旅館の夜
昼ご飯はみんなで回転寿司に出かけた。
休憩が終わったら昼から夕方までまた勉強会をして――さあ残るは勉強会夜の部。
「夜の部のテーマは、『自習』だ」
夕食も食べ終わった夜7時ぴったりに、翰川先生が宣言する。
現在地:女の子3人組部屋。面子は女子3人+翰川先生。おまけで俺である。
「女子の部屋に男子が居る状況は良くないと思います……
美女と美少女揃いなので目のやり場に困る。
「キミは人畜無害だろう?」
「それもなんか……」
男として微妙な気分だ。
「この自習は8時半で終わりだ」
「ああー……良かった」
女の子の部屋で遅くまで勉強しているのも申し訳ない。
「それぞれで教え合うのもよい勉強法だぞ。ヘルプをメールでくれれば、僕や他の大人たちも動くから心配するな」
「それは嬉しいです」
三崎さんが賛同する。
「えー……自分たちじゃやる気でなくない?」
面倒くさそうにつぶやく佳奈子。
「そんなことないよ。同学年で物を教わるの、凄くためになるんだよ。クラスでも、よく放課後に黒板に問題解いて話し合ったりするんだ」
特進コースの意識の高さが眩しい。
「京の言う通りだ。僕らは先生としてキミたちに教えることは出来るが、同年代の感覚は持ち合わせていないからな」
むふーっとする翰川先生が超かわいい。
「なので、とりあえず自分たちで頑張ってみてくれ」
手を振る先生にみんなで振り返し、4人で向き合う。
「……3人ともごめん」
「え、何が?」
佳奈子が不思議そうに聞き返して来る。
「いや……俺、男子だし」
「大丈夫だよ。森山くんは友達だもの!」
「緊張の要素がないです。大丈夫ですよっ」
「あんた相手に今更気にしないわ」
なんか微妙に傷つくんですけど。
教え合う上でやりやすいのは、一人が代表して多数に教える形式である。
どんな科目にするかを話し合う。
「みんながみんな必要なのって、国語よね」
佳奈子がぽつりと言うと、三崎さんが沈んだ声で問う。
「古典も含んでくれるかい……?」
「ふ、含むわ。……あたしも苦手だし」
「紫織ちゃんは?」
「玄武様に教わって……」
紫織ちゃんはローザライマ家に引き取られる形で暮らし、勉強を教わっている。シュレミアさんの持つ刀に宿る玄武さんと交流があってもおかしくないだろう。
「ゲンブ?」
「玄武って……四神の?」
そういや、佳奈子と三崎さんは会ったことないんだっけ。
「神様とおんなじです。シェル先生のお弟子さんみたいな人で……古文漢文にとっても詳しい人なのです!」
「それは凄い……」
「じゃ、じゃあ。紫織は教えられるのね!」
「? 国語って問題文読めば問題解けますよね?」
『何を教えるんでしょう?』と無邪気に首を傾げる紫織ちゃん。そのセリフが嫌味でないのは、彼女のきょとんとした顔でよくわかる。
「まさかの天才型だった――‼」
佳奈子が慟哭する。
三崎さんはわたわたしていてなんとなく可愛い。
「ま、まあまあ……その。俺で良ければ、教えられるところもあるから……」
「本当⁉」
三崎さんがぱあっと顔を明るくする。……うん、可愛いな。
「単純なテクニックだけだけど……」
「テクニックでも点が稼げるならそれでいいと思うの」
「えー……まず古文から」
「「はーい」」
元気よく返事する三崎さんと佳奈子。にこにこしている紫織ちゃん(たぶん彼女は他ふたりの古典の危うさを理解していない)。
見知った顔ぶれ相手とはいえ、先生役をするのは緊張だ。
「念頭に置いておきたいのは、『古文は日本語だ』ということ。単語と文法を知らなきゃ解くことができない英語と違って、知らなくてもある程度解けます」
「でも単語の意味が当時と今と違うじゃない」
「それでもさ。意味の根っこは違わないわけだよ」
『あやし』という単語を指さす。
「この単語が登場するときの問題は、大抵ちょっと不思議な物語。『あやしいひかり』みたいな言葉が出てきたら『ふしぎなひかり』ってことになる。意味の強弱とかは違っても意味合いの根っこは変わらない」
「……それがなに?」
