ナツのロケット ~文系JKの無謀な挑戦~

凍龍(とうりゅう)

第一章 ペルセウスの夜

第1話 ペルセウスの夜

「望遠鏡の設置終わりました~」


 三年生が引退し、この夏から部長を務めるようになったトモヒロの声が、暮れはじめた夕空に響く。


「よーし、じゃあ一旦手を止めて全員集合!」


 真弓先生がパンと両手を打ち合わせると、華奢な体格に似合わないハスキーな大声で部員を呼び集めた。

 展望台はさしわたしおおよそ二十メートルの十二角形で、手すりには方角に合わせてブロンズ製の十二支のオブジェが取り付けられている。私は、手近にあったネズミの頭を何気なく撫で、展望台の中央で仁王立ちしている真弓先生の元に駆け寄った。

 ざわめきが次第におさまり、ただヒグラシの鳴き声だけがあたりに響き渡る。真弓先生はみんなを見渡しながら私語が完全におさまるのを待ち、ゆっくりと話し始めた。


「さて、と。今夜の天気予報は快晴、月齢は一.〇、天体観測には絶好のコンディションだ。日没までに各自夕食、薄暮終了から十時まではそれぞれ目当ての天体を好きに観測、十時から二時まで仮眠」


 真弓先生はそこで一端言葉を切ってためを作ると、にっこりと笑う。


「その後は本日のメインイベント、ペルセウス流星群だ!」


 自分でもテンションが上がってきたのか、そのまままっすぐ天を指さす。


「というわけで、ナツとカケルはお湯を沸かしてくれたまえ、お茶にしよう」


 先生はそのまま足元の分厚いアルミのレジャーシートにどかっとあぐらをかくと、傍らのナップザックからごそごそと何か取り出した。見れば『国産あたりめ徳用パック』。相変わらずやる事なすことがすべておっさん仕様の残念系美人、それが我が天文地学部の顧問、吉田真弓(二十七歳独身)だ。

 とはいえ、何かの間違いで彼氏が出来たり結婚したりすると、こんな風に一晩中学生の観測に付き合ってもらえなくなるだろうから、これからも末永く独身を貫いてほしいものだと思う。うん。


「なんだナツ、いくら睨んでもやらんぞ」


 ぼんやりそんな事を考えながら先生の手元を眺めていたら、いきなり拒否られた。


「え?」

「だから、これはやらん」

「違います。睨んでなんていませんし、第一、花の女子高生がどうして〝あたりめ〟なんか欲しがりますか?」

「なんだ、違うのか? うまいのに。ま、あげないけどな」


 先生はしょぼんと顔を伏せると、走が恭しく差し出した、寿司屋にでもありそうな湯のみをとって緑茶をグビリと一口飲み、


「お、カケル、ずいぶん腕を上げたな」


なんて言ってる。

 ほめられた走もまんざらでないようで、色素の薄い瞳を輝かせ、ふわんとした笑顔でうんうん頷いていたり。

 む、何だか面白くない。


「走、私、アールグレイ! ホットで!」


 わざわざ無理筋のオーダーを出してみる。


「うん、ナツの分はこれね」


 間髪入れず、おとめ座がプリントされたお気に入りのマグカップを手渡された。口をつけてみると、ちゃんと猫舌仕様の絶妙な温度に調整され、甘さもバッチリ私好み。八つ当たりしたい気分なのにまったく文句の付け所がないのが悔しい。


「むぅ」


 私はそれきり黙り込むと、両手でマグカップを抱えてちびちびとカップを傾ける。

 不意に涼しい風が吹き渡り、周りの木々がざわりと揺れる。

 その瞬間、ヒグラシの声が不意に途絶えた。


「ところで、カケル、おまえ、本当に大丈夫だったのか?」


 目を細めて夕雲を眺めていた真弓先生が、急に妙なことを言い出した。


「はい、ちゃんと親の許可はもらってきました」


 当たり前のように答える走。でも、あれ?


「走んち、そんなに門限が厳しかったっけ? だってほら」


 ふと疑問がわく。

 走とはずいぶん長い付き合いだけど、子供だけでお祭りの夜店に行くときも、花火大会の時も、わざわざ許可なんて取った記憶はない。


「それはいつもナツが強引に僕を引っ張り出すから……」

「なによぅ、走のパパだってママだって『なっちゃんに任せとけば安心ね』って言ってたじゃない」

「それはまあ、結局はそうなるんだけどさ……」


 困ったような表情で言葉を濁す走。


「まあ、未成年だからな、こういう時はちゃんと親の許可をとるのが世間の常識だぞ。ナツの家は一体どうしてるんだ?」

「うちはほら、放任主義ですから」


 そう言って胸を張る。

 よその家に比べれば確かに緩いのかもしれないけど、父は、私のやる事に注文をつけることはほとんどない。小さい頃は色々やんちゃが過ぎて叱られることはあったけど、それでも「他人に迷惑はかけるな」と言われたことはあっても、「二度とやるな」と言われた記憶はない。おかげでのびのびやらせてもらっている。

