リッスン TО ミー!
兎渼ミズキ
第1話 これって夢オチじゃないんですか?
俺の手で横向きに持たれたままのスマホがアラーム音を響かせる。
「……やっべ。またライブ中に寝落ちかよ」
布団の中でもぞもぞと動きながらアラームを消すと、昨日眠りにつく寸前までやっていたアイドルものの音ゲーアプリを起動する。そこには寝落ちしてしまったせいで最後までやることができなかった結果【ライブ失敗】の文字が――ああ、貴重なライフを無駄にしてしまった。って言っても寝てる間に全回復してるんだけど。
『おはよ。ちゃんと起きれたの?』
「おはようございます
ゲームのトップ画面に戻ると、俺の推しアイドルである丁嵐ふうかさんが朝の挨拶をしてくれた。
最近流行っている二次元のアイドルを育成しながらゲーム上でライブという名の音ゲーも楽しめるアプリで、俺はこのアプリがリリースされて以来丁嵐さんにぞっこんだ。
推しアイドルをトップ画面に設定し画面をタップすると、それに反応するようにアイドルがこちらに話しかけてくれる。最近の技術はすごい。会いに行けるアイドルどころか会いたい時に会えるアイドルだ。画面の向こうとかそういうことは関係ない。
「倫ー? 起きてるの? 早くしないと琴ちゃん迎えに来るわよ!」
「えっ!? もうそんな時間!?」
推しとの朝の交流時間に浸っているとリビングから母さんの声がして、俺は慌ててベッドから飛び起き久しぶりの制服に着替えると、急ぎ気味で朝ごはんを食べ始めた。
今卵焼きを喉につまらせそうになった挙句、甘いと思っていた卵焼きがしょっぱかったという衝撃も同時に味わう羽目になったそんな俺の名前は
今日から高校三年生になるただのオタクdKの俺は、特に目立たず、かといって地味過ぎず、ちょうどいい位置を保って学校生活を過ごしている。
歯磨きを済ませ寝ぐせを直していると家のチャイムが鳴った。
鞄を持ち玄関までダッシュするとドアの向こうには隣の家に住んでいる幼馴染、同じく今日から高校三年生になる
「おはよ。三年生になってもよろしくね、倫ちゃん」
「おはよう。えくぼが迎えに来てくれるのもラスト一年になるのかぁ」
「あはは。わからないよ。大学一緒かもしれないし」
「またまた~えくぼの頭にはさすがについてけないって。母さん、えくぼ来たから行ってくる!」
「あらあら琴ちゃん。新学期の朝からごめんね」
「いえ、いつものことですから。それに倫ちゃん迎えに行かない朝が続くと逆に変な感じしてたんで、今日が楽しみでした」
「あらあらあら~! 倫にはもったいない幼馴染ねほんっとに!」
「……えくぼ、行こ」
えくぼの言葉にテンションが上がっている母さんを無視して俺は見慣れた通学路を歩き出す。
横を見ると俺よりも随分と背が低いえくぼの姿。これもまた見慣れた光景だ。
「倫ちゃん眠そうだね。まだ春休み気分抜けてないんじゃない?」
「う~ん……そうかも。スマホ持ったまま眠りについてた」
「ゲームしながら寝落ち? 倫ちゃんらしい」
「ストーリー進めて新曲解禁したから、オールパーフェクトクリアするまで寝ないって決めてたんだけど……どっちも無理だった」
「あ、それならわたしも昨日解禁した!」
「マジ!? いい曲だったよな! 特に丁嵐さんのパートがさぁ――」
えくぼは昔からオタクな俺とずっと一緒にいたことと元々オタク気質だったのもあって、女なのに俺ととても趣味が合う。
俺は基本、二次元女キャラが大好きでいわゆる“男性向け”といわれるコンテンツにハマることが多いけど、えくぼも毎回俺と同じものにハマってくれるのだ。
女なのに珍しいと思ったけどえくぼ曰く純粋に楽しんでくれているみたいで、俺としてはこんな身近に好きなものが一緒で語り合える仲間がいるのは嬉しい。
逆にえくぼと何でも話せるせいか、他の深い関係になる友達は未だに一人もいなかったりする。
オタ友……とかいうのも憧れるけど、自分から頑張って作る気にはならない時点でそこまで欲してないんだろうな、とも思ったり。誰か向こうから歩み寄ってくれるとかなら万々歳だけど。
それでも特に、俺は今まで生きてきた十七年で一度も不満なんてものはない。
だって大好きな趣味があって、大好きな推しがいて、平凡だけど不自由ない家庭があって――こうやって高校生になっても迎えに来てくれる優しい幼馴染がいて。
これって、すっげぇ幸せなことじゃないか?
