第33話 伊東一派の離隊
何事もなく月日は経ち、土方たちが江戸から隊士を連れて帰ってきた。
一緒に行った伊東はとても機嫌が良かった。何故ならばその殆どが自分の
「山崎さん、お気をつけて。くれぐれもご無理は」
「椿さん大丈夫ですよ。喧嘩をしに行くのではありませんから」
旅立つ日の前夜、山崎は椿の部屋を訪れていた。これまでも幾度かの苦難を乗り越え、二人の距離は縮まった。体を重ねる度に心も満たされてきた。二人に不安などない。ただ、そこに命さえあれば。
「それでも、心配なのです」
「長州の女が、気がかりですか」
「えっ。もうっ、違います」
そういう意味ではないと、頬を膨らませ怒る椿は愛らしかった。山崎は色んな椿の表情が見たくて、時々こうして困らせるようになった。
「すみません。椿さんが愛らしくて」
ふくれっ面の椿を引き寄せ、そのままの勢いで唇を奪った。優しく上唇と下唇を交互に食んで、手は背中から腰へと上下に何度も往復させた。山崎は喜怒哀楽を素直に出せる椿が愛おしい。それが
「ふっ、ん」
椿が息を漏らすと、山崎は自分の舌を隙間から挿し込んだ。椿は突然の事に頭を引こうとしたが、山崎がしっかりと押さえていて逃げる事ができない。こんな昼間からはいけないことだと思えば思うほど背徳感が支配して、男女の欲望を刺激した。山崎の手によって椿は確実に女の本能に目覚めていく。
――このままでは私の方が、耐えられないかもしれない。
などと、一気に女として成長を遂げた椿が此処にいた。
山崎の隊務は以前に増して忙しくなったが、それ以上に素晴らしい成果を上げていった。新選組の、とくに近藤や土方からは高い評価を得ていた。故に、山崎の身の危険も増しており、椿は気が気ではならなかったのだ。
こうして椿は触れ合いの濃度が増した山崎に翻弄されながらも、時は慶応二年へと移ろうとしていた。
◇
年が明けてすぐ、伊東は永倉と斎藤を誘い島原に三日も滞在し酒を酌み交わした。隊内でも伊東の思惑は明らかになり始め、誰がどう見ても自分の派閥に誘い込もうとしているのが分かった。
伊東は新選組の要である永倉と斎藤が欲しかったに違いない。二人は自分の勉強会にも足を運び、熱心に話を聞いていたから尚更その気持ちは抑えられなかった。自分の思想は間違っていない。だからこの沈みゆく新選組という船から少しでも多くの優秀な隊士を連れ出したかったのだろう。
そして後日、この行動が明るみに出て、隊務を疎かにしたと言う理由から三人は謹慎処分となった。
「俺は絶対に伊東さんについて行かねって! 寧ろ俺は止めようとしたんだ。なのになんだよ! 謹慎なんかにしやがって!」
永倉は、離隊の意思を示した伊東を止めるよう説得したのだと腹を立てている。しかし反して斎藤は、是とも否とも言わず
そんな三人の謹慎が解けた頃だった。椿が土方の使いから屯所に戻ったとき、突然伊東が目の前に現れた。見ると伊東は不敵な笑みを浮かべている。椿はゾクと背中に悪寒が走ったのを覚えた。
「あの、何か」
「少し宜しいでしょうか」
ここは屯所。仮にも伊東は新選組の参謀という立場である。いくら軍医とはいえ椿ごときが伊東の声掛けに拒むなどできるはずがなかった。椿は黙って伊東の後に着いて行く。通されたのは伊東の部屋だ。
「既にご存知かと思いますが、近々隊を抜けます」
「えっ」
「勿論その辺りは円満に進めるつもりです。有能な方々が多数賛同してくださいましたからね。藤堂くんはもとより、三番組組長の斎藤くんも一緒です」
「斎藤さんも!」
椿は驚いた。斎藤は新選組に固い忠誠を尽くしていると信じていただけに、その衝撃は大きかった。伊東はそんな椿の反応を満足そうに目を細めて見ている。
