VR書店
夏秋冬
VR書店
自室の椅子に座ってグローブをはめヘッドセットを装着する。網膜に映る起動メニューから一指し指でブックマークを開き、並んだリストの中から書店の名前をタップするとそこはもう大型書店だった。
僕は本がぎっしりと詰まった棚と棚の通路に立っていて横を向くとそこは工学書の棚だった。ああそういえば、先日ログインしたのは確かにマイコンボードArduinoの関連書籍を探して手当たり次第に棚から取り出して見てみるためだった。その後レジに進み会計を済ませたはずだが、再びログインした時には最後に立ち寄った棚の前に復帰するのか、と納得した。
でも今日は工学書を探そうとやってきたわけではない。なんというか本屋というものは、目的があってやってくるだけでなく、なんとなく行って棚と棚の間をぶらぶらとしたり、ふと気になった背表紙に惹かれてなんの興味もなかった本と出会ったりする為にある。それは現実の本屋でもVRの書店でも一緒だろう。しかしWEBにある書店ではぶらぶらしたりできないがVRでならそれができる。
両手の親指と人差し指でカメラマンが風景を切り取るように四角を作ると検索窓が現れて、指でスワイプすると店内の広大な地図が現れる。世界中の電子書籍がこの売り場にあるのだから当然だ。地図上をタップすれば瞬時にその場所に飛ぶこともできるが、何か読みたいけれど読みたいものがはっきりと決まっていないのだからぼちぼちと歩いて棚を眺めながら行けばいい。取り敢えず日本文学のある辺りを目指して歩き始めることにしよう。
書店の中には幾人かの人がいる。本棚の前で本を開き立ち読みしているのは、実際にこの時間にこの書店にログインしている他の客で、モブキャラクターのように店の賑わいを演出するために配置されている。ここで話しかけることは出来ないが談話室に行けば同じ書籍を読んだ者同士が意見を交わすことはできる。文学、ビジネス書、社会学、経済学、科学工学、色んなジャンルの談話室があり、そこでなら書店に来た客同士が交流できる場所になっている。本を読んだ感想を語り合えるのは楽しいものだし、違う意見には新たな発見もある。そのような人と人が関わることを楽しむことができるのはリアルな書店には無かったものだろう。ましてや、昔のように一方的に本の感想をネット書店に書き込むような乱暴なことは起こり得ない。
店の中にはNPCもいる。ノン・プレイヤー・キャラクターでAIが制御している人物だ。せわしなく店内を動き回る店員はそれそのもので、VRの書店に本を移動させたり並べたりする書店員が必要であるわけもない。が、書店員に問いかければ今週のベストセラーや新刊を教えてくれるという仕組みでもある。そして店内の客にもNPCはいる。テレビで人気のアニメキャラクターが立ち読みしていたり、好例である夏の文庫本のフェアに起用された俳優や女優が店内を歩いていることもある。しかしこれは実際の人物が店内にいるわけだはなくボットだ。
そんな風に店内を幾つかの棚を興味なく眺めながら僕は日本文学の棚までやってきた。テレビドラマ化されベストセラーになっている本や、書店員のお勧め本は平積みされ手書きのポップが添えられている。すると、それらを眺めていた僕に後ろからぶつかる人がいた。「ごめんなさい」という女性の言葉に振り返ると床に落ちた本が見え、それは『パーフェクト・ブルー 1998』という書名で、彼女はそれを拾い上げようとしているところだった。そして彼女は紛れもなくテレビでよく見るアイドルの一人だった。きっと彼女もNPCで、あこがれのアイドルに会いたいが為に書店にやってくるファンをねらっての広告塔のようなものなのだろう。けれど僕は『パーフェクトブルー』という本が気になった。探して読んでみようかと言う気になった。こんな風に本と出会う方が、無理目の「あなたへのお勧め」を繰り返し見せられるよりずっと効果的だろうなとも思いながら。
VR書店 夏秋冬 @natsuakifuyu
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