下手に夢を見ず、現状に感謝して満足し、幸せだと思うこと。
俺は今までずっとそうやって生きてきた。
そんな俺も、高校生というブランド価値を満喫できる最後の一年を迎えるのか……なんて思いながら歩いていると、いつの間にか学校に到着。
えくぼとクラス表を確認しようとすると、何やら例年よりも昇降口がざわついている。
「どうしたんだ? 何かすんごい変なクラスでもできたのか? 問題児ばっかり集めたクラスが離れた校舎に追いやられるとか」
「倫ちゃんはすぐアニメみたいな展開に持っていくんだから……でも確かにみんな騒いでるけどどうしたん「えぇ!? あの九重夏姫!?」――?」
えくぼの声を遮って、男子生徒達がギャーギャーと叫んでいる。
「九重夏姫って、ナンキンの!?」
「いやいやないって! だっていつうちに入学したんだよ!」
「でもこの名前で同姓同名ってあるか!?」
「待って俺B組なんだけど! 夏姫ちゃんと同じクラス! 死ぬ!」
いや死ぬなよ。
ところで……さっきから飛び交っている名前は? 軟禁の九重? え、そいつ大丈夫なの?
「ごめん。ちょっとクラス確認していいっすか~……」
俺は人だかりをかき分けて、やっとクラス表の前に辿り着いた。
「あ、倫ちゃんB組だ」
「え? 本当だ。えくぼは?」
「まだ確認してない」
「何で先に俺を確認してんだよ。あ……見て。めっちゃ見つけやすいとこに名前あんじゃん」
代わりにえくぼの名前を見つけてあげようとしたら、俺と隣に並ぶA組の欄に“窪江琴”の名前があった。別クラスだけど出席番号は同じなとこに腐れ縁を感じていると、自分の名前を見たえくぼは不満そうな顔をする。
「A組か……最後の最後で倫ちゃんと同じクラスになれなかったな」
「そういわれてみれば……えくぼとクラス離れるのって初めてか?」
思い返してみれば、小学生の頃からずーっとえくぼと同じクラスだった。
逆に今までがすごすぎるだけなんだけど、勝手にそれが当たり前のことのように思ってしまってて……
「俺、えくぼが同じ教室にいない生活が考えられないんだけど」
「それはわたしもだよ……しかもよりによって倫ちゃんは話題の“B組”だし……幸先悪いな」
話題のB組って――? あ、このざわつきの原因の人もB組だったっけ?