 まあ、それに付き合わされる走がどう思っているのかは判らないけど。


「ああ、そうだったな」


 頭痛を抑えるように眉がしらを押さえながら、真弓先生は小さくため息をつく。


「とにかく、無茶だけはするな……って今さらお前に言っても無理か」

「ひどいですね、先生、こんなおしとやかな美少女つかまえてその言い草、ちょっと見過ごせませんことよ」

「なんだその口調。いいからお前ら仲良く弁当でも食ってろ」


 真弓先生は本格的に面倒くさくなってきたのか、私に向かってシッシッっと犬でも追い払うように右手を振る。


「行こう、ナツ」


 H-Ⅲロケットのイラストがプリントされた大きめのマグカップを抱えた走がいつの間にか立ち上がって私を促す。


「うん」


 私は無意識にひざを払うと、走が差し出した右手を握ってさっと立ち上がった。




 展望台の北の端に据えられた、ずいぶんと年季の入った直径15センチの赤道儀付きの反射望遠鏡が私たちの担当だ。

 元は純白だったであろう長さ一メートルほどの鏡筒は淡い飴色に変色し、重い木製の三脚も、星を追うためのモーターも、あちこち細かい傷だらけだ。でも、元々は相当の高級品だったらしく、歴代の部員がメンテナンスを欠かさなかったおかげもあって、ボロい見た目に反して動作は快調、見える星もクッキリ明るく鮮明だ。

 ほかの部員が争奪戦を繰り広げている最新型の自動導入付き望遠鏡より、こっちの方が遥かにきれいな星像を見せる。

 まあ、確かに目標の星を捕らえるまでは一苦労だけど、一度目当ての星を視野に入れてしまえば、後は新型だろうが三十年物だろうが動作はほとんど同じだ。

 それに、目標の導入はどうせ走の担当だしね。

 私は三脚のそばに広げたキャンピングチェアに腰を下ろし、アイピースを覗き込んでいる走の横顔をしげしげと見つめる。

 ほとんど日焼けしていない病的なほど白い肌。頬だけが上気したようにピンク色に染まっている。


(ああ、まつげ長いな)


 確かにった顔つきをしている。一年の女子から告白されたという話は本当だったのかも……と、ぼんやり思う。

 走と私は保育園時代からの幼なじみで、お互いの家もすぐとなり。小学四年の時に私の母が家を出てからは、ほとんど家族同然のお付き合いだ。今でも夕食はほぼ毎日走の家でお世話になっているし、週の半分くらいはそのままお風呂を頂いて帰ることもある。

