第34話 幻影
「先輩、ナツ先輩!」
いきなり名前を呼ばれて我にかえる。
「ふわっ? 何?」
「どうしたんですか? ずいぶんボーッとしてましたけど」
「ごめん。昨日あんまり眠れてなくて」
「そりゃそうか。死ぬ気で神技工大の全面協力をもぎ取って来たばかりですからね。大金星、どうもお疲れ様です!」
坂本君が何を勘違いしたのか熱い賞賛のまなざしで私を見つめてくる。
別に死ぬ気でも頑張ったわけでもない私は無垢な子犬のような目でまっすぐ見つめられるのがどうにも居心地わるく、目線をあちこちさまよわせるうちに今度は中村君とバッチリ目があった。
「あ、ナツさん、これ、見てくれませんか?」
彼は呼ばれたと勘違いしたのかA3のプリントアウトを持ち上げると寄ってくる。見ると昨日メッセージアプリで方針を伝えたばかりのハイブリッドロケットのラフ図面だった。
「うわ、仕事はやっ!」
思わずのけぞる。
「そんなことないです。必要な
それにしても有能だ。ここに私がいる意味があるのかなと本気で悩むくらい。
「これ、どう思います? 飛びますかね?」
ところがどっこい中村君はとっても謙虚に聞いてくる。
仕方がないので言われるままにスケッチを眺め、そして、そこはかとない違和感を感じる。
「これ、大きいよね? とっても」
「目標高度二十キロですからね。必要な推力から燃料の量を考えるとどうしてもこのくらいの大きさが必要になります」
「それにしても、うーん、そっかー、全長八メートルか…」
私の手で抱えられるほど小さかったNーⅢ型と比べると一気に十倍以上に巨大化している。しかも相当に細長い。
それにしても、何だろう? 後頭部で小さな虫がうごめいているようなムズムズとした違和感。
そう、バランスが悪いのだ。
文化祭の時、NーⅢ型の形を決めるため、私はとにかく手当たり次第にいろんなデザインの模型を作っては例のバロウマンメソッドでバランスを確認し、重心に糸をつけてバカみたいにぐるぐる振り回すことを繰り返した。ひたすら何日も何日も。
その一部始終を見ていた由里子には頭がおかしくなったと思われたけど、そのおかげなのかどうなのか、うまく飛ばない設計は見ただけでなんとなく判るようになった。
理論が追いついてないので他人にうまく説明は出来ないのだけど、とにかく後頭部がモヤモヤ、ムズムズするのだ。
「ごめん、あのさ、まったく何の根拠もないんだけど言っていい?」
「ええ、ぜひ!」
「これだとうまく飛ばないような気がする」
「えぇ? 何でですか?」
いきなり否定されてさすがに目を剥く中村君。
「だからごめんって、根拠なんてないんだ。でもね、これまでも頭の後ろがこう…」
説明しながらもしゃもしゃとポニーテールの根元を掻く。
「こんな変な感じがする事があって、その時は不思議にうまくいかないの」
「…予知能力っすか?」
信じられないような目つきで私を見る彼。いや、それは絶対違うんだけど。
「まさか。もしそうだったらテストでもう少しいい点数とれると思う」
「そりゃそうか。でも、うーん…」
中村君は口元に手を添えてしばらくうーんと考え込むと、私に赤マジックを手渡して言った。
「このスケッチの上に、ナツさんがいいと思う形を描いてくれませんか?」
その目はひどく真剣だ。
「面と向かって飛ばないって言われるとちょっと腹も立ちますけど、でも相手が本能でロケットを飛ばすナツさんっすからねえ」
「本能って…」
なんだそれ、褒められているとはとても思えないぞ。
とはいえ、手渡されたペンを構えて少し考え、元のスケッチよりだいぶ太く、高さも抑えた
「こんな感じ?」
「なるほど。で、こいつの直径はどのくらいのイメージですか?」
「うーんと、こんな感じ」
私は両手で丸い形を作って中村君に見せる。彼はすかさずポケットから巻き尺を取り出すと私の手に添えてつぶやく。
「直径二百五十ミリ、高さは五メートルと少しって感じですか。これなら飛びますか?」
「だからそれを私に聞かないで。理屈は苦手なんだって」
「いや、それがそう無茶な感じでもなさそうなんですよね。僕らも直径を細くして全長を延ばすか、太くして代わりに全長を抑えるか、三人で結構悩んだんですよ。でも、そうか、よし!」
彼は何だか一人で勝手に納得すると、ブツブツつぶやきながら佐藤君と山本君を手招きし、私に理解できない早口の専門用語で猛然と議論し始める。
こうなると私は孤独だ。一通りの結論が出るまで何時間でも放って置かれるのが最近の日常になりつつある。
「天野さーん、暇なら
と、みそっかすになった私を見かねたのか、タイミング良く大野さんにお使いを頼まれる。戻る頃には中村君たちのマッドな議論も終わっているだろうと思い直して小さく頷き、デスクに散らかしたノートと筆記用具をポイポイとカバンに放り込む。
「真弓先生、車出してくれるそうですよ」
大野さんが操作していたスマホの画面をこちらに向けながら笑顔で付け足してくる。どうやら彼女はいつの間にか真弓先生のアカウントまでゲットしていたらしい。なんだそれ、私には教えてくれないのに。
「それじゃまあ、行ってくるよ」
昨晩のこともあってしばらく真弓先生の顔は見たくない気分だったのだけど、仕方ない。ここから神技工大に行こうと思うとバスと地下鉄を乗り継がないといけないのでずいぶん面倒な上に時間もかかる。
「ふう、仕方ないか」
思わず小さなため息をつくと、私は部室を後にした。
とっても親しくしてくれた人が、実は私自身ではなく、その後ろによく似た別人の面影を重ねていたとしたら?
