第19話 みかん色のロケット
屋上に出る鉄扉のドアノブは日光に灼かれ、素手ではとても触れないほどの熱を持っていた。
私はスカートの裾部分を鍋つかみのように使ってドアノブをひねり、立て付けの悪い扉を右足で蹴り飛ばすようにして押し開ける。
「うわ! あっつ!」
ゴゥンと重い音を立てて扉が開く。
途端に吹き付けて来る熱風とまばゆい日光から顔を逸らしながら私は思わず声を出した。
夏ももう終わりだというのに、屋上はまるでオーブンの中のように蒸し暑い。
うだりながら広い屋上を行ったり来たりして何とか作業できる場所を探す。給水タンクの影は陽射しがさえぎられ、風も適度に抜けるのでいくらかマシに思えた。
私はその場に新聞紙を広げると、中庭で適当に拾ってきた小石で四隅を押さえ、完成したロケットを慎重にその真ん中に立てる。さらに指を舐めて風向きを確かめる。
スプレー缶を逆さまにしてカラカラと振り、風が弱まるタイミングに合わせて風上側から小刻みにスプレーを吹く。一度に厚塗りしないように薄く何度も塗り重ね、適当なところで新聞紙ごとぐるりと回して反対側にもむらなく吹き重ねる。地味だけど、こういう工作じみた作業は案外嫌いじゃない。思わずハミングが出る。
暑さのせいで塗料はあっという間に乾く。本当はゆっくり乾かす方が仕上がりは良くなるのだけど、無い物ねだりをしても仕方ない。何度か同じ作業を繰り返し、なんとか満足できる塗りになったところで自分もその場に体育座りして、ぼんやりと空を見上げた。
刷毛で掃いたような薄い雲が所々に見えるだけで、空は抜けるように青かった。
「……ああ、もう空があんなに高い」
こんなに暑いのに、空の様子はもう秋の様相を見せている。
「私は、どこまで行けるかなあ」
思わずつぶやきが漏れる。
モデルロケットの製作についてネットで検索しまくったおかげで、その能力と限界についてもそれなりに知ることができた。
日本で合法的に打ち上げられるモデルロケットの到達高度は地上からせいぜい数百メートルが限度らしい。何より、モデルロケットを高く打ち上げが出来る広大な空き地自体がほとんどない。飛行機の航路が密集している都市部では、そもそも打ち上げ自体が厳しく制限されている。
それ以上の高みを目指す
ちなみに、オーロラが出るくらいの高さ、地上から百キロメートルより上が国際的な取り決めで〝宇宙〟だと決められている、らしい。
もちろん大気には海面のようなはっきりとした境目はないけれど、この仮想的な境界、カーマンラインを越えてより高く上がる機械を宇宙機とか、宇宙船と呼ぶ。
つまり、私が最終的に目指す高度は地上百キロメートル。
未だに三階建ての校舎すら越えられない私のみかん色のロケットが、カーマンラインを越える日は果たして、本当に来るのだろうか?
「はい、スタンバイ!」
夜明けの空気がひんやりと肌に心地よい。
立ち並ぶビルの向こうの空は既にオレンジ色に染まりつつあったけど、私の頭上にはまだ深い群青色が広がり、西寄りの空には、半分ほどに欠けた月が白く輝いていた。
「はい、アクション!」
LEDランプが私とロケットを明るく照らし出すのをきっかけに、私は発射装置を握りしめた右手をぐいと持ち上げ、多少ためを作って鋭く月を睨む。
「はい、そのままホールド、つぎの合図で発射よろしく」
真壁先輩の構えるカメラが正面から右の方に回り込んでくるのを視界の隅で感じながら、由里子が代行して読み上げている
「秒読み行くぞ、腕を延ばして!」
手が震えそうなほど重たい発射装置に内心毒づきながら、表情には出さずに銃でも突きつけるように腕を伸ばす。
「三秒前、二秒前、一秒前、発射!」
バシュッ!
