鬼畜と座敷童
「ということで、佳奈子は小樽に旅行に行くことになりました」
シェル先生がいきなり家にやって来ていきなり告げたのは、そんなセリフだった。
「……はあ?」
「3日後の朝8時に出発しますので、寝坊しないように」
「ちょ……待ってよ」
「では」
「『では』じゃないわよ‼」
インターホンが鳴って出迎えた途端に『決定事項だ』とばかりの口調と表情で言われたあたしの混乱を汲んでほしい。
青いローブのフードを掴んで引き留める。
「どうしたのですか、佳奈子」
軽く首が締まっているはずなのに涼しげな顔で振り返った彼は、心底不思議そうにあたしを見ていた。
なんでこんな顔が出来るんだろう。
人外だからなの? 鬼畜だから?
「決定事項みたいに言わないで! いっつも説明が足りなくて訳わかんないのよ!」
「あなたは3日後朝8時に小樽に向けて出発します」
「その説明はわかったから‼」
どうして打診の段階をすっとばして旅行をすることが決められているのか、まったくわからない。
これまでそんなそぶりはなかった。
先生のことだから、その高尚な脳みそで、無表情のままよくわからないことを考えていたのかもだけど!
「なるほど。わかりました」
「?」
「必要な服や日用品を含め、旅費はこちらで持ちますのでご安心を」
「そうじゃない――‼」
会話が噛み合わない。
この人なんで頭いいのにポンコツなの⁉ 『わかった』って言ってるのはどこを理解してその言葉なの⁉
「そんなに息を切らして叫ばなくとも聞こえていますよ」
「知ってる。あたしは自分の感情で喚き散らしただけ……」
ぜえぜえと肩で息をしていると、先生が首を傾げた。
「旅行に行きたくないのですか?」
「そうじゃ、ないけど!」
あたしのおばあちゃんは、ここのアパートの大家さんをしている。
しかし、あたしの前の家出で彼女に心労をかけてしまい……持病の悪化で入院してしまった。
いまはもう退院しているのだけど、その体調は未だに良いとは言えない。傍についていてあげたい。
「祖母が心配だというのならば問題ありません」
「はあ?」
何言いだすの、このポンコツ先生。
「東京に知り合いの名医が居ます。完治させられると言っていました」
「⁉」
おばあちゃんの病気は完治がほぼ不可能で、寛解と悪化を繰り返しながら体と相談していく必要のある難病。
これまでいろんなお医者さんにかかってきたみたいだけれど、改善はしても治りはしなかった。
「治るの?」
「世界一の名医ですので問題ありません」
「その人異種族?」
「はい」
呆然とするあたしに、先生が言葉を続ける。
「体の負担を考え、飛行機ではなくターミナルの長距離転移で東京に向かってもらうようにしました。手術と経過観察などで、札幌に戻ってくるのは3週間ほど後になってしまいますが」
「そう、なの……」
「ご挨拶と、あなたとの契約書の保護者欄にサインして頂くのとを済ませてから、こちらからの提案という形でお話ししました」
先生はいつも通りに淡々と喋っている。
「諸々の費用に関しては、医療保険で賄える形に落とし込めるそうです。細かい金額と仕組みなどは書類としてそちらにありますので、心配であれば見て確認してください」
「あ、ありがと」
ようやく言葉を絞り出せた。涙を引っ込めるのにちょっとかかっちゃった。
「でも、なんであたしに教えてくれなかったの……?」
「言い忘れていました」
「……」
この人変なとこで天然なのよね。
「そうなの。……ほんとにありがと」
「あなたのお祖母様にはあれこれお世話になっていますので、お礼です」
おばあさまの響きは耳慣れないが、彼が使うと自然な気品がある。
ポンコツだけど気品は本物なのよね。
「……でも、結局、なんであたしは小樽に行くの?」
「光太とひぞれ、リーネアと京、俺と佳奈子。そしてもう一組、ルピネととある少女がいるのですが」
「うん」
「全員、旅行の経験が少ないのです」
コウは”呪い”のせいで遠出は江別市どまり。
京は詳しく知らないけど……たまに見え隠れする心の傷からして家庭環境がまともじゃない。
あたし自身は修学旅行で京都に行ったくらいだけど、見知ったコウが居なかったこともあって、気楽な旅行ではなかった。
最後の女の子についてはよく知らないが、確かに多くはない面子だと思う。
「かもね」
「はい。ですので、みんなで旅行を」
なんとなく、立案者が予想できる。
翰川先生が『大人数の旅行を体験してほしい』と言って呼びかけ、リーネアさんとシェル先生が追従したのだろう。ミズリさんは奥さんに激甘な人らしいので言うまでもない。
「車で4、50分程度の近場で申し訳ないのですが……冬となると受験が本格化して旅行などできませんし、夏休み中ならなんとかなるのではと」
「ありがとう」
旅費を奢ってもらうなんてできないし、あたしは断ろう。
「旅行を断った場合、契約不履行とみなします」
「へっ⁉」
先生と出会った初日に書かされた契約書が差し出される。
内容は、おおざっぱに言えば――受験勉強の家庭教師をしてもらう代わりに、”座敷童”の存在持続についての観察研究を手伝うこと。
「なんで。無理よ」
近場と言ってはいるものの、旅行にかかるのは移動費だけじゃない。旅館やホテルに泊まれば宿代も、食事をとれば食費もかかる。
