A-SIDE 風は天使とみせて(Breezing For New)
ブリッジン・フォ・ニュウ/一
ギラギラした太陽は嫌いだけど、あの熱い天体がこの世のあらゆるものの全てなんじゃないかって思えた。國丸ユウリと武村コウヘイが出会ったのはそんな風に暑い夏。ユウリにとっては運命的、あるいは宿命的とも思える遭遇は中学三年生の七月、終業式の日の出来事だった。
それはロックンロールバンド、コレクチブ・ロウテイションのレーベル移籍第一弾シングルのブリッジン・フォ・ニュウに合わせて始まった。
始まりの場所はユウリが通う錦景市立春日中学校から北へ自転車で十分、生涯学習センタの道路を挟んで向かいにある、ゴールド・ジャムという名前のカラオケボックスの一室。トイレ横の二階の角部屋で南側に小さな円形の窓がある、おそらくこのカラオケボックスで一番狭くて煙草の匂いがきつい部屋だった。
ユウリはその部屋で、カラオケに配信されたばかりのブリッジン・フォ・ニュウを熱唱していた。監視カメラの存在が少し気になるところだけれど、中学生がソファの上でぴょんぴょん飛び跳ねてはしゃいでも店員は大目に見てくれるだろうと思ってソファの上をぴょんぴょん飛び跳ねながらユウリはブリッジン・フォ・ニュウを熱唱していた。一学期が終わったという開放感と、それからおそらく数十分後に訪れるだろう未来の幸福に対する期待感が、ユウリの心と体を熱くして歌わせていたのだ。
ユウリはコレクチブ・ロウテイションのギタリストのアプリコット・ゼプテンバの大ファンだ。レーベル移籍後の第一弾シングル、前作から一年半ぶりのリリースになったブリッジン・フォ・ニュウでボーカルを取ったのはユウリにとって嬉しいことに大好きなゼプテンバだった。それまで彼女がボーカルを取った曲は数曲しかなくて、コレクチブ・ロウテイションの楽曲の大半はギターボーカルの黒須ウタコだった。ウタコの声ももちろん素敵でユウリは大好きだったけれど、ゼプテンバの歌声はそれ以上に好き。明度が高く、クリアでファンシィでキディ。まるで天使の歌声。ブリッジン・フォ・ニュウという楽曲自体もロックでポップでメロディアスでギターが炸裂していて、ユウリはリリースの二ヶ月前にラジオで聞いてすぐに気に入って自分のテーマソングの一つにすることに決めたのだった。とにかくコレクチブ・ロウテイションのゼプテンバはユウリにとっては天使様なのだ。ユウリの自室の壁はコレクチブ・ロウテイションのポスタが隙間なく張り付けられていてクローゼットの扉の内側にはゼプテンバの等身大のポスタが貼られていてユウリは毎日そのポスタの唇にキスをしてから着替える、という具合だった。
だから基本的にユウリのファッションとメイクは彼女の物真似だ。ロンドン出身の彼女の髪は素晴らしいゴールド・ブロンドで瞳は透き通ったブルー。休日のユウリは洗って流せるスプレで髪をゴールドに染めて、ブルーのカラーコンタクトをして、白いワンピースを纏い、ユニオンジャック柄の細いネクタイを締め黒いミリタリィジャケットを羽織り、十センチの厚底のミリタリィブーツを履いて錦景地下街を歩いたりすることもあった。コレクチブ・ロウテイションの出身はユウリが住む、このG県の錦景市だから、ユウリは彼女の、言わばコスプレをして錦景地下街を歩いているだけでまるで彼女になれたような気がした。
ゼプテンバのような天使になりたい。
だからミュージック・ビデオの彼女のようにユウリは熱唱する。所詮カラオケなんだけれど、それでも一時的に彼女になれたような気になる。それは素晴らしいことだ。しかし彼女になれなくたって喉を酷使して痛くなるまで声を張り上げて歌うのって楽しいからユウリは熱唱する。お願いどうか歌わせて、という具合に絶叫する。
ところでユウリは一人きりでカラオケボックスで熱唱しているかと言えばそうではなく、部屋にはもう一人の少女の姿があった。ユウリは一人ではなく、その少女と二人きりだった。そしてユウリのカラオケに付き合ってくれる人ってその少女一人しかいなかった。しかしそのことにユウリは不満はななかった。一人いれば十分。三人も四人も五人も六人もいたら、なかなか歌う順番が回って来ないからもう二人きりが丁度いい。いや、正直言えばユウリはもっと沢山の可愛い女の子たちと仲良くなって自分の歌を聞いて欲しいって思うんだけどでも、なかなかユウリは、どういうわけか、まあ、色々思い当たる節はあるが、とにかく友達が彼女以外にいなかった。しかしユウリは彼女さえ傍にいてくれて、歌を聞いてくれれば、それはそれで一応幸せだと思えた。彼女の存在はユウリにとって、とても大きくて優しくて癒しでユウリの一部だった。
