第33話 既視感《デジャブ》

「本当にこれで良かったのかなぁって」

 その日の夜。

 閉店後のガッティーナで夕食まかないをつつきながら、私はシェフを前に今日の出来事を報告し、そのまま愚痴ともつかぬ繰り言をぶつぶつとつぶやいていた。

「なんだか話が大きくなりすぎだと思いませんか?」

「でも、つい何日か前、今のままじゃ一歩も先に進めないって泣きべそをかいていたのは誰だっけ?」

 ニヤリと笑ってそう突っ込まれる。

「…私です」

「だったら、とりあえず一歩でも先に進んでみること。ヤバいなって思ったらさっと引き返せばいいだけじゃない?」

「いやあ、むしろ日常的にオーバーラン気味で」

「フフフ、確かに」

「ヤバいって思う前に取り返しがつかない所まで突っ走っているケースがこれまでにも多々ありまして」

 私は自戒を込めてそう言うのだけど、シェフはますますおかしそうに声を上げて笑う。

「笑う所じゃないですよー。本気で悩んでるんですからっ」

「でも、今までだってなんとかなってたのよね」

「いや、それは」

 思い立ったら猪突猛進の私がこれまで大やけどをせずにいられたのは、私を抑えてくれる高性能なブレーキかけるがいつも一緒だったおかげだ。でも、今はそうじゃない。

「いつも私の暴走を抑えてくれる人がいましたから…」

「それって、かける君のこと?」

「あ、はい」

「…そっか」

 そうつぶやいたシェフはすいと立ち上がり、空になったティーポットを抱え上げる。

大麦茶オルヅォ、もう少し飲む? それともコーヒーにする?」

「あ、私自分で行きますよ」

「いいから座ってて」

 そのまま厨房に消えたシェフは、氷の入った大ぶりのグラスとワイングラスを両手に持って再び現れた。

「はいどうぞ」

 冷たく冷えた大麦茶のグラスを手渡され、一方シェフ自身はワイングラスを持ったまま私の正面に座る。

「ねえ、走君に会いたい?」

「え? ええ。それはもう」

 唐突にそう尋ねられ、思わず本音が漏れる。

「でも、一生懸命病気と闘っている彼の邪魔はしたくないので…」

 グラスを見つめながら、複雑な胸の内をどう表現しようかと悩む。

「私のロケット作りが少しでも励ましになっているのなら、今は、それで我慢しようかなと思ってます」

 答えながら、何日か前、メッセージアプリで思わず宣言してしまったことを改めて思い出す。

「実は私、言っちゃったんですよねー。クリスマスイブに彼の病室から見えるくらいのロケットを打ち上げてみせるって」

 あれはちょっと先走りすぎだったと自分でも反省している。あの時点では全然見通しすらない、単なる願望でしかなかった。

 どうにかもっと励ましたいと思ううち、ついつい妄想が大爆発しちゃった結果がこれだ。

「ヤバかったです。私、本当にどうしようかと思ってました」

 あれ、ということは、やっぱり今日の出来事は私にとって悪い話ではなかったことになる。

「ほらね、結局なるようになるものなのよ。この先も悩んでいる暇はないわ。クリスマスなんてあっという間よ」

 でも、そう言いながら私を見つめるシェフの瞳は憂いをみ、ワインの酔いのせいか、うっすらと潤んでいるようにも見える。

「あの、シェフ」

「ん、なあに?」

「シェフはどうしていつも私の背中を押してくれるんですか?」

 前から不思議に思っていた。

 私をある意味利用しようとする(私も同じだからお互い様なんだけど)ぬりかべ先輩や神技工大と違って、シェフには私の面倒を見るメリットがほとんどない。アルバイトにしたって、別に私でなくとも代わりはいくらでもいそうだ。

 無言でうんうんと頷いていた彼女は、ワインを一口飲み、意を決したように口を開く。

「恩返ししたいなと思って」

「恩返し? 私に?」

「いいえ、恩送りペイフォワード、と言うのかな。直接本人に返すことはもう叶わないから」

「それって…」

「あなたの前にこの店を手伝ってくれてた人。ううん、むしろガッティーナの生みの親って言えるかも知れない」

「え!」

「…そうね、いい機会だからナツには話しておこうかしら」

 そう吹っ切るようにつぶやくと、シェフはグラスに残ったワインをぐいと飲み干し、コトリとテーブルに置いた。

「私の両親は、私が高二の時に亡くなった。突然の交通事故でね」

 真弓先生からその話は聞いていたけれど、改めて本人の口から聞くとやはりショックだった。高二ということは、今の私と同じだ。

「娘の私から見てもとても仲のいい夫婦だったけど、まさか死ぬときまで一緒じゃなくてもいいのにね」

 私は、どんな顔で頷けばいいのか判らなかった。

「あまりにも急な話だったから、私はただうろたえるだけで、どうしていいか全然判らなかった。そんなときに、二つ年上のいとこが突然訪ねて来てくれて、お葬式のことから遺産相続のことまで、全部を手配してくれたの」

