第34話 動揺

「そう。神崎かんざきさんだ。久しぶり。元気してた?」


 まるで普通の顔馴染なじみのように接してくる小鳥遊たかなし先輩に、私は厳戒体制を取る。


「元気か元気じゃないかと言われれば元気ですけど、小鳥遊先輩はなんでこんな所にいるんですか?」

「いや別に、地元だし、どこにいてもおかしくないでしょ? それより神崎さんは誰と来たの? もしかして彼氏とか?」

「いませんよ、彼氏なんて」

「あ、そうなんだ。神崎さん可愛かわいいから、てっきり彼氏の一人や二人いるのかと思っちゃった」


 小鳥遊先輩の話し口調はとても気安く、はたから見たら私達はそういう関係に見えるのかもしれないが、実際にはそんな事は全くない。むしろ、ほとんど話した事がないと言っても過言ではないだろう。


 つまりこの人は、こういう人なのだ。


「そういう先輩は、誰と来てるんですか?」


 話の流れというか、聞かれたから聞き返しただけで、別に小鳥遊先輩が誰と来ていようが興味はなかった。例えそれが友達であれ、彼氏であれ。


「私? 私は……」


 そう言って、小鳥遊先輩が視線をケーキが置かれたテーブルの方に向ける。


「……え?」


 その視線の先に目をやり、私は言葉を失う。そこにいたのは私のよく知る人物だった。


「おーい、隆之たかゆき


 小鳥遊先輩に呼ばれ、せんぱいがこちらを向いた。そして私の事を見つけ、しまったと言わんばかりにまゆをしかめる。


「せんぱい……」


 こちらに寄ってきたせんぱいに対し私は、そう声を掛ける事しか出来なかった。


 せんぱいがどんな女性と一緒にいようと、私はその事で何かを思う事はない。それがバイト先の後輩だろうと、大学の同級生だろうと。だけど一人だけ、例外がある。それがこの小鳥遊先輩だ。


 高校三年生の一学期にせんぱいは、この人にフラれた。

 私はその後にせんぱいとは出会っているので、当時の事を詳しくは知らない。しかし、一度だけその話をせんぱいの口から聞いた事があり、その時の寂しげな表情を私は二年近く経った今でもはっきりと覚えている。