「意味の想像が出来る。『これは現代ではこの言葉だ。きっとこういう意味じゃないかな?』ってわかったらなんとなく流れがつかめたりもするだろ」
「…………」
沈黙した佳奈子の代わりに、三崎さんが手を挙げた。
「森山くんは単語帳使ったりするのかい?」
今気づいたが、彼女の口調はオウキさんに似ている。
「使うよ。でも、古文は暗記するより、どんどん古文自体を読んでった方がいい気もする。流れを掴む癖がついたら、わからない単語への対応力も上がるから」
「……そっかあ……」
悩む三崎さんと灰になっている佳奈子。
古文の解き方って、千差万別だからなあ。
紫織ちゃんみたいに『読めばわかる』タイプも居れば、俺のように『慣れでこなす』タイプも居て。三崎さんのような『単語や活用形で論理的に読み解く』タイプも。
どの解法が自分に合うかは、実践してみなければわからない。
「えっと、じゃあ次漢文行きます。漢文」
空気を換えるため、もう一つの古典に手を出す。
「漢文で知らない漢字が出てくることは諦めよう」
漢文は元々、古代中国のもの。俺たち日本人が知らない漢字があっても当然だ。
「あたし死んだ」
「死ぬな佳奈子。……知らない漢字には大抵注釈がついてるし、ついてないってことは問題解くのに関係ないってことでもある」
「じゃあ無視していいのね」
「お前基準で知らない漢字を無視したら何も読めないだろ……」
知らない漢字とは『日本人が日常で目にすることがないような独特の漢字』を指している。
「先に、三崎さん向けのアドバイス」
「わ。嬉しい」
「知ってる熟語が来たら、四角か丸で囲っちゃうと便利」
「二字・三字熟語のこと?」
「うん。一熟語にして塊で捉えると結構掴みやすくなるよ。あと、人名も。囲いは四角とか丸で分けて使うといいかも」
漢文の問題内での主要な登場人物は、問題文や注釈に書かれていることも多い。
「人名はやってたけど、熟語か……漢字単品しか考えたことなかったなあ」
「もちろん、活字読んでて知ってる熟語が多い人にしかお勧めできない戦法だけど。三崎さんなら大丈夫だと思う」
「ありがとう」
彼女は国語に対して理論的に挑むタイプだ。書き下し文の作り方や、再読文字やその他文法などなどはきっちり覚えているだろう。
「あと……漢文の雰囲気」
「雰囲気?」
「武将たちの戦いが舞台なら『勇猛な武将の活躍』だったり『この戦いから得られる教訓・故事成語』だったり。物語の流れが掴めると、文の意味が分からなくても解けることは多いかも」
「……なるほど。流れを掴むのは現代文と同じだね」
「そんな感じ。……佳奈子」
いじける佳奈子。
いつものお姉さんぶった姿はどこに行った。
「佳奈子。お前はとにかく活字を読め」
「読んでるわよ……」
ネットのゴシップ記事は活字じゃない。今ここでの活字は文学や評論のことだ。
「何でいじけるんだよ。三崎さんへのアドバイスはお前にも通じるのに」
「あたしお姉さんなのに……」
「元気出せよ佳奈子お姉ちゃん。次は俺が理数教わるつもりなんだから」
冗談めかして言うと、眩いほどの笑顔で立ち上がった。
「そうよね! コウはあたしの弟分だもん! あたしに頼らないと理数が出来ないなんて困った弟ねっ」
うわあ、面倒くさいなこいつ。
そう思っていると、苦笑した三崎さんが教えてくれた。
「……佳奈子ね。ここ最近、森山くんが翰川先生とシェル先生に教わってたら凄く寂しそうにしてたんだよ」
「え、まじか。……うーむ」
想像つかない。
「ほらほら、さっさとノート開きなさいっ」
なんかつやつやして元気みたいだし……いいか。
「コウは何教わってたわけ?」
「極座標」
「なんだ。簡単じゃない」
簡単に言ってくれやがる。
「理解するまでにシュレミアさんに30分くらい罵倒されたぞ」
「それはあんたが『俺にわかるわけない』みたいな姿勢で挑むからよ。数学は、今まで習ってきたことの積み重ねなの」
シュレミアさんのみならず、翰川先生も、俺の担任の笹谷先生も言っていたことだ。まさか佳奈子までも……