明るい炎と白煙を吹き出しながら、N−Ⅱ改はまっすぐ天を突く。それを追いかけるようにゆっくりと顎を持ち上げ、左手で髪をかき上げる。
「はい、カット! OK!」
ぶっつけ本番の打ち上げは見事に成功した。相変わらず皮肉っぽい薄笑いを浮かべていた前嶋部長の表情がみるみる引き締まったのを見て少しだけ溜飲が下がる。
「はい、煙が晴れたら次のカット行くぞ!」
私は用意していた二本目のNーⅡ改を発射台にセットし、三本目をまるでダーツの矢でも構えるように左手にぶら下げる。
「もう少し右、はい、左に半歩戻って」
言われるままにゆっくりと位置を調整し、発射台を真正面に見てカメラを背負う位置取りで仁王立ちする。
「左手のロケットが見えない! 足を半歩開く!」
「こうですか?」
「はい、OK、そのまま動くな。発射装置を水平に構えられるか?」
「うへぇ? けっこう重たいんですけど!」
「我慢しろ! アクションと同時に水平に持ち上げてそのまま、腰を入れろ! 行くぞ、はい、アクション!」
くっそ! ムダに重たく作りやがって!
内心のイライラを厳しい表情に隠し、必死で耐える。早くして~!
「五秒前、四、三、二、一、発射!」
バシュッ!
二号機はさらに高く空を突いた。ボディを限界まで薄く削り、念入りに磨き上げた私入魂の作だ。
「はいカット!」
その声と共に上空でポッと白い花のようにパラシュートが開く。
うーん。快調、快調。
「よーし、もうすぐ夜明けだ。朝日が差し込んで天野の顔を照らす出す瞬間を取り逃すな、天野! 横向け! 早く!」
由里子がさっと寄ってきて後れ毛をすいっとかきあげていく。
「カメラ回しっぱなしで行くぞ! 朝日が差したら天野、ロケットに軽く口づけ、いいな!」
あー、やっぱりこのシーン撮るんだ~。
なんだか照れくさくって最後まで反対したシーンなのだけど、ぬりかべめ、聞いちゃくれない。仕方ないので覚悟を決める。
唇を薄く開き、撮影用にクリヤー塗装でピカピカに仕上げた三号機を右手に持ち替える。
「行くぞー、朝日出るぞー、よし! 出た。溜めて、溜めて、まだ動くな! はい!」
軽く目をつぶり、三号機にちょこんとキスをする。うー、恥ずかしー!
「よーっし、カット! お疲れ!」
ふうう、私は大きくため息をつくと張っていた肩の力を抜いてくたっと座り込む。
結局、N−Ⅱ改を実際に使った撮影は全部で三日ということになり、私が撮影のために用意したみかん色のロケットボディは結局十本になった。
うち二本はクローズアップ撮影用にきれいに磨いてクリア塗装を重ねた重めのタイプ。これは最後まで飛ばさないまま、文化祭の当日は天文地学部の部室で展示物になる。
残りの八本は実際に打ち上げる本番機とその予備。さらにそのうちの二本は超軽量、二本は超重量と作りわけ、シーンに合わせて上昇スピードが異なるように調整してみた。
結局、よりハイパワーなC型エンジンを使うのに必要な三級ライセンスの到着がギリギリになり、テスト打ち上げは非力なA型エンジンを使った一度しかできなかった。
この初日にうまく打ち上がるかどうか、実を言うと賭けだった。
ホッと緊張が緩んだのもつかの間、真壁先輩と前嶋部長がカメラを片手に厳しい顔で近づいてくる。
まさか、リテイク?
「今のテイクに撮り直しは、ない」
「わー、やったー」
思わず子供みたいにバンザイ。本音がだだ漏れる。早起きしたかいがあった。
「……お前、大したもんだな」
回収されたN−Ⅱ改を手にした前嶋部長がわずかに引きつった表情でそう話しかけてきた。何だかちょっと悔しそうだ。
「これ、材質は何だ? 一見、FRPっぽいが、とんでもなく軽い。カーボンとも違うし……」
なるほど、さすが物理技術部。エンジニアとしては気になる所だろう。
「フフ、秘密です」
私は内心ニヤリとしながら答えた。前回いじめられたささやかな意趣返しだ。
「天野奈津希、朝食は撮影費から出る。領収証をもらうのを忘れずにな。食事を済ませたら十時に映研の部室前に来てくれ」
まだ何か言いたそうな素振りを見せる前嶋部長を遮るように真壁先輩がスケジュールを説明し、私は由里子に引っ張られるようにその場を離れた。
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