いや、今はそんなことよりえくぼがいないことの方が大問題だ。数少ない仲がいい男友達の名前も同じクラスには見当たらないし、このままじゃぼっちになってしまう。
「最悪。俺B組じゃなくてA組がよかった」
「!? ハァ!? 何言ってんだ! ならB組変われよ!」
「えっ!? す、すいません」
本心をポツリと漏らすと、えくぼとは逆隣にいた話したこともない男子に突然すごい剣幕でキレられて俺は何が悪いかもわからないまま名前も知らない同級生に謝っていた。怖い。
「お前はさ、幸運だよ、ラッキーボーイなんだよ……選ばれしものなんだよ……!」
「は、はぁ……」
キレているかと思ったら今度は泣きだした。怖い。
「だって夏姫さんと同じクラスなんだよ……お前名前何?」
「桜間倫太郎ですけど……」
「さくらま…さくらま……ハァア!? 出席番号夏姫さんの次じゃねーか! 桜間てめー前世でどんな徳積んだんだよ!」
「いや、あの、ちょっと聞いていい? ――夏姫って誰?」
「…………」
俺の質問に目が点になる名も知らぬ同級生。
そしてわなわなと震えだしたかと思うと俺の肩をガシッと掴み大きく揺らしてまた叫びだす。
「九重夏姫! あの大人気若手アイドルユニット、“ナンキン”のセンターだよぉぉぉぉ! 知らないとか正気か桜間ァア!」
「ぎゃああ! これ以上揺らすな! 吐く! 卵焼き出ちゃう!」
「倫ちゃん! 大丈夫!?」
新学期早々乗り物酔いかと思うほど揺らされていると、見かねたえくぼに助けられる。
揺らすだけ揺らした本人は「まぁ俺の担当は別の奴だけどな」と謎のアピールをして去って行った。
「……人気アイドルって、えくぼ知ってる?」
「聞いたことある名前だけど……顔は出てこないや」
九重夏姫――ピンとこなかったけど、確かにどこかで聞いたことがある名前な気もする。
「それよりもさ……軟禁アイドルってなんだろう」
しかもセンター。
俺は正直、それが一番気になっていた。
****
えくぼと一緒に帰る約束をし一人でB組の教室に入ると
「ヤバイ。めっちゃ緊張する。髪型直さなきゃ」
「まだ本物って決まってないだろぉ~」
「そんなこと言いながらお前だって鏡見すぎだぞ!」
完全に浮かれている男子と(浮かれてはいないけど静かに喜びを噛みしめている奴もチラホラ)
「何でアイドルがこんな平凡学校にくるのよ……聞いてませんけど……」
「同じクラスとか勝てるわけないじゃん……私らこれから一年エキストラだよ」
「どうせなら男アイドルがよかったよね。美少女いらね」
これから現れる自分じゃ到底勝てないであろうアイドルへの嫉妬や憎しみで明らかに気が沈んでいる女子という見事な天国と地獄に分かれていた。
例えるなら「転入生が来るぞー」ってなってみんなが一瞬期待してそれが女子だった時みたいな。
出席番号順の席に座ると、前の席はまだ空席。
ここにその軟禁アイドルが来るのかと思うと憂鬱だ。休み時間の度に人がわんさか集まって、俺の丁嵐さんタイムが邪魔されそう。
みんながそわそわとしている中、軟禁アイドルが来る前に始業式の時間になり教室を出る。
式の最中に軟禁アイドルが現れることもなく、教室に戻っても俺の前の席は空いたまま。
だんだんと男子のテンションは下がり、女子は上がっていく。
そのまま担任の先生がHRを始めると耐えられなくなったのか一人の男子生徒が手を挙げた。
あ、さっき気合入れて髪直してた奴だ。
「先生! 九重さんは今日来ないんですか?」
教室の空気が一瞬にしてピリつく。
ここは刑務所の取調室じゃないよな? 三年B組ですよね?