 だから私は、この人が嫌いだ。せんぱいにそんな顔をさせたこの人が。せんぱいをフったくせに、それでも高校で普通に話し掛けてきていたこの人が。


 同時に私は、せんぱいの思考もよく分からなかった。フラれたのにどうして、その相手と普通に会話が出来るのか。フラれたのになぜ、その相手を悪く言わないのか。


 分からない。分からない。そして今この状況も、私にはよく分からなかった。


「よぉ、鈴羽すずは。こんな所で会うなんて奇偶だな」

「なんでせんぱい、この人と……」

「なんでって。俺が最近ここに来た事を話したら、急に行きたいってこいつが言い出して、それで……」


 違う。私が聞きたい事はそういう事じゃない。私が聞きたいのは――


 ふいに背後から両肩を抱かれる。

 振り向くと、私の背後にいつの間にか千里せんりさんが立っていた。


「帰りが遅いから心配になって見に来たのだが、取り込み中だったかな」

「千里いたのか」

「いたのかとは、随分なご挨拶あいさつだな」


 せんぱいの言葉に、苦笑を返す千里さん。しかしその反応は、本心から出たものというより、場の空気を読んでのもののように私には思えた。


「鈴羽行こう」


 私の肩に手を置いたまま、千里さんが私の体を反転させ、その場から連れ出す。


「じゃあね、神崎さん」


 小鳥遊さんのその声を背中越しに聞きながら私は、自分達の席へと連行されていった。


 自分の席に着いてからも、私は自分の中の動揺を上手くコントロール出来ずにいた。


「さっきいた女性は、鈴羽の知り合いか?」


 私から受け取ったコップを自分の前に置きながら、千里さんがそう質問をしてくる。


「えぇ。まぁ、知り合いといえば知り合いです。面識はあまりないですけど」

「それはどういう……?」

「彼女は、せんぱいの元カノです」

「……あぁ、なるほど」


 私の一言で色々な事を理解したのか、千里さんがそうつぶやくように言う。


「カップルの中には、別れた後も普通に顔を合わす事が出来る者達もいると聞いた事があったが、隆之達もそのたぐいだったか。あるいは――」

「それはないと思います」


 不思議とその言葉は、断言するような形で、自然と私の口を突いて出た。


「なぜそう言い切れる?」

「もしそうなら、私は多分せんぱいの変化に気付くと思います」


 それは理由とも呼べない、ただの子どもの理屈のようなものだった。


「そうか」


 だけど千里さんは、そう言って私の言葉にうなずきでこたえてくれた。


「まぁ、なんにせよ、今はあの二人の事はひとまず置いておいて、ケーキバイキングを楽しもう。折角お金を払ったのだから、そうしないと損だろう?」


 そんな台詞せりふを吐きながら、千里さんが自分のお皿の上のケーキを一切れ口に運ぶ。


「うん。美味おいししい」


 そして本当に美味しそうに、それを頬張ほおばる。


「すみません、千里さん」

「ん? 何が?」


 私の言葉に、千里さんが本当に何に対しての謝罪か分からないといった風な面持ちで、そうたずねてくる。


「……いえ。その、千里さんはチョコ好きなんですか?」


 千里さんの思惑を察し、私は直前のやりとりとは全く関係のない質問に、しゃべっている途中で急きょ切り替えた。


「いや別に、特別好きという事はないが……。あー。これか」


 私の質問の意図を図りかねたのか、千里さんが瞬間思考を巡らせ、すぐにその理由に思い当たり目を落とす。そこには、チョコレート系のケーキが二つ乗ったお皿があった。


「これは、単純に気になっただけというか、同じような見た目だけど何が違うのかなと思っただけというか……」

「あ、そうなんですね」


 まさか、同じ種類のケーキばかり取られたお皿に、そんな理由があったとは……。


「少し、食べるか?」


 私がじっとお皿を見つめていたためか、千里さんが私にそう自分のケーキをすすめてくる。


「いえ、あの、……いただきます」


 別にそんな理由があってお皿を見つめていたわけではないのだが、ここで断っては逆に失礼だと思い直し、私は素直に千里さんの申し出を受け入れる事にした。


「じゃあ――」


 すると、何を思ったのか、千里さんは自分のフォークでケーキを切り分け、そのままそれをフォークで刺し、私の口元でまで運んできた。


「え? なんです?」

「あーん」

「――っ」


 いやいや、それはちょっと、というか、大分まずい気が……。もちろん友達同士でこういう事はたまにやるけど、その相手が千里さんというのは私の精神衛生的にも絵的にも少しやばいような、やばくないような……。


「どうした? それとも、私が口を付けたフォークじゃ嫌か?」

「いえ、そんな事は。むしろ光栄というか、ありがたいというか……」


 って、何口走ってるんだ、私。さすがに今のは、千里さんも引いたよね?


「そうか。なら、問題ないな」


 私が発した気持ちの悪い妄言もうげんなど、全く気にめた様子もなく、千里さんはそのまま、あーんを続行する。


 私と千里さんは女同士で知人なのだから、逆にここで変な意識をする方が不自然だし、躊躇ちゅうちょする時間が長くなればなる程、この場に妙な空気が流れ続けてしまう事だろう。


 ならば――


 私は意を決して、口を開ける。


 そこに千里さんの手によって、小さく切られたケーキが差し入れられた。


「どうかな?」

「はい、とても美味しいです」


 正直、緊張で細かい味はよく分からなかったけど、甘い事と美味しい事だけは、そんな状況でもはっきりと分かった。

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