2 桐生院 麗ができるまで2

「ねえ、おばあちゃま。前、玄関に飾ってた華の生け方教えて。」


 春。

 勘当されたあの人がアメリカに行ってしまって、すでに七ヶ月が過ぎた。

 あたしは、高等部へ進級する。


 中等部の時は何のクラブにも入ってなかったんだけど、高等部に進んだら華道部に入ろうと思っている。

 少しでも、学校に長居できるように。


 あの人がいなくなって、せいせいするかと思ってたのに。

 おばあちゃまも父さんも、何だか落込み気味で。

 あたしも…家に居辛いのよ。



「……」


「おばあちゃま。」


「えっ、ああ…何だい?」


 もう…またボンヤリしてる。



「玄関に飾ってた華の生け方、教えて。」


「玄関に飾ってた華…いつの?」


「いつだっけ…ほら、枝物とミニバラなんかを組み合わせてたやつ。」


「…ああ…」


 おばあちゃまは、ふっと遠い目をして。


「あれは、知花ちはなが生けたんですよ。」


 って…


「…え?」


 あの人?


「…だって、あの人、華道なんて…」


「見よう見まねでやってたみたいでね。初めは勝手口の目立たないところに飾ってたから、私が玄関に出したんですよ。」


「……」


うらら。」


 あたしが黙ってしまうと、おばあちゃまはいつになく優しい声であたしを呼んだ。


「…何?」


「…そんなに、知花ちはなが嫌いなのかい?」


「……」


 突然、そんなことを聞かれて…あたしは口をつぐんだ。

 神さんには、ハッキリ答えてしまったけど…



「…だって…あの人、勝手すぎるんだもの…」


「どうして。」


「インターナショナルスクールに行って、全然帰って来なかったくせに…突然帰って来たかと思ったら、学生結婚なんかして…退学にもなって、そのうえ離婚だの勘当だのって…父さんやおばあちゃまが、どんなに迷惑か…」


「…うらら、違うんですよ。」


 あたしが唇をとがらせて言うと、おばあちゃまはため息をつきながら話始めた。


知花ちはなをあの学校にやったのは、私なんです。」


「…え?」


「小さな頃から髪の毛の事でいじめられてね…それを不敏に思った私が、知花ちはなをあの学校に入れて帰らせないようにしたのですよ…」


「ど…どうして?」


「あの子が、傷付くのが怖かった。」


「……」


「良かれと思ってした事だけれど…あの子は、私に心を開かなくなってしまった。」


「そんなの、あの人の勝手じゃない。おばあちゃまが悪いわけじゃないでしょ?」


「いいえ、私が悪いんですよ。千里ちさとさんとの結婚も、色々思う所があってのことだったようだし…」


「何?それ…」


 あたしは、眉間にしわをよせて問いかける。

 でも、おばあちゃまは答えてくれなかった。


「…やっと、知花ちはなの居場所ができたと思ってたのにね…」


「どうして、そんなにあの人をかばうの?」


うららは、知花ちはなを誤解してますよ。」


「…誤解?」


知花ちはなは、いつでも家族の事を一番に思ってくれてました。第一、知花ちはなが帰ってきてからうららは貧血が治ったじゃありませんか。」


「………それが、何よ…」


知花ちはなうららのために、考えて料理してたんですよ。」


「……」


 ふいに、神さんの言葉がよみがえる。


 料理が上手いから、好きなの?

