第28話 本

 新たに決意を固めたところで、私の言動は特に変わりを見せない。

 いやむしろ、変わりを見せない事を昨日私は、めぐみんの前で宣言したようなものだ。


 という事で私は、今日も今日とてせんぱいにちょっかいを掛け、嫌そうな顔をされながらも隣でわぁーきゃー騒ぐ日々を送っている。


「だから私は、せんぱいはもっと体をきたえるべきだと思うんですよ」


 四時限目が終わり、次の教室に向かう途中、偶然廊下で一緒になったせんぱいと共に私は、そのまま校舎内をおしゃべりしながら歩いていた。


「そんな事言っても、急に始められるもんでもないだろ? 身近なとこだとランニングとかがそうかもしれないけれど、それにしても三日坊主で終わるのは目に見えてる」


 まぁ確かに、せんぱいの言う事も一理ある。


 基本的にせんぱいという人間には、情熱やこだわりというものがないかもしくは人より極端に少ないように、少なくとも私には思える。

 趣味はないし、これといって暇潰ひまつぶしとして好んでいるものも特にはないはずだ。

 漫画やゲームはするが、それもそこまで熱中しているかと聞かれたらノーと答えざるを得ないだろう。


 香野こうの隆之たかゆきという人間は、そういう人なのだ。


「じゃあ、何か目標を決めたらいいんじゃないですか?」

「目標?」


 私の提案に、せんぱいが面倒くさそうに言葉を返す。


「そう。目標です。例えば、何キロせるーとか、大会に出るーとか、ひと月に何キロ走るーとか」

「……考えとくよ」


 なるほど。現状、すぐに動く気はないと。

 さすがせんぱい、ぐうたら道をまっしぐらだ。


「ボルダリングとかどうですか? 今流行ってるじゃないですか? 一部で」


 昔ほど初心者が始めるハードルが低くなった事もあって、周りにもボルダリングをやった事のある人が少しずつ増え始めている。

 お店もコンパクトな造りの所がそこそこあるらしく、そんなに遠くない場所に実はあったりするらしい。


「いや、そういうのはちょっと……。なんか流行はやりに乗っかった感が出ちゃうし、なんかハズイというか……」


「せんぱい。そんな事言ってたら、何も始められなくなりますよ」


 流行っているから始める。それも一つの立派な動機だと私は思う。大体、流行っていないものを始める方がはるかに大変だし、また勇気が必要だろう。


 とはいえ、当人がやりたくないという事を無理にすのもアレなので、ここはこの辺で自重する事にして――


「話は変わりますけど、ネットノベルはまだ読んでるんですか?」

「本当に、いきなり話が変わったな」


 そう言って、せんぱいが苦笑をその顔に浮かべる。


「読んでるよ。毎日じゃないけど、少しずつ。元々そういう習慣がないから、たくさんは読めないんだ」

「字見ると眠くなっちゃうんですか?」

「小学生か、俺は」


 私としては本気でそんなつもりはなかったのだが、どうやら今の発言はツッコミを受けるたぐいのものだったらしい。


 私の場合、こういう事はよくある。

 意図せずツッコミを受けたり笑いを誘ったり、天然と言えば聞こえはいいが、早い話感性が人とずれているのだ、私は。その事で特別苦労した記憶は今のところないが、それは周りの人が寛容かんようで、私に上手く合わせてくれているからだろう。もちろん、せんぱいもその一人だ。


「とはいえ、あまり長く読み続けてると、疲れちゃうのも事実なんだよな。その辺は慣れとかもあるんだろけど」


「そうですねー。私は物心ついた頃にはすでに本を普通に読んでたので、なんとも言えませんが、確かに読んでる内に少しずつその時間やページ数が自然と伸びてくというのは、有り得る話かもしれませんね」


 嫌いなものはいくらやり続けてもなかなか上達しないように、それ自体を好きにならなければ読書の効率も上がってはいかないだろう。


「好きになるねー。それこそ、その部分だけは努力じゃどうにもならない分野っていうか、難しいよね、色々と」

「まぁ、特に物語に関しては、無理に好きになる必要がないですしね」


 むしろ無理に好きになってはいけないというか、無理に好きになってしまったら娯楽の意味がないというか……。本末転倒? みたいな?


「後は、映像から入って原作の方に後から手を出してみるとか。設定がある程度分かってる上に、映像で先に見てるからイメージもしやすいと思いますよ」

「なるほど」

「でも結局は、その作家さんの文章の書き方や癖が自分に合わないと、どうしようもないんですけどね」


 そう言って私は、苦笑いをせんぱいに向かって浮かべてみせる。


 いくら映像を見て面白いと思っても、原作が自分に合わなければそれまでだし、映像化にともない大きく改変されている事はよくある事なので、最終的には読んでみないと分からないというのが、いくつかのその手の作品に手を出した事のある私の出した結論だ。


「ま、とりあえず、そっち方面に手を出すのは、もう少しネットノベルで慣らしてからにするわ。まだ読み始めて数週間ってとこだし」

「そうですか」


 少し残念な気もするが、本人がそう言うなら仕方ない。こういうのは無理強いするものじゃないし、ここは素直に引いておこう。




 本日最後の授業を終えた私は、帰りがけ少し遠回りをして本屋に寄って行く事にした。


 せんぱいと話していて、読書欲が刺激されたのかもしれない。


 店内に入るとまず、漫画の新作コーナーをチェックする。別にいちいち発売日を把握していないので、自分が買っている本の新刊か出ているかどうかは、実際に見てみないと分からない。

