第15話 睡眠

 昼休みに入り、にわかに校舎内が活気かっきづく。

 二時限目の授業を終えた生徒達が、帰るために食事を取るために移動を開始する。


 とはいえ、二時限目の授業を元から取っていない私達には、それも無関係、とまでは言わないが、あまり関係がなかった。

 まぁ、関係があるとすれば、食事を取るために生徒がここに来て、このスペースが混雑するかもしれないという懸念けねんがあるくらいだ。


「ふわぁー」


 お腹がいっぱいになったせいか、私の目の前でせんぱいが大口を開けて欠伸あくびをする。


 ここまで油断した姿を見せられると、その口に指を二本重ねて入れたくなる。

 ……実際にはやらないけど。


「また夜更かしですか?」

「いや、まぁ、少しな」


 言いながら、せんぱいが自分の目元をこする。

 本格的に眠そうだ。


「寝てもいいですよ。起こしますから」

「……じゃあ、お言葉に甘えて」

「え?」


 自分で言い出した事とはいえ、まさかこんなに素直に従うとは思っておらず、少し面食らう。

 普通、もう少しやり取りっていうか、数回会話のキャッチボールがあってのこの展開、じゃないか。……別にいいけど。


「三十分したら、起こして……れ」


 言うが早いか、自分の腕をまくら代わりに、テーブルにうつ伏せてせんぱいが、完全に寝る態勢に入る。


「三十分、ね」


 スマホで現在の時刻を確認する。

 十二時二十一分。


 まぁ、五十分過ぎに起こせばいいか。その辺は、別に完璧じゃなくていいだろう。


「まったく。夜中に何やってるんだか」


 言って、私はせんぱいの鼻を軽くつつく。


「ん……」


 早くも睡眠モードに入ったのか、せんぱいの反応はわずかに身じろぐ程度で、決して目を開く事はなかった。


 さて、この三十分。私は何をしていよう。


 とりあえず、と、テーブルの下に置いてあったトートバックからノートパソコンを取り出す。

 たためばタブレットみたいになる、軽くて小さい優れものだ。


 パソコンを開き、画面の背後の突っ張りを立てる。そうして、画面上部の電源ボタンを押す。

 数秒の間の後、スリープモードにしてあったパソコンが立ち上がり、画面に海の画像が浮かび上がった。


 画像が海である事に、あまり意味はない。しいて言えば、もし人に見られても困らない、無難な画像だから、といったところだろうか。


 エンターを押し、パスワードを入れると、すぐに画面はデスクトップに移行する。

 多数あるテキストデータから一つの物を選び、それをクリックする。

 すると、白紙の原稿用紙が画面いっぱいに広がった。


 白紙。まだ一文字も書かれていないその原稿用紙には、良く言えば無限の未来が広がっている。……悪く言えば、というか、普通に言えば、何も思い浮かんでいないだけ、という話だが。


「うーん」


 パソコンはそのまま、スマホをいじり、小説の投稿サイトを開く。

 以前の内容を読み返す時、パソコン内にあるテキストデータを開くより、すでに投稿済みのページを開く方が私は読み返しやすい。


 最新話のページを開き、ざっとそれを読み返す。


 物語はクライマックスに差し掛かっていた。様々な衝突や喧嘩けんかを乗り越え、ヒロインは主人公に告白をする。しかし主人公はそれを悩み苦しみねのける。自分は教師でお前は生徒だ、だからお前の気持ちには答えられない、と。

 告白を断られたヒロインと、告白を断った主人公。二人の関係は一瞬にして変わってしまい、話す事も目を合わす事もなくなってしまう。


 ――でも、同時にこれで良かったのかもとも思ってるの。


 めぐみんの言葉が、私の頭をよぎる。


 こんな風になるなら、いっそ告白なんてしない方がいいんじゃないだろうか。

 告白をしなければ、少なくともこの二人は学校では教師と生徒、マンションでは同じ階に住むご近所さんでいられた。

 告白をしなければ……。


「はぁー」


 溜息ためいきき、パソコンを閉じる。


 やはり、まだ今の私に文章は書けそうにない。

 いつになったらそれが出来るようになるのか分からないが、今はまだその時ではない、ような気がする。


 千里せんりさんの言葉を思い出す。

 所詮フィクションと割り切るか、現実の方で何かアクションを起こすか、私が取るべき行動はその二択だと彼女は言った。


 あぁ、もしこれがゲームなら、こんな選択肢せんたくしさほど迷わず選べるのに。


 A.フィクションと割り切る。


 B.アクションを起こす。


 ――みたいな?


