第9話 後輩その2

「じゃあ、また明日」

「あぁ、気を付けて帰れよ」


 四時限目が終わり、今の今まで授業を受けていた教室の前で千里せんりと別れる。

 千里は五時限目以降の授業を取っていないので、今日はこれで帰宅。一方俺は、まだ一つ授業が残っているため、次の教室へ。

 といっても、二つの教室は目と鼻の先にあり、移動には一分も掛からないのだが。


「あ、せんぱい」


 教室に着くやいなや、背後から声を掛けられる。

 振り向くとそこには、鈴羽すずはの姿が。


「おう。さっきはありがとな。お陰でレポートはなんとかなりそうだ」

「いえ、こちらこそ、ごちそうさまでした。マジでピンチだったんで、助かりました」


 軽く挨拶あいさつ代わりの会話を交わし、そのまま二人で席に向かう。

 今回の教室は小中校とあまり変わらない造りをしており、一番後ろからでも黒板が問題なく見える。そのため、俺達は出入り口から一番離れた、一番後ろの席に並んで座る事にした。


 授業の準備を机の上に整え、時間が来るのを待つ。


「せんぱいはあの後、一度帰ったんですか?」

「いや、もう一度図書館行って少しレポートをやって、けどそこで千里と会ったから、場所を変えて三時限目が始まるまでそのまま喋ってた」

「仲いいんですね」

「まぁ、普通に、友達だし」


 とはいえ、鈴羽を除いたら、構内において一緒にいる時間が一番多いのはやはり千里で、そう考えると特別仲のいい友人ではある事は確かだ。


「というかせんぱい、大導寺だいどうじ先輩以外に大学に友達いるんですか?」

「失礼な。ちゃんといるわ。ただ、千里やお前といる時は、あまり絡まないというか、気をつかわれてるというか……」


 まぁ、当然といえば当然だよな。俺も鈴羽が友達と一緒にいる時は、こちらから声を掛ける事はしないし、極力気付かれないようにその場を通り過ぎる事すらある。見つかって話し掛けられても、単純に俺が困るという理由もそこにはあるが、それはこいつには内緒だ。


「そういうもんですかね」

「少なくとも、俺はそういうもんだと思ってるけど、人によるちゃ人によるよな。そんなのお構いなしに話し掛けてくるやつも中にはいるだろうし、友達の友達は自分の友達っていう感覚のやつも世の中には少なからずいるからな」


 その辺は感性の違いや、コミュニケーション能力のあるなしも関わってくるところなので、一概にどちらが正しい対応とは言えないが、あまりアクティブに行き過ぎると人によっては嫌がられる場合もあるため注意は必要だと思う。


「私は、友達といる時にせんぱいから声掛けられても、別に気にしませんけどね」

「だろな」


 鈴羽の性格を考えれば、その思考は容易に想像がつく。


「そういえばまだ、友達にちゃんとせんぱいを紹介した事ってありませんでしたよね。いつにします?」

「いや、なんで紹介される事前提で話進めてるんだよ」

「え? ダメなんですか?」

「ダメじゃないけど、おかしいだろ。普通に考えて」


 たまたま会って流れで紹介するならまだしも、わざわざ紹介するために会うなんて。どういう関係だよ、俺達は。


「そうかなー」

「まぁ、機会があったらな」


 と言うものの、こちらからその機会を積極的に作るつもりはないのだが。


「ところでせんぱい、もうすぐゴールデンウィークですが、ご予定は?」

「予定も何も、ゴールデンウィークって言っても、実際は最後の四日間しか連休じゃないし、バイトも入ってるからな。そんなに普通の休日と過ごし方は変わらないと思うぞ」


 千里とはどこかで一度遊びたいというむねの話はしているが、具体的な日程や内容はまだ決めていないし、他の遊びの話も別段ゴールデンウィークだからというものではなかった。聞いた話では四日間を使って旅行に行く者もいるらしいが、俺はそこまでアクティブじゃないので、それは到底真似まね出来そうにない。


