第79話 なにかがおかしい……
AIドロイドは、草薙の命乞いを聞いて、さらにバイクを降下させはじめた。
草薙がにやりと口元を緩めた。
「あさはかだな」
地面に近づくということはバイクにつかまっている人間に、地面を蹴飛ばしてジャンプできるチャンスをつくるということに気づかない。
草薙はバイクのソリ部分をつかんだ状態で、バイクの下のからだを横にずらし、併走しながら勢いをつけると、後部座席の右手里美の上にとびのった。
上から乗しかかられた右手が呻き声をあげたが、かまわず草薙は体を前にのりだし、AIドロイドの首をうしろから、腕でしめあげた。
人の背中に乗ったままという、アンバランスな状態で格闘する経験は、さすがの草薙にもなかったが、彼女にとってはたやすいことだった。
彼女はドロイドの首にかけた両腕を締めあげると、ちからのかぎり上に腕をひきあげた。
ゴキッという音と共に、AIドロイドの首がもげた。
草薙がAIドロイドの頭を投げすてる。
さらに、バイクの前座席の方へ体をひきよせながら、バイクに残った体の部分を蹴飛ばす。AIドロイドのからだが落下していき、下方からドスンという重たい落下音がした。
草薙はバイクのシートに座るやいなや、ブレーキをかけてエアバイクを停止させた。
あたりは木々がひらけたちょっとした空地のような場所だった。
草薙はその中央付近にバイクを停車させた。
バイクから降りると、後部座席に座ったまま沈黙を貫く石手里美のほうを見ながら、草薙は左のてのひらをヘルメットの左の耳当て部分に宛てがった。シュッという音がして、草薙がかぶっていたフルフェイスのヘルメットが、ふんわりとした柔らかな素材へ変化すると、左耳の方へ引きこまれていった。やがて、へッドフォンの耳あてのような大きさの部分だけになった。草薙は、コンパクトになった『ヴァーサタイル・ヘルメット』を胸ポケットに入れると、右手里美に詰め寄り声をかけた。
「右手里実だな」
返事がない。首を縦や横にふって意思表示する気配すらない。
『なにかがおかしい……』
そこへまばゆい光が投げかけられて、右手と草薙を照らし出した。
うしろから合流してきた憲兵隊のバイクが降下してきた。
「草薙大佐。ご苦労さまでした」
トグサ兄がバイクから降りてくるなり、草薙の元へ小走りしながらやってきた。
草薙はため息をついた。
トグサ兄には援護を頼むと申し伝えていたはずなのに、今さら、のこのこと追撃班のトグサ弟と合流してくるとは……。
その草薙の心中を察したのか、トグサ弟が草薙の前に歩みでて敬礼をした。
「草薙大佐。ご苦労さまでした」
いつのまにかほかの隊員たち五名が、草薙の正面に横一列に整列していた。誰もがなぜかやたら上気したような表情だった。草薙はまゆ根をよせた厳しい視線で隊員たちを見回した。
が、やにわに隣にいたトグサ兄の腰から、銃を引き抜いた。
「トグサ大佐。これは飾りか?」
「あ、いえ……」
その剣幕にトグサ兄の顔が硬ばった。
「私は援護してくれと言ったはずだが……」
「あ、はい。ですが、どうやって援護すれば良いかわからなくて……」
草薙はトグサにあきれたような表情を向けた。
「撃てば良かったんだよ。こういう風にな」
そう言うなり、草薙は横一列で並んでた隊員たちの方に銃を向け、たて続けに銃弾を三発、発射した。
その場でトグサ兄弟をふくめ、隊員全員がすくみあがった。
「な、なにを……するんです!」
トグサ兄が草薙を咎めるような大声をあげた。
隊員たちの背後でドサッという音がした。トグサ兄がハッとしてそちらのほうへ目をむけた。そこに首のないAIドロイドが倒れていた。胴体に三発分の穴が空いて、そこからうっすらと煙があがっていた。
草薙はトグサ大佐に借りた銃をくるりとひっくりかえすと、銃座のほうをむけた。
「トグサ大佐。アンドロイド兵ともし戦う機会があったら、思いだしてほしい。
ヤツラは首が弱点なので、簡単に引き抜いたり、へし折ったりできる。だが、ヤツラは
首なしでも襲ってくる。かならず胴体も破壊するのを忘れるな」
