第三章 神崎鈴羽は決められない。

第13話 相談

 あぁ、なるほど。これがスランプか。

 ――などと、馬鹿ばかみたいに心の中で一人つぶやき、私はテーブルの上にあごを乗せる。


 今日は水曜日。私の授業は四時限目までで終わり後は帰るだけ、なのだが、なんとなくまだ帰宅する気になれず、こうしてエントランスで一人ぼっと時間をつぶしている。


 冷静に考えると、私にスランプなんて言葉は当てはまらないと思う。

 私がそれをやり始めたのは精々が二年前だし、書けなくなったと言ってもまだ丸四日といったところだ。そんな状態でスランプなんて言葉を使ったら、諸先輩しょせんぱい方にしかられてしまうだろう。


 とはいえ、ここ最近――具体的に言うと八か月程、ここまで何も書けなかった事がなかったのも事実だ。


 原因は分かっている。せんぱいとのあのやり取り。あれがきっかけだ。


「同席、いいかな?」


 上から降ってきた声に顔を上げると、そこには千里せんりさんの姿が。


「あ、どうぞ」


 そう答えながら、私は姿勢を正す。


「ありがとう」


 私にお礼を言って、千里さんが私の正面に座る。


「空き時間か?」

「いえ、もう授業は終わりました。後は帰るだけです」

「そうか。じゃあ、私と同じだな。……隆之たかゆきと待ち合わせでもしてるのか?」

「いえ、今日は。ただなんとなく、ぼっとしてただけです」


 確かに、水曜日のこの時間、私はせんぱいと約束をして、ここで五時限目の授業が終わるのを待っている事もある。だが今日は違う。というか、今日はそもそも誘ってすらいない。そういう気分じゃなかったのだ。


「ちょうど良かった。実は、鈴羽すずはに聞きたい事があったんだ」

「聞きたい事? なんですか?」


 千里さんが私に聞きたい事と言うと、せんぱいの事か小説の事だろうか。後は――


「遠くて近い恋っていうネットノベルがあるんだが、鈴羽は知ってるか?」

「……はい。知ってますし読んでますよ。それこそ最初の頃から」

「どこまで読んだ?」

「最新話まで」

「そうか」


 余程切り出しづらい事なのか、千里さんがそこで少し言いよどむ。


「やはりダメだな。私には回りくどい聞き方は合ってないらしい。単刀直入に聞こう。あの作品の作者は鈴羽、君なのか?」

「……どうしてそう思うんです?」

「最初にそう思ったきっかけは、映画館のくだりと遊園地の下りだ。タイミングが近かったのもあるが、君や隆之から聞いた話と物語の中のやり取りに類似るいじする箇所が多々あった。そして、決定打はそのネックレスだ」


 そう言うと千里さんが、私の首元に下げられたネックレスを指差す。


「形こそ違うが、主人公がヒロインにネックレスを渡すシーンがあり、その経緯や場所が君達のものとほぼほぼ一緒だった。つまりあの話は、自分の実体験を参考に書かれた君が執筆したもの、なんじゃないか?」

「……」


 どうやら、これ以上誤魔化ごまかすのは難しそうだ。

 仕方ない。観念かんねんするか。


「はい。あれを書いたのは私です。別に秘密にしてるわけじゃありませんが、自分から言い触らすつもりもないので、千里さんも出来れば自分からは言わないでおいてもらうと助かります」


 私の場合、執筆経験が少ない事もあって、千里さんの言うように実体験を物語に反映させている部分が十二分にある。

 そして更に言えば、主人公とヒロインには明確なモデルが存在しており、その対象が分かってしまうと色々と不味まずい事になりねない。なので、出来る限り私があの物語を書いている事は、おおやけにしたくないのだ。


