第42話 この個体を、すこし前の時間に、空間ごと戻した

 真夜中すぎになって、ヤマトはこっそりと寮を抜け出した。

 完全な規則違反であるのは承知している。夜中にパイロットエリア以外をうろつくことは、生命の危機に直結するので禁則事項でもあった。

 だが、どうしても確かめなければならないことがある。

 しかも誰にも知られずに。

 出撃レーンにむかうと、ヤマトは誰もいないことを確認しながら、マンゲツのコックピットにすべりこんだ。あとでばれるのは承知していたが、いま、見とがめられなければ良い。

 『共命率』………。

 ヤマトはシミュレーション戦闘での、自分とマンゲツとの感覚や動きのシンクロ率を計る『共命率』の数字に納得がいかなかった。あの数字では、99・9スリーナインとは言えない。


「おかしいわね。まだマンゲツは本調子じゃないのかしら……」

 三回目の日本国国防軍との合同訓練が終了した時に、春日リンが手元のペーパー端末を覗きこみながら、ぼそりと言った。

「リンさん。まだ怪我が治ってないとこ、あるんじゃないですか?」

 ヤマトは、他人事のように返した。


 違う——。

 おかしいのは、マンゲツではなく、自分のほうだ。ヤマトはわかっていた。

『自分がマンゲツを信じきれてないからだ』

 ヤマトはあの時以来、自分がタイムリープしたと言われた時以来、マンゲツに対して疑心暗鬼だけが募っていた。

 あの自分が、死を覚悟した瞬間に聞こえてきた、あの声……。

 正体不明のなにかを同乗させたまま、平常心で戦うのは簡単なことではない。


 ヤマトはシートに座るとすぐに、穿刺針を自分の腕に刺す、デミリアンとの感覚共有オペレーションを実行した。すぐに左の『動脈チューブ』から自分の血が送りだされ、反対側の『静脈チューブ』へ血が送り返されてくる。ヤマトはそれを確認すると、座席から降りて正面のハッチの上部にあるメイン電源をオフにした。

 コックピット内のライトが消えて真っ暗になり、そののち予備電源が起動して室内に薄ぼんやりした光が灯った。ヤマトは、次にその下に並ぶ旧式のトグルスイッチをいくつか、下に押し下げた。

 これで、これからこのコクピットで起きることが、外に漏れることもなければ、内部で勝手に記録されることもなくなった。

「これで、外には漏れない」

 ヤマトはそうひとり呟くと、あの時とおなじ状態を再現するために、自分の背面にあるデミリアンとの直結手順のための、三つの安全装置を順番に操作していった。

 だが、さいごのダイヤルを下に押し込んでもなにも起こらなかった。

「マンゲツ!」

 ヤマトはそう叫んでみた。だが、薄暗い室内からはなんの反応もなかった。

 ヤマトは、もう一度、デミリアンとの直結手順を見直そうかと、自分の真上にある安全装置を覗き込んだ。そのとき、ふと、その装置の上、天井すれすれのところになにか銘板のようなものが黒光りしていることに気づいた。それに手を伸ばしてみる。そこには名刺サイズの大きさのちいさなハッチ。ハッチはなにかで煤けて黒ずみ、近くの壁と同化していた。よほど注意深くみなければわからない。

 ヤマトはそのハッチの開口部に爪をたてて、横にゆっくり押し開いた。

『なんだ、これは?』

 ハッチの奥にはなにもなかったが、なにかプレートのようなものが埋め込まれているのが見えた。

『ずいぶん年代もの…っていうか、まるで遺跡みたいな……』

 ヤマトはプレートの表面部分を指でぎゅっと拭った。油とも土ともつかない黒い汚れの下から、面版にレリーフ状に浮きでた文字が現われた。

 『か・ん・げ・つ……』

 ヤマトは一度心の中で呟いたが、すぐにそれを言葉にしてみた。

「かんげつ」

 そして、もう一度、今度はコックピットという狭い空間には不釣り合いなほど大きな声で叫んでみた。

「かんげつ!!」

「おまえだろ、あの時、ボクに話しかけてきたのは」

 その時、微かな信号のような声が脳に直接語りかけてきた。

『やまと・たける……』

 ヤマトはハッとした。

 この声だ……。

 この声があの時、自分に途切れ途切れに、なにかを囁いてきた。間違いない。

「おまえは何者だ?、あの時、なにがあった。いや、何をした?」

 ヤマトはカンゲツの反応を待った。あたりに気を配る。レリーフは操縦席の背後の上部の天井ちかくに取り付けられているが、本体がそこにあるとは限らない。先入観は禁止だ。

『……を戻した』

 ふいに聞こえてきた細い声。

「なにを戻した?」

『時を……戻した』

 ヤマトがごくりと唾を飲み込んだ。あまりに現実離れした回答に一瞬を虚をつかれた。「どういうことだ?」

『この個体を、すこし前の時間に、空間ごと戻した…』

 ヤマトの脳裏に何度も反芻して見返してきた映像がフラッシュバックする。

 サスライガンの死骸を横目にゆっくりとたちあがったマンゲツが一瞬消えたかと思うと、

瞬時に、マンゲツを中心にした数十メートルの同心円の場所が、水浸しになっている映像。

そして、いつのまにか消えたサスライガンの死体。その後、身体のいたるところを骨折して、その場に崩れ落ちるマンゲツ。

『時間跳躍させたというのか?』

『代償に……、なにか消失している……』

「アコンカグア…」

 ヤマトはすぐに思い当たった。連日報じられていたサスライガン関連のニュースを見ている時に、何度も見た。あの時、続けざまに報じられたニュースで、大きく欠けた山の頂の映像を何度見ることになったか……。

『等価交換……』

『四解文書』という重要機密を知っている自分ですら、聞かされていなかった新しい事実に、ヤマトは心が躍りたつような高揚感を憶えた。

「かんげつ……おまえ……なにものだ?」



『わたしは、この個体の命と秘密を守るもの……』

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