第29話 武士の最期の迎え方

「椿さん、あまり無理はせずに」

「はい」


 椿は山崎に送られ大阪の良順のもとに蘭学を学ぶためにやって来た。帰りも山崎が迎えに来るという。


「お手間を取らせて申し訳ありません」

「これも隊務のひとつです。それに、実は職務を利用できて嬉しいのです」

「もうっ、山崎さんったら」


 時折、こうして山崎が惚気て見せるようになった。堅物だと思っていた男も惚れた女が出来るとこうも変わるものかと驚く。

 椿は良順に蘭学を習い、最終的には切開術と縫合術まで学ぶつもりでいた。勿論これまでも切開をした事はある。しかし、それはあくまで化膿した膿を掻き出す程度だった。銃弾を取り除くとなると、体の内部まで刃を入れなければならない。今の椿の知識では知識が浅すぎるのだ。もう一度、人体の造りをさらい直す必要があった。


 限られた時間の中、椿は必死に頭に叩き込んだ。男と女の体の違いから精神状態まで。と言うのも、戦が長引けば女には理解できない男の複雑な事情があるからだ。それは本能的な部分であるが故に、頭の痛い問題であった。


「いいか、興奮状態が続くと男は本能が勝る。命の危機を感じれば感じるほどに子孫を残したがるんだそうだ。時にそれを慰めねてやらねばならん」

「......はい」

「そう言った症状を認めた場合、椿は絶対に近づいてはならん。いいな?」

「っ、は、はいっ!」


 こればかりは軍医の力では抑えられない。ましてや椿は女であり、鍛えあげられた男を相手に自身の身を護る程の体術は備わっていない。近寄らず、距離を置く事が最善の手段だった。また、良順の教えは治療の知識だけに留まらず、実際に戦で使われる銃と銃弾の仕組みまでにも至った。


「これが拳銃だ、そしてコイツが弾だ」

「こんな小さなものが、体にめり込むのですか」

「ああ、この拳銃がとてつもない威力で弾を飛ばすからな。もし弾が心臓や頭を貫けば終いだ」

「えっ」

「こんなに小さいが、一瞬で命を奪う。戦になるとこれが雨の如く降り注ぐ。逃げられないんだよ」


 椿はたった一発の銃弾が、当たりようによっては簡単に人の命を奪うことに衝撃を受けた。椿の手は震えたが、それを誤魔化すために強く握りしめた。


「薩摩はこれを使うのが得意だ、奴らが完全に倒幕に傾けば幕府は窮地に立たされるだろう」

「なぜです。兵の数は幕府の方が多いはずです。銃だって大砲だってありますよね」

「残念ながら幕府のは旧式だ」

「旧式?」

「相手は外国から新式を大量に仕入れたと聞く。それが本当なら刀が主力の幕府や新選組は……」


 もうそれ以上は聞かなくとも分かった。しかし椿は勝つために、助けるためにここに学びに来たのだ。後ろ向きな話に自然と耳を塞いだ。


「椿。現実を知らずして戦争はできん。いいか、我々の戦いは如何に多くの味方の兵を救うかだ。生きる可能性のある者から先に救う。見込みのないものは運命さだめとして諦める。これが軍医の戦争だ。それができないのなら、軍医は辞めるしかない」

「承知しております」


 良順から医学以外の事も教えられた。知れば知るほどに戦争と言うものの理不尽さ、不必要さを痛感する。しかし、それを止めるのもまた戦争だと知った。

 こうして七日が過ぎた。そろそろ山崎が迎えに来る頃だ。


「先生ありがとうございました!」

「よく頑張ったな。また連絡する。それまでに忘れるなよ」

「はい」


 良順はにこにこと笑いながら、その大きな手で椿の頭を撫でた。父が生きていたならこんな感じなのだろうか。ふと、椿の頭をそんな想いがよぎる。


「椿さん!」


 太い声が部屋に響いた。振り向くと其処には島田かいが立っている。山崎と同じように監察の仕事もこなす人物だ。今は伍長という役割を持ち、時に隊士と共に出動する。


「島田さん。どうしたのですか?」

「はい、椿さんのお迎えに上がりました」

「島田さんが?」


 山崎は急な任務で来れなくなり代わりに島田が大阪までやって来たと言う。


「それは危険な任務なのですか?」

「いえ、危険なものではないですよ」


 いつものようにニコニコと笑う島田だったが、心無しか言葉の切れが悪いように思える。みなと共に過ごすうちに僅かな表情の変化に気付くようになってしまったのだ。椿の心の端に小さな不安が生まれた。それでも椿は気付かないふりをして、島田と共に大阪を出た。

 最初は一日かかった道のりも、今では半日程で京に戻るようになった。知らぬうちに体力も付いているようだ。今でも斎藤から護身術を習い、最近は小太刀の扱いも習っている。


「もうすぐ屯所です」

「はい!」


 自然と足が軽くなる。やはり皆がいる屯所が落ち着くのだ。


「ただいま戻りました!」


 いつもは騒がしい屯所内だが、今日は妙に静かだった。おかしいと島田の方を振り向くと、眉間に皺を寄せ何か考えている。


「島田さん?」

「すみません、少し外でお茶でも飲みましょう」

「え?」


 わざわざお茶を飲みに外に出るという。今、帰ってきたばかりだと言うのに。なにのり気になるのは何故こんなに屯所内が静かなのかという事だ。


「あの、私は部屋に戻ります。ありがとうございました」

「椿さん!」


 島田の大きな声にビクリと体が揺れた。

 

「今は、行かない方がいい」

「なぜ、ですか」

「それは......」


 島田の表情が曇ったのを見て、ここで何かが起きているとすぐに理解した。椿は島田の忠告を振り切って廊下を進んだ。


――嫌な予感がするわ!


