第99話 あたし、そんなに、強くない……

「あぁ、そ、そうなのね……」

 アスカはヤマトのことばを聞くと、ゆっくりとうつむいた。自分は先ほど、強いショックに自分を見失ないかけてしまったのだ。

 だが驚いたことに、そんな自分に腹がたたなかった。恥ずかしいとも思わなかった。

 思わず口をついて出たことばは、自分でも思いがけないものだった。

「だって、しかたないじゃない……」


 そう、しかたがない。

 転がった兵士の頭。

 あんなにも無慈悲なものを目の当たりにしたのだ。

 襲ってくる異形の化け物。

 そう、あんなに足がすくむ恐怖に身をさらし続けたのだ。

 兄、リョウマの死。

 あんなにも、残酷な瞬間を心に刻んだのだ。

 もうここで、すべてを諦めたとしても、しかたがない……。


「パイロットであることを諦めるのか、アスカ!。きみはそんな女じゃないはずだ」

 ヤマトの力強いことばに、アスカはハッとして顔をあげた。

「ボクの知っているアスカは、忌々しいほど気位が高くて、あきれるほど自分本位で、自分がされた仕打ちを絶対に忘れない嫌な女だ」

「だから、パイロットであることを諦めない。自分勝手に決めた自分の道を絶対に踏み外さない。そして兄がされた仕打ちにかならず借りを返す」

「もう、いい!!!」

 アスカが大声で制した。ヤマトがすっと口をつぐんだ。無言のまま、アスカのほうをじっと見つめた。その視線を感じながら、アスカはぼそりと言った。

「あたし、そんなに、強くない……」

「なら、兄さんの分だけでもあきらめるな!」

 ヤマトが声を荒げて、アスカの肩を揺さぶった。

「君の兄さんが、リョウマが、どれほど心の底から、この戦場で活躍することを乞い願っていたと思う。どれほどの覚悟でここに来たと思う」

 アスカの胸にぐっと熱いものがこみあげてくるのを感じた。

 何、このバカ、熱く語ってるの?。

 なんでこんなあたしに期待してるのよ。

 このあたしが、このアスカさまが、もう無理だと思ってるのよ。

 なに希望を抱いちゃってるわけ?。

 ヤマトは語るのをやめなかった。

「アスカ、きみには義務がある!」

「兄さんの、リョウマの分まで、君のお父さんを見返してやる義務があるはずだ」


 アスカは恨めしげな目つきをヤマトにむけた。

 このバカ。せっかくあたしの化けの皮、剥がれかかったのに……。

 あたしに、アスカという女のペルソナをもう一度かぶれって、あんたは言うのね。

「人類なんて、アスカがいなきゃ、何にもできないんだろ」

「ええ、そうよ。あったりまえでしょ!」

 アスカはヤマトに大きな声で答えた。参列席に座って、二人のやりとりを傍観していた。リンと李子が驚く様子がちらりと見えた。

 あぁ、そうなのね。メイも李子も、あたしがもう立ち直れないって、見切っていたんだ。

 ふつうはそうよ。あたしだってそう思う。

 なのに、この目の前のバカは!。

 アスカは聞こえよがしにに言った。

「あぁ、いいわ。タケル。乗ってあげるわよ。セラ・ヴィーナスに乗って戦ってあげる」

「だったら……」

「だったら、ぼくと約束をしてほしい。それが守れなければ乗せられない」

「なぜよぉ」

「君はショックを受けた。もしかしたら自分を制卸できないかもしれない。だとしたら君を乗せるわけにはいかない」

「あたしは大丈夫……」

「だったら、それをぼくに証明してくれ」

「どうやって?」

「ぼくがこれから言うことに誓えるか?」

「ちょっとぉ、なんで、あんたにそんな権限があるわけ?」

 ヤマトが足を前で組んで参列席に座っているブライトに、ちらりと目をやった。

「ぼくは権限をもらってる……」

「司令官って言っても、現場じゃ何もできやしない。だから現場のことは、指揮官のボクの判断に委ねてくれてる」

 ブライトが何か言いたそうに顔をゆがめたのが見えた。

 アスカはそれを無視してヤマトに訊いた。

「じゃあ聞いてあげる。なにを約束すればいいのよ」

 ヤマトが肩においた手にぎゅっと力をこめた。


「ブライト司令や司令室の命令に必ず従え。ぼくの命令に反してもだ」

「アスカ、誓えるか!」

 アスカはあ然とした。今あれほど司令官のブライトを揶揄しておきながら、開口一番にこう来るとは思わなかった。

 タケル、あんたも処世術をなかなか心得えてるじゃない。

「誓うわ」

 そろ言いながら目の端でブライトの姿をとらえた。ヤマトにいいように翻弄されて、苦虫をかみつぶしたような顔になっていた。

 ヤマトが続けた。

「国防軍が攻撃をうけた時は万布で最大限の防卸をしてくれ。誓えるか」

 アスカははっとして気づいた。ヤマトは今回の作戦をおさらいしようとしている。

 作戦を忘れていないか、焦るあまりに身勝手な行動をとらないか、を確認しているのだ。

「誓うわ」

「司令室からの指示があったら、すぐに電磁誘導パルスレーンを使って、亜獣がいる場所へ移動する。誓えるか?」

「えぇ、誓うわよ」

 アスカはちょっと上目遣いで、そんなことたいしたことないわ、という態度で、そう答えた。

 ヤマトはアスカのほうへからだを寄せると、アスカの頬を両方の手のひらで、包み込むようにして添えた。アスカが驚いて、身を引こうとすると、ヤマトがそのまま自分の顔をアスカの顔に近づけてきて、額と額をぴたりとくっつけた。

「な、なにする……」

「もし、レイが暴走したときは、ぼくがレイを殺すのを邪魔しない。誓うか?」

 アスカはことばを続けられなかった。この男はなにを言い出すのだ。戸惑いに目がきょろきょろと動きそうになる。だが、ほんの数センチ先にあるヤマトの目に、じっと見つめられて、アスカは目をふせてごまかした。

「誓うわ」

 ヤマトが矢継ぎ早に次のことばを紡いだ。

「プルートゥがもし現われた時……」

 プルートゥの名前を持ち出されて、アスカはごくりと咽をならしそうになった。だが、我慢した。ヤマトの目が見ている。

「ぼくとレイが、兄リョウマを排除するのをきみは邪魔しない。誓うか?」

 一瞬だけ間をおいて、アスカは小刻みにかぶりをふりながら言った。

「えぇ、えぇ。誓うわ」

 ヤマトの額がぐっとアスカの額を押すのを感じた。思いがけず力がこもり、まるでこすりつけているかのようだった。ちょっと痛い、と感じたが、それを口に出せる雰囲気はそこになかった。ヤマトの目に宿る強い力に、気圧されているとアスカは感じた。

 ヤマトが言った。

「もし、ぼくが暴走したときは、きみの手でぼくを殺すこと……」

「誓うか」

 ぎゅっと心臓が引き絞られたような感覚がした。そして、それと同時に漠とした驚きが浮かんだ。

 え、どういうこと?。

 その役目はあたしじゃないでしょ。ちがう、ちがう。

 もしそんなことがあっても、その役目はレイに任せればいい話。あのこなら、ためらうことなんかしないはず。

 だけど、タケルはその役目をあたしに……って。

 あんた、それでいいの?、あたしなんかでいいの?。

 アスカはヤマトの目をみつめた。疑いもなく自分に肯定を期待している目だった。

 本当にいいのね……。


「誓うわ」

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