第41話 開戦

 時は慶應四年一月三日。

 年明けすぐ、休む暇なく進軍が始まった。幕府の歩兵隊は淀、鳥羽街道から北上し入京を目指すと言う。会津藩と新選組そして桑名藩も加わり、伏見市街に兵を展開した。


「永倉、薩摩軍の偵察を頼む。原田は長州軍の兵力を確認してくれ! 斎藤は会津藩の補佐と援護を頼む」

「はっ!」


 土方の表情は今まで以上に厳しかった。近藤の不在中に戦が始まったからだ。椿は約束した通り市村鉄之助と共に土方の傍に控え、忙しく動き回る土方の後ろを追いかけた。


「源さんは奉行所で警備を頼む」

「ああ、任せてくれ」


 六番組を率いる井上源三郎は奉行所の警備強化に就いた。


「椿と鉄之助は俺から離れるなよ!」

「はいっ」

「山崎、永倉と原田から情報を集めて報告を頼む」

「御意」


 皆がそれぞれの持ち場へと散っていく。土方は薩長連合軍の動向を気にしながら、隊の動きを監視する。どの隊も緊張が高まり、会津藩も桑名藩もピリピリとした空気が覆う。時に、味方同士で肩がぶつかっただけで、腰に差してある刀に手を掛ける程だった。

 両軍共に探り合いで布陣が定まらない中、大きな進展は見られなかった。そんな中、徳川率いる歩兵隊は鳥羽街道に向けて順調に進軍しているとの報告が入った。


「鉄之助くん大丈夫ですか?」

「俺は大丈夫です。椿さんこそ重いでしょう」

「いえ。これしきの事で弱音を吐いていられません」

鎖帷子くさりかたびらってジャラジャラしていて重いです。女には酷ですよ」

「ええ、でも命を護る物ですから」

「何かあれば俺が盾になりますから、椿さんは後ろに」


 鉄之助も此処では一端の武士なのだ。椿より随分と年下だが、年相応よりも大人びていた。子供らしさがない事を、土方が時々気にかけていた事を思い出す。この年齢で新選組に身を置くのだから、普通の子供とは違うだろう。



 その頃、二番組を率いる永倉は薩摩軍の動きを注視していた。


「おい! なんだあれ。見てみろ!」

「組長、あれが薩摩の新型大砲です」


 伏見奉行所の北側に位置する御香宮神社を陣取った薩摩軍は、新型の大砲を設置している所だった。奉行所からの距離はおよそ一町二十二間(約150m)だ。


「あれは会津藩こっちのと比べてどうなんだ、まさか届いたりしねえよな」

「どうでしょうか......」


 永倉は先鋒隊を引き連れて薩摩軍の敷地のすぐ側まで行き、その大砲がどんな物なのか確かめた。


――こいつはデケえ。これをぶっ放されたらマズイだろう!


 刀で斬り込んでも意味がない、永倉は何か有効な手がないか考えた。しかし、どう考えても突破する案が浮かばない。一発放たれたら、ここに居る全員が吹き飛ばされると容易に想像ができる。


「おい、おまえ監察の山崎分かるか。あいつにこの事を知らせろ」

「はい!」


 一方、十番組を率いる原田は長州軍を偵察していた。薩摩軍と背中合わせになるように兵を配置していた。そこには鉄砲隊が戦の準備を整えている所だった。


「原田組長、あのような鉄砲は見たことがありません。幕府のと違いはあるのでしょうか」

「どうだろうな。幕府の最新の武器は俺もまだ見てねえからな。でもよ、一つだけ言えるのは、俺たちのとは比べ物にならねえって事だ」

「それは......!?」

長州軍あっちの方が数倍優れているって事だ」

「そ、そんな」


 戦う前から圧倒的な武力の差を見せつけられた。あれを向けられたら、自分たちは太刀打ちできないと。しかし、人数では圧倒的に幕府軍の方が多いのだ。間違えても負けるなんてことはない、負けてなるか。