隊員たちはまだすくなからずショックを受けた様子があったが、草薙は構わず、右手里実のほうへ歩みよっていった。草薙は目をすがめて彼女の様子を見た。不思議なことに、近くでこれだけの大騒ぎが起きているのに、なにひとつ動じているように見えない。
草薙は右手のヘルメットの左側の耳元に手のひらを宛てがった。すぐにシュッという音がして、ヘルメットの素材が変化して左耳の耳当て部分へ引きこまれはじめる。
それをみて、草薙は息をのんだ。
ヘルメットの下から、右手里実の顔が現われた。彼女の顔は、特殊素材のシールドで覆われ、目も耳も塞がれていた。
待て、待て、待て。おかしい、おかしい、おかしい……。
草薙の頭のなかで、けたたましい警告音が炸裂していた。それまで感じていた違和感が、今、目の前で最悪の姿に具現化していくように感じた。
草薙はその場に腰を落とすと、荒々しく右手の顔に貼付けられたシールドを引き剥がした。どんな弱い粘着力だったとしても絶対に悲鳴があがる、ほど容赦がない力だった。だが、右手はなんの声もあげなかった。顔をのぞき込み、急いでヴァイタルをスキャンする。耗弱していたが、死んではいない。
右手は意識をうしなっていた。
草薙は右手の頬をひっぱたいた。どこかに気付け用のデバイスがあったはずだ、とわかっていたが、そんなものを引っ張りだすような余裕が、彼女にはなかった。
反応がないように感じたので、もう一発見舞おうとしたところで、右手がふっと意識を取り戻した。目をひらいたまま、じっと空を見あげて微動だにしない。
「右手里実さんですね」
声をかけられ、ビクッとからだを震わせたが、草薙には彼女のメンタリティーも体調も気づかっていられなかった。
「あなたには基地内でおきた殺人事件の容疑者として逮捕状がでています」
右手里実はぼんやりとした面持ちで「逮捕……」
「ええ。あなたの部下のイズミ・シンイチさんから……」
そこまで草薙が口にしたところで、突然、右手里実の顔が引きつった。
それだけではない。からだを驚くほどガタガタと震わせ、うめき声のようなものを口から漏らしはじめた。その一瞬の変わり様に、草薙はゾクリとする感覚を覚えた。
「イズミ……」
「えぇ。あなたの部下の(湖 紫単)イズミ・シンイチさん……」
「あの子がやったの……」
それは震えのなかで、がちがちと鳴る歯の隙間から、絞り出すような声だった。
「なにをです?」
草薙は聞き返しながら、祈るような思いだった。頼むから、自分が思っていることとは違っていて欲しい、という祈りだった。
「すべてを……。あの子がすべてをやったの」
「右手さん、犯人は女性なんですよ」
「えぇ。だからそう、そうなの……」
右手里実が顔をあげて叫んだ。目からは涙があふれていた。
「あの子は娚(めなん)。男性に移行中だから、まだ性別は女性……」
草薙は目をつぶって天を仰ぎ見た。だが、右手はうわごとのように言葉を続けた。
「ほんとうの名前は タムラ・レイコ(単紫 湖)。湖の英語読み『レイク』をもじって『レイコ』って呼んでるの」
「タムラ・レイコ……。そいつは何者なんだ?」
草薙はいつのまにか右手里実の襟首を掴んで、彼女のからだを揺さぶっていた。声がめずらしくうわずっている。だが、草薙の激しい剣幕を逆なでするかのように、右手里実はのんびりとした口調で言った。
「さぁ?。あれはなんていうんでしょう……」
「きさまの部下じゃないのか!!」
右手が草薙にからだを揺さぶれながら、首を横にふった。
「ちがう……。だって……。彼女は……、あれは、もう人間じゃない」
草薙が右手里実を揺さぶる手がとまった。
聞いてはいけない、いや聞きたくなかったひと言を耳にしてしまった。
思考も動きも停止した。もしかしたら、心臓や内蔵も今、動いていないのかもしれない。だが、それでも足のつま先から、恐怖がぞろぞろと這い上がってくる感覚だけは感じられた。
右手里実が続けて言った。
「タムラレイコは、もう人間じゃない……」
「だって……、からだの一部が刃物や槍になったりするんだもの……」
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