第17話 善は急げ

 四時限目は帆乃佳ほのかと二人で授業を受ける。

 ちなみにめぐみんは、私達とは別の授業を選択しており、当然ながら室内に彼女の姿は見受けられなかった。


 階段状になった教室の、四段目の中央の席に私達は二人並んで陣取った。

 ここが一番黒板の見やすい位置であり、授業中に無駄話をする生徒が少なく、集中出来る位置でもあった。


鈴羽すずはって、今付き合ってる人いるの?」

「は? 何? 急に」


 なんの脈絡もなく発せられたその言葉に私は、動揺を通り越して困惑を覚えた。


「いや最近、周りでも付き合いだした子が多くなりだしたじゃない? それで、鈴羽はどうなのかなって」


 確かに、大学に入って付き合いだしたという友人・知人が、私の周りにもちらほら増えだした。ぞくに言う、大学生デビューというやつだろうか。……少し違うか。

 とにかく、高校では恋愛のれの字もなかった子までもが彼氏を作り、キャンパスライフを別の意味で謳歌おうかしていた。


「そういう帆乃佳はどうなのよ? 全然浮いた話聞かないけど」

「私? 私は野球が恋人っていうか……。ほら、野球に命けてますから」


 そう言って冗談めかしに笑う帆乃佳だったが、その言葉がマジな事を私はよく知っていた。


 ちなみに彼女の影響で、私も少し野球をるようになった。

 まだマニアックな事は分からないが、ルールと、地元チームの選手の名前と顔くらいはなんとなく分かる。実は帆乃佳に誘われて、球場にも何度か足を運んだ事がある。周囲の様子に圧倒されつつも、私自身熱狂をし、野球観戦はそれなりに楽しかった。


「レギュラーは? 取れそうなの?」

「うーん。今年は無理かな。人数少ないとはいえ、やっぱ先輩は上手だし、年期が違うっていうのかな。プレイ見てても、自分とはどこか違うってどうしても思っちゃうし……。って、そうじゃなくて、今は鈴羽の話。鈴羽はどうなのって話」


 ちぇ。上手うまく話の矛先をらせたと思ったのに、さすがに帆乃佳でもそう簡単には誤魔化されてくれないか。


「付き合ってる人? いないよ、そんなの。見てたら分かるでしょ?」


 付き合い出すと人は変わるという。何気ない仕草や言動に、そういうものが出てしまうのだろう。


「あの先輩は? ほら、なんとかって言う……」

香野こうの先輩の事? あの人とは別に、そういうんじゃ……」


 実際、付き合ってはいないし、少なくとも向こうにその気はない。なので、私とせんぱいはただの先輩後輩で、今のところ、それ以上でもそれ以下でもない。


「でも、よく二人で一緒にいるとこ見掛けるけど?」

「そりゃ、数年来の仲だもん。一緒にいる事くらい普通っていうか、自然じゃない?」

「そうかな?」

「そうだよ」


 未だ納得しきれない様子の帆乃佳を、勢いで言いくるめる。


 正直、この手の話題は掘り下げられたら負けだ。何に負けるかは自分でもよく分からないが、とにかく負けるのは良くない。何せ、その後の展開が非常に面倒だ。


「じゃあさ、大道寺だいどうじ先輩とはどうなの?」

「…………は?」


 思いも寄らぬ言葉に、私の思考が二秒程停止した。


「……どうって?」

「大道寺先輩、格好良くてスタイル良くて人当たりも良くて。お近づきになりたい生徒はそれこそ星の数ほどいるんだよ」

「いや、まぁ――」


 それは知っているけど。

 だからと言って、今の話の流れの中で出す名前では間違いなくないだろう。


「でも、中には結構いるみたいよ。ガチな人も」

「あー、そう……」


 趣味趣向は人それぞれ、否定をするつもりは当然ないが、私にはよく分からない世界だ。


「あ、でも、その大道寺先輩には仲のいい男子がいて、実はそこと付き合ってるんじゃないかって話も……」

「……それはないと思うよ」

「え? なんで?」

「いや、だって、二人でいるとこ見てもそんな感じ全然しないし……」


 まあ、私の前ではあえてそうしている可能性もなくはないが、だとしたら二人はとんだ食わせ物だ。


「てか、その口振りだと鈴羽、大道寺先輩の相手誰だが知ってるの?」

「いやぁ、どうかな……」


 別に教えてもいいのだが、なんとなく私の口から言うのは知り合いを売るようで憚られた。


「まぁ、言いたくないなら、別にいいんだけどさ」


私の心情を知ってか知らずか、帆乃佳はやけにあっさり引き下がった。


「で、結局、例の先輩さんとは具体的にどこまで行ってるの?」

「……」


 前言撤回。優先順位の問題だったか。


 さて、ここからどう話をはぐらかせよう。

 まぁ、帆乃佳の場合、めぐみんと違って策はいくつもあるし、難易度もさほど高くはないんだけど。その中でも一番簡単なのは――


「そういえば、今日本屋に行ったら、ちょっと気になる漫画まんが見掛けてさ」

「え? どんな?」

「女の子が主役の野球漫画」

「えー。どれだろう?」


 よし。狙い通り、帆乃佳の思考が上手い具合に逸れた。


 帆乃佳は漫画が好きで、特に自身がやっている事もあってか野球漫画に目がない。高校野球ものがその中でも好きらしいが、プロ野球に関する作品もそれなりには読んでいるらしい。