「ああ……いろいろ事情ある生徒だから、みんな気にしすぎないこと」
「ってことは、あのアイドル夏姫ちゃんってこと!?」
「はいはい、騒がない」
先生はさらりと質問をかわすと、ざわつく教室を無視したままHRを進めた。
生徒から問いただされるのがめんどくさいのか、必要なことだけ言うと「じゃ、今日からよろしくなー」とあっさりHRを終え教室から去って行く。
「そりゃそうよ。名前があるだけみたいなもんでしょ」
姿を現さなかった強敵に安心したのか女子達はそう言って笑い、姿を現さなかったアイドルに男子達は無言で落ち込んだ。本日二度目の天国と地獄~男女逆転Ver~。
俺は早くこの空間から逃げたくて足早に教室を出る。A組はまだHRが終わってないみたいだ。
校門でえくぼを待とうと思い先に下手箱で靴を履き替えようとする――と。
『放課後、16時に3-Bの教室にいてください。』
それだけが書かれた一通の手紙が、俺の下駄箱に入っていた。
「……何これ。てか十六時? 何時間待たせるつもりだよ!?」
今日は始業式とHRで終わる為、時計を見るとまだ十二時にもなっていない。
「倫ちゃんここにいたんだ。教室に迎え行っちゃった」
下駄箱で立ち尽くしている俺の元にえくぼがやって来る。
「ごめん、あんな三途の川みたいなとこ耐えられなくて先に出たんだ」
「……? よくわからないけど、大丈夫だった? 例のアイドルさんはいたの?」
「いや。今日は休みみたい」
「そっか。だから思ったより静かだったんだね。早く帰ろ! ウチでお昼食べてく?」
「…………えーっと」
「倫ちゃん? どうかした?」
「いや、何かこんな手紙が入ってて」
いつまで経っても靴を履き替えない俺を不思議そうに見るえくぼに、下駄箱に入っていた手紙を見せる。
「……何これ。名前も書いてないし、無視でよくない?」
「そう、か?」
「どう見ても悪戯でしょ? それに十六時って……ふざけてる」
受け取った張本人の俺より何故か手紙の内容に機嫌を悪くするえくぼ。
「ほら行こう。倫ちゃん」
しかしすぐにいつもの笑顔を見せ、俺の方を振り返る。
――確かに、悪戯かもしれない。
でも、もし違ったら?
十六時なんてふざけてるかもしれない。
でもここで帰ってしまっても、俺はこの手紙のことが気になってそわそわしてしまう気がする。
ついでにえくぼと一緒にここで帰ってしまったら、もう学校に引き返すことはできなさそうだ。全力で止められる。それかえくぼが一緒に着いて来てくれるか……いや、えくぼを巻き込むのは迷惑だろうし……
「ごめんえくぼ。先に帰ってて」
頭の中をぐるぐるしながら考えた結果、俺は一人で差出人もわからない送り主を待つことにした。
「……待つんだ? じゃあわたしも一緒に」
「いいって! 大丈夫! 充電器持ってきてるしゲームしてたらあっという間だって!」
「でも」
「ていうか俺ももう高三だよ? そんな心配してくれなくても大丈夫!」
なかなか引き下がらないえくぼの背中をぐいぐい押して無理やり歩かせそう言うと
「……優しすぎるんだよ、倫ちゃんは」
「え?」
「帰ったら連絡して。高三になろうが心配だから」
えくぼはため息をついた後、そう言ってスタスタと足早に帰って行った。
――えくぼ、俺の親より過保護だな。
見えなくなるまでえくぼの背中を見送って、私俺も教室に戻ることにする。
まだ残っている生徒は数名いたけど、時間が経つ内にどんどんみんな帰って行き、教室には俺一人だけになった。
鞄の中にいれていた菓子パンを食べながら、俺はイヤフォンをつけアプリを起動する。
『ハァ……昼ごはん食べた後ってすごく眠い……ねぇ、ちょっとだけ膝貸しなさいよ』
「こんにちは丁嵐さん! 眠いよな……ていうか、ひ、膝!? 何これ今までこんなボイスあったっけ……昨日レベル上がったから新ボイス解禁されたのかも……」
今朝と同じく声をかけてくれる丁嵐さんが聞いたことのないセリフを放ってきた。
「膝貸すってこういうことで合ってる?」
俺はあたふたしながらとりあえずスマホを膝の上に置き、画面にいる丁嵐さんをタップする。
『は? 私に構うなって言ってるでしょ』
「はい出ましたツンデレー! ていうかこれはただの矛盾ーー! ここへ来ていきなり一番初期のボイスー!」
タップして発せられるボイスはランダムだ。
ここで甘いセリフでも言ってくれればスマホを膝に置いただけで最高の幸福感が得られたのに、突然の突き放しに俺は落胆からかガンッ! と机に思い切りおでこをぶつけた。
いいんだ。俺は丁嵐さんのこういうところが好きなんだ。
よし、昨日できなかったオールパーフェクトをこの時間で達成するぞ!