「その人とは親しかったんですか?」

「ええ、子供の頃はすぐ近くに住んでいたから。でも私が中学に入る頃に家族で大阪に引っ越しちゃって、それ以来会ってなかったわね」

「へえ」

「大学で東京に戻ってたらしいんだけど、あの時は本当に助かった。彼女、たった二歳差なんだけど驚くくらいしっかりしていて」

 へええ、私から見るとシェフだって十分しっかりしているように見えるんだけど。

「おかげでこの家は手放さなくて済んだし、それなりの額の遺産が私の手元に残った。その時彼女に『あんたはぼんやりしているからOLには向かない。何か手に職をつけなさい』って言われて調理師の道を選んだの」

 このシェフをぼんやり扱いするということは、その人は相当なやり手だったんだろうなあと思う。

「で、最初は都内のイタリアンレストランで修行していたんだけど、仕事のテンポが違いすぎて仲間と全然合わなかった。ある時何気なく辛いってこぼしたら、だったら日本でグジグジ悩んでないでさっさと本場で修行してこいって背中を押されて」

「へえ、シェフって留学してたんですか!」

「そう。お祖父さんのつてで運良く修業先も見つかって。結局二年、イタリアで勉強したわ。で、戻って来たら今度は『あんたは雇われ人には向かないから自分の店を持つべきだ』って力説されて」

「すごいですね。普通はなかなかそういう発想にならないですよ」

「ええ、でも彼女が言うと不思議に説得力があるのよねー」

 シェフは笑う。

「あんまりうるさいから、じゃあお金もないしこの家でやるって半分冗談で言ったら、『そうそう客も来ないだろうからちょうどいい、逆手をとって一日限定五組で採算が取れるようにやれ』って言われて…」

「はぁー、なんだか色々すごいです」

「だから、最初の頃は本当にリビングにテーブルを並べて、お客さんは玄関から靴を脱いでこんにちはーって入ってきて、彼女が接客して、私はキッチンで料理して…」

「えっ!」

 驚いた。さすがにそんな状態で客なんて来るのだろうか?

「それが彼女があちこちで宣伝してくれたおかげで不思議にお客さんが途切れなくて、さすがに常連さんが増えてさばききれなくなったんで去年、一階を全部潰してちゃんとしたレストランにしたの」

 すごいなと思う。住宅地にある普通の民家でレストランを開業しようとするシェフもかなりぶっ飛んでるし、常連さんが増えたのは並外れた料理の腕が理由だろうけど、なによりこんな不思議なお店に途切れなくお客を呼んで来る、いとこさんの営業力がどう考えても普通なみじゃない。

「で、その人は今、どこに? ぜひともお会いしたいです」

 本気でそう思う。でも、シェフは悲しげな表情で小さく笑うと、肩をすくめてため息をついた。

「ここを改装するタイミングで結婚して、旦那さんの転勤にくっついてシアトルに行ったんだけど、向こうで交通事故に遭って、亡くなったわ」

「え!」

 私は言葉を失った。

 そんな。そんな理不尽なことってあるだろうか?

 両親を突然亡くされて、店がこれからというタイミングで信頼していたいとこさんを同じ原因で奪われて…

「そんな顔しないで。さすがに一周忌も過ぎて気持ちもだいぶ落ち着いたし」

 言いながら立ち上がると、フロアの隅にある飾り棚から一番小さい写真立てを手に取って戻って来た。

 あの飾り棚は店の中で私が手を触れないで欲しいと言われている唯一の場所で、これまでは私も遠慮して決して近づかなかった。

「ほら、この人」

 手渡された写真立ての中に仲良くおさまった三人の若い女性。うち二人は翠風高校ウチの制服を着て並び、その後ろで私服姿の女性が二人の肩を抱くようにして笑っている。

 制服の一人は今と面影がほとんど変わっていない、シェフだ。そしてもう一人は間違いなく真弓先生。

 そして最後の一人。私は不思議な既視感デジャヴを覚えた。

「よく似てるでしょ?」

 言われて言葉が出ず、ただコクコクと首を振る。

 フレームの中でニコニコ笑っているその人は、驚くほど私にそっくりだった。


---To be continued---

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