鋼ノ翼

小柴 ケン

1.1 立日

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空島玄天区域で住宅3棟が全焼し、焼け跡から1人の遺体が見つかりました。

火元に住む38歳の男性と連絡が取れなくなっています。

警察などによりますと、17日午後5時前、玄天区域の月島鉄郎テツオさんの住宅から火の手が上がり、隣接する住宅2棟に延焼しました。火は約2時間後に消し止められましたが、火事の後、月島さんと長男の凪くんと連絡が取れず、警察は遺体が月島さん本人とみて確認を急いでいます。また、消火活動中に月島さんの住宅から高速で飛翔していく物体を目撃したという人が相次いでおり、警察と消防で火災との関連性を調べています。

月島さんは空島における反重力科学の第一人者として知られており、所属する機関の代表者は「もし遺体が月島さんであったとしたらこの国の科学は100年後退するだろう」とのコメントを出しました。

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「月島ぁ、いつまで寝てるんだ」


 出席簿で頭を小突かれてナギは飛び起きた。

凪の席は窓際にあるために日当たり良好で、寝てくださいと言わんばかりの陽気に打ち勝つのは並大抵なことではなかった。だから、ついつい6限目になると気が緩んで舟を漕いでしまうのだが、よりにもよってこの数学の授業で寝てしまうのはよくないことだった。おずおずと顔を上げると、見下ろすように席の前に立ちはだかっている教師と視線が交差した。教師は呆れたように鼻を鳴らす。


「まったく、息子がこんなんじゃ鉄郎さんも苦労するだろうな」

「すみません......」

「自分が鉄郎さんの息子だからって思い上がっているんじゃないか。お前はただの息子に過ぎないのだぞ」


 凪が萎縮すると、教室が笑いの渦に包まれた。この教師はなにかにつけて凪のことを目の敵にしていたのだ。凪はどちらかといえばあまり目立たない大人しい生徒であるのに、この教師はわざわざそういう生徒を衆目にさらさせて楽しむ節があった。

じんわりと痛む頭をさすりながら俯いていると、教室に終業のチャイムが鳴り響いた。バレないように凪はホッとため息をついた。教師は凪のことを一瞥すると、踵を返し教壇に戻る。


「それじゃ、来週の試験まで各自勉強するように、号令」

「きりーつ、れい、ありがとうございましたー」


 教師が教室から出ると同時に、決壊するように教室が喧騒に包まれた。席に座ったまま教室をざっと見渡すと、凪が眠っている間に発表されたらしい試験範囲が黒板に書かれていることに気がついた。けれど間の悪いことに、凪がメモを取る前に週直がさっさと消してしまった。

 授業中は死んだ魚のように活気がなかった生徒たちは放課後から息を吹き返し始めていた。放課後に教室にいる必要もないので、次々に帰っていく。誰かに早く試験範囲を尋ねなければ、すぐにみんないなくなってしまうだろう。


「おい、月島」


 訊けそうな人を視線だけで探していると、すぐ近くの席の男子生徒が声をかけてきた。あまり話したことはないが、自分から話しかけるのに難儀していたので渡りに船だった。


「よかった、さっきの数学の範囲教えてくれない?」

「そんなことよりさ、どうせ帰っても暇だろ? 俺らの分の掃除やっといてくれない? どうしても外せない用事があってさ」


 そう言った男子生徒の後ろから、複数人の生徒がぞろぞろと出てきて、凪の机を囲んだ。


「隣の区画に竜騎士が来てるんだってよ。一目でも顔を拝みに行かないとか男じゃねぇよ」

「掃除してたら周回バスの時間に間に合わない」

「だから、たった1秒でも今は惜しいんだよねぇ」

飛翔者アネモイの中でも英雄中の英雄だもんな」


 その生徒たちがただの自然な会話を装って、凪に聞こえるように次々と話し始める。どんなに凪が鈍感でも意図していることは明らかだった。

 国民的英雄の竜騎士を見たいのはわかるが、自分たちの仕事を無関係の人間に押し付ける理由にはならないのではないか。圧力を感じる視線にとまどいながら、細い声で凪は応えた。


「悪いんだけど、ボク、今日はなるべく早めに帰りたいんだけど......」

「ん、なんか言った?」


 聞こえてるくせにもう一度言うように男子生徒が促してくる。顔は笑っているが、目には冷たい光が灯されている。凪はもう一度口を開きかけ、やめた。


「俺たちからの頼みなんだぜ、わかってる?」

「......わかったよ」


 気圧されて、凪は小さくうなずくしかなかった。


「恩にきるわ、じゃあよろしくぅ」

「ちょっと待って、試験範囲は――」


 引き留めようと片腕を前に上げる。口にはしなかったが、凪は試験範囲を教えてもらうのを前提として引き受けたつもりだった。けれど、男子生徒たちはもう用がないとばかりに凪を無視して、さっさと教室を出て行ってしまった。むなしく途中まで上げられた腕を下ろした。

 静まり返った教室に残っている生徒は凪だけだった。凪は小さくため息をついた。

 言いたいことがあるなら、言えばいいなんて気軽なものだ。その言葉は決して、言った後の結果を保証してくれるものではないのだから。

 窓から入ってきた日差しが、教室に幾本かの光の筋を投げかけていた。授業中はあれほど心地良く感じたのに、今は妙に空空しく感じた。


 「掃除するか」と、凪はつぶやいた。

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