第三章 第一節 魔法少女
第268話 なにを見たのだ——
他殺体が見つかった——。
生体管理局の管理AIからの一報は、イギリス警察を混乱させた。
この時代においては殺人事件や事故はほとんど発生しなくなったため、死体がどこかしらで見つかる、という事例はさほど多くない。それが他殺体となると、さらにその希少性は高まる。殺人を扱う刑事であっても、一生に一〜二回出くわすかどうかだ。
ジョナサンは刑事になってからもう数年経つが、自分が現場に出向かされるとは思っていなかった。自分はすでにベテランの域に達していると思っていたし、なにより死体検分の立ち会いなどは、ぺーぺーの新人の仕事と相場が決まっている。
しかもAI管理局が指摘してきた場所は、運のわるいことにランカシャー警察の管轄の一番端にある港街「フリートウッド」だった。ここに港があったのは、もう二百年以上も前の話で、海洋資源が枯渇してからはすっかり寂れ果て、今ではただの倉庫街となっていた。そこはロボット作業員以外には遠隔操作で監視をする『素体』が十体あるかないか、という『
だが、ひとっこひとりいないはずの場所で死体が見つかったのが不可解だった。
生体管理局のAI監視システムの目を盗んで、人を殺した事実だけでも驚愕なことであったが、だれもいないはずの場所で、となると、最新鋭のAI分析システムでもお手上げ状態のようだった。
納得のいく理由づけはおろか、もっともらしい仮説すらなく、結局『分析不能』のひと言で、人間側に丸投げしてきている始末だ。
「なんで先輩が選ばれたんでしょうね?」
電磁誘導パルスレーンに誘導された自動運転で、空を飛んでいるスカイモービルの運転席で新米刑事のディオが軽口を叩いた。
ジョナサンはその無神経質さにイラッとした。ジョナサン自身、その答えをもらわないまま、なし崩し的に現場に出向かされたことに腹がたっているのだ。それをただの疑問形ごときで、気軽に口の端にのぼらされてはたまらない。
ディオはスパニッシュ系の陽気な性格で、正直物で信心深い男だったが、お世辞に仕事ができるとは言えなかった。なにかあると、『これ、ぼくの仕事っすか』というのが口癖で、犯罪の種類や現場、一緒に組むバディをえり好みするきらいがあった。
残念なことに、デュオはジョナサンをえり好みの対象にしてくれなかった。犯罪管理局からの指示でジョナサンと組まされると聞くと、いちもにもなく馳せ参じた。
「他殺体が発見されたんだ。だれかが立ち会うしかないだろ。それに
「でも、これぼくらの仕事っすかねぇ」
「あぁ。オレたちの仕事だ。死人がでたときは、ロボット検死官やAI鑑識システム以外に、生身の人間がかならず二名以上現場に立ち会うことが、国際法で義務づけられているからな」
「でもなんで『フリートウッド』なんかに?。あんなとこ、なにもないでしょう」
「オレも知っちゃあいない。この倉庫街はシステムによって管理されている『食料保管庫』だから、基本的に人間は立ち入り禁止なはずだ。どうやって監視をくぐり抜けて入ったかがまったくわからんよ」
「えぇ。かなり警備は厳しいはずですし、許可なく人間が近づいただけで、ロボット警備兵が大挙してすっ飛んできて排除されますからね。このエリアに近づくだけでも至難の技ですよ。現にわれわれも現場へ急行させられたのに、近接許可がでるのに24時間待ちぼうけを喰らわされましたからね」
「あぁ。捜査しろと出動命令をよこしやがったのに、まるいちにち足止め喰らわすったぁ、どういう了見なんだろうな」
「それよか、AI監視システムはどうなってんでしょう。他殺体となれば、殺した犯人がいるっていうわけでしょう。なんで殺意を感知した時点で通報なり、生体操作で随意筋のロックとかしなかったんでしょう」
「いや、だいたい被害者がだれかがまだわかってないんだ。それがおかしい。ふつうなら命が脅かされた時点で、生体管理局のAIが危機を捕捉するだろうし、心肺停止したら、その瞬間にアラートや通報がリアルタイムでAI監視網にひっかかるはずだ」
「そうですよね。死後数日経った『死体』、なんて形で発見されるわけがないッスよね」
眼下に『フリートウッド』の倉庫街が見えてきた。倉庫は余った土地を埋め尽くすように広がっていた。ひとつの街がまるまる倉庫になっているような景観で、しかもどれもが平屋建てか、せいぜい二階建てという造りになっている。人が住まわない場所には、最先端の技術も、予算のかかる高層建築も必要ないという、割り切った発想の街だった。