「じゃあ、せんぱいのウチで、ゲーム大会開いてもいいですか?」

「誰が参加するんだよ、そのゲーム大会とやらには」

「私とせんぱいの二人です」

「なら、いつものやつだな、それ」


 大会とめい打つ意味が分からないし、わざわざ前もって宣言してやる事ではない。


「そういうお前はどうなんだよ?」

「私ですか? 私は友達と遊ぶ予定が何件か入ってますけど、ひまな時間は充分あるので、せんぱいの相手も問題なくこなせます」

「いや、そんな心配は全くしてないから」


 俺の事は気にせず、じゃんじゃん友達と遊んできてくれ。


「というかお前、小遣こづかいは大丈夫なのか? ある程度セーブしていかないと、また同じ失敗を繰り返す事になるぞ」

「大丈夫ですよ。てか、今回は大学に着ていくための服をそろえたせいで出費がかさんだだけで、言う程遊びには使ってませんから」

「なら、いいんだけどさ」


 確かに、つい数ヶ月前まで制服を着て学校に通っていた人間が、急に私服で学校に通うようになるわけだから、今までより服のチョイスやバリエーションに気を遣うのは、当然といえば当然だ。かくいう俺も、何着か新調したのを覚えている。


「というわけでせんぱい、明日もお昼おごってください」

「調子に乗るな」

「冗談ですよ。明日から数日間は、自分で弁当作ってなんとかしますよ。あ、せんぱいの分も作ってきてあげましょうか?」

「いや、というか、明日は昼飯、家で食べるし」


 取っている授業の関係もあるし、別に毎日外で昼食を食べているわけではない。それに、無理をして外食を多くすると、食費以外の部分に響くし貯金どころではなくなってしまう。


「じゃあ、せんぱいの家に私が行って一緒に食べるってのはどうです?」

「それこそなんでだよ。わざわざ面倒だろ」

「えー」

「えーじゃない」


 なぜ逆にこいつは、それが通ると思ったんだろう。ホント、謎だよな、こいつの思考パターンや言動は。




「お先に失礼します」


 休憩室にいた数名の先輩達に挨拶をして、俺は裏口を目指す。


 扉を開け、外に出ると、制服姿の女の子がそこにいた。


「お待たせ」

「いえ、私も今出てきたところですから」


 そう言って、てんちゃんがにこりと微笑ほほえむ。


 夜の勤務時、彼女とシフトがかぶった場合に限り、こうして俺達は一緒に帰宅をしている。

 と言っても、俺の住むアパートと天ちゃんの家のある方向は全く違うので、ただ単に俺が彼女を家まで送り届けているだけなのだが。


 ちなみに、俺とシフトが被っていない日は、家族に迎えに来てもらっているらしい。まぁ、年頃の女の子なのだから、それぐらい用心して当然なのかもしれない。


「行こうか」

「はい。お願いします」


 二人肩を並べて、天ちゃんの家のある方に歩き出す。


「なんか月曜日って憂鬱ゆううつだよね。これから、嫌でも一週間が始まちゃうって感じで」

「そうですね。日曜の夜は少し残念な気分になります。あーあ、休みが終わっちゃうのかって」

「とりあえず水曜日まで来たら、気持ちが楽にならない?」

「あ、分かります。今日頑張れば後二日でお休みだからって、自分に言い聞かせてみたり」


 大学生になって時間割りが不定期になったため、高校時代程ではないが、やはり一週間のサイクルというものは同じくあるわけで、今日も正直一日気持ちがダルかった。


「でもまぁ、月曜日は天ちゃんとこうして一緒に歩けるから、そういう意味では楽しみな曜日なんだけどね」

「もう、香野こうの先輩。からかわないでくださいよ」

「ごめんごめん。けど、うそは言ってないから」


 冗談半分本音半分といったところだ。


 天ちゃんをこうして家に送り届けるようになったきっかけは、一昨年の夏、たまたま彼女のスマホのバッテリーが切れ、両親と連絡が取れなくなった事だった。初めは店の電話か俺のスマホを貸して両親と連絡を取ればいいという話になったのだが、なぜか電話が繋がらず、結局紆余曲折うよきょくせつの後、俺が天ちゃんを家まで送っていく事になった。

