第51話 シロ、アンタはもう用済よ

 足元にとりついた血だらけのおんなが、アスカをみつめていた。

 アスカのからだが反射的にびくりと震えた。

 悲鳴をあげたほうがいいだろうか。

 おんななら許されるはずだ。

 だが、アスカは漏れでそうになった悲鳴を、口元を押さえておし殺した。

 自分は、アスカというおんなは、女という特権に甘んじることを、自分に許さないおんなだったはずだ。アスカがそう腹を括った刹那せつな、足元のおんなの姿がかき消えた。

 アスカはハッとした。さきほどまで司令室を混乱させていたのは、これではないかと行き当たった。

「メイ!。メイ、いる?」

 テレパス・ラインを通じて、リンに語りかけた。

「メイ!」

 もう一度、今度はもっと高圧的に聞こえるように念じた。

「あ、アスカ、どうしたの?」

 ようやくリンが回線に返事をしてきた。アスカには妙に取りつくろっている印象の声色に感じたが、単刀直入に言った。

「こっちにも現れたわ」

「現れた?」

 今度はとても不自然なニュアンスを含んだ声色に変わった、と感じた。目の前のモニタにリンの映像が現れた。

「現れたって……、なにが?」

「血まみれのおんなの人」

 リンの顔が一瞬こわばるのが感じとれた。

「現れたの?、見たんじゃなく?」

「えぇ。わたしの足をつかんで『死ね』って」

 リンが口元を覆った。ショックを隠そうとしているようだったが、その所作自体がそれを隠しきれていない。アスカはリンの心理状態など構わず、聞きたいことだけを尋ねた。

「あれ、誰?」

「あれ……、あれは、レイの母親よ」

 というなり、ここでお終いとばかりに、目の前のリンの映像がふっとかき消えた。

 アスカは合点した。

 今、レイは幻影が捕われている。ピンチに陥っているのだ。

 アスカの口元からふいに笑みがもれてきた。

 仲間が苦境に陥っていることというのに、不謹慎だとわかっている。だが、とめられなかった。

 やっぱりレイじゃ駄目。あたしがいないと駄目なんだ。

 そう確信できた。

 あぁ、アスカは、この子はこうでなければならない。

 やっと自分が演じるべきアスカが戻ってきた、と体中に力がみなぎるのを感じた。

 アスカは膝の上に抱えていた『シロ』をぽうんと床に転がした。

「シロ、アンタはもう用済よ」


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 あの亜獣は弱い。

 このセラ・サターン一機でも充分しとめられる。レイはそう確信していた。

 A級、S級にランクづけされていた過去の亜獣と比べて、決定的な武器がなかった。こちらをなぎ倒すほどの剛力もなければ、瞬時に辺りを消し去るビームや炎、溶液も吐かない、手が付けられないほど大きくも小さくもなく、目で追えないほど速いわけではない。

 シミュレーション戦闘での、という但し書きはつくものの、それらの亜獣と戦う訓練をしたレイからすると、むしろくみしやすい敵といってよかった。人間に対しては圧倒的な殺傷力があるものの、銃弾のように針を飛ばすだけの攻撃と、幻影攻撃だけなのだ。

 今はそのうちのひとつ、幻影攻撃を受けているまっただなかにいるとはいえ、なんとか克服できている。脅威は感じない。

 レイはレーダーで亜獣が潜んでいる位置を確認した。周辺を映しだしているあらゆるカメラから、亜獣をとらえているカメラがないかを探すよう命じる。

 正面のメイン映像が目まぐるしい勢いで切り替わっていくと、すぐに森林公園のなかに潜んでいる亜獣の姿が映し出された。ここから2キロほど離れた場所にある、森のなかを疾走するジェットコースターの近く、地面に潜っていくコースに設置されたカメラが、下から煽るような角度で亜獣アトンを映しだしていた。

「レイ、おまえは母さんを捨てるつもりなのか」

 正面の映像にかぶさるように、母親が恨めしげな目をしてこちらをみていた。レイはそれを無視すると、司令室にひとこと告げた。

「レイ、行きます」

 セラ・サターンが、ダッシュのためにぐっと足を踏み込んで体重を乗せ、からだをうしろに反らした。その時、うしろからなにかが自分にむけて振り降ろされるのに気づいた。レイは反射的に、横に跳ね飛び、宙にからだを踊らせた。地面に転がりながらその場所を見ると、空を切ったマンゲツのサムライソードの刃が、セラ・サターンのいた場所の地面をえぐっていた。

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