第7話 ズブの素人

「ねえ、ちょっと聞いてもいいかな?」

 その日の午後。

 私は作業に没頭している由里子の後頭部に呼びかけた。この娘は自分の世界に入り込むと周りのことすべてに構わなくなる悪い癖があって、この日も、私が部室の立て付けの悪い扉をガタピシやってもまったく見向きもしなかった。当然一、二度呼んだくらいで返事をくれることはまれで、タイミングが悪いと最初から最後まで一日中無視されっぱなしという事もある。本人にはまったく悪気がないのだけど、この調子でクラスで孤立していないのか、こっちが心配になる。

「何?」

「うおっ!」

「何なの? そっちが呼んでおいて何で驚くのよ?」

「あ、ごめん。まさか返事してくれると思わなかったから」

 予想外に早い反応に驚いてしどろもどろな返事を返す私を疑わしそうな目で見て、由里子は小さく肩をすくめる。

「ま、いいわ。で何の用?」

「あ、あのさ、例の文化祭発表のことなんだけど…」

「決まったの?」

「ううん。ただ、ちょっと気になるテーマがあって……」

「何?」

「うん……〝ロケット〟なんてどうかな?」

 由里子は一瞬考え込むように首をかしげ、私の目を覗き込むように顔を近づけてきた。

「何? あんたもついに〝かける菌〟に感染したの?」

「え?」

「口さえ開けば『ロケット作る、作りたいっ』て言うのはあの子でしょ?」

「……うん、まあ、まったく影響がなかったとは言えない」

 由里子は小さくため息をつく。

「正直言って天文地学部のテーマとしては違和感あるわ。むしろ物理技術部の縄張りになりそうな気がするけど」

「そう……」

 言われてしょげる私を見て小さくため息をついた由里子は、右手の製図用ドローイングペンを振り上げながら続ける。

「まあ、〝あかつき〟とか〝はやぶさⅡ〟とか〝SLIM〟とか。探査機と結びつければとりあえず天文分野だという言い訳は立つんでしょうけど……。それより、どうすんのよ?」

「どうするって?」

「あんた、それ、全部一人でやるつもりなの? 走、いないんでしょ?」

 言われて私は目を丸くする。昨日の時点で、由里子は走が入院したことを知らなかったはず。相変わらず信じられないほど情報が早い。

「あ、うん、そのつもりなんだけど……やっぱり駄目かな?」

「はあ?」

 大げさに驚いて椅子の背もたれに寄りかかる由里子。

「あんた、自分の理数系の成績ちゃんと把握してる? それで文理選択が文系なんでしょ? どうすんのよ? 無理だと思うけど」

 あっさり断言される。確かに、自分の成績は自分が一番よくわかっている。柄でもないことを口走っているという自覚もある。でも、反対されると逆に反抗心が湧いてくる。

「むーっ、誰も彼も口をそろえて『無理だ無理だ』って言う。やってみないとわかんないことってあると思わない?」

 頬を膨らませてそう抗議する私に、

「思わない。あんたには無理!」

 由里子はクールな表情のまま眉一つ動かさず変えずズバリと言い放つ。

「そこまですっぱり断言されると、腹が立つよりむしろすがすがしいよ」

 呆れて嫌味で返す私に、彼女は小さくため息をつくと、手元のバインダーからA3サイズのプリントアウトを抜き出して机の上に広げる。

「これ、今回のレイアウト案なんだけど……」

 見ると、手描きされた地学教室の精巧な平面図だった。まるで本職の建築士が手がけたように精密で美しい。さすが完璧主義をモットーとする由里子らしい。

「由里子」

「何よ」

「変な才能あるわね」

 途端に由里子は口をへの字にした。

「はいはいありがと。それよりいい? あんたの発表はここからここまでね。A1サイズのパネルが最低三枚、あと、できればこのあたりに動画が欲しいわね。モニターとPCは電算研から借りられるように話をつけておくから、スマホの動画でも何でもいい、必ず何か見せられる映像を用意してちょうだい」

「やっていいの?」

「いくら反対したってどうせやるんでしょ。結果の見える不毛なやり取りはお断りだわ」

「由里子~、ありがとうっ!!」

 抱きつこうとする私の手を邪険に払いのけながら、 

「それより、自分で言い出したからには半端モノでお茶を濁すのはなしよ。それだけは約束してちょうだい」

 真剣な目つきで念を押されてしまう。

「う……それは、なんとか」

「じゃあ、あの独身まゆみせんせいに話をつけてきて。多分手こずるわよ」

「どうして?」

「ま、それも行けば判るわ」

 それだけ言うと、由里子は再び星図の描き起こしに戻る。全身から邪魔するなオーラを放射して人を寄せ付けようとしないその姿に、私は小さくため息をついて部室を出た。

 