俺はそれから無心でひたすら親指を駆使して音ゲーに集中した。
それは時間を忘れるほどの集中力で。
「できた~~! 全モードノーミスパーフェクトでフルコンボ!」
目的を達成した頃には、時計の針は十五時十分。
十六時まで、あと一時間を切っていた。
「あー、最後ライフ足りなくてちょっと課金しちゃったし……指痛ぇ。でもそれを遥かに超える達成感……」
伸びをしながら自販機で買ったパックのいちごみるくを飲んでリラックスする。
「でもあと五十分はあるのか。どうするかな」
それに果たして本当に来るんだろうか?
ここにきて、悪戯説が濃厚に思えてきた。
……いいや。十六時になって来なかったらその瞬間すぐに帰ろう。
机に伏せて左手をだらんと伸ばし、右手でスマホをいじりながら暇つぶしになるアプリを探す。
普段暇じゃなければ絶対見ないであろうニュースアプリをダウンロードし、俺は興味のないゴシップ等を流し見しているとだんだん眠くなってきた。
ああ、丁嵐さんも昼ご飯食べると眠くなるって言ってたもんなぁ。
丁嵐さん、俺に膝貸してくれない……かな……
周りの風景が、急にぼんやりとしてくる。
あれ、ここ教室じゃなくて……外?
俺の目の前には小学生の女の子がいて、俺はその子と会話している。
すると急にその女の子の背がグングンと伸びた。
急激な速度で成長していく元JⅭは、ピンクブラウンのロングヘアで大きな目、スタイル抜群で女らしい体系の超絶美少女へと姿を変えた。
ん? この人、テレビで見たことあるような――
ていうか何が起こってんだ!?
混乱している俺をよそに、美少女はどんどんこっちへ近づいてくる。
ま――眩しい! このキラキラ感は一体――!?
え、ちょ、ちょっと待って。これ以上近づくな、そんな、だ、だめっ。
「だめだってぇぇぇぇーー!」
鼻と鼻がくっつくくらいの距離まで来たところでガバッと起き上がる。
すると周りの景色は、ただの教室に戻っていた。
「へっ? ナニコレ? ゆ、夢?」
俺はどうやらあのまま寝てしまっていたらしい。
……よかった。ただの夢か。危うく丁嵐さん以外の女と触れ合いそうになるとこだった。
ほっと胸を撫で下ろし視線を下に向けると
「起きた? おはよう!」
「ぎぃやああああ!」
机からひょっこり顔を出した謎の人物が目の前に現れ急に声をかけてきて、俺は心臓が止まりそうなくらい驚き雄たけびを上げる。
「だ、誰!? ――あれ、夢に」
出てた人だ。
直前まで見た夢の中の人だ。
間違いない。この髪色。この目。そしてこのキラキラ感。
超絶美少女が、今俺の目の前でにこにこと笑っている。
「……転生? 異世界からきた感じ? どこかのギャルゲーの攻略キャラ?」
「えっ? ごめん。ちょっと私はわからない単語が」
「違うの?」
「よくわからないけど違うと思う!私はさっき来てここでずっと桜間くんの寝顔眺めてただけ!」
「…………俺の寝顔?」
何の為にそんなことを? しかも眺めてただけって……普通知らない人の寝顔眺めないと思うんだが。
こいつはヤバい奴だ。逃げよう。
もう十六時過ぎてるし、結局あれは悪戯だったんだろう。
「生憎寝顔見られる趣味なんてないんで、お先に失礼します」
立ち上がりそそくさと教室から出ようとすると、
「待って!」
美少女が通り過ぎようとする俺の腕を掴んだ。
「待たせちゃったこと、本当はすごーく怒ってたりしてる?」
「は?」
「そうだよね……ごめんね。でも抜けられない用事があって、それに人がいない時間を狙うとどうしてもこれくらいの時間しかなかったの」
「ちょっと、話がよくわからないんだけど」
「え! 手紙読んでくれたんじゃないの!?」
「――待って、もしかして」
「あれ書いたの私なの! ありがとう! 来てくれて嬉しい!」
驚き過ぎたのと状況が把握できないので声が出ない。
ただ目の前にいる美少女はそれは嬉しそうに俺に笑顔を向けている。
「……あの、どうして俺? てか俺のこと知って」
「桜間倫太郎くん、だよね!」
「あ、知ってるんだ……何で知ってんだよ!?」
二次元以外の美少女と知り合った覚えは全くない俺は人生初の三次元美少女から放課後の教室に呼び出され二人きり☆というギャルゲー的なこの展開に恐怖すら覚える。
「私のこと、わかるかな?」
「――み、見たことあるような気はするけど名前とかは存じあげておりません」
夢に出てきた記憶と、画面越しに見たことあるような記憶しかない。やっぱこの人二次元キャラが画面から出てきたパターンか?