 残念ながら、今回は空振りのようだ。


 そのまま漫画コーナーを適当に物色し、次にライトノベルのたなに足を運ぶ。

 こちらも同じように新刊コーナーを最初にチェック、その後に他の本も物色する。

 少し気になった物はいくつかあったが、買うところまではいかなかった。


「あれ?」


 ライトノベルコーナーを後にして、文庫のエリアに移動したところ、そこで見知った顔と遭遇した。

 といっても、一方的に私が相手の事を知っているというだけで、向こうは私の事など知らないだろうが。


 あまり視線をそちらに向けないように注意しながら、付近をのんびりと歩く。あくまでも視線は棚に向け、自然なそれを心掛ける。


 相手との距離が縮まり、会話が可能な近さまで体が近付く。


 横目でちらりと確認すると、その人物は手元の本に集中しているようで、こちらの存在など歯牙しがにもかけていない様子だった。

 いや元々知り合いではないので、こちらに気付いたところで、別に何らかのリアクションがあるはずもないのだが。


 私の視線が気になったのかそれとも偶然か、ふいにその人物の視線が私に向く。


「こんな所で会うなんて奇偶だな」

「え?」


 まさか話し掛けられるとは夢にも思っておらず、私は素で驚きの声をげる。


「あー。すまない。君の事は隆之たかゆきからよく聞いていたから、思わず知り合いのような感じで声を掛けてしまった」


 そう言って、大導寺だいどうじ先輩が苦笑をその顔に浮かべる。


「あの……」

「自己紹介がまだだったな。私は大導寺千里せんり。君と同じ大学に通う二年生で、隆之の友人だ」


 まるで何かを誇るように、大導寺千里かそう私に告げる。


「私は神崎かんざき鈴羽。一年生で、香野こうのせんぱいの高校時代からの後輩です」


 動揺を必死に押さえながら、私もなんとか言葉を返す。


 大導寺先輩とこんな近くで、しかも対面するなんて……。奇跡が起こったとしか言いようがない。それくらい大導寺先輩にはオーラがあり、更に言えばもの凄い美人だった。


「どうした? ぼっとして」

「いえ、ちょっと驚いちゃって、あの大導寺先輩と二人きりでお話し出来るなんて、まるで夢のようで」

「あはは。大げさだな、君は。私はそんな大した人間じゃないよ。アイドルでも女優でもない。どこにでもいる普通の女子大生だ」


 そ、そんなわけないじゃないですか! どこの世界にこんな美しい普通の女子大生がいるんですか! 普通なめてるんですか、あなたは!


 ――というような言葉が喉まで出かかったが、さすがに失礼だし迷惑なので自重する。


 謙遜けんそんもここまで行くと、言葉の暴力に等しい。自分でも意味は分からないが、とにかくそんな感じだ。


「君も本を読むのか?」

「え? はい。すごい読むって程じゃありませんけど」


 私の読書量は精々が月に五・六冊程度で、いわゆる読書家と言われる人達には全然負ける。というか、同じ土俵に立つ事すらアレだ……なんとかだ。


「そうか。君とは気が合いそうだな」

「そ、そんな、滅相もない。私ごときが大導寺先輩と気が合うなんて」

「迷惑か?」

「いえ、むしろ光栄であります」

「そうか。なら、良かった」


 こうして話してみると、大導寺先輩の印象は私が思っていたより何倍も、なんと言うか、普通だった。


 さっきは反射的に大導寺先輩の言葉に反発してしまったが、外見はとにかく、中身は私達とそんなに凄くは違わないのかもしれない。


「そうだ。折角、ここで会ったのだから、君のおすすめの本を私に紹介してくれないか?」

「私が!? ですか!?」

「あぁ、君が私に、だ。もちろん、無理にとは言わないが……」

「……」


 お勧めか。


「何系がいいとかあります?」

「特には。あー。でも、ホラーは苦手だし、後味が悪いのもあまり好きじゃないかな」

「そうですか」


 大導寺先輩に言葉を返しながら、私の頭の中にはすでに候補がいくつか挙がっていた。後はそれらがこの本屋に、今あるかだけど……。


 本棚を見回り、お目当ての物を見つける。


「これなんてどうでしょうか?」


 そう言って私が手渡したのは、数年前に映画化もされた恋愛ものの小説だった。


 実は私はこの作者の事をずっと前から知っており、この本をお店で見つけた時はトリハダが立った。なぜならこの作者の作品は長らく出ておらず、もしかしたらもう二度と次の作品は出ないのではないかとすら思っていたからだ。


 大導寺先輩が私から受け取った本を引っくり返して、後ろのあらすじに目をやる。そして本を開き、中に目を通す。


 それはまるで、合格発表を待つ受験生のそれのようだった。


 緊張のため、胸の鼓動こどうが早くなる。

 静まれ、私の心臓。


 そして、いくらかの時間の後、大導寺先輩が本を閉じ、口を開く。


「うん。いい感じだ。今日はこれを買おう」

「本当ですか?」

「あぁ。内容も文体も実に私好みだし、何より君が勧めてくれた本だ。むしろ買わない理由が見つからない」


 ヤバイ。なんだろう。普通にうれしい。自分の選んだ本を、大導寺先輩に認めてもらえるなんて、まだ読んでないので大分気は早いかもしれないが、とにかく感無量だ。


「じゃあ、レジに行ってくるよ」

「あの」


 少し迷った末に私は、そう言って大導寺先輩を呼び止めた。


「感想やレビューは、前もって見ない方がいいと思います」


 今の言葉で変な先入観を与えてしまったかもしれないが、万が一に備えて、一応そう忠告をしておく。


「……分かった。君の言う通りにするよ」


 その後、レジから戻ってきた大導寺先輩にラインの交換を求められ、私はその日一番の衝撃に見舞われるのだった。

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