「椿さん!」


 島田はもう一度椿の名を呼んだ。しかし、椿にはもうその声は届いていなかった。



 椿は屯所内を歩いたが、驚くことに一人も隊士が見当たらない。


「外庭に?」


 全体報告の際は必ず外庭に隊士が集められたからだ。椿は草履を履き庭に走った。なぜか走らずにはいられなかったのだ。


「あっ!」


 目に飛び込んだのは、黒の隊服を着た隊士達が整列している風景だった。皆、同じ方向を見つめている。その見つめる先には近藤、土方が厳しい表情で座っていた。


――何が起きているの......!


 椿は息を整えながら、松の木に隠れるように身を寄せた。近藤と土方が見つめる先に目をやると、浅葱色の着物に真白なかみしもを着た男が俯いて座っていた。その後ろには刀の柄に手を添えた沖田が立っている。


――もしかして、切腹!


 誰の切腹が執り行われようとしているのかと、沖田の前に座る人物をもう一度見た。


――うそ……山南さんっ!


 椿は目の前の光景があまりにも想像を絶しており、理解し難かった。椿がいない間に何があったのだろうか。

 むしろの上に正座で座る山南は瞑想をしていた。その前には柄の白い短刀が真っ白な紙の上に置かれてあった。沖田が斜め後ろに立ちじっと山南を見つめている。


――まさかっ、沖田さんが介錯かいしゃくを!


 厳しい表情の近藤が土方の方を向き、小さく合図をするように頷いた。沖田は腰に差した刀を静かに抜く。


――駄目っ!


 椿は足を一歩前に出し、口を大きく開いて息を吸った。止めなければならないと、それは咄嗟の行動であった。


「やめっ......っ、んんっ!」


 誰かが後ろから椿を拘束し、手で口元を覆ってその行為を制した。椿はそれが誰なのか振り返る余裕はない。目に映る全てが椿の体を滾らせた。


――やめて! お願い! どうして!


 しかしその心の声は届くことなく、無情にも土方が静かに腕を振り上げた。前に座る山南は静かに二人に向けて一礼をし、着物の腹を左手で大きく割った。


――嫌、駄目よ。駄目なのに!


 拘束を解くために椿はありったけの力で足掻いた。なんとか振り切って走れば、まだ間に合うと思ったのだろう。


「椿さん」


 後ろの人物が、喉の奥から絞り出すような声で椿の名を呼んだ。

山崎だった。


「止めることは、許されません」


 その声を聞いた途端に椿は足掻くのを止めて、目の前の光景を黙って見つめた。


――どうして、山南さんっ……山南さん


 山南は短刀を右手で取り鞘を抜き、静かにそれを置くと、両手で短刀を握り直した。そして剣先を自身の腹に向ける。その後は一瞬の出来事のように思えた。夢であって欲しいとさえ願った。

 山南は呻き声もあげずに、腹に短刀を突き刺し横に引いた。直後、沖田が山南の首を流れる所作でストンと落とした。

 無駄な血しぶきを飛ばすことなく見事な介錯を遂げたのだ。


「ふっ、ううぅ......うっ」


 椿が膝から崩れ落ちるのを山崎が支え、そのまま地面に座らせた。椿は悲しみよりも悔しさが勝っていた。声を出して泣きたかったが、我慢した。地面には涙がぼたぼたと落ち染みを広げて行く。すると山崎の手が、椿の背中を何度も何度も優しくさすった。


――私はっ、何も出来なかった……


 局長である近藤が去った後は淡々と後処理が行われ、隊士たちは無言で持ち場に戻って行った。最後まで其処に残っていたのは動く事ができなくなった椿と、それを見守る山崎。そして、全てを見届けた土方だけだった。


 もう三月だと言うのに、吹き抜ける風が、凍てつく氷のように胸を突き刺さしていった。





 山南は江戸に戻ると置き手紙を残して脱走したそうだ。それを追いかけたのが沖田と山崎だった。大津で山南を発見し、その後屯所へ連れ戻した。

 新選組の規則「隊を脱することは許さず」ということに触れたため切腹がくだされたのだ。山南はその決定に抵抗する素振りは一切見せなかった。

 今の新選組ならば、もっと遠くまで逃げていればそれ以上は追わなかったはずだ。なぜ、すぐ隣の大津で一泊したのだろうか。


「山南さんは初めから死ぬ気だったのだろう」


 土方がぽつり言った。


 椿は最後に二人で話した時のことを思い出す。山南は自分と話ができてよかったと言っていた。それも何かを悟ったように。


「私がっ。私が殺したのです。私と話をしなければ山南さんは脱走なんてしなかった。切腹なんてしなくて済んだのに!」

「おい、椿!」

「私が、私がっ」


 椿は土方の部屋を飛び出した。何処に向かっているのか、たくさんの隊士の間を走り抜ける。


「山崎。椿を追ってくれ」

「はっ、失礼します」


 山崎は椿のあとを追った。あんなに取り乱した椿を見た事がなかった為か、動き出す一歩が遅れてしまった。土方もまた立ち上がりら椿を探す為に部屋を出た。


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