「あぁ。もちろん、言い触らすような真似はしないよ。それは約束する。ただ気になったから聞いただけで、先程の質問に他意はないんだ」


 千里さんの事だ。その言葉にうそや誤魔化しはないだろう。


 というか、そもそも千里さんがその手の事を、誰かに軽率に話すとは思っていない。一応、念のためにお願いをさせてもらっただけだ。


「それにしても、鈴羽は小説を書くのか。すごいな」

「そんな。まだ書き始めたばかりですし、文章も練習中で、毎回ああでもないこうでもないと試行錯誤してなんとか形にしてるってだけで……」


 正直、何が正解なのか分からないまま、ただただ文章を書き散らかしては迷いながら更新を続けており、自分の文章に自信も確証も持てないまま、なんとなくこれまで続けてきたといった感じだ。


「実は、私も昔小説を書こうと試みた事があったんだ」

「え?」


 千里さんが小説を……。意外――でもないか。むしろ、私よりよっぽど似合いそうだ。


「本当に試みただけで終わったけどな。原稿用紙数枚に物語とも呼べない駄文を書きなぐっては消し、書き殴っては消しを繰り返してようやく悟った。私には小説を書く才能がないと」

「私も最初はそんな感じでした。書いては消しを繰り返し、時にその物語自体を初めからなかった事にして。だから初めて物語を書き上げたのは、書き始めてから一年以上ってからで。それまでにいくつ物語をぼつにした事か」


 しかも結局、書き上げたのは五千文字に満たない、物語としてオチているのかどうか分からない駄作で、今は消す事も出来ずパソコンの奥底にひっそりと封印されている。あの作品が日の目を見る事は、金輪際こんりんざいないだろう。


「つまり、小説を書くのに必要なのは才能じゃなくて、根気だと?」

「書くだけなら、そうですね」


 それが駄作になるか傑作になるかは、また別の話だが。




「――つまり、君は今スランプにおちいっていると」

「いや、そんなに大層なもんじゃないんですけどね」


 バレたついでと言ってはなんだが、話の流れも手伝って、千里さんに今私が悩んでいる執筆についての事を話す。


 四日程一文字足りとも筆が進んでいない事、それがおそらくせんぱいとの会話から来ている事、そしてせんぱいとの会話の内容。

 それらを全て話し終えた結果が、今の千里さんの台詞せりふだ。


「しかし、原因は分かっているのだろう?」

「はい。でも……」


 いくら原因が分かっていても、その解決法が分からなければ、現状どうする事も出来ない。


 せめて、突破口的なものが見つかればいいのだが……。


「君の話を聞く限り、解決策は二つしかないと思う」

「二つもあるんですか!?」


 まさか、話してものの一・二分で千里さんの口からそんな言葉が飛び出してくるとは思っておらず、思わず私は少し大きな声を出してしまった。


「すみません。けど、今の話を聞いただけで、そんな簡単に解決策が見つかるとは思ってなかったので」

「解決策、と言っても、私の思う解決策であって、実際にそれで鈴羽のスランプが解消されるかはまだ分からないけどな」

「それでもいいです。聞かせて下さい」


 他の誰かなら話半分に聞くところだが、千里さんが相手となると話は変わってくる。

 それくらい、私の中で千里さんに対する信頼度は高かった。


「んっ。そんなに期待に満ちた表情で見られてしまうと少し話しづらい感もあるのだが、自分から言い出した事だしな、ちゃんと説明するとしよう」

「お願いします」


 再び姿勢を正し、千里さんの話を拝聴はいちょうする。

 気分はまるで講義を聞く生徒だ。


「鈴羽の話を聞く限り、スランプの表面的な原因はトオチカを書いている作者が自分だと隆之に勘付かんづかれそうになったから、そして実質的な原因はトオチカの主人公とヒロインのモデルにある。違うか?」

「……ヒロインはともかく、主人公の方にモデルがいるとは私、一言も言ってませんよ」

「読めば分かる。いや、読んだ上でそのモデルとなった人物を知っていれば分かる、と言い換えた方がいいかな」

「……」


 どうやら私の作るキャラは、余程モデルになった人間に似ているらしい。物語として、それはちょっと問題かもしれない。


「その二つの原因を踏まえた上で、君が取れる解決策はやはり二つ。一つは物語と現実は所詮しょせん別物と割り切ってその悩み自体を無視するか、もう一つは隆之に自分の思いを告げてその辺りの問題をクリーンにするか、どちらかだろう」

