第9話 決意

 真弓先生の紹介してくれたレストランは学校と私の家のちょうど中間あたり、商店街からは大分離れた住宅街の中にポツリと建っていた。

 イタリアンレストラン風の洒落た外観だけど、駐車場はたったの三台分しかない。遠方からのお客さん狙いというより、近くに林立する分譲住宅やマンションのママ友の溜まり場にでもなっているのだろう。

 ただ、ディナータイムにはまだ早いこの時間、他には文庫本を読みふけるおじいさんが一人いるきりで、店内はがらんとしていた。

 バス路線から微妙に離れ、高校生が入るには多少勇気のいる独特の店構え。確かに、ここなら同級生に見つかる心配もないだろう。

「相変わらず空いてるなあ。そのうち潰れるぞ」

 水を持ってきた美人なウェイトレスさんにいきなりとんでもない暴言を吐く真弓先生。

「ご心配なく。それよりも、あなたなんかいると他の客が寄り付かないから帰ってくれない?」

 ウェイトレスさんも毒舌では負けていない。

 二人とも表情だけはニコニコと完璧な笑顔を保ったままで言うから聞いているこっちがヒヤヒヤする。と、矛先が突然こちらを向いた。

「あなたも大変よね。この人運転も荒いし、よく無事にここまでたどり着けたわね」

 私の前にも水の入ったグラスを置きながら、半分同情の混じった口調で話しかけられた。困る。

「まあ、もう慣れました」

 どう答えたものかと思案し、比較的当たり障りのない答を返す。だが、真弓先生のお気には召さなかった様子。

「お前、つまらん言いがかりをつけるなら奢ってやらんぞ」

 つんと顔をそむけながらクレームをつけられた。仕方ない。取り繕っておくか。

「イエ、イツモ、トッテモヨクシテイタダイテマスヨ」

「なんでカタコトなんだ?」

「だって……」

 面倒くさいヒトだな。

 思わず口を尖らせる私の前にすいとメニューが置かれる。

「うちは一応イタリアンがメインなんだけど、言ってくれればカツ丼だってカレーだって出しますからね。何でもお好きなものを注文してね」

「あ、ありがとうございます」

「どうせ払いは真弓ちゃんでしょ? 遠慮なんてしなくていいからね。ちなみにうちで出せる一番高いメニューはシェフのおすすめ和牛サーロイン——」

 いたずらっぽいウインクをしながらそうささやきかけてくる。

「いいから! いつもの身内向けディナー二人前、コーヒーも追加で!!」

 先生は無造作にメニューを放り投げながら言葉をさえぎる。相手も心得たもので、片手で鮮やかにメニューをキャッチすると、ひらひらと振りながら鼻歌交じりに厨房に下がって行った。

「お知り合いなんですか?」

「言ったろ? 高校時代からの腐れ縁。アレで結構苦労人だぞ。両親を早くに亡くして、残されたこの家をレストランに改装して一人で切り回してる。やり手のオーナーシェフだ」

「え! ここ、もともと普通のおうちだったんですか!?」

「ま、多少立派でしゃれた造りではあったけど、一般住宅だったな。だいいち、普通の脳みそがあったらこんな住宅街のど真ん中で客商売なんか考えないだろう?」

 ああそうか。

 私は疑問が解けて少しだけすっきりした。でも、それでもやっていけると言うことは、不利な条件を跳ね返すだけの十分なアピールポイントがあるという事になる。

「まあ、私が言うのも何だが、ここのメシはうまいぞ。昨日のファミレスとは雲泥の差、だな」

「ええ? じゃあどうして昨日は連れてきてくれなかったんですか?」

 逆恨みとは思いつつ、少しいじけてみせると、

「……ああ、昨日のお前は修羅場になりそうな気配だったし、私だって知り合いの前では格好いい先生を演じていたいからな」

 胸を張ってそう言われた。

 ああ。

 思わず感嘆のため息が漏れた。

 この人、生徒の前でも全く取り繕う素振りを見せない。きっと人生楽しいだろうなと感心する。

「そんなことより、ほれ」

 背の高いグラスに入ったミネラルウォーターをぐびぐび飲みながら先生はあごをしゃくる。

「邪魔しないよう大人しくしといてやるから。それ、読むんだろ?」

 そうだった。大事に抱えていた本の存在をようやく思い出し、どちらから読み始めようかと少し悩んだ末、まずは闘病記の方に手をつける。

 薄々覚悟はしていたけどやはり一人で読むにはヘビーな内容で、目の前に先生がいなかったら沈んだっきりになるところだった。


「へっひょふ、おまへはろうふるふもぃ」

「何言ってるのかわかりません。それに行儀悪いです」

 もっちりした生地がおいしいスズキのピザを口いっぱいに頬張りながら真弓先生が意味不明な声を出す。

 いや、訊かれている内容はなんとなく判るんだけど、すぐには答えにくいというか、もう少しだけ頭を整理する時間が欲しくてあえて冷たく切り返す。

「ふー、いつもながらうまいな、これ」

 でも、そんなことはお構いなし。いつの間にか追加注文したらしいワインでピザを胃袋に強制移動させた真弓先生は、口元を子供みたいに手の甲で拭いながら満足そうに頷く。

「ところでお前、意外と本を読むのが早いな。知らなかったよ」

 テーブルの脇に積んだ本に目を向けながら驚いたようなセリフが続く。

「ざっと拾い読みしただけですから」

「いや、それでも相当なもんだぞ」

 オーダーした料理が出てくるまでのわずかな間に、私は闘病記のアウトラインをあらかた読み終えていた。じっくり作者の心情まで読み込んで深刻な気分になるのが嫌だったし、とりあえず知りたかったのは走がどんな治療を受けることになるかという点だけだったから。