「そっかー……あはは! そうだよね。うん。私もまだまだってことか」
残念そうに眉を下げる美少女。何がまだまだなのかは知らない。
「私の名前は
「……九重夏姫って……え!? 噂のなな、軟禁アイドルッ!?」
「な、なんきん?」
そうか! だから見たことがあった気したんだ! それも画面越しで!
名前だけ聞いた時は全然ピンとこなかったけど――そうか、この人が今日一日学校中をそわそわさせた張本人――って、あれ?
「そんな人がどうして俺を呼び出すんだ?」
「それは――私が桜間くんに伝えたいことがあって」
「俺に!?」
まさか告白――いやどれだけ自惚れてもそれだけはない。
じゃあ芸能界への勧誘? それともこういうアニメや漫画でよくある展開だと「今日からアタシの下僕よ!」とか言っていきなり天使のような顔が悪魔に変わる系?
俺が九重さんに呼び出される意味が全くわからず、ましてや俺の存在を知っていること自体が不思議でならないこの状況で――
「私――今日から桜間くんのTОになります!」
九重さんは、更に俺を混乱させる言葉を今日イチの笑顔で言い放ったのだ。
「……てぃーおー? って、いうのは」
「トップオタク! 略してTOだよ!」
それは知ってる。俺がオタクだからだ。
「待て。意味わかんねー。俺が九重さんのトップオタクになるっていうならわかるけど俺のオタクになるって? アイドルの君が? こんな一般人の俺の?」
「私、ずっと桜間くんのファンだった。でも今日からは日々桜間さんに没頭するオタクになる」
「いやだから意味わかんないんだって! 何がどうして俺のファンになんだよ!」
「今まで自分のオタクをたくさん見てきたけど、その子達と同じ感情を私は桜間くんに抱いてたの!」
「人の話聞いてる!?」
ひたすらに自分の気持ちだけを投げつけてくる九重さんの耳に俺の叫びは聞こえていないようで、そのまま桜間さんはずいっと俺に一歩近寄った。
「てなわけで、明日からよろしくね! 桜間くんっ! 今日という記念に、その……握手してもらえたりする?」
やっぱりどう考えても立場が逆でしょうよ。
そう思ったものの俺の頭は既にパンク寸前で、言われた通りにする以外に考える力が残っていなかった。
おずおずと手を差し伸べると九重さんの不安そうな顔がぱあっと一気に明るくなる。
照れくさそうに俺と握手をする九重さん――いや、だから何で?
「ありがとうっ! 私今日のこと忘れないよ! そ、それじゃっ!」
きゃーっと喜びながら、九重さんは走って教室から去って行った――
一人取り残された俺は、変わらず大混乱している中で一つだけ確信する。
九重夏姫は、ヤバい奴だ。
「っていっても! 芸能人だしそんな関わることないよな。何かのドッキリの可能性だってあるし……」
落ち着きたいのに心が落ち着かない。
こんな時こそ丁嵐さんに会いに行って現実逃避しようと思いスマホを手に取ると、さっきダウンロードしたばかりのニュースアプリから通知が届いていた。
『【速報】人気アイドル No.KING-DOMセンター 九重夏姫芸能界引退』
普段だと「ふーん」で終わる三次元アイドルの結婚や引退ニュース。
「い、引退ぃぃ!?」
今回ばかりは、俺も叫ばずにはいられない。
下手に夢を見ず、現状に感謝して満足し、幸せだと思うこと。
俺は今までずっとそうやって生きてきた――のに。
高校生活最後の一年、望んでもないのに何かが大きく変わる気がした。
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