 それだけじゃないけどな。


 そういえば…

 ちかしが大嫌いな人参を食べれるようになったのも、あの人の人参サラダのおかげだった…



「おや、電話だね。」


 おばあちゃまが立ち上がって受話器をとる。


「あら…七生ななおさん…ええ、お元気ですか?」


 電話の相手は、どうやら…七生ななおさん。

 七生ななおさんちの、誰だろう。

 聖子せいこさんは、あの人と同じバンドで、一緒に渡米してるし。


「…え?知花ちはなが…?」


 おばあちゃまの顔色が変わった。

 あたしは、ただならぬ様子に立ち上がる。


「…わかりました。すぐ、そちらに伺います。ああ、あの…」


 おばあちゃまは、大きく息を吸って。


知花ちはなのこと、よろしく頼みますよ。」


 って、険しい声で言った。


「何なの?」


 あたしが駆け寄ると。


「…知花ちはなが…」


 おばあちゃまは、一瞬言葉を詰まらせた。


「…まさか…事故か何か?」


「……」


 おばあちゃまは、首を横に振って。


「…お産ですよ。」


 って…とんでもない言葉を口にしたのよ…。




 * * *




「姉さん、大丈夫かなあ…」


 隣で、ちかしが心細そうな声を出した。



 アメリカ。

 先に渡米したおばあちゃまからは、何の連絡もなくて。

 それが、余計…あたしたちを苛立たせた。


 タクシーの中。

 父さんは、腕組して黙り込んでる。


 七生ななおさんから入った情報では。

 あの人は、渡米してから妊娠に気付いて。

 だけど、そのことをかみさんには言わないって。

 どうしても、産みたい。

 メンバーに頭を下げて頼んだそうだ。


 それが、検診に通う内に双子だとわかって。

 それでなくても、慣れない土地。

 出産を前にして、あの人は体調を崩したそうだ。

 そこで、おばあちゃまがすっとんで行ったんだけど…



「あ、あそこだ。」


 ちかしが指さす。

 病院の前に到着すると。


「釣りはいい。」


 父さんが、早口な英語でそう言って、お金を渡した。


 …何だ。

 ものすごく、慌ててるんだ。

 のんびりしてるのは、あたしだけ。

 父さんとちかしは、走って中に行ってしまった。



「あ…もう、待ってよ!」


 あたしも、続く。

 こんなとこに一人取り残されちゃ、何が何だかわかんない。



「三階だ。」


 父さんがナースステーションで病室を聞いて、階段をかけ上がる。

 …こんなに心配なら、勘当なんてしなきゃよかったのに。



「あ、おじさま。」


 廊下で、七生ななおさんとバッタリ。


「あっああああ、聖子せいこちゃん。知花ちはなは?」


 父さんたら…すごく慌ててる。


「大丈夫ですよ。おばあさまが来られたら安心したみたいで、無事双子を出産しました。」


 七生ななおさんは、笑顔。


「ありがとう。」


 父さんは、七生ななおさんにお辞儀すると、病室にすっとんで行った。

 あたしとちかしも、続く。



知花ちはな…」


 病室に入って、父さんが声をかけると。


「…父さん…ちかしうららも…?」


 あの人は、驚いた顔で、起き上がった。


「…一人にして、すまなかった…」


 …驚いた。

 突然、父さんが泣き始めたのよ。


「…父さん…そんな、あたしが…」


「いや、父さんがもっとしっかりしていれば、おまえに辛い想いなど…」


「…泣かないで…」


 あたしの隣では、ちかしがもらい泣きしてる。


 もう…やだな。

 あたし、こんな時、一人だけ浮いちゃうのよ。



「おや、来たのかい。」


 おばあちゃまがやって来て。


「かわいい男の子と女の子だよ。」


 って、笑った。


ちかしうららみたいよ?」


 あの人が、涙をぬぐいながら言う。


「見に行く?」


 おばあちゃまに言われて、あたしとちかしは廊下に出る。

 赤ちゃんは小さ過ぎて、保育器に入ってるらしい。


「…大変だったの?」


 小さく問いかけると。


「みたいだね。」


 それだけ。

 ま…いいけど。



「うわ…かわいい。」


 ちかしがすごい笑顔になった。

 ガラスの向こう、双子の男の子と女の子が…


「ちっちゃーい…」


「かわいいでしょう?知花ちはなによく似てること。」


「どうして…産んだのかな…別れたのに…」


 あたしが小さく言うと、おばあちゃまはあたしの頭に触って。


「きっと、知花ちはなは…千里ちさとさんのこと、想ってるんですよ。」


 小さな声で、そう言った。


「でも、言わないんでしょ?」


「…千里ちさとさんは千里ちさとさんで、もう知花ちはなとは違う道を歩いてらっしゃいますから…」


「……」


 別れたのに。

 それでも、子供を産むなんて…

 …あたしには、できないかも。



「名前は?」


「ああ、それがねえ…」


 ちかしの問いかけに、おばあちゃまは頭を抱えて。


「私たちで、決めてくれって言うのよ。」


 それでも、嬉しそうな声で…そう言ったのよ…。



 * * *



「命名、華音かのん咲華さくか。」


 父さんが、発表した。


「ありがとう…素敵な名前。」


 病室はみんな、満面の笑み。

 双子はあの人のベッドで眠ってる。



「すごいなー、何か不思議だなー、双子なんて。な、うらら。」


 ちかしが、あたしに話を振る。


「…うん…」


 なんとなく、照れくさい。

 あたし、ここ何日かで…この人を、姉として認め始めてる。

 強い…想いを見せられて…ちょっとばかり、感動しているのよ。



「記念写真撮ろう。」


「あ、いつの間に三脚まで。」


「あら、いやですよ。こんな格好で。」


「いいじゃない。いかにも看病してたって感じで。」


 そんなこんなで、あたしたちはベッドの周りに集まる。


 ふと…あの人の肩に触れてしまった。


「あ…あ、ごめん。」


「ううん。もっとこっちに寄らないと入らないんじゃない?」



 …あたし一人が、心を開いてなかった。



「ランプの点滅が早くなったらシャッターが下りるから、目をしっかり開けて。」


 父さんが、セルフタイマーを押した。


「…ねえ。」


 あたしは、小さな声で、言う。


「ん?」


「気合い入ってるね…姉さんて。」


「…うらら…」


 カシャッ。


 シャッターが、おりた。


「あー、父さん、もう一枚撮って。」


「何だ?」


「…姉さん、下向いてたから。」


 あたしがそう言うと、おばあちゃまと父さんは優しい顔になって。


 ちかしは、あたしの頭を抱きしめた。

 姉さんは、下を向いたまま顔をあげれなくて。


「…早く顔あげてよ。撮れないじゃないのよ。」


 意地悪な口調のあたしの手を…強く握ったのよ…。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る