 永倉も原田も、目の前の現実を打ち消すように自身に言い聞かせた。


 山崎は二番組の永倉率いる隊士から報告を受け、その足で原田のもとへやって来た。

 原田から長州の鉄砲の事を聞かされ、すぐに土方のもとへ走る。


「副長! 報告です」


 山崎は永倉と原田から寄せられた情報を土方に報告した。土方の表情は鬼の如く険しさを増す。戦について知識が浅い椿ですら、その内容は信じ難いものだった。


「あいつら攘夷じょういだのと唱えておきながら、異国から武器をしこたま仕入れてやがった!」


 先に暗殺された坂本龍馬が仲介役となって、薩摩から長州に最新の武器を動かしたと聞いたことがあった。それらの武器の威力を、今になって知らされるとは土方も思っていなかったのだろう。

 あの頃、誰もが薩摩と長州が同盟を結ぶはずはないと、疑っていなかったのだから。


「くそっ。あれを撃ち込まれちゃあ手も足も出ねえ。どうする」


 土方の眉間の皺はますます深く刻まれる。日は次第に傾き始め、少しずつ薄暗さが増してきた。西の空が茜色に染まり始めたその時、


パーン!

 乾いた銃声が響いた。その直後、

ズドドドーン! ゴゴゴー 

 地響きが鳴響く。


「きゃっ」


 椿は思わず耳を塞いでしゃがみ込んだ。


「おい! あれを見ろぉ!」


 薩長軍が布陣している北側から煙が上がった。そしてドガーン! と、また大きな音が腹に響いた。

 とたんに後方の伏見奉行所から火の手が上がる。大砲の弾がここまで飛んできたのだ。


「くそっ! あいつら、本当にとんでもねえ大砲を持ってやがる。すぐに応戦しろ!」


 土方の怒声が響き渡った。

 会津藩も負けじと砲弾を放つが、とうてい及ばない。相手の陣地にすら届かないありさまだ。土方は常に新型導入をと幕府に働きかけていたが、資金の問題も絡み、棚上げにされていた。その結果がこれだ。


「くそ! 源さんが奉行所の警護に当たっている。至急退避しろと伝えろ!」

「はっ!」


 山崎は素早く奉行所に走った。既に奉行所の後方は火の海と化している。『山崎さんっ!』椿は声に出そうになるのを必死で抑えた。ここは戦場だ。自分だけの想いで行動してはならない場所。


「椿、心の準備をしておけ。かなりの怪我人が出るぞ!」

「はい!」


 山崎の背を追いたくなるのを必死で堪える。自分には、これからやらなければならない事が山ほどある。新選組の軍医として。

 黒煙が辺りを覆い始めると同時に、焦げた臭いが漂い始めた。火の勢いは増すばかりだ。


「此処はもう駄目だ! 淀まで退け! 徳川軍と合流する。そこで立て直す!」


 隊士たちが走りながら土方の言葉を伝えて行く。椿は奉行所が焼け落ちて行くのを横目で見ながら、土方と走った。山崎の姿はそこにない。


「椿! 前を見て走れっ、山崎あいつなら大丈夫だ!」

「はいっ、すみません」


 土方は腰に差していた刀を抜き、辺りを牽制しながら走る。 


「原田っ! こいつを頼む」

「おう、分った。鉄之助は俺について来い」


 あの土方が、二人を保護しながら進むのが困難になるほどの状況だった。怪我人が何処にいるのかなど、気にする暇もない。頭を上げると銃弾が掠めそうなほど近くを飛んでゆく。


「椿、手を出せ!」


 土方は椿の手首を握り締め伏見の街道を走った。既に事切れた兵士たちが至る所に転がっている。もうそれが敵か味方か判断がつかないほどである。

 あと一息、ここを抜ければ鳥羽街道、徳川軍が居るはずだ。


 そして土方の足がピタリと止まった。

 肩で荒い生きをしながら、目の前の景色を確かめた。


「これは……」


 土方は言葉を失っていた。


 倒れていた殆どの者が、徳川軍が誇る歩兵隊だったからだ。

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