上から街並みをみると、この場所にはスカイモービルでしかアクセスできないという事実をあらためて思い知らされる。
指定場所に近づくと、誘導ビーコンによって自動牽引されて、スカイモービルがゆっくりと下降をはじめた。
「死体の主は、陸路で来たのかな?」
「いや、ここまでの道はもう完全になくなってますよ。街がなくなってもう二世紀経ってますから、整備も怠っているし、途中までこれたとしてもここまではさすがに……」
「なら、船を使って海から近づいたのか?」
「それも無理だと思いますよ。ここの海は環境の変化で相当に荒れるそうですし、そもそも船をどこから調達するんです。スカイ・シップならまだしも、海の上をいく船なんてタンカーやクルーズ船くらいしか今はないですよ」
「だったら、被害者はどうやって……、いや犯人もそうだ。ふたりはどうやってここに来たんだ?」
スカイモービルから降りると、案内係とおぼしきロボットが待ちかまえていた。
「ランカシャー警察のジョナサンとディオだ。検死の立ち会いにきた。もうロボット検死官と鑑識AI班は到着してるんだろ?」
「お待ちしていました」
ロボットは、
「ところで、なんでこの場所に他殺体があるとわかったんですか?」
「あぁ。この間、『給電ステーション』の定期検査中に事故があっただろう」
ディオが『給電ステーション』に反応して、見るとはなしに空を見あげた。
「宇宙に浮かんでいる太陽光エネルギーを直接取り込むっていう、あれですね」
「いや、それは『太陽光オービタル』だ。『給電ステーション』はその光エネルギーを『エーテル電気』に変換して地表に送る中継基地で『外気圏』にあるやつだ」
「まー、ようするに、そのワイヤレス給電の施設のメンテナンス中に事故があったってことすよね」
「あぁ、ほんの0・数秒——。一瞬だけ給電が切断される事故が起きた。で、そのわずかな瞬間に、死体の生体チップの信号を生体管理局がキャッチアップしたらしい」
「偶然見つかった……、ってことですか」
案内係に連れて来られたその建屋は、街で言えば中心部になるであろう場所に位置する倉庫だった。ほかの建物に比べてもひときわ大きく見えた。
建屋の正面にあるおおきな扉に目をむけると、扉を背にして、ロボット検死官が仁王立ちのまま待っていた。このロボットは正式には、『KIT』のなんたらかんたらという型番号がついていたが、刑事たちはみな『キッチュ』と呼んでいた。検死官のロボットのくせになぜかトレンチコートを着ていて、まるっきり古くさいドラマの刑事の姿を模していた。ただ、問題はそれが目が痛くなるようなド派手な原色使いで、しかも冬も夏もかまわず着てくるため、現場の人間たちにはすこぶる評判がわるかった。どぎついやら暑苦しいやらで、いつからか『けばけばしい・悪趣味』という意味のあだ名で呼ばれたが、誰もそれに異を唱えるものはなかった。
その隣には鑑識システムロボが鎮座していた。ちょっとしたデスクほどの大きさで、六本脚で歩行する。現場をスキャンし、その場で検査や分析を行う機能を搭載しているので自走するラボという謳い文句だったが、刑事たちはみな『キッチン』と呼んでいた。テーブル面に設えられた検査エリアが、むかし各家庭に備わっていた『台所』という場所に似ているという話だった。
今では職業人やそういう趣味を持つ人でもない限り、家庭で『料理』を作るということがないので、ジョナサンもたぶん『台所』に似ているのだろう、という認識しかない。
キッチュ・キッチン——。毎度おなじみのコンビだ。
ジョナサンたちが近づくと、正面に立っていたロボット検死官『キッチュ』の目が光って起動した。まる一日待たされることになったので、省電力設定になっていたらしい。それを合図のようにして隣の六本脚の鑑識システムロボ『キッチン』が、折り曲げた脚を持ちあげて身体を起こした。
「待ってましたよ。ジョナサンさん、デュオさん」
見てくれからはすこし想像しにくい高い声が、ふたりを歓迎した。
「おぉ、悪いな。許可がおりなくて、丸一日足止めくったよ」
ジョナサンは相手がロボットであるとはわかっていたが、すこし皮肉をこめて、キッチュに詫びをいれた。
「検死官どの、死体どこですかね。まさかぼくたちが遅れたから、死体が腐乱しちゃってるなんてこと、ないですよね?」
ディオが端にも棒にもかからない冗談をキッチュにかました。