ユウリのブリッジン・フォ・ニュウを満点の笑顔で聞いてリズムに合わせて手を叩いてくれているのは唯一の友達で親友で幼なじみの新島コナツ。愛嬌のある笑顔と大きな目と仄かに紅色が混ざった形のいい妖艶な唇が素敵な女の子だった。
コナツはユウリと違って友達が多い。彼女の仄かな妖艶さと大きな瞳は一見取っつきにくそうな印象を抱かせるがコナツはいつでも躊躇いなく笑顔を作ることが出来るし、話し上手で、世間知らずというかお人好しなところがあるから、すぐに誰とでも仲良くなる。二人が所属するクラスは三年二組だが、三年二組の人気ナンバワンは間違いなくコナツだ。コナツは人気者。ユウリどちらかというとその対極にいる存在で、言わば嫌われもの。クラスでは悪目立ちしているし、決してクラスメイトにはいい印象など持たれていないだろうし、人気者のコナツの傍にいつもいる嫌われ者など、コナツともっと仲良くなりたい、親しくなりたいと思っているやつらにとっては鬱陶しい存在であると認識されていることは間違いない。事実、今日もコナツをユウリから引き離し自分たちのグループに引き入れようと企んでいる勢力は、ユウリがトイレに行っている間にコナツに近づき終業式が終わったら打ち上げしようと思うんだけれど新島さんも一緒にどうかな、などと誘っていた。つまり抜け駆けをしようとしていたのだ。ユウリはその誘いの途中に教室に戻り、離れたところから話の欠片が耳に入った瞬間にユウリは激高して親しげにコナツと言葉を交わしている男子の頬を殴り尻を蹴り上げてやろうと思ったのだが、しかしコナツがユウリの激高など知らずこちらに背中を向けたまま、
「誘ってくれるのは嬉しいけれど、でもごめんね、今日はユウリと一緒にカラオケに行くって約束してるんだ、それに今日は一学期の終わりの特別な日だからユウリと一緒に過ごしたいんだ、なんでもない日なら皆と遊びに行くのもいいんだけれど、昔からね、特別な時は私はユウリと一緒だから、多分、ユウリと一緒じゃないと、なんていうかきっとね、んふふっ、私、狂っちゃうんじゃないかな」
なんて優しげな声音で言うのを聞けばユウリの激高はたちまち霧が晴れたように消えて、心は太陽に照らされたように暖かくなった。コナツと自分の友情は絶対に揺るがない盤石なものなのだという真実が確かめられたような気がしてその場で小躍りしたくなるほどの歓喜を覚えた。
それだからその後すぐ、ユウリの接近に全く気付いていない阿呆な男子が冷やかすように「なんなの、新島さんとあいつって、もしかして付き合ってるの?」と言ったのもユウリは大らかな心持ちで聞くことが出来た。そしてそれに対してコナツが「もぉ、からかわないでよぉ」とまんざらでもなさそうに照れて頬を染めているのを見たときに、これはあるいはもしや、とユウリは思ってしまったのだ。
そして一学期最後のホームルームで通知表がそれぞれに返却されている間にユウリが抱いた一抹のもしや、はどんどん膨らんでいって破裂しないでは入られない状勢となってしまったからこれはもう、とユウリはついに決めてしまった。
ついに、というのは、この決意のきっかけはあくまで先の阿呆な男子とコナツの会話だが、それまでに、その決意に至るまでには、様々な紆余曲折がユウリの脳ミソの中にあった、ということだ。コナツのことを考え、それについて迷うことは恐怖だったし苦痛だったし、その反対に幸せな一時でもあった。
ユウリはコナツともっと幸せになりたい。
しかしコナツの気持ちはユウリと一緒であるかは分からない。可能性としては五分五分、それより高いかもしれないし低いかもしれない。とにかく要するに、ユウリが自分の口から自分の気持ちを伝えてコナツの口から返答を聞かなければあらゆるものの全ては分からない、ということなのだ。だからユウリはずっと自分の気持ちを告白してコナツの気持ちを聞きたかった。
それをするのを、ユウリは今日と決めた。
今日決着をつけてユウリは幸せになりたいと思った。
しかしもしかしたら幸せになれないかもしれない。
それは恐怖だ。怖いことだ。気持ちを伝えずに今まででの、幸せのままでいる方がいいかもしれない。この幸せを失ってしまう可能性だってあるのだ。
だがしかし。
そろそろ限界だ。
ユウリは限界だった。
体がどんどん大人になるにしたがって。
ユウリの胸が膨らむにしたがって。
ユウリはその胸の突起物をコナツの妖艶な唇で吸って欲しいと強く思うようになって仕方がないし、ユウリも日に日に成長を見せるコナツの胸の突起物を唇で吸って舌で弄くり回して遊びたくてしょうがない。
コナツの柔らかい部分に触れてその裂け目に優しく、時に乱暴に指を出し入れして、今まで聞いたこのないような彼女の卑猥な鳴き声を耳にして感じたいのだ。