「あなたに拒否権はありません」
あたしが書いたサインと横に押された印鑑を指さした。
先生は契約に強い側面を持つ異種族で、強固な魔術契約ができる反面、その契約を破れば、先生にもあたしにも肉体的または精神的に多大なダメージがいくらしい。
理屈ではなく、そういう種族だから。
自分を盾にしてでも誠意を示す彼は危うく感じるが、恐ろしく誠実だ。
「う……」
「大体、契約書に追記したでしょう。あなたの性質を”実験”せざるを得ない状況においては給金を支払うと。その分から旅費を支払う形です」
あたしは座敷童という妖怪に分類される存在。正確には、それのなりかけ。
以前家出してしまったのも、あたしが座敷童として中途半端で、妖怪と幽霊の間を揺らいでしまっていたからだ。
シェル先生はルピネさんと共に、あたしを座敷童に安定させてくれた。その上で、魔術の界隈でも未だ詳細が不明な座敷童について研究し、解明したいとのことであたしと契約書を結んだ。
それが、性質を解明するために存在を揺るがし、あたしに危害が及んでしまうリスクがあるときには給金を支払う……という条項。
「いいの……?」
「最初からそう言っているでしょう。あなたのお祖母様とも話し合って約束しましたから、来てもらえないと困ります」
「…………。ありがとう」
素直に嬉しい。
先生はあたしに惜しみなく支援してくれる。いきなり契約書を突きつけられたせいで第一印象は最悪だったけど、今となっては優しい先生だと思っている。
契約するなら英語でもフランス語でもなんでもあっただろうに、彼は日本語で正面から内容を全て話し、『同意できなければ他の条件を用意します』と言ってくれた。
わかり辛いけど、優しい人だ。
「どういたしまして」
「で、小樽に何しに? お気楽旅行気分だけじゃないでしょ」
「勉強です」
「勉強?」
別に札幌でもできるだろうに。
「旅行に行く4人ともが寛光大学を目指しているのです。しかしながら、受験勉強をごく最近から本格化させたのが4分の3。ひぞれとも話したところ、さすがにこれはまずいのではとなりまして」
「え……そ、そう……よね」
寛光大学とは、いま目の前にいる先生も教授として所属する大学。
アーカイブを学問として生かす学び舎として、また、商品開発・技術開発において無類のフットワークの軽さを持つ研究機関として名を馳せており――端的に言うと、最先端の奇人変人が教員だから入試問題の癖が濃い。
教員たちの濃さがそのまま問題になったかのよう……と内外で認められている。
ただし。濃い代わりに、志望する学部学科で点数の傾斜――要は、合格に必要な点数の比率がガラリと様変わりする。
「そうね」
あたしが試しに去年の英語を解いて先生に採点してもらったら、38点だった。200満点中、38点。苦手なんだもん。
空白まみれの答案を2分足らずで採点するや否や、先生は『まずはアルファベットの練習をしましょう』と言ってきた。……その通りだから書く練習したけど。
「理系の半分以下の点数を開き直られても困るのですが」
「心読まないで」
「あなたはどうしても、文字を書く速度が他と比べると落ちてしまいますから……まずは疲れない程度に練習してください」
「わかってる」
「慣れない技術を使うのは難しいでしょうし、ゆっくりでいいのですよ」
「……うん」
先生は気長にあたしを待ってくれている。
「どうして小樽なの?」
「リーネアの父親が来ていますので」
「あの人、父親居たんだ」
「いますよ」
そっか。翰川先生みたいな出自なら別だけれど、リーネアさんはコウの情報では”妖精”。
ならば、両親が居るタイプの種族だ。
「けっこうな変人ですが」
「先生でもそう思うほどってことは重症?」
「俺をなんだと思っているんですか」
「頭がおかしい魔法使い」
「……それはともかく」
綺麗に目が逸らされた。
『頭がおかしい・おかしくない』の議論は会うたびしているから、ここはあたしが退いてあげよう。
「ひぞれ曰く、『勉強合宿だ』だそうです」
「合宿」
「はい。その言葉の意味はあまりわかりませんでしたが、とりあえず勉強をするのだと解釈しました」
「なんかさっきから口調が他人事だけど、数学教えるのって先生の仕事になるんじゃないの?」
なんたって本職の教授だし。
「リーネアの方が教えるのが上手いと思うので任せる予定です」
これでよく教授やれてるわね、この人。
当日になってリーネアさん相手に『言い忘れましたがお願いします』とか言って怒らせそうな予感がする。
「先に言っといたほうがいいわよ?」
「なぜ?」
「どうして不思議そうなのかがわかんない」
「気になるんだけど、先生、さっきまでどこ行ってたの?」
「娘のところに寄ってから、リーネアと京のところに。こちらに来てからリーネアに挨拶をしていませんでしたので」
「狂ってるのに礼儀正しいわよね」
「礼節は父母に教えられたことですし、欠かすべきではないと思っています」
「狂ってるをスルーした……」
「自覚はありますが、直せません」
「悲しいわね」
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