リーゼロッテの魔法

松宮かさね

お嬢様と家庭教師の出会い

家庭教師とお嬢様

「すきよ、ルイス先生。せかいでいちばんすきなの」


 六歳の女の子は真剣だった。傍らに座る黒髪の青年を、青い瞳でひたむきに見つめていた。


「ありがとうございます、リーゼ。僕も世界一好きですよ。では国語の勉強をはじめましょう」


 涼しい顔でそう言うと、家庭教師の青年は教本をめくった。

 リーゼロッテはむくれながらテーブルの上の本を開いた。

 いつもこうだ。幼い女の子からの愛の告白なんて、大人の先生には真面目に受け取ってはもらえないのだ。


 でもあきらめない。きっといつか愛する先生と結婚するの。だって「夢を叶えるためにがんばりつづけるのは良いことだ」って教えてくれたのはルイス先生なんだもの。


 カレルの町の郊外に建つ、青い屋根に白い壁の壮麗な屋敷は、国内有数の富豪である大商人ウェザリー家の別邸だった。『月夜のさざなみ邸』という、なにやらたいそう優雅な別名で呼ばれている。


 二階にあるリーゼロッテの部屋は、明るい午後の陽光で満たされていた。大きな窓から入りこむ風が、ときおりレースのカーテンをささやかにゆらす。

 窓の外には手入れの行き届いた庭園が広がり、その向こうは農村地へとつづく小高い丘となっている。青々とした草地には、白い羊たちがのどかにちらばっている。


 静かな光の満ちる窓辺にほど近い場所に、側面に美しい透かし彫刻の施された赤褐色のマホガニーのテーブルが置かれている。羽を広げた小鳥の意匠の部分が、小さなお嬢様のお気に入りだった。いまは授業中なので勉強机として使われている。


 遠くから小鳥のさえずりの聞こえる室内には、ルイス先生が教本の文章を読みあげる声が響いていた。


「……ねこのレコは三人兄弟でした。お母さんは子どもたちにいいました。『暗くなる前に帰ってきなさいね。ばんごはんはニンジンのスープよ』。だけどもレコはこう思いました。『ニンジンはきらい。ばんごはんいらない。だからおそくまで遊ぶんだ』」


 音読を止め一息ついたルイスに、リーゼロッテはすかさず話しかけた。


「かぞくっていいとおもうの」


「え……」


 国語の勉強とはなにも関係ない話題だった。ふとした思いつきを、子どもは単に言わずにはいられなかったのだ。

 唐突なリーゼロッテの言葉はめずらしいものではないが、それを聞いたルイスはかすかに複雑な表情を浮かべた。


 まだ幼いリーゼロッテは、家族とともに暮らしてはいない。この屋敷にいるのは使用人だけだ。

 大好きな母親は昨年の末に亡くなってしまったし、もっと幼い頃に亡くした父親の顔は、もうおぼえてもいない。

 母親の違う兄や姉たちはリーゼロッテに良い感情を持っておらず、一緒に暮らすどころか親しいつきあいもない。


「かぞくがいるの、うらやましいな」


「寂しいですか?」


 ルイスが尋ねた。さりげなさを装ってはいるが、その黒い瞳には気づかわしげな色が隠せなかった。

 リーゼロッテは、すぐにはなんとも言えなくて、困ったように、んー……と小首をかしげた。


 たしかに愛してくれる家族がいないことは寂しい。だが、いまリーゼロッテの頭をいっぱいにしているのは、そんなことではなかったのだ。

 ちょっと迷ったあとで、思いきって言ってみた。


「あのね。わたし、ルイスのかぞくになりたい」


「それは……」


 甘えるようにねだってみたものの、ルイスの反応が怖くなって、リーゼロッテは瞳をふせた。うつむくのに従って、くせのない白金の髪がサラサラと流れて顔を隠す。


 勢いで言ってしまったが、女のほうからプロポーズをしても良いものなのだろうか? 物語の中でも、求婚をするのは決まって男からではないか。もしかして、はしたないと思われてしまっただろうか……?

 まだ幼いながらも、良家のご令嬢としての教育を受けてきたリーゼロッテにとって、はしたない言動や品のないふるまいは、ひどく恥ずかしいことに思われた。


 ルイスはどう思っただろう? なんだか胸がドキドキしてきた。

 かつて海近くの食堂で食べた、おいしい大きなエビが思い出された。そのエビはもともと薄茶色だが、熱を加えることで赤くなるらしい。

 きっといまの自分は、ゆでられたエビのように真っ赤だ。とても彼の顔をまともに見られない。


 対するルイスは顔色ひとつ変えず、冷静な口調で言った。


「つまり、僕の養子になりたいということですか?」


「ちがうのー」


 がっくりと体の力が抜けてしまった。恥ずかしいけど勇気を出して言ったのに。

 ルイスは微笑みを浮かべると、ゆっくりと子どもに語りかけた。


「冗談です。そういう話はまた今度にしましょう。いまは授業中ですからね」


 やっぱり相手にしてもらえないんだ、と、リーゼロッテは落胆した。子どもとはいえ愛の告白を断られるのは傷つくのだ。

 でも、たしかに授業中にすることではなかったかも。そんなの、あんまりロマンチックじゃないし、と、少しだけ反省もする。


 ルイスは、くだけた表情を教師のそれに戻すと、リーゼロッテに問いかけた。


「いま読んだ場面でなにか気になったところはありますか? お母さんの注意を聞いてレコはこう考えていますけど、どうでしょうか」


「ニンジンのスープがよくないの。わたしだって、かえりたくなくなるもの。ねこは、ミルクやおにくがすきなのよ」


 リーゼロッテは真面目に答えた。気分がさえないからと、授業をないがしろにするつもりはなかった。ルイスの自慢の生徒になりたくて、いつも真摯に勉強に取り組んでいた。

 子どもの答えを聞いて、青年はおかしそうに言葉を返した。


「現実的にはそうですね。ただこれは物語ですので猫の生態についてはあまり考えなくてもよいです。ついでに猫は夜行性なことも忘れてください」


 ルイスは手をのばすと、リーゼロッテの本の文字を指でなぞりながら言葉をつづけた。


「ここでレコは、晩ご飯はいらないから暗くなっても遊んでいいと思った。でもお母さんの気持ちとしてはどうでしょうね」


「はやくかえらないとだめ。よるは、子どもがおそとであそんじゃだめなの。あぶないのよ」


 ルイスはうなずいた。


「そうですね。お母さんはたぶん、危ないから暗くなる前に帰って欲しいと思っています。でも、『危ないから』とは言っていませんよね。普段から言い聞かせているから、いちいち毎回言わなくてもわかると思ったのかもしれません」


「わたし、わかったわ」


「レコがリーゼくらいお利口なら良かったですけどね。レコはお母さんの言葉を勘違いして、晩ごはんを食べないのなら、早く帰らなくてもいいと思ってしまいました。気持ちを言葉をにして相手にきちんと伝えることは、大切だけど難しいということですね」


 リーゼロッテはうなずくと、手元のノートに「きもちをことばにして、きちんとつたえる たいせつ むずかしい」と書きこんだ。

 ときどきインクで手を汚しながらも、授業の大事なところを自分なりに考えて、熱心に書きとめてゆく。


 たまに、子どもらしい突拍子もない発言で授業を中断させることはあるが、リーゼロッテは勉強が嫌いではなかった。ルイス先生と一緒にいられるし、たくさんのことを学んで、早く大人になりたかったからだ。


 リーゼロッテは、たぐいまれな幸運の元に生まれついた子どもと呼ばれていた。

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