心傷

いある

case1 パパ

 俺は将門間嵩まさかどまかさ。別に早口言葉ではない。俺は父に正式に依頼され、子供たちの遊び相手兼親になることになった。

 この孤児院は少々難しい問題を抱えた子達ばかりだが、それでもみんな元気に過ごしている。でも時々感情に押しつぶされる子がいたりして。

 そんな時こそ俺の出番なのだ。


「ごめんね、おにーちゃん」

「おー!どうしたんだよひのの!元気ね―じゃん。おにーちゃんに話してみ?」

 俺の個室のドアを叩いたのは日野ひのの。この子も早口言葉ではない。この孤児院のなかではややお姉さんなので子供たちのリーダー役をすることもしばしば。非常にいい子で積極的にお手伝いをしてくれるのだけれど、あまりに優しすぎて気負いがちなのが玉に瑕な至って普通の女の子だ。

「あのね、今日もがね」

「ふーん、そうなんだ、か。パパはなんて言ってるの?」

「えっとね、今日はお前の大好きなシチューだから早く帰ってきなさい!って言ってるの。どうしようかな、帰っちゃおうかな。パパに会える方法は私知ってるから」

 用意していた椅子に腰かけたひののにほのかに湯気が立ち上るホットココアを差し出し、パパという存在についての話をする。

 この子のいうパパとはこの子が五年前に亡くした実の父親のこと。ちなみに俺の事はおにーちゃん。この孤児院の長である俺の父の事はおとーさんと呼ぶ。この子はその時のショックで、不安になったり、精神的に疲れてきたりすると幻覚や幻聴としてそのパパという存在が現れるのだ。

「おにーちゃんにはパパが見えるんだよね?他のひとはみんな見えないって言ってて…」

「おー!パパさんだろ?ちゃーんと知ってるぞおにーちゃんは。こんばんはー!いつもお世話になってます!」

「…!やっぱり!パパもこんばんは、って言ってる!ちゃんと見えてるんだね!」

 …まぁ俺にとっては何もない虚空だが、彼女の目には見えているであろうパパに向かって挨拶をする。たとえ幻影だとしても彼女にとっては紛れもなく肉親だ。想像であろうと実在の人物であろうとそれは変わらない。彼女の身を預かるものとして、その親に対して敬意は払うべきだろう。

「でもね、パパさんは忙しいんだって。ほんとは今日もう次のお仕事に行かなくちゃって言ってるよ?」

「そうなの?パパ…残念。久しぶりに会えたのに」

 そうやって口をとがらせて俯いてしまうひのの。まぁ少女がこのような症状を引き起こしたとしても何の疑念もあるまい。たとえ齢50を超える父が彼の母親の幻覚を見たとしても不思議とも思わないだろう。何故なら親というのは子どもにとってはいつまでも親である。いくら年月を積み重ね、その存在が亡き者になったとしてもその事実は揺るがない。それが十歳前後の少女なら

このことに納得できない人もいる。理解できない人もいる。

 それもまた致し方の無いことだ。他人の感情を理解することほど難しいものはないし、そもそも俺にだってできない。

 けれでも俺はこの子達の兄として、彼らを慮り、歩み寄るのは当然だ。家族を失ったり家族に裏切られたりした子供達に手を差し伸べられるのは、新しい家族だけなのだから。

「だからパパさんにバイバイしよっか。また会えると思うからさ!」

「ん、いい子だからバイバイする!また会えるよね?パパとまた一緒にお話しできるよね?遊園地行けるよね?」

「っ、…あぁ、勿論!当たり前だろ?」

「えへ、えへへへ…!じゃあいいの!今日はもうそろそろおやすみの時間だから戻るね!ありがとおにーちゃん!」

「あぁ、どういたしまして!おやすみー!また明日な!」

 閉じていく扉の向こうから元気なおやすみが聞けただけで今日は良しとしようか。

 …心が、痛い。どうしようもなく痛んでいるのを否応なしに感じるのだ。今日もまた嘘を吐いた。結局自分は嘘で塗り固めて彼らの心に気休めを与えてやることしかできないのだろうか。否、本当は気が付いているのかもしれない。彼らだって俺の言葉が嘘だってことを。言わないのが彼らなりの優しさなのかもしれない。

 涙が、こぼれそうだ。でも俺は泣いてはいけないのだ。

 だって俺は彼らの兄であり、親である。上に立ってる奴が不安そうにメソメソしてたら下のやつらに伝播しちまう。だからこそ俺は今日もまた、鏡の前で笑顔の練習をする。張りぼてのマスクだと言われようが構わない。この解れた心をこんな仮面ごときで隠し通せるなら、安いものだ。

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心傷 いある @iaku0000

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