 だけど、現実はそう簡単にいかない。セーブポイントも攻略サイトもない、一発勝負。失敗すれば後戻りは出来ないし、もしかしたら取り返しが付かないなんて事もあるかもしれない。

 だから、どうしても慎重になる。慎重にならざるを得ない。


「ねぇ、せんぱい。せんぱいならどっちを選びます?」


 その問い掛けにこたえはない。

 当たり前だ。せんぱいは眠っているのだから。




 結局私は、せんぱいが眠っている間、スマホをいじったりその寝顔を見たりして過ごした。

 そして、およそ三十分後。


 そろそろ起こすか。


「せんぱい」


 スマホをテーブルに置くと、せんぱいの肩に手を触れ、そのまま体を揺する。


「ん……」


 反応はあった。しかし起きる気配はない。


 まさに熟睡。よくもまぁ、ここまでこんな状態で眠れるものだ。昨夜は余程遅くまで何かをやっていたのだろうか。

 ……まぁ、最近は私も人の事は言えないのだが。


「せんぱい」


 再び、今度は先程より強めにせんぱいの体を揺する。


「んっ」


 まぶたが動き、そして開く。

 焦点しょうてんの定まらない瞳が私を映す。


 起き抜けで状況が上手うまみ込めないのか、せんぱいの視線はなかなか私を上手にとらえられずにいた。


「……」


 その様子を見て、ふいに私の中に悪戯心いたずらごころく。


 腕をテーブルの上に置くと、せんぱいの真似まねをするように私も、その上に顔を置いた。


 せんぱいと至近距離で見つめ合う。


 変化はすぐに見られた。

 せんぱいの視線が急に定まり、その顔に動揺と驚きが走る。


「なっ……」

「おはようございます。いい夢見れました? せんぱい」

「わぁ!」


 勢いよく立ち上がり、せんぱいが椅子いすを巻き込みながら後ずさる。


「何やってんですか、せんぱい」


 あまりにオーバーなそのリアクションに、私は思わず腹を抱えて笑う。


「何って……。お前が変な真似するからだろ」

「変な真似ってどんな真似ですか?」

「そりゃ、起きたらいきなり……」

「いきなり?」

「あー。もう。それより、もう三十分ったのか」


 何かをかき消すように後頭部をかくと、せんぱいが誤魔化ごまかすようにそう私に尋ねてくる。


「はい。経ちましたよ、三十分。だから起こしてあげたのに、せんぱいたら、起きるなり文句言って」

「はいはい。それは悪い事をしました。たく」


 悪態をき、椅子に座るせんぱい。


「ん? それ、レポートでも書いてたのか?」


 私がテーブルの上に出していた物が珍しかったためか、せんぱいがノートパソコンを指差しながらそんな事を言う。


「え? あー、はい。そんな感じです」


 予期せぬ質問に、答えを用意していなかった私は、そう適当な答えを返す。


「ふーん」


 私の様子に不審なものを感じたのか、意味ありげな声を上げるせんぱい。


 まぁ、私自身、今のは少し失敗したかなと思ったので、せんぱいのその反応も分からないでもなかった。


「ところで、これからどうする?」


 しかし、せんぱいはそれ以上そこをつつく気はないようで、すぐに別の話を振ってきた。


 正直、上手い返しが思い浮かんでいなかった私は、これ幸いとその話題転換に嬉々ききとして乗っかる。


「折角なんで、どこか行きます? ウィンドウショッピングとか」

「ウィンドウショッピングか……」


 昼休みの半分以上が終了したとはいえ、今日は元々私達二人が受けるはずだった三時限目の授業が急きょ休校になったため、まだ二時間近い余裕が私達にはあった。二時間あれば、外に出掛けて帰ってくるくらいわけないだろう。


「じゃあ、とりあえず行くか」

「あ、はい」


 せんぱいに言われ、私は慌ててノートパソコンとスマホをトートバックにしまい、それを手に持つ。


「よし」


 私の準備が出来たのを見計みはからい、せんぱいが立ち上がり、休憩きゅうけいスペースを後にする。


「あ、待って下さいよー」


 そして、それに私も続く。


「結局、どこ行くんですか?」


 先行していたせんぱいの隣に並びながら、そう私はせんぱいに尋ねる。


「うーん。じゃあ――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る