「うーん、賛成はできないな」

 眉をしかめ、腕組みをして背もたれに寄りかかる真弓先生。最初っから拒否のポーズ。由里子の想像は当たっていた。 

「どうしてですか? 極めて真剣に文化祭発表に取り組むつもりなんですけど」

「あのさ」

 真弓先生は言いにくそうに口を濁し、鼻からふんと息を吐き出しながら続ける。

「お前の考えているロケットってどんなんだ?」

「はい、種子島で飛ばしているような?」

「なんで疑問形なんだ? 念のため聞くが、ペットボトルロケットじゃだめなのか? あれでも基本的な原理は十分説明できるぞ」

 駄目だ。と思う。

 確かに形は似てるし空は飛ぶけど、どんなに頑張ったって百メートルも飛びはしない。あの程度じゃ走を納得させられるはずもない。

「一応ちゃんと火を噴いて空を飛ぶヤツを作りたいんですけど」

「……火を噴く時点で許可は難しい」

「そこをなんとか!」

 私は顔の前で両手を合わせ、拝むように頭を下げる。だが、真弓先生の表情は相変わらず渋い。

「お前たちが入学する前年の話だが、演劇部が無許可で自家製の火薬を使った前例があるんだ。奴らなりに安全対策はしていたようだが、予想以上に激しく燃えて体育館中がパニックになった。煙で涙が止まらなくなった生徒が数十名、避難の際に転んで怪我をした生徒が数名。あげくに消防車が十台も駆けつける騒ぎになった」

 私の目を見つめながら、一言一言噛んで含めるように言う。

「それ以来、火気の使用は全面禁止だ。覆すにはよっぽどの理由がないと難しい」

「えーっ! 模擬店とかはガスコンロとか使ってるのにOKが出てるじゃないですか。なんでロケットはダメなんですか?」

「うむ、それは……」

 言いよどむ先生に私はここぞとばかりたたみかける。

「お願いです。絶対ゼッタイ安全なようにします。ほかの物に燃え移らないように校庭のど真ん中で飛ばします。もし何だったら水を張ったプールの上でも……」

「まあ、一応参考までに聞いておくが、一体どうやって作るつもりだ?」

「え?」

 思いがけない質問を受けて言葉に詰まる。

 どうって……

 さあ、どうやるんだろ? 肝心なことを考えてなかった。

「……ロケット花火をたくさん集めてきて、それを束ねて作るとか? とりあえず、部費で花火たくさん買ってもいいですか?」

 思いつきでとりあえず言ってみるが、呆れたような顔で首を振られる。

「莫迦、ありゃあおもちゃだろ。そんな物に金が出せるか。まあ、その程度の雑な計画じゃ許可なんてとても無理だな」

「そこを何とかお願いします。私、走に宣言しちゃったんですよねー。ロケット作ってやるって」

「……」

 真弓先生の持つ採点用の赤色サインペンがポトリと机に落ちる。

「あの、先生?」

「ヤツと……連絡取れたのか!?」

「あ、はい。でも、売り言葉に買い言葉でなんか大げんかしちゃって……」

「そうか…」

 真弓先生はガシガシと後頭部を掻くと、あっちこっちに視線をさまよわせた挙げ句、ぽつりとつぶやくように言葉を発した。

「あの、私は器用じゃないからこういう時に何て言っていいか判んないんだが……」

「はい?」

「お前もあんまり気に病むなよ。確かにファンコニ貧血はかなりの難病だし国内では症例も少ない。だが、白血病を発症した以上、このまま対処療法を続けても——」

「白血病!」

 驚きのあまり思わずあげた大声に職員室内の空気がビシッと凍り付いた。同時に真弓先生は露骨にしまったという顔になる。

「え! 走に聞いたんじゃなかったのか?」

「いえ、あの、初耳です。私にはただ、難病だとしか」

「あっちゃー!」

 真弓先生は右手で顔を覆うと痛恨の叫び声を上げた。

「先生、白血病って本当なんですか?」

「……ああ」

 観念した表情で渋々首を縦に振る真弓先生。

「正確には、先天性のDNA異常が原因で、様々な合併症を引き起こすらしい。白血病はそのうちの一つに過ぎない」

「で、走、どこに入院してるんでしょうか?」

「……入院先は判らん。私も本当に知らされていないんだ。ああ、余計なこと口走っちゃったなぁ」

「あの、先生」

 髪の毛をかきむしって後悔しまくる真弓先生に、私は居ずまいを正すと深く頭を下げた。

「教えて下さってありがとうございます」

 私のセリフがよっぽど予想外だったのか、鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くしている先生に改めて礼を述べる。

「誰も本当のことを教えてくれないんで、私、すごくイライラしていました。おかげで色んなことが腑に落ちました」

 流星群の夜、走が出した突然の鼻血、神隠しのように消えてしまった星川家のみんな。ここ数日の出来事が、先生の一言でようやくストンと理解できた。

「あ、ああ、そうか」

 いまだ面食らった調子でカクカクと首を振る真弓先生に頭を下げ、私は職員室を出た。

 静かに扉を閉めると、くるりと振り向きすぐに全速力で走り出す。

「こら、廊下は走るな!」

 いつものように怒鳴られるけど、私は一切足を緩めなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る