満身創痍だった身体が今では穴一つなく、しかし無数の穴により服としての機能を果たさなくなったタンクトップが地面に落ちていく様は、先程までの光景が現実だった事を示していた。

 リーダーの陰からほくそ笑むダウントの態度は、隊員達の神経を逆撫でし自爆覚悟の特攻さえも頭に浮かび上がらせたがそんな無意味な事をしては、危険を顧みなかったリーダーに対しての侮辱行為だ。

 隊員達は歯をギリギリと鳴らしながら、廊下の奥へと撤退していく。

「逃すかよ!」

 ハンター。走って逃げる獲物に対して、低い姿勢から飛び出して狩る獅子のように、余裕の笑みで鈍重な身体を揺らしながらダウントも地を蹴り飛ばした。

 二メートルを越す巨体とはいえ、彼の身体は筋肉の塊のようなものであり、銃弾を撃ち込まれても再生出来る超人である。その速度はオリンピック選手と比べても遜色ないどころか、圧倒的なものだった。

 しかし、ダウントの視界に映った黒い何かに直感が疾走の停止を命じた。

 研究室の廊下の床を蹴り抜いて、無理矢理減速を図る。

 転がってくる黒い何か。それは隊員が逃げる間際に投げた手榴弾だった。

 咄嗟に未だ盾となっているリーダーを目の前に構え、炸裂し飛散する破片からの防御に徹した。直後、破裂音がダウントの鼓膜を打ち、爆破の衝撃で後ろへと跳ね飛ばす。

 足を頭の方に振り上げてから反動ですぐさま起き上がったダウント。

 だがダメ押しをするかのように、煙が前方から押し寄せて廊下全体を包む。

「が……、ゴホッゴホッ……。おいおい。俺の鼻を潰すなんてな、見た目負けしてねぇじゃねぇか」

 手榴弾を投げて来た時点で、あれがスタングレネードであったならまだ幾らでも対処は出来ただろう。一時的とはいえ、強烈な目眩に聴覚を潰すスタングレネードは足止めとしては有効だ。ダウントは持ち前の化け物じみた回復力で無効にしてしまう。

 だが、手榴弾による時間稼ぎに加えて、スモークグレネードの独特な硝煙による嗅覚潰しはダウントにとっての探索機能を潰したに等しい。

 ダウントは最早盾に使えるかも分からないボロボロになったリーダーを廊下の脇に捨てて、煙の中を闊歩する。

 その表情はいたって落ち着いた笑みであった。

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