第31話 愛おしさは増すばかりで
また、いつもの日常を取り戻したように思えた。しかし世の中はあの池田屋騒動から大きく変わったてしまった。屯所を越してすぐに山南の脱走、そして切腹。それでもなんとか乗り越え、椿は再び松本良順のもとに通い蘭学を学び始める。
そんな中、新しく新選組に加入した伊東は勉強会という名の伊東一派の布教に励んでいた。
「いやぁ、勉強になるねぇ!」
「永倉さん、お疲れ様です」
「おお! 椿ちゃん、相変わらず頑張ってるな」
永倉は政治の話を聞いたり語るのが好きで、よく伊東の勉強会にも顔を出していた。
「おや、我が軍医の椿くんではないですか。あなたも
「ありがとうございます。しかし、私の師は松本良順ですので......」
「そうですか。そうはいっても、これからは医学だけでは駄目です。政治に明るくなければ」
「今の私には政治まで頭が回りません。ありがとうございます」
椿は丁寧に頭を下げて伊東から離れた。
実はこの伊東、椿を引き込みたくて仕方がないのだ。医者である椿が自分の一派に加われば、この先の行く末は安泰だとも考えていた。軍医付きともなればまた一目置かれるだろう。土方のお気に入りをどう取り込むか、そればかりが頭を占めていた。
「土方くんが軍医制度に目を付けたのには恐れ入りました。しかし、新選組はどう足掻いても先がない。新しい時代はすぐそこまで来ているのです。宝の持ち腐れにならないよう、私がいただきます」
伊東は誰にも知られぬよう、その厭らしい薄ら笑いを扇子で隠した。
椿は伊東がやっている事はどう考えても反新選組だと思えてならなかった。勉強会も、よくよく聞けば思想が長州寄りなのだ。ひとの思想を否定したくはないが、考えの違う新選組に留まり続ける事の意味、そして何よりも気に食わないのが布教活動のように毎日広間で隊士を集めて講義をしている事だ。藤堂はもとより、永倉や斎藤までもが会に加わっているのが嫌でならなかった。
椿は悶々としながら、稽古場へ向かう。今日は斎藤に小刀の稽古をつけてもらうようになっていたからだ。
「斎藤さん。宜しくお願いします」
戦場で自分の身を守るための術を習っているのである。隊士のように腰に帯刀するのではなく、腰の後ろに隠すように小刀を差す。その方が小回りもきくし、治療の邪魔にもならない。
「抜くときは躊躇うな。躊躇えば自分が怪我をする。刀は腕に沿うよう、被るように柄を握れ。うむ、そうだ。逆手に持つといい。小手先だけではなく腕全体の力で振るのだ」
「はい」
「あくまで逃げる為の一太刀だ。相手が怯んだらすぐにその場を離れる。間合いは絶対に詰められてはならぬ」
斎藤の教えは非常に実践的で、女の椿にはとても有効なやり方だった。戦う為の剣ではなく、危険から身を躱すための剣だ。椿が殺られては意味がない。隊士を救うためには何が何でも自分の身は護らねばならないのだ。
「随分と上達したな。後は相手を倒した時に、
こうして椿の護身術もしっかりとしたものになって来た。椿は汗を拭いながら気になっていた事を口にする。
「あの、斎藤さんは伊東さんの事をどうお思いですか」
「どう、とは」
「伊東さんの考えに賛同されていらっしゃるのかと、思いまして」
「さあどうだろうな。だか、考え方が間違っていると強く否定は出来ない。それだけだ」
「そう、ですか」
椿は明らかにがっかりしたような返事をした。斎藤には伊東の考えは合わないと言って欲しかったのだろう。斎藤は椿の正直なところを好ましいと思っていた。
「あんたは新選組の為になる事だけを考えればいい。俺もそれだけを考えている」
斎藤は口元を緩めながら椿の頭を軽く撫でた。斎藤がこんな事をするのは珍しく、椿は驚いて硬直していた。
――斎藤さんが、少し、変です!
