第21話 諦めたくない

 特別教室棟の屋上で手すりにもたれ、私は夕闇に沈みつつある街をぼんやりと見下ろしていた。

 うちの学校はちょっとした丘の上にあり、東と西はひらけていてそれなりに遠くまで見渡せる。たとえば東側にはお寺の敷地を挟んで赤い車両の私鉄が横切り、その向こうにはひたすら一戸建てメインの住宅街がずっと向こうまで広がっている。

 高い建物がないので見晴らしは悪くない。学校のすぐそばに墓地があるのはちょっとどうかと思うけど。

 お陰で怪談話には事欠かず、どこの学校にもよくある学校の七不思議的なエピソードの三つまでがこの墓地に絡んでいる。

 まあそんなわけで生徒が出入りできる屋上の中でもこの場所はダントツに人気がない。というか普段はだれも自分から近づこうとはしない。

「あー、どうしよう」

 思わず声が漏れる。

 答えの出ない難問を同時にいくつも突きつけられて困り果てた私は、一人でじっくり考えられる場所を探し回ったあげく、こんな場所でぼんやり風景を眺めている。


 文化祭はおかげでつつがなく終了し、宮前先輩の曲も無事に学習塾チェーンのCMに採用された。

 それだけだったら、バンザイ良かったね、で一件落着だったのだけど、なんと先方が希望したのは、CMの映像素材にはPVのバンド部分、ではなくむしろその逆。つまり私がこっ恥ずかしい決めポーズであれこれやっている方をベースに……という予想外の展開だった。

 なんでも、ひたすら前向きな歌詞と私の無謀なチャレンジ(はっきりそう言われた)が、これから受験本番を迎える受験生の心に刺さる、という判断らしい。

 その場で貧乏高校生にはおよそ縁のない額の出演料を提示され、追加の撮影もそれほど不要と言われてついふらふらと心が動き、首を縦に振ってしまったのが人生最大、痛恨の大ミステイク。

 地方テレビ局深夜の十五秒スポットで一週間ほど流れるだけだからと説明を受け、それだけならまあいいやと軽く考えていたら、サブで展開されていたWeb広告用の三十秒スポットが例のPVとリンクされてネット上に大拡散される事態に発展する。

 どうもぬりかべ先輩と学習塾の広報さんは最初からそっちの方をメインで考えていた節もあり、まあ、結果から言うと私はうまく嵌められたっぽい。

 さらにさらに。

 被服研が再び持ち込んできた例のSFチックなデザインの制服(冬服バージョン)に身を包み、全長九十センチ、直径三十ミリのN−Ⅲ型(改)を抱えて荒れ地に立ち尽くす私の全身写真が〝私は夢を諦めない〟という白抜き極太ゴシックのキャッチコピーが入ったポスターになる。

 まあ、そこまでならギリギリ許せないこともない。

 ところがこれが特大サイズに大伸ばしされて地元私鉄の駅貼り広告に展開されるという、これまた私の予想を遥かに超えた成り行きになる。

 これ、最初は確か、塾の入り口と、入塾希望者に配布されるチラシに使用……とかいう話だったはずで、広告業界って怖いと本気マジで思った。

 さて、その結果、何が起きたか。

 学校の周囲に、明らかに地元住民とは異なる風体のお兄さん達が出没するに至る。

 〝たで食う虫も好き好き〟とはよく言ったもの。メイクさんの超魔術とモノクロフィルム風の荒れた仕上がりの相乗効果で、私のような地味な素材もとでも、ざっと三割増しくらいはきれいに見える。貼られたポスターを本人が見ても、あんた一体どなた様ですかというほどの美少女ぶりだ。

 それが一部の特殊な層ものずきに受けたらしく、駅にポスターが貼られ始めたあたりから、私とよく似た背格好のポニーテールの女子が電柱の陰からカメラで隠し撮りされるといった被害報告が職員室や生徒会に多数寄せられるようになる。