「ご安心ください。死体は『エレメント・フリージング(元素凍結)』倉庫内にあります」
「おいおい、おれたちが遅れたからといって、勝手にフリージング処理するのはだめだろう」
「いえ。死体は元素凍結倉庫内で見つかったのです。ですからわたしたちが運び込んだわけではありません」
「ちょっと待ってくれ。死体が凍結室で見つかったって……。そこは外部の人間の手で勝手に開けたり閉めたりできないだろう。まさか開閉システムがハッキングでもされたのか?」
「いいえ。まったく異常は感知されていません。この倉庫は330日と13時間一度も入出庫された記録はありません」
ディオがそのおかしな報告に、すぐさま食いついた。
「え?。どういうことです?。約一年も開け閉めがないって……、その被害者は一年前に殺されたってことですか?」
「それがわからないので、人間の方へ立ち会いを依頼しているのです。あまりにもイレギュラーすぎて、われわれAIでは合理的な説明ができません。ぜひ人間の直感やひらめきの力を貸してください」
「つまり、我々の『想覚』や『霊覚』を働かせてくれってことですね」
「ずいぶん気を使いそうッすね。これってぼくらの仕事ッスかねぇ」
少々『頭』を使う事案とわかって、ディオがまたいつものように軽口を叩いてきた。
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いいたします」
キッチュはディオの抗議をまるっきり無視して、背後にある大きな扉のほうに近づいて言った。すぐにズズズとくぐもった響きとともに扉が開きはじめる。キッチュは足裏から超流動斥力波を発生させて、身体をすこしホバリングさせると、そのまますこし浮遊した状態で滑るように中へと入っていった。すぐに鑑識ロボのキッチンがそのうしろに続く。
建物のなかはいくつもの通路が縦横に通っていて、区画ごとにきれいに切り分けられていた。そこに、おなじような見た目の『元素凍結室』が整然と並び、それが奥までずっと続いている。
ジョナサンは思ってた以上に広いと感じた。捜し出すまでに、相当時間がかかることを覚悟したが、キッチュは迷いもなく進んでいった。そして300メートルほど進んだところでキッチュが停止し、ふたりのほうへ上半身だけ回転させて言った。
「ここの『元素凍結室』です」
そう示された部屋はほかの場所に比べて、かなり小さかった。外から見ただけではわからなかったが、容積は『スカッシュ』のコートくらいしかないように思える。
「ほかと比べて、ずいぶん小さい部屋っすね」
ディオが見たままの印象を口にした。
「えぇ。この部屋は『レンタル貯蔵庫』で、『資源』をお持ちの方用として用意されたものですから……」
「はぁ、『資源持ち』様専用っすか?。で、ここはだれが借りてるんです?」
「いえ、この10年間借り手はおりません。ずっと空きとなっております」
ジョナサンの頭に疑問が浮かんだ。
「ずっと空きなら中はどうなってる?。元素凍結装置は動いてないのだろう?」
「いえ、空でも常に稼働しております。ですので、なかのものはすべて凍結しております」
「カッチ、カッチなのかい?」
ディオがすこしからかうような口調で訊いた。
「えぇ。常温での元素単位の『凝結』ですが、見た目は冷温で凍ったような……、そう『カッチ、カッチ』になっております」
「やっかいだな。凝結された死体では、検死に時間がかかりそうだ……」
ジョナサンはさらに時間をとられるのを予感したが、どっちにしろ最後まで立ち会うのが仕事なのだから、諦めるしかないと腹を括った。
「まぁ、いい。この扉を開けてくれ」
ディオが扉の前に進み出た。現場を前にしてテンションがあがってきたようで、ジョナサンに先んじて現場に踏み込もうとばかりに、うずうずしている様子が見て取れた。
扉がひらくとなかから、すこしひんやりとした白い
吹き出してきた
「どうした、ディオ?」
ディオの目はおおきく見開かれて、顔が強ばっていた。
「ひとり……じゃない……」
貯蔵庫のなかで、ゴトリ、と音がした。
その瞬間、貯蔵庫の入り口から、死体が滑り出てきた。
一体……ではなかった——。
ゴトン、ゴトンという派手な音と共に、凍った死体があとからあとから滑り出してきた。ディオがその死体に足元をすくわれて、その場に転倒するのが見えた。ジョナサンも避けきれない。凍った死体に足を
ジョナサンにあらゆる人種の死体が襲いかかった——。