はたして私は怒るべきなんだろうか? それとも悲しむべきなんだろうか?
昨日のシェフの打ち明け話は私の胸の奥に妙なわだかまりを残した。
おかげで眠りは浅く、夜中に何度も目が覚めた。
これが彼氏とかだったら逆にわかりやすい。まともな恋愛をした経験がないから偉そうには言えないけど、お互い相手ときちんと向き合ってなければ恋愛は成立しないだろうな、と思う。
こっちがいくら相手のことが大好きでも、肝心の相手が自分を通り越してその向こうの
私の場合、シェフがどうして私にこれほど良くしているか判らず、昨日の話でようやく腑に落ちた。
彼女は素直に
(それは判っているんだけど…)
わがままだとは自分でも思う。でも、彼女の告白を聞いて、何だかちょっと寂しいような、残念なような気持ちになったのだ。
そして、私は今、もしかしたら真弓先生も同じなのではないかと疑っている。
シェフと真弓先生は高校時代からの親友だし、写真を見ればいとこさんともかなり親しい仲だったことはわかる。
これまで、真弓先生が一教師の枠を越えて私にくれた様々な手助けが、実は私の向こうにいるいとこさんへの思いだとしたら。私は一体どう反応すればいいのだろう。
いとこさんのおかげで私は明らかに得をしてる。でも、それはずるいことでは? そんな気持ちが頭の中で渦を巻く。
「おう、行くか」
そんな答えの出ない問いをぐるぐる考えてボーッとしていると、真弓先生が蹴り出すようないつもの歩き方で駐車場に現れた。
「どうした? 寝不足か?」
「ええ、ちょっと」
誰のせいだよ、まったく。そう思いながらも口には出さず、先生の後ろについて車に向かう。
いつもの私なら遠慮なく質問していただろう。「先生が親切にしてくれるのはシェフのいとこさんと私が似てるからですか?」と。
でも、答を聞くのが少し怖かった。
もし、「そうだ」と言われたら?
自然無口になってしまい、真弓先生が色々話しかけてくるのに生返事で答えているうちに、車は神技工大に着いてしまった。
「そうですか、ハイブリッド、やる気になりましたか!」
森川教授は今日もテンションが高い。
中村君からは改良案のスペックが早々とメッセージソフトで届いており、問われるままに画面をそのまま読み上げると教授は驚いたように目を丸くした。
「それは、君達だけで決めたの? ネットか何かの情報を参考にした?」
「いえ、特に何も参考にはしてないと思います。特にサイズなんかは私がえいやっと決めましたし」
「ふーむ」
森川教授はその返事を聞いてそのまま黙り込んだ。
「ヤバかったでしょうか?」
「…いやー、偶然っていうのはやはりあるモノだなあと思ってね」
「偶然?」
「君達の設計は国内各所の宇宙工学系大学で開発が進んでいる五m級ロケットのスペックにとても近いんだよ。目標到達高度は他と比べてダントツに高いけどね」
「あのー、何か問題が…?」
話が見えない。困って振り向くと真弓先生も腕組みをしたまま私と同じような困惑の表情を浮かべている。
「いや、むしろ好都合だよ。
「いやあ、それが、あるんです」
「え?」
今度は森川教授が驚きの表情を浮かべた。
「五m級の? 何でそんな物?」
「いえ、何でって言われても…」
PV撮影の予算で物理科学部のメンバーが調子に乗って巨大な発射台を作ったのだけど、その時は単純にカメラ映えだけを考えてのことで、まさか後でこんな話になるなんて思いもしなかったし。
「ふーむむ」
森川教授は再び唸りながら腕組みをすると、今度は真弓先生に向かって感心したように言う。
「私は今回の話がうまくまとまって本当に良かったと思いました。お宅の生徒さん達、本物ですよ。よそに渡したくないですね」
「いやあ、真性のバカばかりで本当にお恥ずかしい限りで…」
「天野君。設計が固まったらいつでも相談に来て欲しい。開発工房にも最優先で対応してくれるように根回ししておくからね!」
「は、はい」
改めて握手を求められ、満面の笑みで嬉しそうにぶんぶんと振られる。
歓迎されているらしいので文句も言いづらいけど、毎回この圧倒されるほどの熱量では少しばかり暑苦しい。
(そのうち慣れるのかなあ)
そんなことを考えつつ、とりあえず目的であった部員全員の入構パスを受け取ると、私はバイトを口実にして早々にその場を離れた。
「どうする? 帰るんなら送って行くぞ」
研究室のある本部棟を出た所で真弓先生に尋ねられる。
「あ、えーっと、ちょっと寄るところがあるので…」
何だかこのまま一緒に帰るのが気詰まりだった私は、とっさのウソでそれを断り、先生の車を見送って少し離れた場所にあるバス停に向かう。
中途半端な時間という事もあってほかにバス待ちをしている学生の姿もなく、がら空きのベンチに座って一人、考え込む。
「どうしよう。なんだか気まずい」
だいたい、こんなモヤモヤした悩み事は私には向いていない。
仕方ないので、走だったらどうするだろうと考えてみる。
柄にもなく深く考え込んでしまったせいで、目の前に停まった白いベンツに気付くのがわずかに遅れた。ベンツからするりと降り立ったゴージャスな装いの見知らぬ女性は私を見て大きく頷くと、いきなりこう言った。
「あなた、天野奈津希さん? ご本人よね?」
---To be continued---
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます