第51話 打ち上げ隊、西へ

「ロケット姉ちゃん!」

 車が走り出してすぐ、不意にガラガラとした大声で呼びかけられてドキッとした。

 あごの線もいかつい無精ひげ面の運転手さん。

 赤銅色に日焼けした太い二の腕とクッキリと太くて濃い眉毛が、運転手と言うよりもまるでベテランの漁師を思わせる。

「ナ、ナツです、天野奈津希です。よろしくお願いします」

 私は少し気後れしながら、それでも丁寧に自己紹介をした。

「おぅ、なっちゃんか。ところであんた、これ一人で作ったのかい?」

 運転手さんは左手の親指で後ろの荷台を指差しながら、陽気な口調でさらに言葉を重ねてくる。

 相変わらず雨は激しく、目の前をせわしなく行き来するワイパーもほとんど視界を確保できない。

 まるで、雨粒がぎっしり詰まった灰色のトンネルの中を疾走しているみたいな感じだった。

「いえ、作ったのは私一人じゃないですよ。さっきの中村君や、クラブのみんなや……どっちかというと私はみんなの後ろでワーワー騒いでただけで」

「ほー。聞いてたイメージとちょい違うな」

「え? 何を聞いたんです?」

「あの、ほら……」

 運転手さんは目の前に親指とひとさし指で丸を作ると、

「うちの開発の親分が、えーっと、神阪さんがよ……」

 なるほど、このオーケーマークは眼鏡の意味か。

「あんたはとんでもないカリスマで、気がつくといつの間にかみんな手伝わされてるって聞いたから、もっとおっかない姉ちゃんかと」

「うわ、ひどいなそれは」

 思わず眉をしかめる私を見て、運転手さんは豪快に笑う。

「いや、どっちかって言うと、見てて危なっかしいからつい手を貸したくなる方のタイプだな、あんたは」

「……うーん、それもどうかと思います」

 再び爆笑される。

「それはそうと、こいつはちゃんと飛ぶのかい?」

「もちろん! 絶対に飛びます。それは保証します!」

「……ほう」

 勢い込んで断言する私に、運転手さんは途端に面白い見世物でも見るような目つきになるとあごの無精ひげをじょりじょりと撫でた。

「後ろで騒いでただけなのに、そこはしっかり保証しちゃうんだ」

「あ、え……」

 私はたちまち赤面して顔を伏せた。

 確かに、ろくに役に立っていない私が言っちゃいけないことなのかも。

「あー、違う違う」

 ところが、運転手さんは瞳の奥に半分笑みを残したまま、それでもずいぶん真面目な表情になると「うーんとだな」と言葉を探すように続けた。

「ま、後ろでワーワーというのは言葉のあやとして、後ろのブツにはなっちゃんの以外の他人がかなり関わっているわけだな。それを保証できるっていうのは……」

「……すいません。私が浅はかでした」

「いやー、違うのよ。普通はさ、他人のやることなんかそう簡単に信用できないもんよ。それをそうやってスパッて言い切れるっつうのは、こりゃ大した心意気だと思ってね」

「うーん」

 これはほめ言葉ととっていいのか、それとも逆なのか。

「神阪さんから聞いてるよ。なっちゃんは、あのロケットには特別な思い入れがあるんだって。それでもそうやって無条件に仲間を信じられるのは純粋にうらやましいなあ、と。ま、おっちゃんはこう思うわけだ」

 そのままガハハと笑う。

「ま、安心して大船に乗った気でいなよ。しっかり目的地に届けてやっから」

「あ、そう、そのことなんですけど……」

「うん?」

「私達、一体どこに向かってるんですか? 安曇の鉱山跡地かどこかですか?」

「なんだよ、全然聞いてないのかい?」

 運転手さんは大きく目を見開き、ほとんど呆れ顔だ。

「はい。船の中では寝てましたし……」

「はー、やっぱ肝っ玉座ってるねえあんた。あんな大揺れの船の中で良く舟を漕いでいられたもんだ」

 視線は進行方向に向けたまま、自分のつまんないシャレがおかしかったのか小さく吹き出す運転手さん。

「おっちゃん、岸から見てるだけでも気持ちが悪くなったのによぅ」

「いえ、それは……」

「まあいい。おっちゃんは気に入った。これから向かうのはよ、」

「はい!」

「和歌山県の先っぽだ」

「え?」

「串本宇宙センターっちゅう所よ」

「えぇっ?」

 

 神阪さんへの電話はなかなか通じなかった。

 どうやら向こうも移動中のようで、何度かけ直しても”電波の届かない場所”にいるらしい。

 串本に向かう事情は運転手さんも詳しくは知らないみたいだった。

「とにかく”ロケットと天野奈津希を確実に、かつ大至急串本に送り届けろ!”って言われただけだからねぇ。詳しい事はわかんねぇ」

「そうですか」

 仕方ないのでロケット部うちの情報部に問い合わせてみることにする。

 幸い由里子はワンコールで出た。

「由里子! 串本のアレ……」

『ちょうど良かった。さっき判明したの。あの謎の”A-1ロケット”だけど、どうやら安曇の神阪さんがナイチンゲールのために突っ込んだオーダーらしいわよ』

「え? それって?」

『大島の施設がトラブったときの保険らしいわ。今回は本当に助かったけど、無駄に心配して損した』

 そのまま電話口の向こうで盛大にため息をつく。

「でも、それって……」

『実際、かなり前から手配していたらしいわよ。最近じゃ串本の冬の打ち上げウインドウなんてなかなか取れないし。確認したら神阪さんはあんたの熱気に当てられたって笑ってた』

「……でも、打ち上げ申請ってだけでも結構お金がかかるよね。大島が順調だったら無駄になったかも知れないのに……」

『あんた、今さらそれを言うの?』

 由里子は呆れ声を上げた。

『安曇や神技工大がナイチンゲールあのこに一体いくらつぎ込んでると思ってるのよ!』

「……ゴメン、詳しく知らない」

『あのねえ、もはやナイチンゲールは産学協同プロジェクトも同じ。安曇なんて下手すればウチらよりよっぽどお金使ってるはずよ』

「そうなんだ」

 財布の紐は由里子に預けっぱなしで、必死に金策に走り回る以上のことには今の今まで考えが及ばなかった。

 でも、安曇からほいっと提供された炭化ケイ素のシームレスパイプだって、よく考えてみれば今のところ世界中で一社独占の超ハイテク技術だ。販売すれば結構な値段で売れるのだろう。

「由里子、私、もしかしたらものすごく大変なことやらかしてるんじゃないかな?」

『フッ、ことの重大さにようやく気付いたか』

 フフンと鼻で笑われる。

『判ったら意地でもナイチンゲールを成功させるの。いい? 牟田口の鼻を明かしてやるんだから』

 ああ、ここまで来てもさすがは由里子。すさまじい執念だ。

『とまあ、そんな訳で、私達もできるだけ早くそっちに合流する。詳しくはその時にね』

 それだけ一気にまくし立てると、返事も待たずに電話は切れた。

 

 私とナイチンゲールは、翌十二月二十一日の日の早朝、串本宇宙センターに到着した。

「じゃあな、なっちゃん。また何か大事な物を運ぶときには声かけてくれよ。仕事ほっぽって駆けつけてやっからよ」

「いえいえ、そこは仕事を優先しましょうよ」

「いやー、俺もなっちゃんの応援団に混じらせてもらうから。じゃあ」

 運転手さんは高い運転席から見下ろしながら笑顔で私にそう言い残すと、エアホーンの音も高らかにセンターの門を出て行った。

 移動中ずっと、足の下でゴロゴロと力強く鳴り響いていた六気筒、十リッターツインターボのエンジン音が次第に遠ざかって行く。

 私はエンジン音が聞こえなくなるまでじっと見送ると、大きく伸びをして長時間のドライブでこわばった身体をほぐし、東の空に目を移した。

 黒雲がオレンジ色の隈取りをまとっていよいよ高く壁のように湧き上がっているのが見える。あの真下、多分伊豆半島の西に台風の中心があるのだろう。

 私達はクリスマス台風の進路とすれ違うように日本列島を西に走り、何度かの休憩を挟んでようやく串本にたどり着いた。

 途中はずっと暴風雨だったけど、ここ串本では西側の雲がすでに切れはじめ、次第に台風の影響が薄れつつある。ただ、相変わらず風は強い。

 遠く、オペレーションタワーの壁面に貼り付けられた電光掲示板では、北寄りの西風、いまだ風力は十五メートル/秒を越えていることが表示されている。これが五メートル/秒を下回らない限り打ち上げは不可能だ。

「さて、と」

 私は大きく深呼吸をする。

 ここ、串本宇宙センターは、世界的にも珍しい純民間主導のロケット打ち上げ施設だ。

 名だたる大企業が出資者に名を連ね、今のところ成層圏観測用の小型ロケットや、マイクロサテライトと呼ばれる超小型人工衛星の打ち上げに特化している。

 紀伊半島の南の端に位置しているため北と北西以外のどの方向にも打ち上げが可能だけど、漁業との兼ね合いで打ち上げが可能な時期はかなり狭いと走に教えられた。

 自然、わずかなウインドウ打ち上げ可能時間を巡ってメーカー間で常に激しい攻防が繰り広げられており、私達のようなまったく実績のないアマチュアがそこに割り込めたのは幸運以外の何物でもない。

 同時に、安曇窯業の新規参入に向けた並々ならぬ意気込みと強いプレッシャーも感じる。

(でも……)

 私は改めて東の空に広がる黒雲を睨みつけた。

(走、私はやるよ)

 心の中でそう呼びかけると、既に安曇のスタッフが下準備を始めている管制棟を目指して歩き出した。


---To be continued---

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