黒人の男の死体にひざ頭をぶつけられて、よろめいたところに東洋系の女性の死体が胸を強打した。あわてて立ちあがった股のあいだを、ヒスパニック系の髭面の男の死体がすりぬけていく。
死体は完全体だけではなかった。途中から頭だけがまとまって何個も転がってきたかと思うと、腕、脚が滑ってきて、その隙間に胴体がそれを追い抜いていったりした。
『数十体やそこらなんかじゃきかないぞ』
パニックになりかかった頭でどこか冷静な部分が、ざっくりとでも死体の数を把握しようと務めていた。あまりにも信じがたい状況で、かえってどこかが
ジョナサンはふと、昔映像学習で見た、魚が陸揚げされたときの映像を思い出した。種類はわからなかったが、冷凍されたおおきな魚が、床を滑るようにしてどんどん集められている映像。まだ海洋資源が豊富に獲れていた500年ほど前の話だ。もしかしたら元漁港だったこの「フリートウッド」でも、むかしは見られたかもしれない光景だ。
今、自分にふりかかったこの事態は、それに似ている。ただ違いは、滑ってくるのが魚ではなく人間だということだ。
死体の転がってくる勢いがやっとおさまったと思った時には、ジョナサンは散乱したおびただしい数の死体に囲まれていた。一番遠くまで滑っていった死体は、ほかの死体に押されたせいで、100メートルほど奥にまでに達している。
「くそぅ、マジかよ」
ジョナサンは腹立ちまぎれに言ったが、すぐにディオがどうなったか気になって、すぐに右目の網膜の下部に表示されている自分とディオのヴァイタル・データを注視した。
その数字はディオがまだ生きていることを示していた。あわててあたりを見回す。
どこにもいない——?。
一瞬そう思ったが、床を埋め尽くす死体の隙間から、ディオが半身をおこすのが見えた。よくみると彼は壁面近くにある、ポールのようなものにつかまって、死体の
「ディオ、大丈夫か?」
ジョナサンは声をかけたが、ディオはそれには答えようとしなかった。彼は貯蔵庫の開いたままの入り口のなかを覗き込んでいた。いや、なにかに見入られていたというべきかもしれない。
これ以上、なにがあるというのか……。
ジョナサンも気になって、入り口のほうへ目を向けた。
と、わずかになかの光が見えた。そしてその光のなかで、誰かが、いやすくなくとも何かが、動いているのが見えた。ジョナサンからはよく見えない角度だったので、それがなにかはまったく見当もつかない。
だが、正面でそれをまともに見たディオは、目をおおきく見開いていた。よく見ると手や足が震えている。あわててディオの元へ駆け寄る。
「おい、ディオ、どうした?」
ジョナサンはすこしでも落ち着くように、とびっきり優しい口調でそう言った。だが、ディオの返事は長くたなびく悲鳴だった。ディオは自分の顔を自分で掻きむしりながら、悲鳴をあげはじめた。ジョナサンはディオの横で片膝をたてると、ディオの背中にゆっくりと手をまわした。落ち着かせようと背中をさすりかけた手がとまる。
ジョナサンの網膜に表示されたディオのヴァイタル・データに異常な数字が示されていた。いや異常というレベルではない。ディオの脳波は尋常ならざる波形を刻んでいる。
ジョナサンはディオの顔を見た。
ディオは狂っていた——。
あきらかに目の焦点があっていない。顔は恐怖のあまり病的なまでに歪み、まともではない表情となっていた。そして、口元にはぞっとする薄ら笑いを浮かべていた。
ジョナサンは反射的にディオがなにかを見た貯蔵庫のなかに目をむけた。
ほんの一瞬だけだったが、奥のほうでなにものかが動いているのが見えたような気がした。そこに空間の切れ目のような光が漏れでていて、その何者かがそのなかへ戻ろうとしている——。そう見えた。が、すぐにそれは消え去り、ただの貯蔵庫の壁だけになった。
ジョナサンはディオの顔に目を向けた。
すでに悲鳴はやんでいたが、代わりにディオは笑い出していた。顔にはすぐ軽口を叩きたがる陽気なディオの面影はすでになかった。笑い声がしだいに大きくなる。それは得体のしれない邪教で使われる楽器を、けたたましく打ち鳴らしているような
ジョナサンは恐怖のあまり、その場に崩れ落ちた。
なにを見たのだ——。
なにを見たら、一瞬にして気が狂ってしまうのだ?——。
なにを……。
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