「そこで、椿さん。貴女も是非、我々と一緒にと思いましてね」
「あの、どうして私が? 私はご一緒できません」
「おや? 斎藤くんがここを離れるというのにですか」
「どういう意味でしょうか」
「あなたは斎藤くんと離れ離れになってもいいのですか」
「あの、何故そのようにお思いなのですか」
「知っていますよ。あなた方は稽古を理由に頻繁に逢瀬をしているではないですか。ふふっ、私の目は節穴ではありませんよ。それに此処にいても先はありません。新選組は戦争に一直線なのです。幕府と共に沈み逝く船なのですよ。貴女が残ることは足手纏い以外の何でもありません」
伊東の口ぶりでは、椿と斎藤は恋仲だと勘違いをしているようだ。椿にしてみれば、稽古を逢瀬だと言うなど全くの予想外であった。
「仮に女の医者が従軍していると知ったら、慰め物にするに決まっています。それも、敵味方関係なくです。我々はそんな野蛮な事は致しません。それに好いた男の傍であれば、貴女も安心でしょう」
椿は返す言葉が見つからず、ただ伊東の話を黙って聞くしかなかった。ここで自分が下手に出て、局長や副長の迷惑になってはいけないと思ったのだ。
そんな矢先に外から声がした。
「伊東さん」
「おお! 斎藤くんか。噂をすればなんとやらですね。どうぞ」
障子を開け、軽く頭を下げた斎藤は椿に土方が探していると告げた。椿は思わぬ助け舟に息をふぅと吐き、その場から逃げるように土方の部屋へ急いだ。
「土方さん、椿です」
「おう、入れ」
「お呼びでしょうか」
「あ?」
土方はきょとんとした表情で椿の顔を見る。お前の方が様があるんじゃないのかといった表情だ。
「土方さんが呼んでいると、斎藤さんが仰って」
「斎藤が?」
土方は何かを考えるかのように視線を一巡した。その後、思い当たる節があったのか、わずかに眉間に力を入れるとこう言った。
「おまえ伊東さんに何か言われたか」
「な、なんで分かったのですか!」
「そうか、やっぱりな。で、なんて言われた」
先ほど伊東から言われたことをそのまま土方に言うと、あからさまに嫌な顔をし舌打ちをした。
「しかも誘い方が下品なんです。私が斎藤さんと恋仲だと思っていて、稽古を理由に逢瀬していたんだろうとか。離れたくないだろうから一緒に来いとか。戦に出ればただの、慰め物になるだとか!」
土方は椿を手放すつもりはもうとうない。それより土方は伊東が何故か斎藤と椿がデキていると勘違いしていることに注目した。
――こいつは使えるかもしれねえな。
「椿、落ち着け。俺はお前を手放したりしねえし、慰め物なんかにしねえ。そうだろ?」
「はい。私は土方さんと新選組を信用していますから」
「だったらいい。ちょっと、こっち寄れ」
土方は指で椿にもう少し近くに寄れと言った。椿は何事かと首を傾けながらも、すりすりと膝を土方の文机に寄せた。
「もっとだ」
「な、なんですか」
土方はにやりと笑うと、口を椿の耳に寄せぼそぼそと話をした。
「えぇ! そんな大事な事を私に言ってよいのですか!」
「莫迦やろうっ。声が大きいんだよっ。この事は近藤さんと本人と俺、そして山崎しか知らない。お前が口を割ったら新選組は終いだ。いいな」
「わ、分かりました」
翌月、近藤との話し合いが終わり伊東一派は新選組から分離し西本願寺から去って行った。近藤と伊東との約束で、今後一切の隊士同士の交流や隊士の勧誘、移動は認めないとした。その中には幹部だった藤堂平助と斎藤一の名も含まれていた。
隊内には大きな落胆と不安が広まって行った。
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