僕は君と別れたい

毒チワワ

第1話 急募:彼女との円満な別れ方

僕には『恋人』がいる。


  3日前に付き合ったばっかりだけど。いや、別に自慢とかでわなくて、はい。ただ、言っておいた方がいいと思って言っときました。はい。






  彼は、誰かに説明する訳ではなく、脳内で1人語りをしていた。






  教室の机に伏せながら、長い黒板の上に置いてある時計に目だけを移した。






 ━━━もうすぐで15:50。彼女が来る。




  ついさっきまで生徒で溢れかえっていた教室には誰も居ない。


  彼以外誰もいない教室。






  創立15年を迎える新学校、私立鳳榴ほうりゅう学園。現在の生徒数、685人。全国学力テスト、県の中では上位に位置する。鳳榴学園は、新学校ながら多くの優秀な生徒を世に送り出してきた。7年前卒業した男子生徒は現在、有名なIT企業の会長を務めている。3年前卒業した女子生徒は医学部の大学を卒業し、外科医として活躍している。


 


  輝かしい将来を約束された学園。そんな北館4階の教室で彼は恋人を待っていた。彼女はいつもこの時間、この場所に、自分を迎えに行く為だけに此処に来るからだ。


 


  彼は1人教室の中央で何か思い詰めた表情で沈みゆく太陽を眺めていた。


 






  名は『蟒蛇真琴うわばみまこと』一件名前の迫力から厳つい男を想像するかもしれないが、蟒蛇はその反対で、喧嘩はおろか、虫1匹殺せない、なんとも女々しい男なのだ。




 


  ━━━今日こそは...言わなきゃ。






  今日、蟒蛇は恋人に別れを告げる為、心の中で、どう彼女を傷付けずに別れられるかを考えていた。






「真琴くん、お待たせ。」




  凛とした澄んだソプラノ声は、耳元で小さく囁かれた。




「.....九條さん。」






  ゆっくりと頭を横に向け、1拍ワンテンポ遅れて返事を返した。蟒蛇は『これ』にいつも怯えていた。








  彼女と別れたい理由の一つは『これ』だ、この教室はには自分以外誰も居ない、廊下にも誰か居る気配も無かった。それなのに何故、彼女は『音も無く』自分の真横に佇んでいるのかが分からなかった。教室のドアも窓も閉め切っているのに何故、ドアを開ける音や、足音、1回の呼吸さえ聞こえないのか。








  最初は周りが五月蝿くて聞こえなかったんだろう、と思っていたが、それは違った。




  放課後に忘れ物を取りに行った時だった。


  時間は16:47。後10分程で下校時間という事もあり、廊下や教室には、人っ子1人居なかった。ぼんやりと、今日の晩御飯は何かと考えながら来た道を戻ろうと踵を返した時、久美子は『後ろ』に居た。




  その時、『それ』は確信に変わった。彼女は意図的に音を『殺している』んだと、何故かは分からないが、まるで自分の存在を悟られない様に、映画に出てくる暗殺者ヒットマンの様に、 彼女の音は聞こえたとしても蚊や蝿の羽音程度のものなのだろうと自分の中で自己完結した。








「どうしたの?真琴くん」




「九條さん!!」




 ―――覚悟はしている。






「ぼくと!別れてください!!」




  身体は綺麗に90度の角度で曲がっており、頭を下げて、次に発せられる言葉を待った。






  返答は帰ってこなかった。




「.........。」








  この時、一般的な女性の反応ならば、目に涙を浮かべ、昂る怒りの感情を目の前の男にぶちまけるだろう。


 しかし、彼女は違う。九條久美子くじょうくみこは違う。彼女は『笑っていた』。それはまるで、天使の様に、とても優しい微笑みであったが、彼女の眼は氷のように冷たいものだった。






  何故、彼女が笑っているか、元々彼と別れたかったから笑っている訳では無く、彼が自分と別れることは『絶対に有り得ない』という確信があるから笑っているのである。


 




「..真琴くん」






 




「私は真琴くんが好きなの。」






「だから、別れるなんて言わないで。」


  彼女は外の冷気で冷えた手を、彼の頬に優しく包み、顔を自分の方に向けさせた。




「ね...。」




  蟒蛇にとって、彼女がこの際自分の事をどお思っていようが今は関係ないことだった。


  口には出してなかったけど、確かに感じた、眼で感じた、『別れる?そんな事をすれば、どうなるか分からないのか』そう、彼女から感じる。と蟒蛇は思った。




  先程の笑顔のまま、有無を言わせない圧力的な視線を向ける彼女は、蟒蛇の瞳孔をしっかりと捉らえていた。






「そっ....そうだね。きっと熱があって、自分でもよく分からないことを言ってたんだよ..きっと....。」




  弱々しく返事を返せば、久美子は少し安心した笑みを見せた。








「そうなのね、最近冷え込むようになったから。」




  『その言葉』を聞いて安心したのか、彼女は蟒蛇の頬から手を離した。


  彼は瞬時に冷たい視線から逃げ出すように顔を背けた。そして、久美子は思い出した様に声を上げた。






「あっ、そういえば今日は家の用事が入ってて一緒に帰れないの、ごめんなさい。」




「うん。大丈夫だよ...。」


  力なく返事を返した。




「それじゃあ、気おつけて帰ってね。」




  教室から出て行った久美子の足音は2,3歩ほどした後に完全に消え去り、静寂なる空気が教室中を漂った。






  蟒蛇はその場で尻餅をつき1人考えていた。


 


  これで何回目なのだろうか...。これまで何回彼女に別れたいと言ったか、これまで何回あの眼に負けてしまったのかと、けれど、結局最終的に行き着く答えはいつも決まっていた。


 














  ...その時の彼女はいつも酷ひどく狂気的で、美しかった。と。

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