第205話 腐った空気が自分にまとわりつこうとしている

 アスカはそこはかとなく機嫌がわるかった。


 リアル・バーチャリティ装置のシートのひじ掛けに、ほおづえをついたまま敵愾心てきがいしんをあからさまにしていた。だがアスカの立場にたてば、その気持ちはよくわかる。つい24時間ほど前まで重戦機甲兵ジドムを遠隔操縦して、戦っていた敵のパイロットを、その本丸である秘密の隠し部屋に招き入れるのだ。だれもがその提案は確かになかなか受け入れがたいだろう。その証左として、あのレイですら反発し一悶着あったほどなのだから。

 ヤマトとしても信用に足るか判断がつきかねている新人に、この場所の存在を教えたくなかったが、ことは緊急を要したため、苦肉の判断をせざるを得なかったのだ。

 そうでなければお互い寝不足気味のなか、こんな真夜中に招集などしない。

 

「この部屋の存在はけっして口外しないでください」

 執事の沖田十三がそう言いながら、ユウキとクララをキッチンの奥の隠し部屋に招き入れてくるのが聞こえた。ふたりは狭い入り口をくぐり抜けてくると、押し黙ったまま、まっすぐに部屋にはいってきた。ふたりが『狭い』とも『旧式だ』とも不平を口にしないことに、十三がすこし拍子抜けでもしたような顔をしたが、すぐにヤマトに会釈をして引き下がった。

「タケル君、さっそくお近づきになれる機会をいただき光栄だ」

 ユウキが握手をしようと、手をさしだしてきたが、ヤマトはそれには目もくれず言った。

「ユウキ、クララ、時間が惜しい。空いている席にすわってくれ」

 ヤマトにそう促されて、ユウキはヤマトの正面、クララはその横の席にすわった。ユウキはシートに腰を沈めるなり、すばやく辺りを見回して言った。

「もしかして、ここからあの重戦機甲兵を遠隔操縦を?」

「ユウキ、よけいな探りごとはやめてくれる」

 ユウキの軽率なひとことをたしなめたのはレイだった。その舌鋒ぜっぽうのすばやさから、やはりここでの会合を快く思っていない心根がみてとれる。

 ヤマトはシートから心持ちからだを前に乗り出した。

「ユウキ、クララ。ここではすべて正直に話してもらいたい」

 そう言いながらヤマトは、ここはユウキを信じた自分自身が正しかったかどうか、を問われる場だと心得ていた。ある種の『公開裁判』のようなものだ。すくなくともアスカとレイが納得できる答えは導きださねばならない。

「わかった、タケルくん。できる限り誠実に回答させてもらおう」

「できる限り?。クロ……、いえ、ユウキ。努力目標じゃあ困るんだけど」

 アスカがくってかかったが、ユウキは手のひらでそれを制するしぐさをしてから言った。

「ぼくらだけが与えられた秘密の任務もある。なにもかも、というのは難しいな」

「ボカぁ言ってるンじゃないわよ。あたしたち、あんたらを信用してるわけじゃないからね」

「アスカくん、きみたちがわたしたちを信用していないように、わたしたちもきみたちを信用していいか判断しあぐねているのだよ」

「は、盗人たけだけしい言い分だわね」

 アスカはユウキの詭弁を切って捨てたが、ヤマトはユウキの言い分にも一利あると感じた。たしかに我々の保身のために、彼らの保身がないがしろになって良いという筋合いはない。

「いいだろう。ではまず……、あのあと、ドラゴンズ・ボールのデータは奪えたのかを聞きたい」

 ユウキはヤマトの最後のひと呼吸までをしっかりと聞き終えてから、ゆっくりと口を開いた。

「答えはイエスだ。時間はほんとうにすくなくて少々焦ったが『霊覚』のデータを『アビス・サーバー』に転送することには成功した」

「ちょっとぉ、残りは?」

 アスカが不審感いっぱいの目つきでユウキをにらみつけた。

「アスカ君、さっきも言ったように、時間が本当になかったのだよ。ひとつ転送するのが精いっぱいだったのだ」

「なぜ『霊覚』だったの?。『想覚』の方がより重要のはず」

 今度はレイがユウキに質問した。

「レイ君、それはデータ容量の問題だ。『想覚』のデータはほかの感覚の数倍ある。とてもじゃないが、あんな短時間では間に合わない」

「は、なんかあたしたちが邪魔したから時間がなくなったみたいな言い草じゃない」

「アスカさん、実際そうでしょう」

 クララがたまらず口を狭んできた。ユウキが一方的になじられているのが気に障った、というようにヤマトには感じられた。

「わたし、アスカさんにずいぶんと、ねちっこく攻められましたわ」

「へー、クララ。あんたこそ、戦力差が大きいのをいいことに、いいようになぶってくれたじゃないのサ」

「アスカ、クララ!」

 ヤマトは二人のいがみ合いのせいで、本題からどんどん逸れていきそうだったので、少々きびしめの語気で二人を諌めた。

「喧嘩はあと回しで頼む」


 二人が気まずそうに黙りこんだところで、ヤマトはユウキに再度尋ねた。

「きみは『アビス・サーバー』に落とし込んだ『霊覚』のデータは、どのあたりにあるか把握できているのか?」

「もちろん。だがそこで問題が生じているんだよ。あらかじめ設定されていたアドレスに手順通り送ったのだが……」

 ユウキがそこで言いよどんだ。

 ヤマトは『あらかじめ設定されていた』というユウキのことばに、なんとも言えない不安感が広がるのを感じた。いや、もっと明確な、不吉な予兆に限りなく近い感覚——。

「送信先が『アビス・サーバー』のかなり深い階層に指定されていたのだよ」

「深い階層?。ユウキもそれはどこの階層だ」

 ヤマトは椅子から前に乗り出していた。立ちあがってこそはなかったが、ユウキの胸ぐらを掴みかかっていてもおかしくないほどの強い語気だった。

「タケル君、わたしは聞かされてなかったのだ」

「それはどうでもいい。いったいどこの階層に送られたんだ!」

「タケル、落ち着いて。喧嘩はあとでお願い」

 レイがぼそりと忠告のことばを口にした。先ほどヤマトにいさめめられたアスカとクララは、いきり立ったヤマトに、いくぶん驚いたような目をむけていた。ヤマトはため息をついて、静かな口調でもう一度訊いた。

「ユウキ……。何階層だ」

「タケル君、送られた階層は八十八層目となっている。つまり……」


 ヤマトがからだがぶるっと震えるのを感じた。

 ユウキが準備万端だった時点で、予測してしかるべきだった——。これは自分のミスだ。ユウキに委ねたことの自分の決断の可否に気をとられて、大事なことを見落とした——。


 腐った空気が自分にまとわりつこうとしている——。

 できれば避けたかった事態に陥ったと感じた。それは運命の魔の手にひたひたと追い詰められているような、反吐へどがでるような感覚だった。


「あぁ、わかってる。そこは基地局喪失空間サーバー・バニッシュド・エリアだ」

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