斎藤の心情など、今の椿にはとうてい見当もつかない事であった。
◇
椿は山崎の部屋で、鍼灸の指南を受けながら昼間の事を話していた。
「山崎さん、斎藤さん最近何かおかしくないですか」
「斎藤さんが?」
椿は言葉では言い表せないけれど、斎藤に違和感を感じると言うのだ。護身術の稽古も、以前より高度な技を短期間で習得させようとしていること。そして、少し優しいのだ。以前だって、無口だったがさりげなく手を差し伸べてくれていた。しかし、この頃は言葉数が増えてきたように思う。
「何故でしょう」
「椿さんは斎藤さんに対する気持ちが変わりましたか」
「変わる?」
「その、心変わりです。斎藤さんを好きに、なったとか」
山崎は眉を下げ困ったような表情で、椿のことをじっと見つめていた。
「斎藤さんを……まさかっ!」
「でも、気になるのでしょう。斎藤さんの事が」
「山崎さん、もしかしてっ」
「なんですか」
椿はもう以前のうぶで鈍感な椿ではない。山崎の事が好きで仕方がないのは変わらないが、なによりも椿は女としても成長した。だから、ほんの少し自信があった。
「ふふふ。それは嫉妬、ですね」
「なっ、な、何を言って」
山崎の顔が一瞬にして赤く染まったのを認めた椿は、勢いよく山崎に抱きついた。
「椿さんっ」
「嬉しくてっ。山崎さんが嫉妬してくださったから。私はいつも、どんな時も心変わりは致しません。山崎さん一筋ですよ」
椿は満面の笑みで山崎の顔を見上げた。山崎の目元を朱に染めて、そわそわと視線を泳がせる姿が堪らなく愛おしい。困難を乗り越える度に、山崎への想いは増して行った。初めて肌を重ねたあの日から、燃えあがった炎が消える気配はない。
――山崎さんっ。こうしているだけでは足りません。どうしたら私の気持ちが伝わりますか。
「椿さん。あまりこう、くっ付かれていると……」
「え?」
椿が山崎の顔を見ると、なぜか歯を噛みしめている。何かに耐えているのか、その渦に飲み込まれまいと戦っているようみ見える。
「あまりこうされていると、その」
「山崎さん、具合でも」
いや、確かに具合と言えば具合が悪いのだろうが......。
「っ、俺っ!」
「え、あっ……んん」
山崎は己の昂ぶりを治めるために本能と理性の間を彷徨っていたのだ。が、このあまりにも鈍感で天然な椿に山崎の雄が勝てるわけもなく。結果、畳に組み敷いてしまったのだ。
「やまっ……ぁぁっ、ん」
「貴女はそうやって直ぐ俺を煽る」
「煽ってなんかっ」
山崎は椿の裾を割り太腿の内側を、冷たい指でツツーっとなぞった。唇をその白く細い首に押し当てて、舌をねっとりと這わせた。そんなことをされた椿は堪らない。こんな中途半端な触れ合いでは、滾りそうで滾らない。もっとたくさん触れてほしい。山崎に幾度となく愛された椿の体は、この程度の触れ合いではもう満足できなくなっていた。
「やあ」
寧ろ、これから先の悦楽を求め体が先回りして震えてしまう。
「声、少し抑えましょう」
椿の唇は山崎の唇によって塞がれた。求めることを覚えた椿はそっと隙間を開け、山崎の舌を誘い込む。そうすると咥内を捲し立てるように熱が暴れる。山崎は椿はの脚のあわいに膝を差し込み、手で腰の帯を解いた。そのまま指先に力を入れると、簡単に着物の合わせが緩んだ。
「んっ」
山崎が椿の柔らかな肌にじかに触れる。声は出せない。出せないと思うと余計に熱が籠り、その指のひとつひとつの動きに否が応でも反応してしまう。酸素を求めて足掻く椿は山崎の胸元を強く引き寄せた。
――お願い、もう堪忍して。
「貴女の全てを暴いてしまいたい。俺の全てを受け止めて貰いたい。しかし、ここでは流石にはばかれます」
「あ、んっ」
白き美しき体を己の目に入れたい。しかし、ここは屯所。まだまだ、何もかも忘れて酔いしれる事が出来ないのだ。少なくとも、山崎は監察方という硬い任務をする男だ。一方、椿は朦朧とした瞳で山崎を見つめ、快楽の波に飲み込まれそうになっていた。
「いずれ、そのうちに」
「山崎さ――」
周りの事など気にせずに、愛を分かち合える日が来る。どんなに時代がそれを阻もうとも、互いの想いまで壊せやしない。その日は必ず来る、そう願いてや目を瞑る椿の額にそっと唇を落とした。
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