唇にキスして、コナツが自分の所有物である、という確信を得たい。
コナツは誰のものでもなく自分の女の子なのだ、ということを確かめるための告白をここでするとユウリは決めた。
「ねぇ、コナツ、」ユウリはコナツに寄り添うように座りチョコレートパフェにスプーンを差しその先端に付着したアイスクリームをコナツの口元に運びながら彼女の素晴らしい名前を呼んだ。コナツ、なんて可愛い過ぎる名前だと思いませんか。「話があるんだ?」
「ふぁに?」コナツはスプーンをくわえアイスクリームの甘さを確かめながら大きくて丸い目でユウリの顔を見る。「話? なんの?」
「私、コナツのことが好き、大好き、」ユウリはコナツから視線を逸らさずまっすぐに見つめて告白した。なかなか恥ずかしいものがあった。恥ずかしくて死にそうでおそらくユウリの体温はやばいことになっていたと思う。脈拍は限界値に到達していたのではないだろうか。「凄く好きなの」
「えへへっ、」コナツは愛くるしく笑う。「私もユウリのこと大好きだよ、凄く好き、えへへっ」
「そうじゃないんだよ、」ユウリは軽く微笑み、コナツの前髪に触れて横に動かした。そうじゃないんだよ、と優しく言ったのは、明らかにコナツがユウリの告白を、そういう風な意味にとっていないからだ。ユウリがコナツとキスしてセックスしたいということを一ミリも察していない笑顔だ。ユウリはコナツに猥褻なことをしてその笑顔をもっといやらしくしてやりたいという衝動に駆られる。ユウリはその衝動を必死に抑える。でも難しい。耐えられるかしら。「そうじゃないのよ、コナツ」
「そうじゃないって?」コナツは口からスプーンを抜き首をわずかに傾けた。純粋無垢という顔を、ユウリから背けない。その鈍感さは罪だと思う。もし鈍感でなくてそういう顔をしているのならユウリはコナツのことを悪魔と呼ぶのにやぶさかではない。とにかくコナツの純粋無垢な顔、というのはユウリにとっての大好物だ。
「愛してるってことよ、私、コナツと付き合いたい、キスしたい」
「え、ちょっと、それって、え?」コナツは明らかに戸惑う素振りを見せた。「え、冗談?」
「ごめん、」ユウリはコナツの肩を強く押して体を壁に押し付け簡単に動けないようにした。「我慢出来ない」
そしてユウリはコナツの唇に自分の唇を乱暴に押し付けた。
コナツの唇は柔らかくて暖かくて、ユウリの脳ミソは瞬間的に何も考えられなくなるほどの快感物質を放出した。そしてユウリを動物的にして、暴力的に乱暴にコナツのことを扱わせた。コナツのブラウスのボタンは一つ千切れたように飛んだ。ユウリの右手はコナツのスカートの中に入り込み汗で湿った肌の質感を確かめた。
「莫迦っ!」
コナツはユウリの唇が離れた瞬間に声を張り上げた。
そしてバチンっとユウリの頬を叩くように殴った。
その痛みに頭は少し冷えて、コナツの大きな目に広がった涙の膜に気付きユウリはとても狼狽えた。
刹那的な衝動に身も心も乗っ取られてしまったとはいえ、とんでもないことをしてしまったと瞬間的に悟りとにかく謝らなければと思った。
謝ったら優しいコナツはきっと許してくれるだろう、という期待は不思議とまだこの瞬間には残っていて、とどのつまりユウリはことの大きさというものをきちんと把握出来ていなかったのだが、窮地に陥ると稼働する持ち前の楽観主義は今までになく発揮されていたのだ。それだから謝らなければと思ったのだがそれよりも先に頬にじんと感じられた痛みの方が言葉となって出た。
「なにするのよ、コナツ、痛いじゃないの、痣になったらどうするつもり?」
そしてユウリは微笑んだ。
全てを冗談で済まそう、という風に卑怯に笑った。その卑怯がいけなかった。まさに火に油。
「最低!」
コナツは表情を険しくして、彼女の声とは思えないほどのかな切り声を上げた。「信じられない! 莫迦じゃないの!?」
コナツの唇はぷるぷると震えていて、その目は射るようにユウリのことを睨んでいた。ユウリはこの瞬間にぐっと恐怖に襲われ、笑いを消去せざるを得なくなった。恐怖の種類はとても原始的なものだった。コナツとの未来が危ぶまれる恐怖よりも、コナツが自分のことを殺すんじゃないか、という恐怖だった。コナツの怒りがストレートにこちらに迫ってきて言葉を発するどころか呼吸すら覚束なかった。
「もう私、……帰る」
怒りを抑えるように下唇を噛んでいたコナツはユウリを残し部屋を出て逃げるように廊下を走った。その高く響いた足音は絶望的な後悔に震えるユウリの心境にピタリと付合ししばらく耳の中でこだまし後悔に拍車を掛け続けていた。
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