「いい? 翰川先生に鍛えられたあんたには、もう基本の数学の材料は揃ってるの。挑む前から『どうせ』っていじけるのは捨ててね」
「う」
先ほどの古文の時が嘘のように凛としている。
「ベクトルと極座標なんて、要は考え方の違いよ。『横には1動いて縦には3動く』みたいに、クレーンゲームのボタン押したときの動きをするか。この場合、ベクトルは直角三角形の上」
「おお」
横ボタンと縦ボタン。動かした縦横の軌跡の終端同士を結べば、クレーンが結果として動いたベクトルもわかる。
「極座標だと、『地面に対して45度でこれくらいの威力で飛ばす』とか大砲を発射するみたいにして考えるか。このときの”威力”は半径だと思ってね。……ベクトルと極座標、どっちだろうと角度はθで半径はr。そして、縦と横は必ずθを当てはめたサインとコサインよ」
「おお……」
佳奈子は文章題を分解し、どうしてこの答えになるのかを図とともに教えてくれた。
原点と座標を結べば、確かにベクトルと極座標は考え方が違うだけ……シェルさんからの解説とともに、すとんと頭の中に収まったのを感じた。
「物理もおんなじだったでしょう?」
翰川先生も『物体に対して斜めの矢印が出てきても、サインコサインで分解してしまえ』と常日頃教えてくれる。そういうことだったとは……
「落ち着いてやれば解けるんだ」
「そ。基礎が出来てればおそれることは何もないのよ」
佳奈子の熱弁に、三崎さんと紫織ちゃんが拍手している。
「格好良かったですっ」
「わかりやすかったよー」
「えへへ」
――*――
「勉強会、盛り上がっているな!」
俺たちの部屋に遊びに来たひぞれは、ケイたちの部屋を、部屋の外壁に取り付けるタイプの盗聴器を設置して堂々と盗聴している。
怪しまれないのは、その盗聴器の見た目が額縁に入った小さな油絵だからで……旅館の廊下に紛れてしまっているからだ。壁には他にも油絵の額縁あるし。
コードによる特殊な接着剤で壁に密着するようになっており、ビスの穴も糊の痕も壁に残らない。
あの盗聴器を回収しても、元のあるなしに気づくのは完全記憶なひぞれくらいのものだろう。
「座敷童ちゃん、可愛いねえ」
盗聴器を手持ちの材料で即興で作ったのはひぞれだが、廊下の油絵たちに馴染むよう、似せた見た目のガワを作ったのは父さん。
「そうだろうそうだろう。可愛い乙女だ」
「なんだか、数学に造詣が深いし……これはシェルが目をかけるのもわかる気がするよ」
二人は、光太から貰ったチーズケーキをプレーンとショコラで交換しながら食べて、片手間に犯罪行為を行っている。
最悪なことに、シェルが『監視カメラの死角です』と言って置いて行った、ところどころ塗り絵状態の廊下の間取り図もあって……
「しっかし、セキュリティのなってない旅館だねえ。カメラの2割ダミーだよ? 堂々と設置しに行ったのに気づかないなんてね」
「ここを予約したキミが言うのか?」
「妖精の技能使えばカメラにも人の目にも映らないし。気にしたことなんかないもーん☆」
「そうか。確かにキミはそんなに細かいことを気にする人じゃないな」
「うん。っていうか、シェルって気持ち悪いね」
「彼の中の神様が”視線”に敏感なんじゃなかったか」
「”視線”っていうより、”意思”だけどね。観察意思そのものを感じ取れる神様がくっついてるはず。電子機器だろうとお構いなしだ」
「その情報を加え、シェルならカメラの位置とレンズの形から画角を計算するのも瞬殺だろう」
「だねえ。いい友達を持ったものだ」
「僕もそう思う」
結果として、会話がこの惨状だ。
あと、ひぞれを撮影して幸せそうなミズリは努めて視界に入れないようにする。
「札幌帰りたい……」
ケイとの平和な日常が恋しい。
「お弟子ちゃんが楽しんでるのに、そういうこと言ったら可哀そうだよお」
ルピナス姉さんもチーズケーキを食べている。
「……父さんの倫理観見てると、俺にもダメージ来るんだよ」
「あっははは!」
爆笑するなクソ姉貴。
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