 最初は恐縮しきりだった天ちゃんも、逆に事態を長引かせると店の方にも迷惑が掛かるという結論に至り、最終的にはその案で行く事に決めた。


 そして、それがいつの間にか恒常こうじょう化して今に至る。


「香野先輩って、初めてお付き合いしたのいつでした?」

「え?」


 質問の意図が分からず、思わず戸惑う。


「あ、違うんです。学校でそういう話になって、友達の中には現在進行形で彼氏持ちの子もいて、それで香野先輩はどうなのかなって気になって……」


 激しく動揺を見せる天ちゃんの姿を見て、俺は逆に落ち着きを取り戻す。

 なるほど。本当に、ただの質問だったわけか。


「俺は、中二の終わりだったな」


 卒業間際まぎわの一個上の先輩から告白されて付き合い出したはいいが、色々な事が合わず、その関係はそれ程長く続かなかった。やはり中学生と高校生では、一年しか年は違わなくても、様々な面でズレが生じてしまうようだ。


「今はいないんでしたっけ?」

「今は、まぁ。絶賛募集中って感じかな」


 なんとなく、「あはは」と笑って何かを誤魔化ごまかす。自分でも何を誤魔化しているのかはよく分からないが。


「そうですか。参考までにお聞きしますけど、香野先輩はどういう人が好みなんですか?」

「うーん。どうだろう? これといった、具体的な好みは別にないかな……。礼儀がある程度しっかりしていて、一緒にいて嫌な感じがしない人、とか?」


 まぁ、礼儀と言っても、常に礼儀正しい感じではなく、時と場合、その人との関係性を考慮にいれた礼儀正しさなので、親しい間柄の日常にまではそれを求めてはいない。


「礼儀はともかく、後半は主観的な判断になるので難しそうですね」

「いや、俺の意見が世間一般の男性の意見ってわけじゃないから、そこまで深く受け止めなくても」

「え? あ、そうですね。でも、私も大事な事だと思います。そういう、感覚的なところって」

「というか、そもそも嫌な感じを受ける相手とは、好んで一緒にはいないと思うから、当たり前の事と言えば当たり前の事なんたけどね」


 とはいえ、世の中には容姿重視で恋人を選ぶ人も少なからずいるので、一概いちがいにそれが多数の考え方とも言えなかったりするわけだが。


「でも、天ちゃん可愛かわいいから、心配しなくとも、男子が向こうから勝手にやってきそうというか、ほうっておかなそうというか……」

「それは……まぁ、いえ、私が可愛いかどうかは別にしてですね。その手の手紙をもらった事は、はい、正直なくはないです」


 天ちゃんは控えめな表現を一生懸命選んでくれているようだが、おそらくラブレターを貰った経験は一度や二度ではないだろう。


「けど、付き合うところまではいかなかったんだ」

「だって、よく知らない人ですし、知りもしない人と付き合うのはちょっと……」


 なるほど。天ちゃんはそういう考え方をするのか。それとも、その辺は男と女で考え方がもしかしたら違うのかもしれない。


「まぁ、出会いなんて、突然訪れる事もあるから、今はあせらず気長に待てばいいよ」

「そうですね。気長にじわじわと攻める方が、どうやら私には向いてるみたいですし」

「ん? じわじわ? 攻める?」

「はい。長期戦です」


 そう言って、天ちゃんは満面の笑みを俺に向かって浮かべてみせた。


 どうやら、俺は何か思い違いをしているようだ。その思い違いが何かまでは残念ながら分からないが、それだけは多分間違いなかった。

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