 そこからは帆乃佳による野球漫画談義が始まり、それは教室に教授が姿を現すまで止めどなく続いた。




「これからどうする?」


 野球漫画談義と先程までの授業内容により、それ以前に話していた事はすっかり頭のすみに追いやられたようで、授業が終わるなり帆乃佳がそう私に聞いてくる。


「うーん。そうだな? とりあえず、めぐみんと合流出来そうだったら合流しようか」


 言いながら私は、めぐみんにラインを送る。

 返信はすぐに来た。『エントランスで待つ』だそうだ。


 お互いが授業を受けていた教室の関係上、めぐみんの方がおそらく早く着く。その事を踏まえての『待つ』なのだろう。


「エントランス集合だって。行こっ」

「はーい」


 帆乃佳と連れ立って教室を後にする。


 三人共、木曜日は五時限目の授業はなく、帆乃佳に関して言えば部活もない。彼女の所属する我が大学の女子野球部は、木・日休みの週休二日制らしい。そして、練習がある平日は四時限目の終わったこの時間からちょうど練習が始まる。


「鈴羽も運動神経いいんだから、何か運動すればいいのに。野球とか、野球とか」

「いや、しないから」


 帆乃佳は、すきあらば私を野球部に勧誘しようとしてくる。


 私達の通う学部に体育はない。なので、私が運動をしている所を帆乃佳が実際に見た事はないはずなのだが、なぜか彼女は私に運動神経がいい運動神経がいいと言ってくるのだ。


 正直、私にその自覚はないので、面倒、というより毎回単純に困る。


「えー。絶対上手いのに、ショート」

「なぜショート……」


 いや、どこならいいとかそういう話ではないが、具体的にポジションを挙げられるとさすがに戸惑わざるを得ない。


「なんとなく?」


 本人もその理由は分からないらしく、帆乃佳が私の言葉に小首をかしげる。


 まぁ、帆乃佳の言う事は大半がたわごとなので、深く考えても仕方ないし考えるだけ無駄というものだ。


 エントランスには、この時間という事もあってあまり人はいなかった。

 そのため、めぐみんの姿を捜すのは比較的容易だった。


「お疲れー」


 声を掛け、一人で丸テーブルに着くめぐみんの元に近付く。


「お疲れ。あれ? 帆乃佳いたんだ」

「いるよ!」


 お約束のやり取りをこなし、私達はそのテーブルにめぐみんを頂点に正三角形を作るように腰を下ろした。


「これからどうする?」


 三人が顔をそろえたという事で、改めて私からそう話を切り出す。


「まだ日も高いし、何か食べいく?」


 頬杖ほおづえを突き、若干やる気なさげにめぐみんがそんな提案を私達にする。


「何系?」

「甘い系かなー」


 私の問い掛けに、めぐみんがノータイムで答える。


「どっか行きたいとこあるの?」


 今のレスポンスの速さは、多分そういう事なのだろう。


「ここからだとちょっと遠いんだけど、美味おいしいケーキショップがあるんだって。しかも、穴場の」

「穴場?」


 つまり、あまり人に知られていない、名所? みたいな?


「ちょっとってどのくらーい?」


 言いながら、テーブルにびよーんと伸びる帆乃佳。

 身長が高い彼女がそれをやると、行動と見た目がアンバランスで、少し面白可愛おもしろかわいい。


「徒歩だと三十分掛からないくらい? 電車使えばもっと早いかもだけど、結局駅からも結構歩くみたい」

「三十分か……」


 まぁ、許容範囲? かな?


「方向は? どの辺?」


 家から真逆だとちと辛い。


「鈴羽ン家の方だよ。家からそんなに遠くないみたい」


 めぐみんはウチに来た事もあるので、我が家の場所は知っている。


「私は別にいいけど……」


 答えながら私は、帆乃佳に視線を向ける。


 行き先がウチから近い私は行くのも帰るのもどちらも問題ないが、帆乃佳の家は私と違ってやや遠い。具体的に言うと、電車で五駅分といったところか。


「ん? 私? 私はいいよー。どうせひまだし」

「じゃあ、決まりね」


 言って、めぐみんが立ち上がる。


「善は急げってね。早くしないと、夕飯の時間になっちゃうし」

「だねー」


 続いて帆乃佳も立ち上がる。


「では、行きますか」


 そして最後に私もそれに続いた。

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