 走のおかげで、私も本に触れる機会には事欠かなかった。彼の部屋には壁一杯の幅に天井まで届く特注の本棚があって、少女コミックから難解な哲学書まで、ジャンルも対象も様々な本がびっしり詰まっていた。

 しょっちゅう寝込む彼は病床の退屈をまぎらわすために本を読みまくり、走の家に行くたびに私も(主に漫画本だけど)よく読んだ。本を読むスピードだけは走にも負けない。私の数少ない特技の一つだ。

「あ、ありがとうごございます」

 毒舌マシンガンの異名を持つ真弓先生にほめてもらえることなんてめったにない。素直に嬉しくて思わず素直に頭を下げた。

「で、どうだ?」

「え、本当においしいです」

「味じゃなくて、走の方」

「ああ、そっちですか」

 いきなり切り込まれて心臓がドキンと跳ねた。

 私は無意識につばを飲み込み、胸の前に手を当てて心を落ち着ける。

「ええと、白血病にも色々あるみたいなんではっきり言い切れるわけじゃないんですけど……」

「そうだな、白血病はあくまで表に出ている病態で、本体はファンコニ貧血って難病な」

「ええ、でも、小さい頃にも入院したことがあるんですよ。その時は確か血液の病気だって」

「……その時はまだ診断が確定してなかったのか」

 真弓先生が小さくつぶやくのを聞き流し、私は本の表紙を撫でる。

「私にはよくわかんないですけど、白血病の治療なら、受けることになるのは普通、抗ガン剤と放射線でガン化した白血球物含め骨髄を全滅させる治療と、他人の健康な造血幹細胞を移植する骨髄移植みたいです。ただ……」

「ただ?」

「走の手紙では、なんだか新しい薬を試すらしくて」

「危険なのか?」

「わかりません。劇的な効果と激しい副作用がセットらしくて、だからあいつ、あんなことを……」

「あんなこと?」

「あ、いえ、ちょっとプライベートなことで……」

 腿の上に両手を突っ張って顔を伏せる私を慈愛のこもった目で見つめた真弓先生は、空のグラスにワインを注ぎ、私の前に自然な仕草ですっと差し出す。

「飲むか?」

「だだだっ! 駄目に決まってるじゃないですか!」

 私は誰かに見られないかと慌てて周りを見渡し、ぐいっとグラスを押し戻す。

「制服を着た高校生に堂々と酒を勧めてどーすんですか!」

 小声でたしなめる私に、

「やっぱり駄目かー」

 真弓先生はちぇ~っといった表情でグラスを引っ込めると、そのまま自分でぐいと飲み干す。 

「お前はもう少し肩の力を抜いた方がいいと思ったんだよ」

「気持ちだけ頂いときます」

 それほど張り詰めているつもりはなかったけど、やっぱり端から見ると危なっかしく見えるのだろうか?

「ま、とりあえず全部食っちゃえ」

「はい!」

 まあ、相変わらず方向性はちょっと変だけど、気遣いはとても嬉しい。胸の奥がじんわりと暖かくなった。

 私は気を取り直し、今は並べられた料理を味わうことだけに集中する。


 自宅に戻り、シャワーを浴びてすっきりしたところで、私は覚悟も新たに借りてきたもう一冊の本を開く。

 表紙には〝とことんカンタン!〟なんてアオリ文句が書いてあるけど、それでも私にはちょっと、いや、相当に難しかった。

 挿絵や図解の多さに助けられ、どうにか最後まで読み通して判ったことは、ロケットには大きく分けて〝液体燃料式〟と〝固体燃料式〟そしてそのハイブリッドがあるらしいということ。

 さらに、日本最初のロケットは固体燃料式で長さわずか二十三センチ、その名も〝ペンシルロケット〟であったこと。そして、液体燃料式の方が構造が複雑だが、そのかわり性能を上げやすいこと、くらいか。

 走が必死に開発していたペットボトルのロケットは基本原理を理解するだけなら充分だけど、結局おもちゃの域を出ない。

 私が手がけなきゃいけないのは、いわゆる正統派の化学ロケットであることだけははっきりした。

「さて、どうしよう」

 この先、どこから手をつければいいのかしばらく悩む。

 当然と言えば当然だけど、この本にはロケットの作り方なんて一行も書いていない。

「とりあえず、やってみないと始まらないよね」

 気になったのは本の一番最初のページにあった古代のロケットのイラスト。筒の大きさが消化器ほどもあることを別にすれば、形はどう見てもロケット花火だ。

 真弓先生には馬鹿にされたけど、これがロケットの元祖だとすれば、試してみること自体は無駄にはならないはず。

 とりあえず、明日の朝一番でロケット花火を買いに行こう。とりあえずの方針が決まったところで、私は走にメッセージを送る。


〝明日からロケット作るからね〟


 既読はなかなかつかなかった。

 けれど、私は確信していた。走がこのメッセージを無視するなんてあり得ない。

 そう、私のロケット作りはここから始まるんだ。

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