 幸い、今のところそれ以外に何かをされた、という訳でもないらしいけど。

 で、挙げ句の果て、今日の放課後には、ついに事情聴取の名目で真弓先生に呼び出された。

 本当にもう、完全なとばっちりだ。

「まあな、お前に責任を取れとまで言うつもりはないが……」

 狭い進路指導室の机の向こうで、真弓先生は苦虫をかみつぶしたような表情で言う。わざわざ言われるまでもない。私だって被害者だ。

「どっちかというと真壁の作戦ミスだけど、まあ私としては、当面おとなしくしてろ、としか言いようがない」

「……そうですよね」

 私も同意する。本当にもう、ため息しか出ない。


 PV撮影も文化祭も終わり、堂々とロケットを打ち上げる名目を失った上、私は解決できないもう一つの重大な問題を抱えていた。

 Nナツ−Ⅲ型(改)は少しばかり飛びすぎたのだ。

 もちろん、このサイズのモデルロケットとしては……という前置きが付くのだけれど、少なくともうちの高校から打ち上げることが難しくなった。

 モデルロケットの打ち上げにはそれなりに広いスペースが必要で、N−Ⅲ型(改)の場合、六百メートル近くも打ち上がる。となると、安全確保の為には最低でも直径百五十メートルくらいの空き地が必要になる。サッカーコートなら並べて二面なんとか取れるというグラウンドのど真ん中に発射台を置いたとしても、長さはともかく幅方向が少しばかり足りない。

 文化祭の時はプールから打ち上げたので実を言うともっとギリギリだった。まさかそれほど飛ぶとは思わず、風に流され敷地の外までさまよい出た機体を見失わないよう追いかけるのに回収班は相当苦労したと後で聞いた。

 一回だけなら「そんなに飛ぶとは思いませんでした。ごめんなさ~い、テヘッ」で済むかも知れないけど、最初から飛ぶとわかっているのに素知らぬ顔して打ち上げるわけにはいかない。

 軽量なボディにわざわざ重りを追加してデチューンするか、より非力なエンジンを使えば打ち上げ高度そのものは抑えられる。でも、それじゃ今度は何のために頑張って高性能なモデルロケットを作ったのかわからないし、妙な小細工を重ねて万が一、事故でも起こせば、せっかく生徒会が勝ち取った火気使用緩和の決定が反故ほごになる。協力してくれた真弓先生や宮前先輩にも迷惑をかける(ぬりかべ先輩は除く。あいつにはもう少し迷惑をかけてもいい)。

 というわけで、これ以上にっちもさっちも身動きが取れなくなってしまったのだ。

「で、お前、今後どうする?」

 小さなため息交じりに発せられた真弓先生の問いに、私ははっきりと答えられず、もごもごと口ごもる。

 飛ぶとは言っても今の記録はせいぜい数百メートル。私が密かな目標にしている高度百キロの宇宙空間になんて全然届かない。

 でも、このままいくつも足枷のついた状態でロケットを作り続けても、宇宙に手が届くというビジョンがちっとも見えなくなってしまったのだ。

「……ちょっと判んなくなってきました」

 私は悩んだ末、今の気持ちを正直に打ち明ける。

「うちではもう、これ以上の高度に打ち上げることはできません」

「お前のロケットはとにかく高度重視、だしな」

 私は無言で頷く。

「どこか大手のロケットクラブが開催しているイベントとかに参加して、というんじゃだめか?」

「年に一、二回、ようやく打ち上げが出来る程度じゃ気軽にテストも出来ないし……」

 悩んだ末にそう答える。

「本当はもっともっと、ずっと高くまで打ち上げたいんです。この程度じゃとても……」

 走に認めてもらえない。それは、何よりも嫌だ。


 気がつくと既に日はとっぷりと沈み、夜空には一等星が輝き始めていた。

 このまま墓場を見下ろしながらぐるぐる悩み続ける無意味に気付いて大きなため息をつき、顔を上げた私は、住宅地の向こう側、北寄りの地平線近くに輝く明るい星に目を奪われる。

「えーと何だっけ? あの星」

 人間星座早見盤の由里子なら即答するところだ。

 でも、あいにく私は出来の悪い天文地学部員なのですぐには判らない。左手にぶらんとぶら下げていたスマホを覗き込み、お気に入りの星図アプリを起動して北東の空に向ける。

 こいつはとってもよく出来たアプリで、GPSで観測場所と方位を拾って、その場所から見られる星を実際のカメラ映像に重ねるように表示してくれる。

「あー、カペラか」

 なんとなくつぶやいた所で、メッセージアプリがピロンと音を立てた。


〝たった今、カペラが水平線に顔を出したよ〟


 走だった。良かった。今日は調子の良い方の走らしい。

 私はうんうんと頷きながら早速返信を打ち込もうとスマホを握り直し、ふと、違和感に気付く。

「たった今? いや、そんなことないでしょ」

 私の見上げる夜空では、カペラは既に地面からかなりの距離に浮かんでいた。

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