「ちょ、ちょっと待って下さい。どうしてそんな結論になるんです?」


 千里さんの出した結論は、過程やら何やらが全てすっ飛ばされており、まるで途中式が抜けた数学の答えのようだった。

 これではいくら回答が合っていようとも、点数はもらえない。


「あの物語はフィクションだ。実在する人物や場所とはもちろん同一ではないし、重ねて見るのは読者としてはナンセンスだろう。だが、私のように主人公とヒロイン両者のモデルを知る人物からすると、あの物語はフィクションであってフィクションではない。特に二人のやり取り、あれはあまりにもリアル過ぎる」

「つまり、千里さんは主人公とヒロインのやり取りが、そのまま、せんぱいと私のやり取りだと?」

「もちろん、百パーセントとは言わない。だが、そうだな、七割以上は一緒なんじゃないか。実際、台詞や思い出等、記憶の中から物語の会話に使用している部分は多いのだろう?」

「……」


 確かに、千里さんの言う事は当たりで、そういう部分が多い事は認める。だが――


「分かりました。そこまでは分かりました。けど、それがなぜそういう結論に繋がるんです?」

「物語上の二人と現実世界の二人の様々な箇所が酷似こくじしていて、関係性もどことなく似ている。となると、それを知る読書としては変な思考というか妄想が自然と頭に浮かんでしまうんだ。もしかして、ヒロインが主人公に持っている恋心も、実はモデルのものから引用したものなのではないかと」

「――!」


 千里さんに言われ私は、すぐにその言葉を否定出来なかった。なぜならそれは、図星だったから。


 もちろん、世に出ている全ての作品がそうだとは言わない。むしろ、モデルから必要な部分だけを抽出ちゅうしゅつして、上手うまい具合に反映している作品がほとんどだろう。


 しかし私の場合は違う。千里さんの言うように、七割以上のイメージをモデルである現実の人物から拝借はいしゃくしており、尚且なおかつヒロインを自分の分身として登場させている以上、その相手はどうしても実際に思いを寄せている人物を重ねずにはいられなかった。


 私にもう少し技量や経験があれば、その辺りも上手く調整出来たのだろうが、いかんせん私にはそのどちらもが決定的に欠けており、物語を書き進めるためにはこうする他なかったのだ。


「そこで先程の結論に戻る。自分の意見をひるがえすようで悪いが、物語は所詮フィクションだ。いくら読者がそれと現実を混同しようとも、君にその意思があるならそんな妄想は突っぱねればいい。だがもし、その方法がどうしても取れない取りたくないと言うなら仕方ない。隆之に君の思いがバレてもいいように、あらかじめ伝えておけばいい。そうすれば問題はなくなる」


 まるで「簡単な事だろ」とも言うように千里さんが、そう私に二つの案を提案してくる。

 一つはハードルが低く、私の気持ち次第でどうともなる案。もう一つはハードルが高く、私の覚悟次第で実行可能な案。


 さて、私はどちらの案を選ぶべきだろう。


「あぁ、ちなみに、もう一つ解決策があった。隆之ならそこまでの思考に至らないだろうと高をくくり、今まで通り執筆を続けるという方法だ。私としては、その確率もそれなりにあると踏んでいるのだけどね。まぁ、とはいえ、こればかりは予想が付かないというべきか、隆之の場合、どちらに転ぶか分からない節があるから、私としては、あまりおすすめは出来ないのだが」


 千里さんのその意見には、私も同意する。


 せんぱいはにぶい。特にこと恋愛方面に関しては、無類のにぶちん具合を発揮する。しかし、かと思えば、ふいにするどい事を言ってきたり行動に移したりして、油断出来ない一面も多々のぞかせる。


 つまり何が言いたいかというと、この件に関して楽観視は決して出来ないと、そういう亊だ。


「ところで」

「はい?」

「君の恋心の方は否定しなくても良かったのかい?」

「――っ」


 不意打ち気味に告げられたその千里さんの言葉に、私は咄嗟とっさに上手い返答が思い浮かばず、息を飲んで動揺を押し殺す事しか出来なかった。

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