 ただ、あんまり身近にいつもいるせいか、つい、姉弟みたいなノリで接してしまう。


「告白された、どうしよう?」


 先月、そう相談されたときも、


「なんだ良かったじゃん、付き合っちゃえばいいのに」


とけしかけ、微妙な表情で見つめ返されてなんだか気まずい雰囲気になったりした。

 問いただしても機嫌が悪くなるだけなので、それ以上詳しい事は聞けていない。

 そんな事を考えているうちに、空の色が紺色に沈み、いくつかの明るい星がちらほらと瞬き始めた。


「ねえ、今日は何から観測する?」


 私は星座盤を空にかざしてくるくると回し、見えてきた星々が何なのか、当てずっぽうにつぶやいてみせながら、なるべく自然を装って尋ねる。


「うん、やっぱりアルビレオかな。僕の一番好きな星」


 走は上気した頬のまま、こっちを見てにっこりと笑った。

 その瞬間、なぜだが胸の奥がチクリと痛んだ。




「わかる? オレンジ色の明るい星と、コバルトブルーの暗い星が並んでいるのが」


 望遠鏡を私に譲った走は、いつものようにプラネタリウムの解説者顔負けの説明を付け加える。


「アルビレオは夏の大三角を形作る三つの星座のうちの一つ、はくちょう座のくちばしの先にある星なんだ」

「うん」

「で、肉眼だと一つの星にしか見えないんだけど、望遠鏡で見ると、実はこんな風に二つの星がお互いの周りを回る二重星だってことがわかるんだ」

「へえ?」

「ナツ、『銀河鉄道の夜』っていう話、知っているよね?」

「宮沢賢治の? 確か小学校の頃、教科書で読んだかな」

「そう。その中で、この星、アルビレオは、『サファイヤとトパーズの大きな二つの透き通った球が、輪になって静かにくるくると回っていました』って表現されている」

「ふーん、ってことは、宮沢賢治がそのお話を書いたときにはもう、二重星? って事はわかってたんだ」

「そう。でも、最近、この二つの星は、本当にお互いの周りを回っている二重星かどうかってところが疑問だと言われはじめている」

「え? 二重星じゃないとすると、何なの?」

「うん……ただ、地球から見て同じ方向に並んで輝いているだけの恒星」

「それはちょっと、なんだか寂しいね」

「……まあね」


 そこまで言うと、走は急に黙り込んだ。

 その途端、ひんやりとした風が展望台の上を吹き抜け、さっきまで聞こえていたヒグラシの声が突然途絶えた。

 私は何だか妙な胸騒ぎがして、アイピースを覗き込んでいた顔を上げ、暗闇に仄青く浮かぶ走の顔をじっと覗き込む。


「どうしたの?」

「別に。それより、アルビレオって僕らに似てると思わない?」

「どういうこと?」

「オレンジ色の明るい三等星と、コバルトブルーの五等星。ずっとお互いの周りを回り合っていて、遠くから見ると一つの星にしか見えなくて、そして……」

「……そして?」


 走はそこで言葉を切ると、不意に身体を起こしながら、


「それより、ねえ、そろそろお腹すかない? 実はさあ、お母さんにいなり寿司を作ってもらったんだ」


 急にテンションを上げて話をそらす。

 私はそんな彼の態度を不思議に思いながらも、走ママ特製、絶品いなり寿司の魅力にあっさり負けた。


「おお、いいねぇ。実はお腹ペコペコ」


 つられてハイテンションで答えてしまう。


「今日は黒糖で煮てみたって。自信作だからって言ってたよ」


 明るくそう言う走の態度には、ついさっきまでのミステリアスな雰囲気はもはや微塵もなかった。




「起きろっぃ! ペルセだぞ!」


 突然の大声でたたき起こされる。

 頭の芯がジーンと痺れたまま、寝袋からごそごそと這い出して無理矢理まぶたをこじ開けると、一瞬自分がどこにいるのかわからなくなる。


(ああ、そうか。展望台だっけか)


 暗闇を透かしてみると赤セロファンでカバーされた懐中電灯の光があちこちでひらひらと動いている。どうやらほかの部員も同じようにたたき起こされたらしい。

 左手を頭の上にかざしてインディゴブルーに光る腕時計の文字盤を透かしてみると、草木も眠る深夜二時。そろそろ本日のメインイベント、ペルセウス座流星群の極大だ。

 ところが、となりに寝ていた走はまだ身動きすらしない。


「おい、走、起きて! ペルセだよ」


 ペルセウス座流星群は毎年お盆の時期に極大を迎える流星群で、夏休みという事もあって私も何度も観測に付き合わされた。

 実を言うと、元々、私はそれほど天文に興味がなかった。

 小学校二年生の夏にたまたま旅行で訪れた種子島でH-ⅡAロケットの打ち上げを目撃し、それ以来重度の宇宙オタクに変貌した走に影響されて、私もいつの間にか星が好きになっていたという感じだ。

 男の子らしく走はロケットや宇宙開発に夢中になり、私は同じ天文でもどちらかというと星そのものや星座の物語の方に魅了された。

 それ以来、星川家恒例の夏のキャンプに招かれて、新潟あたりのキャンプ場で見上げていたペルセウス座流星群だったけど、高校受験を控えた中学二年の夏以降、すっかりご無沙汰になってしまった。

 特に去年。晴れて同じ高校に進学、そろって天文地学部に入部し意気揚々と迎えた極大日、台風による大雨で流星群を観測出来ず、走のがっかり具合はそばで見ていても痛ましくなるほどだった。で、リベンジの今年、ようやく四年ぶりにこの日の夜空を見上げている。見逃すわけには行かないのだ。


「走、走ってば!」


 言いながら彼の鼻を軽くつまんで呼びかける。と、指先に何だかぬるりとした感触。


「うわっ! 走、ごめん! 鼻血!」


 どうやら彼の鼻を強く引っ張りすぎたらしい。慌ててごそごそとポケットティッシュを探す私のそばに、騒ぎを聞きつけた吉田真弓二十七歳が猛烈な勢いでぶっ飛んできた。


「まずいな。おい、走、すぐに下のプラネタリウムに降りるぞ!」


 たかが鼻血で顔色を変える真弓先生をいぶかしく思いながら、ようやく目が覚めた走にティッシュを手渡す。


「ナツ、悪いが部長と一緒にこの場を仕切ってくれないか? 私は走を病院に連れて行く」

「え? はい、それは大丈夫ですけど、鼻血なんてティッシュ詰めておけばすぐ止まりますよ」

「いいから、おい、走、行くぞ」


 そのまま真弓先生と走はエレベーターに飛び乗り、あっけにとられる一同を尻目に二人は展望台から姿を消した。


「何なんだ、あれ?」


 トモヒロが怪訝な声で首をひねる。


「さあ?」


 私も、訳が分からないままそう答えた。

 そんな私たちの頭上では、今まさに、数年ぶりの大流星雨が始まろうとしていた。

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